サラ、誘蛾灯になる
二日目は順調だったが、その日の夜はちょっと困ったことになった。ネリーが五階層の見回りに出るというので明かりを増やして付いて行ったら、いつの間にか一人になっていたのだ。そして周りでは夜だというのにばっさばっさと音がしている。
「虫よけのはずのランプが誘蛾灯になっちゃったんだな。どうしよ、これ」
明かりを消したら解散するはずだが、今度は森からオオムカデがやってくるかもしれない。
「アレ、やってみようかな」
夏の夜、明かりに集まってきた虫が当たるとパチンと電流が走るアレだ。残酷な仕掛けではあるが、ニジイロアゲハは魔物なのだ。サラが狩らなければ、向こうにいるハンターの誰かが狩ることになるだけである。
「電撃を、バリアの外側にまとわせる。怖いから少しバリアを大きくして」
サラは自分の周りに十分に空間ができるようにバリアをふわんと大きくした。途端にアゲハが弾かれる気配がする。
「でもそれだけじゃ足りないから、バリアに電撃。バチバチってなるように」
暗闇にサラのバリアが青く光り始めた。同時に森の誰かがそれに気が付いたらしい。
「おい、あの子が変なことになってる!」
変なことにはなっていないが、心配した誰かが近くに来たら危ないことになる。サラは慌てて自分の中の出力を上げ、同時に目をつぶった。
「バチバチバチッ!」
思ったよりずっと大きい音と共に、衝撃が空気を伝わってくる。その音はしばらくなり続け、やがて、
「バチッ、チッ」
と静かに消えた。
サラが恐る恐る目を開くと、薄明るいダンジョンの夜の空がきれいに見え、そしてニジイロアゲハが折り重なるように落ちていた。その向こうには、おそらく近寄ろうにも近寄れなかったネリーが手を伸ばしたまま、止めようとしたであろうクリスに腰を抱えられつつ擬人画のように動きを止めており、その隣には隙あらば走り寄ろうとしたという感じのアレンが同じように固まっていた。
サラは困ったことになったなあと思わず胸の前で手を握り合わせ、へへっと笑うしかなかった。
「えっと、もしかして、やりすぎちゃったみたい?」
「無事か……」
ふうっと力の抜けたネリーの腰をクリスが残念そうに離していて、こんな時だけれど笑い出しそうになる。
「サラ! お前は!」
「ごめんなさい、心配かけて」
サラは珍しく大きな声を上げるネリーにすかさず謝った。
「いつも言っているだろう。魔物と対峙するときに目をつぶっては駄目だと」
「そっちなの?」
サラは心配の方向が違うことにあきれたが、サラへの信頼のあつさに嬉しい気持ちにもなった。
「あれは雷撃の応用か?」
「はい」
クリスの冷静な反応にもほっとした。他のハンターたちはぞろぞろと落ちたニジイロアゲハの検分に向かっている。そこからさらに声がかかる。
「まだ生きてる奴は仕留めてもいいか?」
「お願いします!」
かなり強い雷撃だが、ゴールデントラウトは気絶するだけだったし、ニジイロアゲハも気絶しているだけの奴もいるのだろう。
ハンターたちはてきぱきとかたづけているが、サラはさっきからあちこちでうごめいて見える地面のほうが気になる。
「あの、私、もう戻ってもいいかな」
「ああ。一人で大丈夫だな」
「うん」
うごめくものがなんだったのかは知らないままでいたい。倒したニジイロアゲハの始末はハンターにお願いして、夜のダンジョンから撤退するサラであった。
「はい、三日目は順調です」
次の日、サラはせっせと薬草を摘んでいた。昨日の夜の狩りのおかげか、五階層のニジイロアゲハが激減したので、ハンターたちも上下の階層に散り今日は閑散としている。ネリーとクリスは昨夜の報告に一旦ダンジョンから離脱しているし、サラに寄ってくるアゲハもほとんどおらず、ヘル・ハウンドはいくらいてもバリアの中には入れない。オオムカデは森から出てこないし、ダンジョンの中は平和そのものである。
「おーい、薬師ギルドー」
「はーい、今行きまーす」
たまに解麻痺薬を買いに来るハンターたちの相手をにこにことこなし、また薬草類を採取する。
「平和だねえ」
たまに立ち上がって空を見ながら腰を伸ばすサラは、ギルドで薬師の仕事をするのも楽しいが、やはりこうやって薬草を採るのが好きだと思う。心ゆくまで薬草を採ってもまだお昼には少し早い。サラが休憩を兼ねて安全地帯に戻ってきたところで、下の階に続く道からアレンが走り出てきた。かなり急いで来たらしく、珍しく肩を上下させるほど息を切らしている。
「アレンだ。やっぱりご飯一緒に食べるの?」
「そ、そんなのんきなこと言ってる場合じゃないんだ」
「ええ?」
のんきなつもりはないが、何か問題があったらしい。ここまで走って来たアレンが腰の袋から解麻痺薬を出してグイッと飲み干すほどのことだ。サラはポーチからカップを出しテーブルに置き、鉛筆も出して紙にメモを付け加えた。
「不在につき、代金はカップにいれてください。ポーション二千ギル。解麻痺薬千ギル、っと」
20個くらい並べておけば大丈夫だろう。後はハンターの良心を信じよう。サラは準備を済ませリュックを背負うと、アレンに向き直った。
「人手が必要ってことよね」
「人手じゃなくて、サラが必要なんだ。ニジイロアゲハが大変なことになってる。とりあえず六階層へ行こう」
サラが必要なんだと言われても、ちっともロマンチックじゃないなあと思いながら、サラは六階層へ続く道をアレンに続いて走り始めた。
「そろそろ出るぞ」
「うん!」
薄暗い道から明るい六階層に出たサラは思わず立ち止まった。出口にも安全地帯があるが、ずいぶんたくさんのハンターがいて、全員空を見ていた。思わずサラも同じ方を見て息をのんだ。
「すごい数だ」
「そうだろ。今日は俺たち、ずっとここで狩りをしてたんだけど、全然追いつかないんだ。それどころか、ニジイロアゲハの数が多すぎてずっと外にいるとだんだん体が動かなくなってくる。それに気がつかずに何人も倒れた」
「解麻痺薬は」
サラはポーチに手をやったが、アレンは首を横に振った。
「足りない奴はいない。弱い奴で大丈夫だったみたいだ。だけど、息ができないのに外に出るわけにはいかないだろう。少しでも数を減らさないとと思ったらサラのことしか思いつかなくて」
アレンに自分でなんとかできなかったという悔しさがにじむ。
「ネリーたちはまだ戻ってきてないし、ザッカリーたちは?」
確かネリーの他にザッカリーも審判役としてダンジョンに入っていたはずだ。
「六階層でこれだろう。きっともっと下の階で足止めされてると思うんだ。クンツは七階層に続く安全地帯のほうにいる」
サラは冷静に考えた。
昨日サラは、不本意ながらも自ら誘蛾灯となり、ニジイロアゲハを大量に狩ることとなった。バリアに雷撃をまとわせるという方法で。だが、そのやり方は明るい昼間には通用しない。サラはどうやらニジイロアゲハをも引き付けるようだが、それだって人よりは多いというくらいで誘蛾灯ほどの力はない。
それならどうするか。
「空限定。ニジイロアゲハだけを倒せばいい」
それなら、空のように見えて空ではない、ダンジョンの天井に叩きつけてしまえばいい。