空を見るより
「意外と忙しいな。なかなか薬草を採りに行けないぞ」
テーブルに解麻痺薬を並べ直しながらサラは独りつぶやいた。
「でもみんなで狩り始めたからか、ニジイロアゲハがずいぶん減ってきたなあ」
アゲハの羽で空も見えないほどだったのに、今は空の割合のほうが多い。
多少はニジイロアゲハの狩り方がうまくなったのか、その後はニジイロアゲハの麻痺毒にやられるハンターの数は格段に減った。だがそれも昼までのことだった。
安全地帯で昼にゆっくり休憩をとっていると、下の階に続く道からハンターがぬっと顔を出した。
「ここに薬師ギルドはあるか」
「あ、はい! こっちです」
サラは膝に落ちたパンのかけらを払いながら立ち上がった。
「いくつ必要ですか?」
「10」
「10!」
サラは机に並べている解麻痺薬を確認し、ポーチに手をやった。午前中でけっこう数が出たので、ちょっと心配になったのだ。
「うん、大丈夫です。一万ギルになります」
ハンターは疲れたような顔で解麻痺薬を受け取ると、ちらりと五階の空の様子をうかがったあとで、心配そうにサラの方を見た。
「俺たちは七階で狩りをしている組なんだが、思ったよりニジイロアゲハの数が多くてな。早めに解麻痺薬の補充に来たが、おそらく足りなくなった奴らが次々とやってくるぞ」
「ええ、足りるかな」
数百はあったはずだが、既にその10分の一くらいはなくなってしまっている。
「下見に来た時より増えてるんだ。途中で補充できるならしとけ。明日から俺たちも五階か六階でやるかな」
下の階に行っているということは、若くてもそれなりに強いハンターのはずだ。よほどニジイロアゲハの数が多いのだろう。
「無視して駆け抜ければいいなら気にならなかったんだが、いざ狩るとなると難しい魔物だな、あれは」
「そうみたいですねえ」
サラは最初の時アレンの拳がなかなか当たらなかったことを思い出して頷いた。
「外に出なくて済んで助かったよ。じゃあな」
「はい、行ってらっしゃい」
サラはにこにこと送り出した。売り子はギルドの売店で慣れているし、皆感謝してくれるしでとても楽しい気持ちだ。
お昼が終わり、アレンとクンツも手を振り、狩りに戻っていった。
「さてと、薬草を採りに」
「薬師ギルドはここか!」
「……はーい。ここでーす」
結局午後も四階層から、あるいは六階層より下からやってきたハンターたちの対応に追われたサラである。そしてお鍋を片付けなかったせいで、常にお茶を用意しハンターたちにごちそうする羽目になった。夕方に近くなるにつれ、ダンジョンなのに日が陰る不思議でずっと空を眺めていたサラだが、どうやら魔の山と違って真っ暗にはならないらしい。
「そもそも太陽が見えないのにどうやって日が陰ってるのかがわからないよね」
「気にしたことなかったな」
制限時間の六時を過ぎて戻って来たアレンの言葉を借りると、ハンターとはこんなものである。ネリーに聞いても同じ答えが返って来ただろう。ネリーのことを考えていたせいか、ネリーの声がしたような気がした。
「サラ」
「あ、ネリーだ! おかえりなさい!」
気がしただけでなく、本当にネリーだった。
「残念ながらまだ帰りではないんだよ」
ネリーが珍しく疲れた顔をしている。隣のクリスもだ。
「そういえば今回ネリーたちは審判なんだっけ」
「ああ。と言っても広いダンジョンの中だ。違反者がいないか、大怪我をしている奴はいないかを見回っているだけなんだがな」
「わあ、それは大変」
風のように去っていったネリーとクリスを、サラはほうっとため息をつきながら見送った。ヘル・ハウンドが宙に舞っているのは殴り飛ばされたせいだろう。
「かっこいいよね」
「悔しいけどな。ネリーもクリスもめちゃくちゃかっこいい」
並んで見送るサラとアレンの後ろでクンツがため息をついた。
「サラもアレンもかっこいいよ。まだ13歳だろ」
安全地帯がしんとしたので、おそらくハイドレンジアでは13歳のハンターは珍しいのだろう。あえて言うならローザでも珍しかったが。
「強いってのは知ってた。知ってたけど、ここまで強いとは思わなかったよ。俺、むしろ足手まといじゃないのか?」
クンツは15歳だ。アレンより二つも上なのに、アレンほど強くないのが悔しいのだろう。
「足手まといなんかじゃないよ、クンツ」
そんなこと言われるとは思わなかったという顔でアレンが苦笑いしている。
「クンツ、俺、何のためにハンターをやってると思う?」
「それは」
クンツはいきなりそんなことを聞かれて戸惑っているようだ。
「強くなるため?」
多くのハンターが求めるのはやはり強さだ。だから強さには敏感だし、今回の狩り勝負にもたくさんの若手ハンターが参加している。
「それもあるけど。俺の一番はさ。生きるためなんだ。ハンターでお金を稼いで、生活する。強くなるのはそのためなんだよ」
アレンはへへっと鼻の下をこすった。
「だから、ネリーやクリスみたいにかっこよくなくても、命を守るためには無理はしないし、下積みだってする。それをクンツから学ばせてもらってるとこなのに、足手まといとかありえないだろ。むしろ俺がいて迷惑なら」
アレンはちょっとうつむいた。
「迷惑なら、言ってくれ」
「迷惑なんかじゃないよ。魔法師は単独ではなかなかダンジョンの深いところまでは潜れないんだ。アレンがいてくれて、本当に助かってる。ただ、俺でいいのかって思ってしまってさ」
「他に誰も組んでくれなかったじゃないか」
アレンが冗談めかしているが、これは本当だ。最初は新参者だったから。そして途中からはネリーの一派だと思われていたからだろう。
「もう、あの赤い人のこと誤解したりしねえよ、俺たちも。それにあんたたちの強さは今日で思い知ったさ」
同じ安全地帯にいるのだ。今までのやり取りは全部聞こえていただろう。休んでいたハンターが話しかけてきた。
「俺たちだって、お前らに釣り合う強さかはわかんねえけど、人数集めていきたいときは、声かけてくれよ」
「俺たちもだ」
休んでいたハンターたちが次々と声をかけてきた。サラは地面に座りながらにこにこして聞いていた。
「他人ごとのような顔してるけど、あんたもだぜ、その。サラ」
「え、私?」
サラは急に自分が呼ばれたのでとても驚いた。そういえばお昼前にサラの名前を聞いていった人がいたような気がする。
「下手すると、ここで最強なのはあんただって気がついていない奴がいたら、そいつはハンターに向いてねえ」
サラは焦ってそんな訳がないとあちこちに目をやったが、ハンターたちは皆その通りと頷いている。そしてなぜアレンが鼻高々なのかとは問いたいサラである。
「そうさ。サラにはどんな攻撃も通らないんだ。自分から狩りに行くことはめったにないけど、サラと一緒ならどんなところにいても生き残れる。自分から狩りにはいかないけど」
あまりに無念そうだったので、思わず笑いが起きたほどだ。
「私は身を守りたかっただけで、ハンターは向いてないと思うんだ」
サラは両手を空に伸ばした。
「この手で魔物を狩るより、薬草を採って暮らしたい。高い空を見るより地面を見て、急がずゆっくり生きていきたい」
サラの声は誰よりもサラ自身に浸み込んだ。
「ネリーのそばで」
それは欠かせない気がするのだ。
「ネリーと一緒に地面を見るなら、ダンジョンもいいぞ」
「アレン、台無しだよ」
ハンターになれよと笑うアレンも、できればそばにいてくれたら楽しい。あっという間に五階分を駆け抜けてきたネリーとクリスが戻っても、皆での楽しいおしゃべりは続き、一日目の夜はなごやかに終わった。
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