薬師修行
昼を食べるとライオットは馬車で屋敷に戻っていった。ここらあたりの領主なのでそれなりに忙しいのだろう。ここはウルヴァリエの敷地内だし、帰り道も迷いようがないということでサラたちは残された。
「サラ。湖は十分堪能したか」
クリスの問いかけにサラは深く頷いた。水遊びをできたのがとても嬉しい。だから、クリスにこういわれても素直についていく気になったのに違いない。
「では、午後は私と共に薬草採取だ」
クリスに連れられて湖のほとりを歩くと、水辺から少し離れたところに薬草はそれなりに生えていた。
「せっかく湖に来たのだから、薬草一覧に乗っていない薬草を教えよう」
「はい。でもネリーは?」
知らない薬草に興味はあったが、今日はネリーと観光の日だ。ネリーはどうするのだろう。
「私は少しのんびりした後、少し離れたところで剣でも振っていようかと思う」
その言葉通り湖を眺められるところに腰を下ろしたネリーを見て、サラは安心してクリスと薬草採取に向かった。クリスは一つ一つ、薬草になる草を指し示しながら教えてくれる。
「湖の水に浸かるように生えているこの草は、薬草の五分の一の効能しかない。すりつぶし成分を抽出するのにも手間がかかることを考えると、ポーションの材料としては不向きだ。だが、湖の側で怪我をし、ポーションを持っていなかった時には多少なりとも役に立つ。ほら」
一本採取した葉をちぎり取って口に入れてみると、クレソンのような清涼感のある辛みが口に広がる。
「肉や魚料理の付け合わせに使われることもあるが、曲がりなりにも薬草の効能がある草だ。大量に食べると体調を崩す」
「はい」
こんなふうに説明されると、いわゆるハーブの類はやっぱり薬草なんだろうと思う。薬草一覧に載っているのはその中でも効果が高く、採取するのに間違いがないものが選ばれているのだそうだ。
「シロツキヨタケもたくさん採ってきたから、後で麻痺薬を抽出してみようと思う。騎士隊の駐屯地なら多少実害が出ても平気だろう。後で部屋を貸してもらえないかどうか聞いてみよう」
あのニジイロアゲハと毒キノコの騒ぎの中、ちゃっかり素材を確保していたのはさすがである。しかし騎士隊の扱いがひどい。
「ニジイロアゲハは?」
「鱗粉を集めるのもそこから麻痺毒を抽出するのも難しい。美しい以外、本当に何の役にも立たない魔物だからな」
ニジイロアゲハは持って来なかったようだ。
そんな話をしながらふと振り返ると、さっきまで湖を見ていたネリーが静かに剣を振り始めていた。
「前に出て、引きながら右、左、突き」
サラは歌うようにネリーの動きをなぞる。
「ネリーにとっては剣は身体強化の延長のようなもの。たいていのものはこぶしで事足りるが、固い魔物や深く切らなければいけない魔物は剣があると力を一点に集中させやすいって言ってた」
魔の森の山小屋でも、オオカミに遠巻きにされながら毎日剣を振っていた。
「でも、これってきっと魔物と戦うやり方じゃないんですよね。あ、今の動き、相手と剣を合わせて、跳ね返した動きだ」
きっと戦う相手を想像して剣を振っている。
ネリーはハンターだけれど、剣は腰に差しているだけでほとんど使わない。アレンの持っている短剣も主に解体用だ。それでも毎日剣を振って訓練する。
「最初に受けた訓練が騎士としてのものだからなのかな」
サラには戦うということはよくわからないけれど、ネリーが剣の訓練をしているのを見ると、本当に美しいと思うのだった。
「ネフを初めて見たのは騎士見習いから騎士に上がった頃のことだったが、本当に強くてな。この世にあれほど美しい生き物がいるだろうかと思ったものだ」
騎士見習いをしていたのが13の時から三年と言っていたから、ネリーが16歳くらいの時だろうか。
「ちょうど騎士隊の専属薬師として派遣された時のことだ。ネフは怪我が多くて、それでな。昔から自分を大切にしない。同じくらいの年頃の騎士たちにからまれては怪我をし、怪我をさせ。ネフのせいではないが、なぜかトラブルを引き寄せてな」
思いがけずクリスとネリーの出会いの話を聞いてしまって、ちょっと嬉しいような照れくさいような気がする。
「その頃のネリー、見てみたかったな」
「変わらぬよ、今と。変わらず、美しい」
それは姿のような気もしたし、心の在り方のような気もした。
「私もクリスも、ちょっとネリーのこと好きすぎですね」
「好きすぎて悪いことなどなにもない」
断言するクリスはちょっとかっこよかった。頼もしいような気もした。
いつも屋敷でお昼を用意してもらうのは申し訳ないので、次の日からは午前中は町に出かけてお昼を食べ、午後は湖を散策しがてら薬草採取というリズムになった。
アレンはと言えば、毎日喜々としてダンジョンに潜っている。
「ローザのダンジョンと比べると広いけど薄暗い。そのうえ出てくる魔物が黒っぽくて、最初確かに戸惑ったよ。でも、低層階の魔物の強さはどこのダンジョンも変わらないからな。無理しなければ一人でもいける」
ローザではアレンは一人で潜っていた時期もあったが、後半はギルド長の指導付きだった。そのせいか最初こそ不安もあったようだが、一人で行動することで自信がついたようだ。
だがサラは、クンツの言っていた雰囲気の悪さが気にかかっていた。
「その、ギルドの雰囲気とかどう?」
「ああ。特にはないな」
アレンによると、ローザのギルドよりは規模が大きくて、二階の宿屋も広くて安いらしい。
「ローザより物価が安くて暮らしやすい。叔父さんとこっちに来ればよかったなあ。でもそうしたらなかなか借金は返せなかったのか」
アレンの叔父さんは借金の保証人になったせいで無理をしたと聞いたような気がする。
「俺、ローザでは魔力が大きくて目立ってたけど、ネリーと一緒に圧を抑えるやり方をちゃんと覚えたからさ。見知らぬ新人が来たな、くらいでたいして興味も持たれてないよ。興味を持たれなければ意地悪もされないんだ」
叔父さんと一緒にあちこち旅をしてきたアレンならではの意見はなかなか説得力があるものだった。
「初日に町中でライオットさんとやり合ったのは大丈夫だったの? アレン、けっこう目立ってたと思うけど」
「見てたのが町の人だけでさ。ハンターはいなかったみたいなんだよ。だから、なんかご領主に突っかかった奴がいるらしいぜってちらちらこっち見てくる奴は無視するとして。そんな奴がいるらしいぜって直接あたりをつけてくる奴には『へえ、そうなんですか』って返してる。だってあの時ご領主かどうか知らなかったから、嘘じゃないし」
そのアレンの処世術に思わずくすくす笑ってしまうサラである。アレンの話を聞いていると、サラも遊んでばかりはいられないぞとい言う気がしてくる。毎日観光して外食するのにもちょっと飽きてきたところだ。
「湖の周りにかなり薬草が生えているから、許可をもらって薬草採取を始めようかな」
夕食の時に思わずつぶやいたこの言葉がのんびりした生活が変化したきっかけだった。