お屋敷での日々
「ウルヴァリエは伯爵家といえど、南方の領主にして南方騎士団を支える力のある家だ。ここの下に入ってしまえば、王家も貴族たちもそうそう口は出せまいよ」
クリスがお茶のカップを持ちながら説明してくれた。でもサラの中には、それならなぜ、ネリーはあんな山の中でひっそりと暮らし、あまつさえ騎士隊にさらわれるようにして王都に連れていかれなければならなかったのかという疑問は残った。いや、そもそもがさらわれなくても、ネリーはちゃんと個人指名を受けるつもりだったはずだ。
「力のある家だからこそ、その家がちゃんと王家に従っているということを見せるべきだからな。ウルヴァリエの一族として、義務はたんたんと果たしてきたんだよ」
ネリーが口に出さなかったサラの質問に答えてくれた。
「魔の山にいたのは、人付き合いに疲れたから。招かれ人のブラッドリーが同じことを言っていてあの時は思わず深く頷いたよ」
それだけ聞くと、魔の山がまるで保養地か何かのような気がしてくるから不思議だ。
「サラについては、既にネフェルが三年近く保護している実績もあったし、認めざるを得ないという感じだったな。一度は王都に連れてきてほしいということを遠回しに求められたが、なあに、ゆっくりでよかろう」
「はい」
サラもネリーと一緒にあちこちに行ってみたいので、王都に行くこと自体は問題ないのだ。
「でも、せっかくハイドレンジアに来たんだから、しばらくはこの町で過ごしたいです」
「それがよい」
温かく見守るように微笑むライオットだが、サラが滞在するとネリーも滞在するというのが大きいのだろうなと思う。
塔の部屋でネリーと楽しく泊まった次の日、これからどうするという話になり、サラは観光を提案した。
アレンはさっそくダンジョンに行きたいようだったが、サラはせっかく湖のほとりに来たのだからのんびり観光をしたかったのだ。
「町の様子もゆっくり見てみたいし、湖に行けば薬草も生えているかもしれないし」
「サラも結局仕事じゃないかよ」
アレンに突っ込まれたが、薬草採取はあくまでついでである。
「ネリーもサラに付いていくんだろ。俺はもともと一人でダンジョンに行くつもりだったから、気にしないで出かけてくれよ」
アレンはネリーの弟子ということになっているが、どちらかというと、アレンがネリーを師匠だとみなしているというのが正しいとサラは思っている。ネリーが何かを教えているわけではなく、アレンが主体的にネリーから学び吸収しているのだ。だから、ネリーに依存したり甘えたりということがいっさいない。
「旅の途中で俺は十分楽しんだし、ギルドやダンジョンの様子も自分で見て判断したいんだ。だから今日から少し別行動だな」
師匠が決めずに、弟子が決める。これがネリーとアレンの在り方なのだと思う。
でも、ネリーがそれに頷いた時はサラはちょっと驚いた。
「そうだな。私はサラに付いていきたいから、それでいい」
魔の山にいた時は、何はともあれ魔物を狩りに行きたいのがネリーだった。キャンプの時など、サラがいるのを忘れて帰りが遅くなったりもしたものだ。
「私は嬉しいけど、ネリーは狩りはしなくて大丈夫なの?」
「サラは私を何だと思っているんだ」
「ええと」
狩りが命の生粋のハンターだと思っていたとは言えないサラである。
「私もサラと一緒に行こう」
クリスの言葉にサラは思わず聞き返していた。
「え? ネリーとじゃなくて?」
「ああ。観光もいいが、一日観光では飽きるだろう。数時間はポーションを作る訓練に当てようと思う」
「そんな勝手に」
サラは勝手に自分の時間の使い方を決めないでくれと言おうと思ったのだが、なぜか言葉が出なかった。一瞬、それもいいなと思ってしまったのだ。代わりに気になっていたことを聞いてみた。
「でもクリスは、ハイドレンジアでは薬師ギルドに行こうって言ってなかった?」
「それも考えたが」
クリスはふいっと横を向いた。なぜ照れたような顔をするのだ。
「流れの薬師でいることが思ったより楽しかったようでな。いざ町に入ってみたら、薬師ギルドには行きたくなくなった」
要は、決まった仕事をしなくてよいのが楽しいということなのだろう。
「今まで薬草は持ち込まれる質に文句を言いながら当たり前のように使っていた。だが自分で採取した薬草をそのままポーションに加工するというのがなかなか面白い」
それからあわててネリーのほうを見た。
「もちろん、ネフと一緒にいたいという気持ちもある」
「別にそれはどうでもいいのではないか」
ネリーの対応は相変わらずで笑ってしまった。
朝食後、あらかじめ用意されていた昼食のバスケットがいくつも積み込まれた馬車に乗り込んだ。とにかくギルドに行ってみるというアレンと手を振って別れると、馬車は敷地内をそのまま裏手に回るようだ。馬車の窓からは騎士隊の駐屯所が見え、騎士と思われる人たちが訓練をしているのが見えた。
「屋敷の裏手がそのまま湖だ。歩いてきてもよかったがけっこう距離があるからな」
もっと距離があったところを、馬車に乗らずに身体強化で歩いてきたのが昨日のライオットではなかったかという突っ込みはやめておいた。屋敷の裏手に続いている道は手入れされているとはいえ、木立もあり、ところどころには藪も生い茂っており、自然豊かな場所であった。そこを抜けると初めて湖が見えてきた。
「わあ、キラキラしてる!」
午前の日の光を反射してキラキラと輝く広い湖には小さな舟も浮かんでいる。
「漁を終えて帰る民たちだな。これから昼にかけて出てくるのは主に貴族の舟だ」
自分の家の裏で魚が獲れるなら言うことはない。サラが興奮してネリーに話すと、
「魔の山でも自分の庭で肉も魚も取れていたようなものではないか」
とあきれられたが、それは違う。
「いつ高山オオカミやワイバーンに襲われるかと警戒しながらお魚獲るのと、のんびり釣りができるのとはだいぶ違うでしょ」
力説するサラをひきつったような笑みで見ているのはライオットである。
「魔の山か……。過酷な生活を送ってきたのだな……」
すっかり慣れてしまったが、確かに最初は一歩も外に出られなかったなと思い出したサラであるが、何を言っても気の毒に思われそうで黙っているしかない。
ゆっくりと馬車が止まると、サラは大急ぎで馬車から降り、そのまま波打ち際まで走ってからネリーのほうを振り向いた。
「ねえ、本当に湖に魔物はいないの? 足をつけてもいい?」
サラの大きな声に、ネリーもライオットも笑って頷いた。サラは急いでスカートの裾をきゅっと結んで靴と靴下を脱いだ。
「よおし。ここには魔物がいないから襲われる心配も食べられる心配もない」
そしてそっと湖に足を踏み入れた。
「冷たい。気持ちいい」
秋とはいえ、午前中の日はまだ温かい。山から流れ込む水は冷たかったが澄んでいて、サラは足の下の小石を感じながら浅いところをちゃぷちゃぷと歩いた。
「夏だったら泳げるのになあ」
もし来年までここにいられたら、水着を買って毎朝泳ぎに来ようと決意した。
「でもさすがに冷えたよ」
サラは急いで岸に上がると、太陽に温められた石を見つけてその上に立った。
「あったかい」
にこにこと足を温めているサラをネリーが優しい目で見ているが、クリスはといえば岸沿いにだいぶ遠くまで歩いて行っている。ライオットがそれを見てぼやく。
「あやつには年寄りの話し相手になろうという気はないらしい」
ないでしょうねと苦笑いのサラである。それにライオットを年寄りというのもおかしい。
湖に石を投げてみたり、岸の石をひっくり返したりと、子どものころやりたかったことを一通り堪能してサラは満足した。
「では昼食にするか」
ライオットの一声で従者がさっと収納袋からテーブルと椅子を出した。サラがぽかんとしている間にもテーブルの上にはお昼ご飯が美しく並べられている。
「ランチのサンドイッチはしっとりさせるためにあえて収納袋の外に出しております」
こういう細やかな気遣いがやはり貴族なのだと納得のランチであった。
やがてこちらの状況に気がついたらしいクリスが急いで戻ってくると、鶏肉の唐揚げなど、魚ではない特産物を使った料理をおいしくいただいた。
「魔の山ではコカトリスばかり食べていたけど、これ本物の鶏肉だよ。あっさりしていておいしいね!」
「コカトリスばかり……。高級食材……」
サラの感想に従者が後ろで目をむいているが、それが一番獲れたのだから仕方がないと思う。