ご領主登場
草原からは湖は見えない。だが山裾から点々と張り付くように家が見え始め、それが草原までずっと続いている。白い壁が傾きかけた日に照らされて美しい。そして大きな町だということがわかる。
「ふふ、懐かしいな。幼い頃来たきりではあるが。さあ、ようこそ、ハイドレンジアへ」
ネリーが楽しそうに両手を開いた。
そうして入ったハイドレンジアの町はすぐに大通りになっており、夕方の買い物で賑わっていた。カメリアの町のように女性や子どもも多く、走り回っていた子どもがうっかりネリーにぶつかったほどだ。
「ごめんね、おねえちゃん。あ」
その男の子は日本なら小学校二、三年生くらいだろうか。ネリーを見上げて固まった。
「どうした? ほら、お母様が探しているぞ」
ネリーは自分が魔力の圧を出しているのか不安になったようでアレンに目をやったが、アレンが首を横に振ったので安心したように子どもに話しかけた。
「ごりょうしゅさまだ」
ネリーは微妙な顔になった。
「私はあんな髭面ではないが」
サラは、ここで初めてネリーの父親がここらへんの領主で髭面だという情報を得た。ネリーは相変わらず言葉が足りないと思うし、自分もなぜ最初から聞いておかなかったのかと思う。
「ひげづら。あはは! おねえちゃん、おかしいね」
「こらっ。ほんとにすみません」
男の子は急いで寄って来た母親らしき人に叱られた。
「ちゃんとあやまったもん」
「そうだな。あなたも、子どものしたことだ。気にせずともよい」
母親はぽうっとして頬に手を当てた。
「まあ。素敵」
そこはありがとうございますでしょとサラは突っ込みそうになったが、口元にかすかに微笑みを浮かべるネリーが素敵なのは間違いない。
手を振る親子と別れ、にぎやかな町を見ながら進む。心なしか町人の視線がネリーに向かっている気がするが、気のせいだろうか。ネリーとクリスは美男美女なので、どこの町でも注目を集めるからそのせいかもしれない。ちなみにサラとアレンはいつもおまけ扱いだが、目立たなくてとてもよいと思っている。負け惜しみではない。
どこに向かっているのかサラが聞こうとしたら、ネリーが先に教えてくれた。
「いきなり行っては準備もあるだろうから、今日は実家ではなく宿に泊まろうと思う」
「それがいいな。長くいるようなら私も宿ではなく家を借りるか」
クリスなら薬師ギルドに行けば家の一つくらい支給される気もするが、そんな気はないようだ。
「クリスもうちに来たらどうだ」
「ごめんこうむる。いつライの剣が飛んでくるかわからないんだぞ」
「さすがにそんな元気はもうないと思うが」
サラはぎょっとしてアレンと目を合わせた。いつ剣が飛んでくるかわからない家ってなんだ。
それでもサラはもちろんネリーと行動を共にするつもりだ。つまり、ちゃっかりネリーの実家に泊めてもらおうと思っている。当然アレンもと思っていたのだが、アレンの考えは違うようだった。
「俺も下宿先を探す。まずはギルドに聞いてみようと思うんだ。だいたいどこでもギルドの宿が一番安いからな」
ネリーは眉をひそめた。
「確かにダンジョンの同じ階に行くのは無理かもしれない。だが、私と一緒のところにいれば普段から訓練ができるんだぞ」
「うん。せっかくの師匠だしな。でも俺」
ちょっとうつむいたアレンの気持ちもわかる。たぶんクンツの存在だ。
レベル差があるからネリーとはいつも一緒に狩りをするわけではないアレンは、クンツがストックから戻ったらパーティを組むと約束していた。そしてクンツにはおそらく師匠などおらず、自分の生活はすべて自分で賄っているはずだ。
「ローザでもそろそろ独り暮らしできそうだってギルド長にも言われてたし、いまさら誰かに生活の面倒を見てもらうのは違う気がするんだ。クンツと一緒にダンジョンに行くなら、俺だけネリーの実家に世話になってるって言うのもおかしいと思うし」
「まあ、アレンの好きにするといい。弟子だからといって、べったり一緒にいる必要はないし、たまには一緒に潜って狩りをすればいいんじゃないか。この町にいる間も、もし仮に別れる時が来たとしても、私がアレンの師匠であることに変わりはないのだからな」
「うん」
サラもアレンが独りぼっちだと思うと心配だったが、既に一人知り合いができて、その場所になじみたいと思うならそれでいい気もした。もともとローザでも、アレンとは魔の山と町中で別々に暮らしていたのだ。
「アレンは一度、ネフの実家に挨拶に行ってから決めるといい。最初は世話になって、そこから自立するのもいいと思うぞ」
自分は泊まらないというクリスの言葉にはあまり説得力はなかったが、確かにゆっくり決めればいいのである。
「さあ、大通りの真ん中に確か避暑客用のホテルがあったはずだが、そこが空いていると助かるな」
町の真ん中の避暑客用のホテルということは、ちょっとお高い素敵なところに違いない。そしてきっと料理もおいしいだろう。
「ねえ、ネリー。そこには名物料理かなにか……。あれ?」
サラが夕食について尋ねようとしたら、向かっている方向からざわめきが近づいてきた。ざわめきどころか、キャーという悲鳴のような女性の声や驚いたような男性の声もする。
サラは基本的には自分の周りに常時バリアを張っているから、自分のことは心配ない。さっと連れの三人を見ると、クリスもネリーも少し困ったような顔をしていて、まったく警戒する気配がない。
アレンはと言えば、騒がしい前方をきっと見据えて、何があっても対応できるよう少し腰を落としているのがうかがえた。
大人二人が警戒していないのならなんでもないのかもしれない。だがトラブルの予感がする。
アレンと一瞬目が合った。
考えていることは同じである。
自分たちがネリーを守る。
サラが大きく一歩前に出ると、アレンはさらにその前に歩み出た。ネリーとクリスの左前にサラ。右前にアレン。そういえば、カメリアでは女神の眷属って言われたなと思い出し、サラは自分たちを狛犬になぞらえて笑みを浮かべた。
「サラ。ネリーとクリスにバリアを」
「了解。アレンには?」
「俺には、いらない」
騒ぎは近づくにつれて逆に小さくなり、やがて人波が割れてサラたちの前に現れたのは、一人の壮年のハンターだった。
ハンターだと思ったのは腰の剣に身軽な服装、そして背の高いがっしりした体に油断のない足運びからだ。ローザのギルドで見た現役のハンターと同じ気配がする。
「そして50歳くらいの赤毛で緑の瞳、そして髭面ときたらまちがいないよね」
警戒していたサラはちょっとげんなりした。若く見えるところまでそっくりだ。
「ネリーのお父さんだ」
「な、サラ、なぜそれを」
ネリーが後ろで驚いているが、逆になぜわからないと思うのか。だがサラは、げんなりしていても警戒は解かなかった。アレンも同じだ。