薬師ギルドにて
「ネフはいっそう強くなったな」
クリスは満足そうだ。
「前も強かったんですか?」
「強かった。騎士見習いだったころから、騎士隊の誰よりもだ。そして孤独だったよ」
サラはさっきのネリーを思い出していた。たぶんあれは吹っ切れた姿なのだろう。魔力の圧が強いから、人のそばに近寄れなくて、そうしているうちにいつか孤独になっていったんだとサラは想像していた。でも違うのかもしれない。
「強すぎたから、人が離れた?」
クリスは口の端をわずかに上げた。
「騎士になって三年でやめたネフが、ハンターはずっと続けている。この意味は?」
サラはそう言われて考えた。
ローザのハンターギルドでは、ネリー自身がぶっきらぼうな態度をとっていたけれども、ネリーに対して悪意を持って接している人はいなかった気がする。魔力の圧も強いのも、純粋に迷惑そうだっただけだ。
「騎士が、合わなかった?」
「ライは王都の騎士隊の隊長だった。そうでなくても貴族である以上、ネフが最初からハンターを選んでいたら大反対されていたことだろう。騎士の家に生まれたからには強くあれ。民のために、騎士らしい騎士であれ。だがそう振る舞えば振る舞うほど孤立する。なぜなら今の騎士隊はそのようなよきものではないからな。息苦しいことだ」
クリスは苦々しげだった。
「隊長の愛娘であり、あのセディアスの妹ということで、実力をそのまま受け止めてもらえない。刃を合わせてみたらわかる単純なことというのに。だが、一番それをわかっているはずの同期とも折り合いが悪くてな。まあ、相手の一方的なライバル心だったと思うが」
そんな話を聞いていたら、いつの間にか町のほうに歩いてきてしまっていた。
「しまった。クリスにつられて身体強化して歩いちゃったから」
「ハハハ。薬師見習いなら、まずは薬師ギルドに行って調剤セットを揃えねばな」
「うう」
相変わらず強引なクリスだが、サラもだんだん薬師の勉強をするのもいいかと思い始めている。自分でもなぜ最後の一歩が踏み出せないのかわからないくらいだ。
「さて、私もこの町の薬師ギルドは初めて入るが、どんな感じだろうな」
クリスの言葉が少し弾んでいる気がする。そして薬師のマントを外すとさっと収納ポーチにしまってしまった。
「おしのびですね」
「なにしろ流れの薬師だからな」
薬師ギルドは町の西寄りの大きな通りにあった。
「薬師ギルドの向こう側がハンターギルド。ハンターギルドを通り過ぎて町を抜けたらダンジョンだな。偵察済みだ。それに今のところ忙しそうでもない」
いつの間に町に出ていたのか、クリスが得意そうだ。忙しそうだったらおそらく手を貸さねばとも思ったのだろう。カメリアでは人手がなくて本当に大変だったことを思い出す。
「お客さんもいませんねえ」
「作ったポーションはほとんどハンターギルドに卸すんだ。たまに町の人が買っていくくらいで、売り場は暇なのだよ。ローザでは売り場にはよくテッドが出ていたな。町長の息子と話せると言って、町の人が喜んだものだ」
「まさかの人気者ですか!」
サラの驚きにクリスはふっと微笑んだ。
「第一層と二層の町の人にはな。ハンターや第三層の人たちは、ポーションはあまり買わないし、買いに行くにしてもハンターギルドに行く」
それがサラやアレンが差別された理由なのだろう。この世界に来てサラが直接知った悪意は、ローザのテッドからのものと、カメリアでの薬師ギルド長のものだけだ。騎士隊に連れていかれそうになったこともだけれど、あれは悪意と言うより善意の気持ち悪さだったと思う。
サラが思い切って薬師になりたいと言えない理由の一つは、このあたりにあるのかもしれない。
「さて、行こうか」
両開きの扉を開けると、チリンとドアベルが鳴った。
「はーい」
明るい声で奥の工房から若い薬師が出てきた。珍しいことに女性だ。サラがその薬師に目を取られている隙にクリスは、店の品ぞろえをざっと確認したようだ。
「ポーションですか?」
「いや。調剤の道具がひと揃いほしくてな」
「調剤の道具、ですか?」
そんなものを買いに来る人はいないのだろう。薬師が戸惑っている。
「セットになっているのが一番いいが、なければ一つ一つ選ぶから、それでもいい」
「はあ。ええと」
薬師はカウンターの奥の棚のほうを向くと、さっと目を走らせて困ったようにこちらを向いた。
「あの、置いてないみたいなんですけど」
クリスは一言一言言い聞かせるように話しかけている。
「いいか。君たちも調剤道具をうっかり壊すことがあるだろう」
「ええ。はい、たまに。私なんて不器用だからしょっちゅうですけどね。アハハ」
どうやらちょっとドジなタイプのようだ。クリスは我慢強く話を続けた。
「壊した時、どうする?」
「はい。予備の道具を購入します」
ニコニコしている薬師に、クリスは次第に苛立ってきた様子だ。
「つまり、予備の道具はあるということだよな」
「はい。奥の工房に」
「ではそれを売ってくれ」
「はい。え?」
店に並んでいないものを売るということがピンとこないのだろう。クリスは深呼吸して続けた。
「奥の工房にあるとはいえ、薬師が購入するということは、それは売り物だということだ。一式買うので持ってきてもらえないか」
「は、はいい」
薬師は慌てて奥に戻っていった。
「しまったな。そういえばたいていの薬師は調剤のセットは王都で買うのだった。注文だけして帰るか。それまでは私のお古を使えばいいしな」
はいと返事をするべきか悩んでいると、奥からパタパタと複数人の気配が近づいてきた。
「薬師の道具が欲しいなどという怪しいものはどこかしら」
「ん? この声は」
一歩二歩と下がったクリスに驚いて思わず振り向いたところに、大きな声が聞こえてサラは思わず首をすくめた。
「ああ! クリス様じゃないですか!」
「いや、私は旅の者で」
クリスが珍しく動揺した声で否定しようとした。
「旅の者なのかもしれないですが、クリス様でもありますよね?」
大きな声を出した割には相手は冷静である。
「ああ、まあ、そのような者でもある」
クリスの顔に苦手な奴だとでかでかと書いてある。
サラがクリスからその大きな声のほうに目をやると、30歳は超えているだろうかというきりっとした美しい人が薬師のバッジをつけて立っていた。ネリーと同じような緑色の目のその人はつややかな黒髪を邪魔にならないように後ろで一つにまとめている。
「この方がクリス様なんですか?」
さっきの若い薬師も目をキラキラさせている。
「調剤セットがほしいなんて、まさかクリス様が壊すはずはないし、もし壊したとしても予備を持ち歩いているはず。ということは、そこのその!」
ぴしっと指を突き付けられて、サラも思わず二歩くらい下がった。
「その女の子に買ってあげたいと! そういうわけですね!」
サラはすごい推理力だとぽかんとし。クリスへの執着具合にちょっとテッドを思い出した。
「まあ、そうだ」
「そうですか。さあさあ、それではさっそく中に入ってください」
クリスはさらに一歩下がった。サラも念のためクリスと同じ位置に下がる。
「ローザに引っ込んだまま出てこないクリス様が、まさかハイドレンジアにいらっしゃるとは。幸運なことです。さて、いつからギルド長を交代します?」
クリスは何も言わずサラの方を見た。サラは頷いた。
クリスは片手をさっと上げた。
「あー、では旅の途中なのでこれで。サラ」
「はい!」
それから両開きのドアを押し開けてギルドの外に出ると、全速力で町の中心部に向かった。遠くでチリンとドアの閉まる音がした。
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