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クリスの実験

「あ、でも、今日はもう家でご飯を用意してくれてると思うから、お祝いは後でもいい?」


 この場合、家とはネリーの父親でハイドレンジアの領主、ライオットの屋敷ということである。ネリーは娘だからいいとしても、結局サラもクリスもちゃっかりとご領主の屋敷のお世話になっているのだ。


「いいよ。久しぶりに送っていくからさ、菓子でも土産に買っていこうぜ」

「うん!」


 その日少し早く帰らせてもらえることになったサラは、アレンとクンツに挟まれるようにして、お屋敷に向かって町をゆっくりと歩いた。


「マーシャのクッキーがいいかなあ。ライも喜ぶし」


 もちろん、お屋敷の料理人の作るお菓子はとてもおいしいが、素朴でシンプルな材料で作るマーシャの店のクッキーはライも大好きなのだ。


 去年はライオットさんと遠慮がちに呼んでいたサラだが、


「お父様と呼んでくれてもいいのだぞ」

「それはさすがに図々しい。そこはおじいさまでしょう」


 というネリー親子の殺伐としたやり取りがあって、結局クリスと同じ、親しいものが呼ぶ「ライ」という呼び方をすることで落ち着いた。


「マフィンは午前中に売り切れちゃうけど、クッキーならまだ残ってるはずだし」


 ネリーと一緒に帰る時に時々立ち寄るから知っているのだ。もっとも途中で食べながら帰るから、ライの手元に渡るときは若干少なめだ。


 マーシャのクッキーを買って帰ることにして、三人でお店に向かっていると、若い女の子たちがこちらを見てクスクスしたりひそひそ何か言っていたりするのだが、最近いつものことなので気にならなくなった。


「確かに人気者だよね、二人とも」

「まあな」


 得意げなクンツと対照的に、アレンは無表情で肩をすくめた。


「どうでもいいかな、俺は」

「ちぇっ。アレンはクールだよな、そういうとこ」


 クンツがサラの背中越しにアレンの肩にこぶしを当てている。


「クールっていうかさ。俺はハンターだから、もし大事な人を作ったとして、俺に何かあった時、残されたその人が悲しむだろう。そういうの、いやなんだ」


 サラは思わず足を止めてしまうところだった。アレンは両親を早くに失っただけでなく、叔父もダンジョンで亡くしてしまっている。残された人が悲しむというのはつまり、自分の体験によるものなのだ。


「お前、そうは言うけど、そんな人がいない今だって、俺やサラは絶対悲しむぞ。まあ、俺と組む限りそんなことは起きないとしてもさ」


 何も言えなかったサラと違い、クンツはすぐに反論している。


「クンツは一人でも全然やっていけるだろ。それにサラにはさ」


 サラを見たアレンの表情は穏やかなものだった。


「ネリーがいる。大丈夫だ」


 自分には誰もいないのだと言われているようで胸が詰まったが、サラはアレンにどんと体をぶつけてごまかした。


「ダンジョンでは絶対無理しないこと。約束だよ」

「ああ、わかってる」


 女の子にもてているんだぞという軽い話だったはずなのに、なんとなく重くなってしまった雰囲気を変えるように、サラたちはクッキーを買ってにぎやかに屋敷まで帰った。


「わあ、今日もいい匂いがする」


 サラは門を入り屋敷が近くなったところで鼻をくんくんさせた。ジャスミンのような甘い花の香りが、南方騎士隊の建物のほうから漂ってきている。


「そうか? 俺はちょっとな」

「俺も。香水の匂いはちょっと苦手なんだ」


 アレンとクンツは鼻の頭にしわを寄せているが、確かにご婦人の使う香水の香りに似ているかもしれない。


「騎士隊も災難だよな」


 アレンの感想にはサラも頷いた。


「それには同意しかない。クリスに油断を見せたのが敗因だと思う」

「油断を見せなくてもさ、あの人がやりたいと思ったことを止められる人がネリー以外にいると思うか?」

「いないね」


 三人で騎士隊の建物を見て、お気の毒にと肩をすくめた。


 クリスはというと、この一年、ダンジョンで素材を採取しつつ、新しい薬剤の開発をしていた。その過程で発生するのが強い花の香りなのだが、


「薬師ギルドに迷惑がかかるから」


 という理由で、クリスは南方騎士隊の空いている部屋で研究を重ねているのだ。


 ポーションや他の薬品に匂いが移らないのは確かに大事だが、騎士隊の建物は常に花の香りがしているので、当然騎士たちの制服からも花の香りが漂う始末だ。


「なにか困るのか」


 とクリスに無表情に問われれば、困るのは威厳が落ちるくらいですとはとても口に出せず、南方騎士隊は迷惑だと言いたくても言えずにいる状況らしい。


「でも、騎士隊の奴らも最近花の香りがしておしゃれだとかで、けっこう町の人に人気らしいぜ」


 三人の中では町の噂に一番敏感なクンツがそう教えてくれた。


「うん。クリスも、製薬が安定したら、香水への応用も考えてみるって言ってた。ポーションの元になる薬草と香水の原料ってけっこう重なるらしいよ」


 サラもこの話には興味津々である。基本の六種のポーションを作れれば薬師になれるといっても、実はその素材は多種多様で、クリスのようにギルド長をやるくらいの実力のある薬師は、いろいろな素材を使いこなすことができる。


「それにしても、薬が完成したら、もうネリーも指名依頼で王都に行かなくてすむようになるのかなあ」

「そうだといいんだけどな。魔法師の俺としては、薬ができたとしても使うのが難しいと思う」


 そもそもクリスの作っている薬とは、竜の忌避薬だ。


 ネリーと一緒にダンジョンの深層階に潜っている時に、決してワイバーンに襲われない場所があると聞いたのがきっかけだそうだ。


 サラはクリスが珍しく興奮して話してくれたのを思い出した。


「ワイバーンが決して上空を飛ばない場所とは、つまりワイバーンが嫌がる何かがある場所に違いないと思ってな。とりあえず自分の専門の植物を中心に探してみたら、リュウセンソウの色変わりがたくさん生えているのを見つけたのだ」


 リュウセンソウとは、肉食の竜が珍しく好む植物だという。普通は紫色なのだが、そこにあったものは透き通るような白色をしていたという。


「仮にギンリュウセンソウと名付けた。一面白銀の野原に馥郁とした香りが漂っていて、ダンジョンの奥底だというのに、まるでネフとデートに来たようで、ゴホンゴホン」


 ネリーにじろっとにらまれてごまかしたクリスに笑い出しそうだったのは内緒である。


「これだけ数があれば、ワイバーンが舞い降りてきてもおかしくないのに、むしろ避けて通るということは、これだと思ってな。石に草の汁をまぶして、ネフにワイバーンに投げつけてもらうという原始的な方法を試してみたのだ」

「原始的とか言わないでくれ。身体強化型のハンターなら、普通の戦法だ」


 身体強化するということは、投げる力も強くなるということだそうだ。ただし、的確に当てられるかどうかは訓練次第である。


「ワイバーンは馬鹿にしたように石をギリギリでかわしたが、そのすぐ後にのけぞるようなしぐさをしたかと思うと、その場をそうそうに飛び去っていった」


 つまり、ワイバーンにとって嫌な匂いではないのかと推測できたというのだ。


「その後ネフや他のハンターたちにも協力してもらって実験したが、確かにワイバーンには嫌がられる匂いのようだった。だからこれを、王都の渡り竜に応用できないかと思ってな」


 騎士隊と王都のハンターだけで渡り竜を撃退できるようになれば、ネリーが呼ばれることもない。


 さすがクリスというべきか、基準はネリーの幸せである。


そこから薬師ギルドに話を持ち掛けると、新薬の開発という甘い響きとクリスと一緒にいられるという幸せとに、カレンは一瞬で共同研究を受け入れた。南方騎士隊はというと、既に一室をクリスの工房に貸し出していたので、何を開発するかもきちんと確かめないまま安易に受け入れた。


 結果として南方騎士隊の駐屯所はいつも花の香りに包まれ、薬師ギルドはいっそう生き生きと活動するという事態になっているのである。


 成分をなるべくそのままに抽出するというのがなかなかに難しかったらしいが、それはクリスと薬師ギルド、そしてサラの協力で成功した。


 だが、新薬は成功したとしても、クンツの言う通りにそれをどう渡り竜に効果的に使うかが現在の課題であり、ネリーとクリスがダンジョンの深層階に行っているのもそのためである。


 しかし、いつまでも屋敷の前で話していても仕方がないので、サラたちはお屋敷に入った。


 マーシャのクッキーをライに渡しつつ、アレンもクンツもちゃっかり夕食の相伴にあずかることになった。最初は領主に遠慮していたクンツも今ではすっかりライに慣れたものである。アレンは言うまでもない。


「魔法師は魔法を扱うのであって、薬剤を魔法でどうにかするのは難しいんですよ」


 クンツの話は屋敷の前の会話の続きだ。もちろん、ライには最初にサラの魔力薬の成功を伝えて、とても喜んでもらっている。


 サラは少ししかない渡り竜の知識を一生懸命思い出した。


「渡り竜って、目視して魔法が的確に届くくらいには低いところを飛ぶって、ネリーが言ってた気がする」

「そこが問題なのだよ」


 ライは王都で長く騎士隊長をやっていたが、その間に渡り竜の討伐は毎年頭を悩ませる問題だったという。


「騎士隊は身体強化はもちろん鍛えるが、使うのが主に剣だということもあって、空を飛ぶ生物とは相性が悪い。弓の部隊もいちおういることはいるが、竜を打ち落としてはならないというのが一番大変なんだ」

「打ち落としてはならない?」


 渡り竜討伐というからには、渡り竜を退治することだと単純に思っていたサラである。


「体の大きくて重い渡り竜が王都に降りないように追い払う、追い払えない竜だけを退治する。それが渡り竜討伐なんだよ。竜を減らしすぎても、草原のツノウサギやワタヒツジが増えすぎてしまうと言われているし」


 サラはローザの町の東の草原を思い出した。確かずいぶんツノウサギが増えて、ギルドで狩りも開催したが、それも渡り竜が関係するのだろうか。そして今はその話ではなかったと頭を軽く振ってその考えを追い払った。ライの説明に、クンツが魔法師の役割を付け加えてくれる。


「だからハンターの魔法師が活躍するんだ。炎や風、水、とにかく自分の得意な魔法で竜の顔を狙い、できれば傷つけないように方向を変えさせる。仕留めるのは、竜が方向を変えないで地面に降り立ってしまった場合のみ。ネリーは面倒だって言うけど、魔法師の俺は一度は呼ばれてみたいと思ってる」


 サラは思わずぽかんと口を開けて、食事中だと気が付き慌ててまた閉じた。


 ネリーが嫌がっていたから、皆やりたくない仕事なのだと思っていた。そんなサラを見てライが苦笑した。


「報酬も高額だし、確かに魔法師にとってはなかなか悪くない仕事だ。いかに精緻な魔法を出せるかという腕の見せ所でもあるしな」

「そうなんです」



 ライは意外とクンツとも話が合うようだ。


「だが、竜が落ちてくるまで仕事のない身体強化型の剣士やハンターにはあまり人気がない。落ちてきてもぞもぞしている竜にとどめを刺すのは見栄えのいい仕事ではないからな」


 サラはリアムを思い出して、思わず眉間にしわを寄せた。確かに見栄えを気にしそうなタイプだ。


「私のいたころは主にハンターに依頼を出していたが、身内のネフェルを指名依頼するという実績を作ってしまったのも私だからな。ネフェルには本当に悪いことをした」


 それがきっかけで、ライが騎士隊長を辞してからも当然のようにネリーが呼ばれるようになったという。



「ネリーが行かなくてすむようになるといいな」

「昔は小生意気なだけの小僧だったが、こうしてみると、クリスになら任せてもいいかもしれん」


 何を、あるいは誰を任せてもいいのかはあえて聞かないサラである。


次は来週の水曜日更新です

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― 新着の感想 ―
宮廷魔法師とかいないの? 毎年のことなのに、王都内の戦力でなんとかできるように対策練らないの愚の骨頂よね。 拉致が許されるのもおかしいけど、そもそも頼れる個人が居なくなったらどうするのか?
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