こんな時にも薬師修行
薬師ギルド長という役職にも、薬師のクリスという呼び名にも反応した騎士たちは今度こそ気まずげだった。そしてその視線はサラとアレンに移った。それではお前たちはいったいなんなんだという視線である。さて、どう自己紹介しようかとサラは迷う。
「これは私の弟子。ハンターのアレン」
「こちらが私の弟子。薬師見習いのサラ」
しかし迷っている間に大人たちにさっさと紹介されてしまった。どうやらサラは薬師見習いにしてクリスの弟子らしい。アレンは腕を組んで胸を張っているだけだが、サラはなにか言わなければと焦ってしまった。
「ええと、サラです。あの、毎日湖のそばで薬草を採っていました」
それで湖に行っていたのかと頷かれてしまった。
「ですから、皆さん、怪我をしても大丈夫です! 思う存分ネリーに鍛えてもらってください!」
騎士たちはぽかんとした顔をした後、怒りに顔を赤くした。そこにネリーがずいっと前に出てきたので、サラは後ろに引っ込んだ。煽るつもりはなかったのだが、結果として騎士たちを思い切り煽ってしまったようだ。
「そういうわけだ。お前たち、私の実力が知りたかったんだろう」
ネリーはすらりと剣を抜いた。
「私はこの刃引きした剣で十分だ。順番にでも、いっぺんにでもいい。かかってこい」
勢いに任せてネリーに向かってこようとした騎士はライオットに止められている。
「ネフェル。頼むから煽るな。皆にもきちんと刃引きした剣を持たせるから、普通に訓練の相手をしてやってくれ。それで十分ネフェルの実力はわかるはずだ」
やれやれと注意され、ネリーはすっと剣を収めた。
サラは正直なところ、このままネリーが騎士たちをちぎっては投げるところを見てみたかった気もするのだが、普通の訓練でも十分見ごたえがありそうだ。ワクワクしながら壁際に下がった。
「実はネリーが剣を使って人と戦うの、初めて見るの」
「そういえば俺もだ。ネリーは魔物にでさえ剣を使うことはほとんどないもんな。あ、始まった」
双方剣を構えたところで、ライオットが開始の合図に手を上げた。と同時に剣を合わせた音がしたかと思うと相手の剣は弾き飛ばされていた。
「ばかな」
サラにもよくわからないのだが、ネリーが踏み込んで相手の剣を弾き飛ばしたようだ。
「次」
ネリーは息を切らしてもいない。それからなだれ込むように騎士たちが次々と切り込んでいくが、面白いようにやられていく。
「これじゃ一対一とはいえなくない? ええ、ネリーってば、剣を巻き込んで落とした。肘打ち? それに蹴り飛ばしてる!」
だんだん面倒になって来たのか、剣と一緒に手も足も出始めた。
「まだるっこしいんだろうな。わかるよ、俺」
「わかるんだ」
「剣だと刃引きしてあっても怪我をさせるかもしれないだろ。こぶしや足だと手加減ができるからな」
そのアレンの言葉もきっと聞こえていたのだろう。怒りのあまりか騎士とはいったいなんぞやというほど最後は乱戦になっていたが、結局最後に立っていたのはネリー一人という結果になった。
「魔の山に10年。私が強くなったのか、騎士隊が弱くなったのか」
ふっとため息をついたネリーに倒れている騎士の一人から声が飛んだ。
「くそっ。死神め!」
「治療はいらぬようだなあ? 手加減してくれたわが慈愛の女神に暴言を吐くとは」
珍しくクリスが薬師にあるまじき発言をしていたが、そのくらいでいいと思うサラである。ことあるごとにネリーに対して好意を示して行かないと、この二人はいつまでも友人どまりだ。
そして空気を読めるサラは、ここは自分の出番だと前に出た。
「はいはい、では私が見ていきますね。クリス、このくらいの打ち身ならポーション一瓶で十分ですか? それともハイポーションですか?」
「むしろポーションは取り上げてしばらく痛いままでいるべきだと思うぞ」
クリスが無表情でそう言うとリアルに怖いのでやめてほしいとサラは思う。だがそうは言いつつもサラの隣に歩み寄り、一人一人について丁寧に教えてくれた。
「ポーションが有効なのは打ち身と程度の軽い切り傷までだな。ゆえに今ここにいるほとんどの騎士たちはポーション一本で足りる。ああ、この程度の打ち身なら自然に治るのを待つ方がいい」
こんな調子だ。
「解麻痺や解毒については、貴重なこともあり飲みすぎにも注意せねばならないので配慮が必要だが、ポーションならいっそ一本飲みきるのがちょうどいい」
「なるほど」
サラは痛いのは嫌なので、自分自身が怪我をしたことはほとんどない。この世界に来てから熱を出したこともないので、薬草採取にいそしんでいても、実はポーションを使ったことはほとんどなかったし、人に飲ませたのも初めてである。
この状況にちょっと感動していると、クリスがうめいている騎士の前で足を止めた。
「この者。よく見るがいい」
「見るも何も、苦しんでますよ、クリス。早くポーションを飲ませないと」
他の騎士たちと違ってお腹を押さえて脂汗をかいている。
「先ほどネフの肘打ちが腹に入っていたな。この場合、手足などのわかりやすい打ち身と違って、内臓が傷ついている場合がある。このような打ち身の場合は迷わずハイポーションを使う」
「はい」
サラは素直にハイポーションの瓶を取り出し、うめいている騎士に少しずつ飲ませた。一瓶飲み終わる前に騎士は楽になったようだがクリスの言う通り最後までしっかり飲ませる。
「ダンジョンの中でもっとも気をつけなくてはならないのは、このように一見外側からは見えぬ傷だ。油断してポーションで済まそうとして、途中で命を落とすこともある。駆け出しの、特に身体強化型のハンターは近接戦闘が多い。準備は怠るべきではない」
これはアレンに向けてのアドバイスだろう。ローザにいた駆け出しのハンターは、ポーションを買うお金にも苦労していた。ハンターとして生き残るのは実は厳しいのだ。
「そういえばずっと気になっていたんですが、ハンターが魔物を倒すのは知っているけれど、騎士って何をするお仕事なんですか?」
一通りポーションを飲ませ終わったので、サラはライオットに聞いてみた。ローザでも騎士よりハンターのほうがずっと強かった。王都の竜だってハンターのネリーや招かれ人の力を借りなければならない。それなら騎士の意味とは何か。
おそらくサラの言ったことは失礼なことなのだろう。騎士たちに微妙な沈黙が落ちているが、ライオットは顎髭をひねりながらふむと首を傾げた。
「ローザの魔の山に住んでいたサラには、騎士たちの仕事は見えなかったのだな。ローザは騎士隊のない町だしなあ」
カメリアにもいなかったと思うサラにライオットが説明してくれた。
「ハンターは魔物を狩る。騎士は治安を守る。端的に言うとそういうことだ」
「治安、ですか」
サラは怪我が治って顔を上げた騎士たちを眺めた。
「最近あまり話を聞かないが、盗賊団が出たり、災害が起きたり。民に危険をもたらすのは、魔物より人や自然のほうがずっと多いのだよ。そんないざという時に民を守るのが騎士だ」
ライオットの声は誇りに満ちていた。その声を聴いた騎士たちの背がすっと伸びた。
「隊長が王都にいったまま戻ってこず、気が抜けていたのであろう。引退した身、口を出すまいと黙っていたが最近のおぬしらは目に余る。しゃきっとせい!」
「はっ!」
どうやらネリーは本当に喝を入れるのにうまく使われてしまったようだ。
「ネフェル。手間をかけたな」
「いえ、お父様、たいした手間ではありませんから」
ネリーが煽ってももう文句を言う騎士はいなかった。だが次の一言は絶対失敗だったと思う。
「ですがお父様、ご自分で喝を入れられないとは、やはりお年ですか」
「なんだと」
先ほど立場の話をしていたではないか。なぜそんな挑発するようなことを言うのかとサラはハラハラしてネリーを見て、思わずはあっと力が抜けた。
挑発、してるんだ。喝を入れてくれと頼まれてはいたが、どうやら父親のいいように使われたのに少し腹を立てているらしい。
「剣を持て!」
騎士が慌てて壁の剣を取りに走るところを見ていると、クリスに声をかけられた。
「サラ。行くか」
「はい」
この先は親子喧嘩だと思う。目を輝かせているアレンと違ってサラはそこまで勝負に興味はない。サラはクリスと一緒に駐屯所を抜け出した。