口に出してわかること
うっかり更新してしまいました。
次は火曜日更新です。
「ちやほやされるのには慣れてるんだな」
サラのつぶやきも流されてしまった。だがクリスの後ろにネリーが楽しそうに立っていたのでサラの機嫌は爆上がりだ。
「で、カレン」
クリスはカレンに声をかけた。迎えに来たはずのサラには一瞥もくれずに。
「完成しているんだろう。シロツキヨタケの解麻痺薬を見せてみなさい」
「お見通しでしたか」
カレンがしょぼんとしているが、クリスをだましてギルドにこさせようとしたのだから自業自得だと思う。クリスはその間にもテーブルに乗せられているシロツキヨタケや半分に切られた断面、調剤途中の鍋やビーカーなどを注意深く観察している。
「完成品はこれです」
「ふむ」
クリスは迷わず蓋を開けると、手のひらに解麻痺薬を一滴垂らしペロリとなめた。
「サラ」
「はい」
サラは慌ててクリスに駆け寄ると、手のひらを上にして差し出した。そこにクリスが一滴薬をのせる。
「飲み込んでも大丈夫だ」
サラもクリスと同じように舌の上にしずくをのせると、味を確かめた。ほんの少しだけピリッと刺激が来るが舌が痺れるわけではない。普通の解麻痺薬よりだいぶ弱いというのだけはわかる。
「薬効としては正規の解麻痺薬の五分の一ほどか。それでもニジイロアゲハの麻痺毒に対しては効果は過剰なほどだな」
はーと言うため息が作業場に落ちた。
カレンが解麻痺薬を作っていたことを察していたこと。
そしてその薬をひとなめしただけで薬効がわかったこと。
噂に聞いてはいたが、これほどとは思わなかったということだろう。
クリスはポーチからポーションの瓶を出した。中身は解麻痺薬だ。
「これが私の作ったもの。材料はシロツキヨタケ。サラ」
クリスはまずサラに一滴味わうようにと瓶を差し出した。カレンの目が怖かったが、恐る恐る手のひらにしずくを受け、舌に乗せる。
「さっきのより刺激がないし、飲みやすい。でも薬効があるかどうかはさっぱりわかりません」
正直に感想を述べたら、クリスにため息をつかれたが仕方ないと思う。
「薬効はおよそ10分の一。シロツキヨタケを食べた場合、ゆっくりと歩ける程度の手足のまひや震えでもこれで十分に治るはず。ということはニジイロアゲハの鱗粉を軽く浴びただけの麻痺ならこちらで十分だ」
「では私も味見を」
カレンは瓶を受け取ると味見をし、片方の眉を大きく上げた。ずいぶん違いがあるとわかったのだろう。
「ここにいる薬師の諸君も比べてみなさい」
クリスは二つの瓶を手近にいる薬師に渡し、サラの方を見た。
「さて、調薬に差はあったか」
途端にカレンから厳しい視線がつきささる。クリスもクリスだし、カレンもカレンだ。
「私が見た限りでは、クリスのやっていたことと手順は同じだったと思います。違いはと言えば加える水の量と、後は温度かなあ」
「温度?」
クリスの問いにサラは午前中に見た調薬を思い出してみた。
「薬液を湯せんしていたんですが、見ただけだとその温度がわからなくて。もちろん、クリスがやっていた時だってわかりませんでしたけど」
クリスのやり方も後ろからぼんやり見ていただけなのに、そんなに違いが判るはずはないではないか。
「カレン。そういうことだ」
「悔しいけど、その通りのようですね」
カレンは相変わらずきつい目でサラを睨んでいる。
「君が一人でも調薬を成功させるのはわかりきっていた。あとはどう工夫してより良いものにしていくかだけだ。私が手助けするまでもあるまいと思っていたよ」
「クリス様……」
「クリス。敬称はなしだ」
クリスの言葉に感動して声を震わせるカレンが、やっとサラから目を離してくれたのでほっとする。それなら最初からそう言っておけばいいのだ。しかしクリスは感動しているカレンのことは気にも留めず、入口のところにのっそり立っていたネリーに声をかけた。
「ネフ」
「ああ。ここでいいか」
ネリーはつかつかと歩いてくると、腰のポーチからシロツキヨタケを出し始めた。
「ハンターギルドに依頼を出していただろう?」
「え、ええ。あまり依頼料は上げられなかったので、正直なところ助かります。普段買い取りもしないものなんですが、一応薬草と同じ値段設定で。でも、とにかくかさばるので持ってきてもらえないんです」
確かに大きいものでは一抱えもある。そもそも持っていくものを極力減らしてまで魔物を狩ってくるハンターには面倒なものだろう。
「これは低層階でとって来たものだが、お察しの通りそこかしこにシロツキヨタケが生え、ニジイロアゲハがいた。たいていのハンターは無視していくが、若いハンターはイライラするようでな」
ネリーは首を横に振った。
「つい手を出しては麻痺毒を浴びていたよ。また麻痺毒のある個体とない個体が入り交じっていた。魔石だけ取り出そうにも鱗粉を避けるのは難しいし、ストレスのたまっているハンターも多そうだった」
ネリーは口数が多いほうではないので、あまりよく知らない相手にこれだけ話していることそのものにサラは驚いたが、ネリーはそんなサラの方に向き直ると、優しく微笑んだ。
「だが美しかったぞ。ハイドレンジアのダンジョンは洞窟ではなく、広い草原が多いんだ。もちろん、空が続いているわけではなく上は天井なんだが、どこからか明かりがさしこんで、その空をニジイロアゲハが舞う様子は幻想的でな」
サラにもその様子は目に浮かぶようだった。魔の山は上の方に行くと背の高い木は少なくなり、丈の短い草原が広がっていたものだ。そこにワイバーンが飛び、オオツノジカが群れ、高山オオカミがくつろいでいた。
もちろん、思い出補正が入っているのは認める。そこにあのニジイロアゲハが舞っていたらと考えると、それは美しいだろう。
「行ってみたくはないか?」
「う、うーん」
ネリーの誘いにサラは迷った。きれいな景色があると聞けば、行ってみたいことは確かなのだ。
「でも、そのきれいなアゲハの下にはオオムカデがいたりするんでしょ?」
ネリーは顔の前で手を横に振ってみせた。
「ああ、たいしていないぞ」
「少しはいるんじゃない」
結局大きなムカデはいるのである。そんなネリーとサラをよそに、クリスは薬師ギルドと話し合いを済ませていた。
「ハイドレンジアの薬師ギルドはギルド長のカレンがうまく回すことができていて問題ないではないか。したがってこれ以降私は口を出すつもりはない」
「そ、そんな」
自分がうまくやっていると褒められているのだから、落ち込まず喜べばいいのにとサラは思う。
「ダンジョンが面白かったのでしばらくはダンジョンにいくつもりだ。サラは役に立っただろう?」
「え、ええ。でも個人で教えていた分、知識と技術に偏りが多くて、そこを直していかないと」
クリスは少し口元を緩めた。
「そうして新人の資質を見抜きすぐさま教育を考えるところが、カレンのギルド長に向いているところだな」
頬を押さえて真っ赤になっているカレンは、やっと自分が褒められていることに気づいたようだ。
「サラはとりあえず毎日ここに通って勉強させてもらえ」
「はい」
保護者のサラへの希望は、ダンジョンにいくか薬師ギルドに通うかの二択しかないので、薬師ギルドを選ぶサラである。
帰り道、ネリーはサラに謝ってくれた。
「正直、クリスがどうでも私はかまわなかったのだが」
「ネフ、それはひどい」
「私もいきなり一週間行くつもりもなかったし、もし行くとしたらちゃんとサラに言う。つまり、そもそも今日は様子見だけのはずだったんだ」
「そうかなあって思ってたから、大丈夫だよ」
どうせ魔の山でも日中は別行動だったし、ネリーが王都に拘束されていた期間、サラは一人暮らしだった。仲がよくても家族でも、そもそもハンターと薬師見習いでは仕事が違うのだ。
「あ」
「どうした、サラ」
サラは今初めて気がついた。ネリーとの一緒の将来を思い描くときはいつでも、自分のことを当たり前のように薬師見習いと考えていることに。
「私、薬師になりたいと思っているみたい」
「よし!」
ネリーの向こう側でクリスが喜びの声を上げている。
「あー、やっぱり薬師か。ハンターになってほしかったんだがなあ」
ネリーは残念そうだが、こうやってハンターになってほしいと言われたのは初めてだったので驚きもした。
「そしたら私がもっとあれこれ教えられたし、ずっと一緒にいられるだろう」
「もしハンターになったとしても、レベルが違いすぎて一緒には行けないよ」
苦笑するサラにネリーは真面目な顔をしてみせた。
「魔の山を息をするように平気で歩くサラに、行けないところなどない」
「そういえばそうだよね」
サラは魔の山で自由に歩き回り、訓練と称してよくネリーと一緒にキャンプをしていたことを思い出し、懐かしくなった。
「例えばカレンさんの下について、ハイドレンジアでずっと薬師の修行をしなければならないと思うと、それはまだ抵抗があるんだけど、どこに行っても薬師ですと言えるくらいの力をいつか身につけられたらいいなあ」
言葉に出してわかることもある。サラはネリーと一緒に旅をしたい。旅先ではネリーはハンターをし、サラは薬師の仕事をする。そうすればいつまででも一緒にいられるのだ。
もしかして恋愛して結婚することもあるかもしれないし、別のことをやりたくなるかもしれない。でも今、興味ある仕事を学べ実践できる機会が目の前にあるのだから、それをやればいいのだ。
「わあ、心を決めたらなんだか楽しくなってきた」
「それはよかったな」
帰り道はとても楽しいものだった。
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