ウルヴァリエは
「どこか店に入ろう」
後ろを見てついてきていないことを確認すると、クリスはほっとしたようだ。
「店に入れば姿を見られずに済むからな」
ここ一週間ほどで何度か入ったことがある店に入り、花の香りのするお茶を頼んだ。
「さっきの人はお弟子さんかなにかですか?」
「いや、違う。単なる職場の後輩、というか部下だった者だ」
そういう分け方で考えると、王都でもローザでもギルド長をやっていたクリスにとっては、そこにいた薬師は全員職場の部下になってしまう。つまりさっきの女性についての情報はないようなものだ。
「それにしてもクリス、本当に信者が多いですねえ」
「やめてくれ。私は何もしていない」
サラはじっとクリスを眺めてみた。これまで一緒に過ごしてきた中で、薬師としての在り方は尊敬できるものだった。薬師として、そしてギルド長としての情熱と、身分や性別による区別もしない公正な態度が他の薬師に慕われる要因なのだと思う。もっとも、公平と言うより誰に対しても平等に興味がないというだけだと思うが。
それになにより大きな要因がある。サラははあっとため息をついた。
「顔がいいもの」
「なんのことだ」
「これですよ」
そして無自覚である。あれだけネリーの美しさを称えるくせに、整った顔立ちをしている自分には無頓着だ。目はポーションの出来を判別するためのもの、鼻は薬草の匂いを嗅ぐもの、口はポーションの出来を確かめるものと言うくらいにしか思っていないのではないかと思うくらいだ。
「まあ、いいんじゃないですか。嫌われるより慕われたほうがいいし」
「面倒な」
その気持ちはわからないでもない。
「ハイドレンジアにはネフに付いてふらりと来ただけで、もうギルド長などという面倒な仕事には就きたくない。困っているなら手伝うくらいはしてもいいが、私は今サラを育てるのに忙しいんだ」
頼んだわけではないとか、そんなに忙しくないだろうとか、いつものサラならすかさず突っ込んでいただろう。
でも、サラを理由にして仕事を怠けているように見えるクリスは、ローザでのクリスより何倍も人間らしく好ましいような気がして、邪険にする気にはなれないのだった。
クリスはコホンと咳払いすると、先ほどの女性について話してくれた。
「さっきの女性だが、名をカレンと言って、とても優秀な薬師だ。私が王都でギルド長になり立ての頃に入ってきた子でな。実家は裕福な商家ではあったが貴族ではなく、しかも女性。いないことはないが少なかったから、まあ苦労はしていたな」
「騎士にも女性は少ないですよね。南方騎士隊には一人もいなかった」
「南方騎士隊は現地採用はほとんどなくて、王都からの派遣だからな。女性騎士もいることはいるが、たいてい王族か高位の貴族の護衛につくので、わざわざハイドレンジアまでは来ないだろう」
そういえばネリーは魔力の圧が強かったので警護の仕事はできなかったと言っていたような気がする。
「言っておくが、カレンは結婚しているぞ。夫は確か商人だったと思うが」
他人に興味がなさそうな割には、個人情報をきちんと覚えているのがクリスのすごいところである。
「女性で薬師ギルド長になることは珍しいが、ここにはライがいるから、そう思えば納得だ。優秀ならどんな人でも使うという人だよ、ライは。王都の竜討伐にハンターを積極的に使い始めたのもライだ」
サラは思わず目を見開いた。
「それがどう変わってネリーに強要するみたいになったんでしょうか」
「隊長が変われば、質も変わるということだな」
最後は苦々し気なクリスである。
「新しい調剤道具はあきらめて、私のおさがりで我慢してくれ」
「我慢とかないです。もらえるならありがたいし。むしろ売りに出したら高値がつくかもしれないですね」
サラの顔にテッドの顔が浮かんだ。いくらでも出すから譲れと言われそうだ。
「中古は安いものだぞ?」
ファンをなめてはいけないのである。
「ではさっそく戻って調薬を始めようか。さすがに親子喧嘩も終わっていることだろうし」
そういえばネリーを置いてきたままクリスと二人きりでお茶を飲んでいた自分に気がつき、サラは愕然とした。あれほど苦手としていたクリスと、自分はいつの間にこれほど親しくなったのだろうか。
自分に問いかけている間にあっという間に屋敷に戻ってしまったが、屋敷のほうにはネリーもアレンもいなかった。
「まさかまだやっているのか」
「まさかですよ。だって私たち町に行って薬師ギルドに行ってお茶まで飲んで帰って来たんですよ」
「そうだよな」
そんな会話を交わしつつ隣の駐屯所に行ってみた。
「ハッハッハ。親父殿。寄る年波にはかないませんなあ」
「何を言う、お前はネフェルとまだ対戦していないだろう。私がどれだけ体力を削られたか」
対戦していたのはライオットとセディアスで、ネリーはアレンともう一人と一緒に壁際で楽しそうに見学をしていた。
南方騎士隊の人たちには若干のあきれとあきらめが見えたような気がしたが、それでも真剣な目で二人が剣を交わすのを見ている。というか、ネリーと同様剣だけでなく手も足も出ているけれども。
「ネリー、大丈夫だった?」
「大丈夫だったが、サラはそういえばいなかったな」
そういえばいなかった程度の存在のサラである。そして何も問題なかったようで安心した。
「サラ、久しぶり」
「あ、クンツ、来てたんだ」
もう一人見えたのはストックの町で出会ったクンツだった。
「総ギルド長と一緒にやっと帰ってこられたんだ。アレンと一緒にダンジョンに潜るつもりという話をしたら、たぶんここに滞在してるからって連れてこられて」
クンツは苦笑している。
「今日は泊まって行けってさ。ご領主のお屋敷なんて一生入ることはないと思ってたよ。サラもアレンも、こんなところで平然としていられるなんてすごいな」
サラはそもそも身分差のない国から来たから、多少部屋や食事が豪華でも気後れすることはないし、そもそも身分差というものが根本から理解できてないところもあると思っている。だから本当にすごいのはアレンなのかもしれない。
「もともと俺は庶民だし、俺もサラも出会った時はいろいろあって、ボロボロで町の底辺にいたんだよな」
アレンはサラに笑いかけた。大人は誰も手を貸してくれず、自分たちでハンターの身分証を取るために努力した日々は忘れないだろう。
「今はたまたま世話になっている人が実は貴族だったって言うだけのことだ。だから屋根と食べ物があるなら、そこが高級でもそうでなくても全然かまわない。クンツが気後れするならギルドに宿を取ろうと思ってたくらいだし」
「あっさりしてるな」
クンツは腕を組んで激しく対戦している二人を見つめた。
「やっぱりウルヴァリエはすごいな。私が来たときは対戦は終わっていたけど、ネフェルタリはご領主には勝ったんですよね」
「ああ。お父様も久しぶりの娘には甘くなったようだったな。ならば勝たせてもらうまでだ」
ネリーも笑っているが、クンツは微妙な顔だ。
「噂通り、総ギルド長より強いんだ」
小さい声だがネリーには聞こえたようだ。
「そんな噂があるのか。まだ兄様には勝てない気がするが、気になるというなら試してみようか」
ネリーは寄りかかっていた壁からすっと体を起こすと、対戦している二人に声をかけた。
「兄様。次の相手は私ですよ。体力は大丈夫ですか」
「なんだと! うわっ」
ネリーのかけた声に気を取られたセディアスはライオットに足を取られて体勢を崩した。結局ウルヴァリエの三人は昼の声がかかるまで飽きずに戦い続けていた。
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