違法な力
興奮していた老人は次第に落ち着きを取り戻し、フォーテの肩から手を離した。
「ワシはゴーダという。この道場の主と言えば聞こえはいいが、実際はここに勝手に住んでおる」
老人はゴーダと名乗ったあと、さらに話を続けた。
「ワシがこれからお前に教える力のことは、余人には内緒じゃ。約束できるか?」
「内緒? 何か秘密にする事情があるってことなんですか?」
目から流れ出た涙を拭いながらフォーテが返答すると、ゴーダが人差し指を立てながらうなずく。
「うむ……法律違反なんじゃ」
「法律違反なのっ!?」
その言葉があまりにも意外だったので、先程の感動が吹き飛ぶような気持ちになるフォーテだったが、ゴーダは特に気にした様子もなく続ける。
「法律違反と言っても、二百年も前に制定されたもので、今となればほとんど誰も覚えちゃおらんだろうがな。
なんでそんな法律が制定されたかはおいおい話すとして……約束できるか? 聞いて怪しい力だと思ったら、この事だけ秘密にしてくれたらいい」
「うーん……」
確かマチルダは老人が、怪しげな話をしていると言っていた、しかも今まさにそれが法に反する力だと言われ、胡散臭さが大爆発だ。すぐに飛び付いて良いのか……フォーテの考えをよそに、ゴーダは話を続けた。
「お主に教えようと思っとる力の事は『心氣』と言う。心氣とは、意思の力、心のもつエネルギーじゃ」
「心の……」
ゴーダの言葉に、フォーテが胸の辺りを押さえる。家訓との奇妙な符号の一致にやや警戒心が薄らぐのを感じつつも、まだ信憑性に疑問があった。
「うむ、この力は……」
ゴーダが話そうとすると、道場の入り口からドン! という大きな音が響いた。突然の音に驚いたフォーテが振り向くと、入り口の扉がちょうどバタンと音を立てて道場の中へ倒れ、先程のがらの悪そうな男が片足を上げて立っていた。扉を蹴破ったのだろう。
男は悪巧みを思い付いた子供のような表情を浮かべながら、二人のもとへ歩み寄ってきた。
「そういや、笑いすぎて受講料を返してもらうの忘れてたぜ。無駄な時間を使わされた迷惑料を考えれば、払った倍は貰わねぇとな」
男がそう言って、再び老人の前に立つ。もともとそれを企んでいたのではないか、フォーテはそんな疑念を浮かべつつ、男とゴーダを改めて見比べた。男は大柄で、フォーテと比べれば一回り、ゴーダと比べれば二回りは大きく、大人と子供のように見えた。
「金? そんなもんとっくに使ってしもうたわい。まあお主が壊した扉と相殺って事にしてやろう」
老人の悪びれもせずにどころか、やや挑発的な言葉を聞いて、男の表情は一変し、歯をむき出しながら怒りをあらわにした。
「あんな扉に価値なんかあるか! このペテン野郎が!」
男は先程と違い、フォーテが制止する暇もなく右手で老人へと殴りかかった。
フォーテから見て男の攻撃は体格から考えるとコンパクトで、素早い動きだった。魔力で強化されてるだろう、その攻撃は視界に捉えるのがやっとだ。
対するゴーダの動きは、緩慢に見えた。ゴーダは手先を手首に折り畳むようにしながら左腕を持ち上げ、男の繰り出してきた拳を下から掬い上げるように手首で打った。
次の瞬間、男の体はパンチを繰り出していた自分の拳に、まるで縄を結ばれて引っ張りあげられたかのように上昇し、天井へと叩きつけられた。
フォーテはその事から、ゴーダが男のパンチ攻撃を手首で弾き──とても考えられないことだが、男はその勢いで天井に吹き飛ばされたのだと判断した。というより、それ以外には目の前で起こったことに説明がつかなかったのだ。
天井に衝突した男が落下してくると、ゴーダは手のひらをくるりと回し、まるで漂う綿毛をのせるかのごとく男をふわりと受け止める。
体重だけで言えば恐らく倍以上ある男を、ゴーダは苦もなく片手で支え、天井への激突で気絶した哀れな男を道場の入り口まで運び、外へと投げ捨ててからフォーテの元へと戻ってきた。
「やれやれ、話が途中だったな、で、フォーテとやら、お主この力をワシから学ぶ気は……返事を聞くまでもないようだな」
ニヤリと笑ったゴーダの視線の先には、先ほどまでの慎重さなど既に吹き飛び、目を輝かせている青年がいた。
「では早速……とその前に」
ゴーダは今すぐにでも教えたいという気持ちでいっぱいだったが、憧れのアレをやっておかないと、と思い、いきなりフォーテへ背を向けて、腕を組んだ。
「ワシの修行は厳しいぞ! お前についてこれるか!」
「……はい! 師匠!」
フォーテからの望み通りの返事に、ゴーダは少し体を小刻みに震わせて感動していた。
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「まず、実践に入る前に、『心氣』とは何かをもう少し説明せんとな」
老人はそう言いながら、道場の入り口とは別の扉を開けた。そこは庭に繋がっていて、四、五人が並んで腰かけられる程度の長椅子が設置してあった。
老人は庭に生えている木から、腕の長さほどの細い枝を折って、フォーテに長椅子に並んで座るように促した。
「まず、魔力と心氣の関係からじゃな」
老人は地面に、先程の木の枝を使って肩幅程の線を横向きに書いたあと、その左右に短い縦線を書いた。
「あくまで分かりやすーく理解してもらうためなんじゃが、ここからここまでを十とするじゃろ? これが人間が持つ才能だと思ってくれ。もちろん才能なんて人によって多い少ないはあるが」
フォーテは過去に、家庭教師に算術の授業で習った数直線のことを思い出していた。
「んで、人は生まれつきこの十のうち、いくつかを魔力、残りを心氣の才能として持っておる。まぁ分かりやすく五と五としようか」
老人が横線の中央に短い線を付け加えた。
「この割合は生後、何を修行するかで変わってくる。
で、この国ではお主も知っての通り、みな魔力を鍛えるのじゃが……ここで重要なのは、ここから魔力を鍛えても、魔力が十になるわけではない、ということなんじゃよ。
ある者は九まで鍛えられるかも知れんし、あるものは六で限界が来るかもしれん、しかし限界まで魔力を鍛えてしまうと、代償として心氣の才能を失うことになる、逆もまた然り、じゃがな」
老人はおよそ六のあたりで縦線を引き、残りの四の部分の横線を足の裏でこすって消した。
「よくわかりませんが……つまり、魔力と心氣を同時に鍛えるのは難しい、ということですか?」
フォーテの言葉に老人はうなずきながら、さらに話をする。
「今は五と五で話をしたが、仮に魔力の才能が一、心氣の才能が九だとした場合、魔力を鍛える事によって魔力がちょっとだけ増えて、心氣の大きな才能を失う、そんなことも考えられる訳じゃ」
「それは……勿体ないですね」
「ところがお主は魔力がない、つまりこの十全てが、心氣を学ぶための伸び代と言っても過言ではないのじゃ。下手に少し魔力を持って生まれれば失っていたかもしれん、貴重なものなんじゃよ」
フォーテは誉められることに慣れていないため、師匠の言葉にむず痒い思いがして頭をポリポリと掻いた。そんな彼を少し目を細め、微笑ましく感じながら老人は続ける。
「まぁさっき言った法律以外にも、心氣が廃れた原因はある。
魔力はなんと言っても便利じゃ、自己の身体強化だけでなく他者の治癒、それこそ料理の為に火をつけたりと日常生活にも役に立つからの。心氣はそれらに比べれば、だいぶ不便じゃ」
フォーテも魔力の便利さは痛感している。なんせ、年端もいかない妹にさえ手も足も出ないあげく、治療までして貰っているのだ。
「心氣は……魔力に比べて何に優れてるんですか?」
フォーテの素朴な疑問に、老人はニヤリと笑みを浮かべて答える。
「自己を魔力以上に強化し、戦って、相手を倒すことじゃよ。平和な時には一切役に立たん能力じゃ」
役に立たないと言いながらも、師匠はとても誇らしげだ、フォーテは思うと同時に、ふと、家訓の事を思い出し、尋ねてみる。
「うちの家訓なんですが『 諦めず心を燃やし続ければ、最強の戦士になれる』と伝わっているのですが、これは何か関係があるんですかね」
師匠はフム、と顎のあたりを手で擦りながらしばらく考え、思い付いた理由らしきものを述べた。
「恐らく、お主の先祖が心氣の使い手だったんだろうな。それで心氣を禁じる法律ができた時に、それを惜しんで家訓に残したのではないかな」
「なるほど……それで、なんで心氣は法律で禁止されたのですか?」
「そのへんの話はのう、長くなるんじゃ。とりあえず今日はお主が強くなるには、法律違反だろうが何だろうが心氣を学ぶしかない、そこだけ理解しておればよかろう」
「そうですか……」
フォーテは多少話が長くなろうが別に構わなかったが、師匠が今話す気が無いならまたの機会に聞けばいいか、と頭を切り替える。
(全てを伝え、託すのはまだ先でよかろう……こやつが託すに値するかどうかを、しっかり見極めてからじゃ)
老人より伝えられた心氣という存在に、今フォーテが希望を感じているように──
ゴーダもまた老い先短い自分の人生に、突如現れた青年に対して、運命じみたものを感じていた。