貸し借りするものではありません
「カレン。ぶしつけだぞ」
いきなりやって来た乱入者にクリスが眉をひそめたがその通りだ。だいたいここは領主館の私的な部屋なはずである。またクリスのファンの登場かとサラはちょっとうんざりした。
「私は薬師ギルド長です。当然ご領主とは懇意にさせていただいております」
懇意にしているからといって、人の話に割り込んでいいということではないという話なのだが、押しの強さはさすがクリスの後輩だとサラは思った。ちなみにカレンの後ろではライオットがすまなそうな顔をして立っているから、彼女に押し切られたのに違いない。
「この状況下にクリス様がこの町に来たのも女神の計らい。昨日はいきなりの登場でうろたえてしまいましたが、薬師ギルドとして正式にお願いしたいことがございます。ダンジョンに行かれると困ってしまうのです」
ネリーはほらやっぱりという顔をしているが、クリスの顔には苛立ちが浮かんでいる。
「クリス、私もカレンからちょっと気になる話を聞いてな。協力するかしないかはともかく、話だけでも聞いてやってくれんか」
「……ライがそこまで言うなら」
クリスがしぶしぶ頷き、カレンもライオットも席に着いた。
「きっかけはニジイロアゲハなんです」
「ニジイロアゲハ」
クリスの顔から苛立ちが消えた。
「こないだストックに若い薬師を派遣しましたが、それも麻痺毒を持ったニジイロアゲハだったとか。ハイドレンジアのダンジョンでも、最近麻痺毒を持ったニジイロアゲハの発生が見られるようになりました」
奇妙な一致である。だが、ダンジョンの魔物はダンジョンの外には出られないのではなかったか。サラの顔に浮かんでいた疑問にはネリーが答えてくれた。
「魔物が増えすぎると、魔物が外に出てくることはある。それを防ぐために私は魔の山の管理人をしていた」
「なるほど」
サラは頷いた。
「常識ですよ。なんですかこの子は」
カレンが眉をひそめてサラを見た。話が途切れたかもしれないが、そもそもはそちらが自分たちの歓談中に邪魔をしてきたのではないかとサラはちょっと腹が立った。
「そちらこそ余計なお世話だ。詮索せずに、話を続けるがいい」
ネリーがぴしゃりと言ってくれたのですっとした。
「ニジイロアゲハが麻痺毒を持つことはダンジョン内ではそれほど珍しいことではないが」
「はい。ただ、数が多くなってくると共に、麻痺毒にやられる可能性からか解麻痺薬を求めるハンターが増えてきたんです」
「つまり?」
「解麻痺薬が足りないんです」
サラはやれやれと思わず肩をすくめた。カメリアで必死に解毒薬を作った日々を思い出したのだ。まさかここでも解麻痺薬を作る手伝いをと言われるのだろうか。あるいは麻痺草の採取か。サラは道中採取してきた麻痺草を頭に思い浮かべた。売っていないからけっこうたまっているはずだ。
「ニジイロアゲハの麻痺毒なら、瓶の10分の一か五分の一かで十分なはずだが」
「五分の一で効くから五分の一だけ売るというわけにはいかないんです。ささいな麻痺毒の、しかも念のためにという理由で解麻痺薬の在庫がなくなっていく、このままでは本当に解麻痺が必要な時に供給できないかもしれなくて」
確かにサラが治療の手伝いをした時も、一瓶をきっかり10分の一ずつに分けて飲ませるよう指示された。だが、どの程度か見極められなければ念のために一瓶飲んでしまうことだろう。
「飲みかけの解麻痺薬は効果が薄くなりますか」
「……ええ。成分が揮発して効き目が弱くなるから、使うたびに買い直すことが推奨されるわ」
サラの疑問が解けた。
「事情は理解した。だが私に何をさせたい」
クリスは冷静に問いかけた。
「麻痺草の数は急には増えません。ですから今、ダンジョンに発生しているシロツキヨタケの回収を依頼しているのですが、その麻痺毒からなんとか解麻痺薬を作れないかと。その研究の手伝いをお願いしたいんです」
サラはクリスのほうをうかがった。
クリスは研究のためにと、大量にシロツキヨタケを採取してきていた。しかも、騎士隊の駐屯所の一室を借りて、サラにポーションの作り方を教えながら自分はシロツキヨタケの研究をしていたはずだ。しかも満足そうにうなずいていたのを近くで見ていたから、きっと自分なりに納得のいく結果が出たのに違いない。
サラはクリスがその話を言い出すだろうと待ちかまえた。
「断る」
サラは驚いてクリスのほうを見た。クリスは誰にでも親切であるというわけではなく、むしろ関心すら示さないことが多い。だが、困りごとが薬師によってなんとか解決できることであれば、カメリアでもストックでもそうであったように手を貸すことに迷ったりはしない。それがたとえ報われなくてもだ。
だから今、薬師ギルドからの手伝いの依頼を断ったことが意外だった。同時に、断る理由があると思うくらいにはクリスのことを信頼していた。
「なぜです! 起こり得る問題を先読みして対応を考えることが大事と、そう教えてくださったのはクリス様ではありませんか」
「カレン」
クリスはカレンに静かに呼びかけた。
「いや、ハイドレンジアの薬師ギルドのギルド長よ。私は一介の旅の薬師。様付けで呼ぶのはやめてもらいたい」
「ですがクリス様」
クリスに鋭い目で見られ、カレンはしぶしぶ言い直した。
「クリス」
「今の私にはもっと大事なことがある。薬師ギルドに戻るがいい」
カレンは面白そうに成り行きを見ているネリーをきっと睨みつけた。
「クリス様、いえ、クリスが王都を去ったのもあなたのせい。今回もまたあなたのせいなのね」
確かにクリス本人が、ネリーを追いかけてローザに来たのだと言っていた。ネリーによると最初の頃はクリスも魔の山まで来ていたという。見方によってはネリーのせいでクリスが王都を去ったと言えるのかもしれない。
だがネリーはあきれたように肩をすくめただけだった。
「私のせい? 何を言っている。クリスが王都を去ったのはクリスがそうしたかったから。今回もまたクリスはしたいようにするだろう」
さっきは「お前ほどの薬師を個人で囲い込むわけには」などと言っていたのが嘘のようである。とはいえ、サラはネリーの言っていることが正しいと思う。貴重な人材は周りから必要とされる。そして周りの思惑に配慮しすぎると、魔の山から抜け出せなかったネリーのようにがんじがらめになってしまう。
だからクリスを尊敬しているらしいカレンという人より、ネリーのほうがよほどクリスのことを理解し尊重しているとサラは思うのだ。だがその感動はクリスの一言ですぐに消えた。
「ああ、人手が足りぬならサラを貸してやる」
「はあ? 何を勝手なことを」
サラはがたりと立ち上がった。
「ちょうどポーションの作り方を教えようとしていたところだ。人手として貸す代わりに、君がそれを教えてやってくれ」
サラは人であって貸し借りされるようなものではない。当然抗議する。
「ええ? 何を言っているんですか? 嫌ですよ私」
しかし、話はサラを置き去りにして続けられている。
「わかりました。クリス様、いえ、クリスに頼まれたのなら、仕方ありません」
「いえ、私はですね、ああ、ちょっと!」
すまないな、と声を出さずに謝るネリーはクリスと共に逃げるようにその場からいなくなった。
そしてその場にはサラとカレンとライオットが残された。
次は明後日更新です。