腰ぎんちゃく
こうして薬師ギルド通いをするようになったサラだが、調薬は楽しかった。薬師になるのをためらっていたのがもったいないくらいである。少し落ち着いてみると、作業場だけでなく店のほうの様子もわかってきた。
相変わらず薬草の切れ端でポーションを作る練習をしているが、すりつぶしている間はあちこちに目をやる余裕もある。
最初のうちは解麻痺薬の研究と作業をしている先輩たちを見ていたが、店の表のほうもけっこう賑わっているのに気づいた。
聞こえてくる話に耳を傾けると、ダンジョンに解麻痺薬を持っていっていない、比較的若いハンターが多いようだ。持っていかないから、当然ニジイロアゲハの鱗粉で麻痺が起きてもどうしようもない。動きにくい体を抱えて何とか戻ってきたその足で薬師ギルドに解麻痺薬を買いに来るというわけである。
買ってすぐに飲み干しているらしい気配もする。
「こんにちは! シロツキヨタケを持ってきたよ」
そんななか、こちらもさわやかなのはアレンだ。
「あらアレン、クンツもどうぞどうぞ」
ネリーに頼まれたらしく、アレンとクンツはあまりお金にならないシロツキヨタケを帰りがけに採ってきてくれるようになった。
ついでにサラに顔を見せてから帰るので、作業場に入ってくるのが当たり前のようになっている。
「サラ! 今日も頑張って来たよ」
「おかえりなさい、アレン。ダンジョンの様子はどうだった?」
「今日もニジイロアゲハがたくさんいたな。日に日に増えているような気がするんだけど」
アレンの話にクンツも説明を足してくれる。
「俺はニジイロアゲハが少なかった時からダンジョンに潜っているが、ストックに行っている間にずいぶん増えた気がする。最近では若いハンターもニジイロアゲハを無視するようになったから麻痺毒でやられている奴は減ったと思うけど、とにかく数が多いだろ。自分からニジイロアゲハに絡まなくてもやられる奴も出てくるから、必要量は変わらないと思う」
サラに会いに来るついでのこういう情報はとても貴重であり、それもあって薬師ギルドでは重宝されている。
もっとも、アレンとクンツは日帰りでダンジョンに行っているからわかるのは低層階のことだけで、もっと深いところの状況はわからないそうだ。
「でもお店に出ていると、あなたたちのことよく思っていない人たちがいるみたいよ。弱いくせにシロツキヨタケなんか取ってきて、薬師ギルドに取り入ろうとしてるって。しかもその、ネフェルタリの腰ぎんちゃくでもあるとか」
取り入ろうとしてると、いやな見方をする人は出ているかもしれないとはサラも思っていた。でももう一つのほうは納得がいかない。
「アレンとクンツって腰ぎんちゃくなの?」
そもそもダンジョンにも別々に潜っているような気がしたが、どうして腰ぎんちゃくとか言われているのだろうか。
「いや、たまたまネリーと朝にダンジョン前で会った日があって。いつも通り楽しく近況報告してただけなんだけどさ」
アレンが困った顔をして腕を組んでいる。
「ネリー、ものすごく注目されてた。なんでローザの赤の死神がここに、って」
聞いたことをそのまま言っているだけだからな、という目をしている。
「なんでって、お父さんがいるんだから、娘が来ても当たり前だと思うんだけど。それに私のことは?」
そもそも招かれ人であるサラの後見のために連れてきてくれたのだ。南方騎士隊の前でそれも宣言したはずだ。だがアレンは首を横に振った。
「それはまだ全然伝わってない。しかもクリスも薬師としては有名みたいだけど、ハンターでは顔までは知らない人もいるからなおさらだよ。本来ここにいるはずのないハンターが、ハンターでもない男を連れてダンジョンに潜ってるって。だってクリス、薬師のマントのままで潜ってるんだぜ」
作業場からはさすがクリス様と感嘆の声が上がったが、ダンジョンに潜るなら普通の装備をしていったらいいのにとしかサラには思えない。
「それに、ネリーってなんだか孤高の人っていう伝説らしくてさ」
「え、孤高の人?」
アレンと一瞬目を合わせてしまい、二人とも微妙な顔でそっぽを向いた。
「人見知りで、人付き合いがちょっと苦手で、面倒くさがりなだけなのにね」
「だな。ぐっ」
しかし我慢ができず二人とも笑い出してしまった。
「ネリーが帰ってきたら教えてあげようっと。ふふっ」
「やめてくれよ、サラ。俺から伝わったってばれるだろ。ははっ」
照れて赤くなるネリーが脳裏に浮かぶようだ。笑いが止まらない二人を見てクンツがやれやれという顔をした。
「君ら二人、本当に能天気だよなあ。そんな孤高の人と気安く話すって言うんで、俺たちのほうが目をつけられたっていうのにさ。ハイドレンジアのハンターなのに、ローザのハンターにつくのかって思われてるんだろうな。まあ、俺も気にしないけど。まだハイドレンジアのハンターって言えるほどここに長くいるわけでもないしな」
人のことを能天気と呼ぶ割には、クンツも気楽な性格なようだ。
そんな三人を見ていた薬師の一人が心配そうに教えてくれた。
「だがな、本当に気をつけたほうがいいぞ。ハイドレンジアのダンジョンも王都周辺のダンジョンと比べると難しいと聞くが、ローザのダンジョンは別格だからな」
王都でちょっと力のあるものが調子に乗ってローザにやってきて、夢破れて帰るという話は確かに聞いたような気はする。
「ローザはハンターならいつかは行ってみたいところだし、逆にそんなところから来たとなったら、力が足りなかったか、何かうまくいかないことがあったのかと思われる。つまり、侮られるか警戒されるかってことだ」
その説明で理解できた。アレンは一人だけの時もクンツと組んだ時も特に注目されなかったけれど、ネリーと親しい様子を見せたことで注目されてしまったのだ。だが警戒して観察しても、アレンもクンツも慎重すぎてもどかしいという結果しかなく、だから今度は侮るほうに情勢が傾いたということなのだろう。
「でもそもそもネリーってローザのダンジョンにはほとんど行ってないんだけどね」
「そうだな。俺はローザのダンジョンに入ってたけどな」
サラとアレンの会話に、クンツも作業場の薬師たちも怪訝そうだ。
「どういうことだ?」
「ああ、ネリーは魔の山の管理人だから。魔の山に住んでたんですよ」
「魔の山だって?」
作業場が驚きでざわざわとしている。すっかり仕事どころではなくなってしまっているが、そもそもギルド長のカレンが作業をするふりをして聞き耳を立てている状況だ。
「ローザの赤の死、いや、女神とは聞いてたから、てっきりローザだと思ってたけど、魔の山? あの地上ダンジョンの? ワイバーンが舞い、高山オオカミが群れる?」
あのと言われてもサラには答えられなかったので、アレンのほうを見ると、代わりに答えてくれた。
「そう。あの魔の山。ネリーは管理小屋に住んで、一〇日に一度、ローザに狩りの獲物を売りに来てたんだよな。確かにワイバーンも高山オオカミもいたなあ、サラ」
高山オオカミと聞いただけで懐かしくて涙が出そうになるのはなぜだろう。あんなにうっとうしいと思っていたはずなのに。
「アレンもサラも魔の山を知ってるのか?」
クンツは目を丸くして驚いている。
「ああ。俺はネリーに弟子にしてもらうために行った。サラはネリーと一緒に住んでたし。高山オオカミなんてペットだったよな」
「ペットじゃないし、生ごみをあげてただけだし」
サラはプイっと横を向いて、薬師たちの驚愕の表情と向き合うことになった。
「す、す、住んでた?」
「はい。最初は小屋から出られなくて。はは」
なぜか笑い事ではないと叱られたが、魔の山で薬草を採って暮らしていたと言うととてもうらやましがられたのでよしとする。
「俺はご領主の屋敷でたまたまネフェルタリと総ギルド長が剣を合わせているのを見たから、本当に強い人だって納得したし、魔の山を管理していたって聞いてその強さが腑に落ちたけど、ただローザで強いだけだったって思ってる奴が彼女に突っかかったら痛い目を見るだろうな」
クンツがつぶやいたが、サラは突っかかってくる相手はどうなってもよかった。ただ、そもそもネリーに突っかかってきて迷惑をかけないでほしいと願うのだった。
しかし、結局迷惑をかけられたのはネリーだけではなかった。
よく考えたら、腰ぎんちゃくってトリルガイアの場合、収納袋だよなあと思う作者でした。むしろ貴重?
書籍4巻、今月25日発売です。
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