ちょっと待った!
3月25日4巻出ます!
ネリーの兄は領主館には住んでいなかった。屋敷は湖のそばだが、領主館から離れたところにあり、元は別の貴族の別荘だったものを買い取ったそうだ。
「落ち着いたら遊びに来るといい。アレンもクンツも領主館が嫌なのならうちにきたらいいのに」
と言っていたが、総ギルド長の家は領主館よりもっと嫌だろうと思う。
「ストックではひとまずニジイロアゲハは見かけなくなり、シロツキヨタケの始末も終えたが、胞子までは取り切れないのでまた生えてくると思う。人海戦術のために騎士隊を借りるかもしれない」
「ハンターは魔物を狩り、騎士隊は治安を守る、でしたっけ」
サラはライオットの言葉を思い出した。
「ああ。なにやら魔物とは別に気になることも出てきてな。いやこれはサラやネフェルには関係のないことだ」
セディアスはぶつぶつ言いながらどこかにいなくなってしまった。
「セディはお前たちがストックのことを気にしているだろうと、現状を知らせに来てくれただけらしいぞ。あれ以来麻痺毒にやられた人は出ていないと言っていた」
「それはよかった」
クンツと一緒に派遣された若い薬師のことをサラは思い出し、彼が苦労しなくてよかったと思う。
その日ネリーは、サラがおさがりの道具をクリスからもらってポーションを作る勉強を始めたのを、そばで楽しそうに眺めていたが、塔の部屋で二人きりになった時、こう切り出してきた。
「そろそろ私もハンターに戻ろうかと思う」
「そうだよね」
サラに合わせるようにのんびりと過ごしていたネリーだが、本来は毎日休まず狩りを続けるほど仕事熱心な人だ。のんびりするのが嫌いとまではいかないが、狩りに戻りたいのではないかとずっと思っていたサラは深く頷いた。
「アレンも心配なさそうだし、久しぶりにダンジョンに潜ろうかと思うんだ」
「いいと思うよ。私も十分観光したし、明日からは薬草を採りながら少しずつポーションの作り方を教わっていくつもりだから」
今日みたいな状況だと、本当にネリーのやることが何もないということになる。
「ありがとう。ただダンジョンに潜るとなると、魔の山と違った問題が出てくるんだ」
「問題?」
サラにはそれが何のことかは思いつかなかった。
「魔の山は魔物が恐ろしく強い。管理小屋の周りでさえワイバーンが飛んでいたが、あれは普通のダンジョンだと深層階で初めて出てくる魔物だ」
「高山オオカミは?」
「高山オオカミもそうだ。中層階で初めて森オオカミやハガネアルマジロが出てくる」
サラはぽかんと口を開けた。魔の山が実は強い魔物しかいないダンジョンというのはなんとなくは知っていたが、他のダンジョンに興味のなかったサラには、比較しようという気さえなかったのだ。
「はっきり言えば、サラは魔の山からローザの町に一人で出てこられた時点で、ローザのダンジョンの深層階にさえ行ける力があったということになるな」
「それなのに私、ツノウサギが怖いからいやだとか言ってたの?」
「ま、まあな」
ネリーは気まずそうに顔をそむけたが、口元がちょっと笑っている。サラはいまさらだが真っ赤になった。
「めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。ヴィンスとかきっとあきれてたよね。いや、そういえばあきれてる様子が時々あったよね。うわー、恥ずかしい」
サラはベッドの上でゴロゴロと転げまわり、布団にうつぶせた。だがすぐにハッとなって起き上がった。自分の問題にすり替えてはいけない。サラはきりっとネリーに問いかけた。決して恥ずかしさをごまかすためではないと自分に言い聞かせながら。
「今は私が恥ずかしいかどうかの話ではなくて。ネリーが何が問題だと思っているかだよね」
ネリーはくすっと笑って頷くと話し始めた。
「要するに、私のレベルで満足のいく狩りをしたいとなると深層階まで行かなくてはならないんだ。途中の魔物を無視して身体強化で急ぐにしても、深層まで二日はかかるだろう。そこから二、三日は泊まり込みで狩りをして、帰ってくるまでに二日」
「つまり一度ダンジョンに潜ったら一週間は戻れないってこと」
「深層に行けばな。だが低層や中層で適当な魔物を狩り続けるのは正直つまらないんだ」
「そりゃそうだよね」
サラにはネリーの気持ちはよくわかった。趣味でも仕事でも、力は発揮したいしできればもっとうまくなりたい。そういうものだ。
「ネリーのいない間、ここで一人、か」
サラはベッドに腰かけ、腕を組んで考えた。
魔の山ではネリーがいて、日中はいなくても必ず夜は帰ってきてくれて、楽しい日々だった。それがこれからは、ネリーはずっといなくて夕食はライオットと二人きりということになる。
ライオットはネリーと同じで筋肉で物を考えているところはあるが、サラにいきなり切りかかってくるようなことはない、優しい人だ。町で暮らすという手もあるが、後見してもらっている自分の立場を考えると、まだこの屋敷にいたほうがいい気がする。
「要はお父さんと一緒に食卓を囲むことになると思えばいいか」
サラの実家の父も、へたくそな冗談を言ってよく食事の場を凍らせていたものだ。仕事でも年上の人への対応はやっていたし、大丈夫だ。
「ネリー、いいよ。私は大丈夫」
サラは腕をほどいてにっこりとネリーに笑いかけた。寂しいのは我慢するしかない。
「とにかくまず、やってみようよ」
やってみなければうまくいくかどうかわからないではないか。
「さすが私のサラだ。実践派なところは同じだな」
「そこは似たくなかったよ」
オオカミにかじらせてみようと言ったあの日のネリーと自分が重なり、ちょっとげんなりしたサラである。
ネリーだけではない。サラ自身にもやることがある。クリスは今の状況を楽しんでいるようだが、クリスのような優秀な薬師を、中途半端な覚悟しかしていないサラのような子どもが独占していていいはずはない。サラも13歳になった。そろそろ自分の将来にきちんと向き合わなければいけないと思うのだ。
ネリーは泊まりがけで狩りに行き、サラはクリスと薬草を採取してポーションの作り方を学ぶ。
明日からそんな日々が始まるのだと思い、ネリーと離れることを不安に思いながらも、新しい暮らしに胸を弾ませていた。
次の朝までは。
「ネフはハンターに戻るか。それなら私のほうも予定を変えねばなるまいな」
次の日クリスにネリーのこれからのことを話すと、こんな返事が返ってきた。朝食後にそのまま食堂でお茶を飲んでいた時のことだ。
「予定を変える? クリスはサラにポーションの作り方を教えるんじゃなかったのか」
「それは延期だ」
サラは目を見開いた。そもそもサラにポーション作りを教えると勝手に言っていたのはクリスではなかったか。
「ネフ。長らく魔の山暮らしで忘れたかもしれないが、魔の山の魔物より弱くても、ダンジョン暮らしはきつい。それは魔物だけではなく、ハンターにも注意を払わねばならないからだ」
「わかっている。だが」
「だがではない。特に深層階の狩りはパーティを組むことが推奨されているはずだ。いくらネフが強いとはいえ、万が一のことがあった時にサラに申し訳が立つか」
ネリーは気まずそうに横を向いた。魔の山で一人で狩りをして暮らすほうがずっと危険なように思うが、そうではないのだろう。
「そうはいっても私とパーティを組もうなどという者は現実にはいないだろう。特にハイドレンジアでは新参者だし、私とてあまりにレベルが低いものに合わせたくはないからな」
ネリーほどの強さになると、臨時でパーティを組もうという者はいないのかもしれない。久しぶりにネリーに孤独の気配がしてサラは胸が切なくなった。
「私が組む」
二人の話の進み方が早すぎてサラはおろおろしてしまった。クリスが行くってどういうことだ。クリスは強いとはいえ薬師ではなかったか。
「ばかな。お前ほどの薬師を私が個人的に囲い込むわけにはいかない。それこそ万が一にもお前を失うようなことがあったらどうする」
「私とて同じ気持ちだぞ、ネフ。ネフを失うなど考えたくない」
クリスの目は本気だった。
「それに正直なところ、私よりサラだ。サラにネリーを失うようなつらい思いをさせていいのか。もちろん、私も失われてはならない人材だが」
「それは……」
ネリーが行くというのだから心配はないと思っていた自分の考えは甘かったのだとサラは知った。ネリーが無事帰ってくる確率が少しでも高まるなら、クリスには自分よりもネリーに付いていってもらいたい。
「ちょっと待った!」
いきなり女性の声がしてサラは飛び上がりそうになった。
発売日まで更新頻度が少し上がります。何曜日になるかこれから考えますので、ちょっとずれるかもしれません。
活動報告に書影など上がっていますので、ぜひご覧くださいませ!