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心に報いて

 フォーテ十六歳、騎士団に入団する一年前のこと。


「九九七六、九九七七、九九七八……」


 実家であるチュード家の庭。

 フォーテは上半身裸で、日課の剣の素振りをしていた。

 

 滝のように流れ出る汗は、体から発する熱気のためにすぐに蒸発し、全身から湯気を吹き出しているように見えた。


「九九九八、九九九九、一万っと!」


「お兄様、ご苦労様です。そんな格好だと風邪をひきますわ」


 素振りを終えたフォーテは、後ろから声をかけられて振り向いた。そこには畳まれた着替えと、汗を拭くための布を持った少女がいた。


「ありがとう、ファナ」


 礼を言って布を受け取り、フォーテは汗を拭ったあと上着を着る。


 そして休憩もせずに、次の日課へ移るためにファナへと問いかけた。


「じゃあファナ、いつものいいかな?」


「はい……私は構いませんが……」


 ファナに了承を貰ったフォーテは、手に持つ素振りしていた剣とは別の、庭の木に立て掛けてあったもう一本の剣を手に取り、ファナへと渡す。


「じゃあ、今日もお願いするよ」


「はい……」


 その後三歳年下の妹との手合わせで、フォーテはこてんぱんにやられた。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「いやー、やっぱりファナは強いなぁ」


 妹から刃を潰した剣によって全身を殴られ、痣だらけとなったフォーテが、痣をつけた本人であるファナの治療魔法を受けていた。


「私は魔力が多いので……魔力を使わなければ私なんて、ううん誰だってお兄様には敵いませんわ」


 そう申し訳なさそうに言うファナにとって、兄との手合わせは魔力の無い相手に現実を叩きつけるかのような罪悪感があり、正直それほど楽しいことではなかった。


 ファナはフォーテのすぐ側で、長年の努力を見てきていた。

 

 フォーテは剣技はもちろん、徒手での戦い、弓術、槍術、全てに明るくまさに武芸百般と言えるほど、各武術の術理を修めている。


 ただ、魔力がない。


 この国ではどのような武術も、魔力による身体強化が前提の話なのだ。


 実際フォーテは魔力によって速度、威力が強化されたファナの攻撃、その全てに反応自体はできている。攻撃を避けて、カウンターを叩き込む理想の動きも頭の中ではわかってはいた。


 ただその動きを、魔力による身体強化ができないフォーテには再現できないのだ。


「ははは、あるものを無いと言ったってしょうがないさ。手があるのに殴っちゃだめ、足があるのに蹴っちゃだめと言ってもしょうがないからね」


 そう言ってフォーテは笑う。そんな誰よりも前向きでひた向きな兄を見て、報われて欲しいと思う反面、心配になる。


「でも、お兄様……辛くはないのですか?」


 そんな心配がつい口をついて、不安げに呼び掛けるファナに対してフォーテが真剣な顔をして質問する。


「ファナ、うちの家訓は?」


「『諦めず心を燃やし続ければ、最強の戦士になれる』です」


「そうだ。だから僕は心を燃やし続けなければいけない。不安を感じる暇なんてないんだ」


 そう言ってまた笑顔を浮かべるフォーテを見て、ファナはそれ以上何も言えない。


 だが、不安は大きくなる。


 ファナが魔力を練るときに心がけるのは、冷静さを保つことだ。できるだけ心を落ち着かせること、それが魔力を高め効果的に使う事に繋がると思っている。


 それは、家訓とは真逆の行為だ。


 家訓がフォーテを無茶なことに縛り付けているのではないか、ファナの不安は晴れなかった。


 そんな兄を心配する妹の心も知らず……


「よし、そろそろ行ってくる。今日もありがとう、ファナ」


 治療が終わると、フォーテはまた修行のために街へと出かけた。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


「今日はどこにしようかな」


 街中で、きょろきょろと辺りを見ながらフォーテが考え事をしていた。


 今フォーテがいる区画には、様々な武芸を教える道場が立ち並んでいる。


 この道場の内の一つで、本人に言わせれば修行、回りに言わせればただボロボロにやられるのがフォーテの日課だ。


「よし、あそこにするか」


 街一番の道場へとフォーテが足を向けると、中から見知った顔が出てきた。その人物との邂逅は、いつもフォーテを幸せな気分へと誘う。


「おーい! マチルダ!」


 ブンブンと手を振りながら、フォーテはマチルダの元へと向かう。マチルダはその姿を見てうんざりとしたような表情を浮かべた。


「……何か用?」


「いや、用じゃないけど、奇遇だね! これから帰るところ?」


「そうよ」


 短く返事をして、マチルダは歩き出す。マチルダはまるで気がついていないようにしばらくそのまま歩き続けたが、耐えきれなくなったのか声をあげた。


「何ついて来てるの?」


「ん?」


「あなた私に特に用はないんでしょ? もちろん私もあなたに用はないわ、つまりついて来る理由もないでしょ?」


「まあまあ、許嫁なんだし、仲良くしようよ」


「それ、ほんとやめて」


 一年前に許嫁としてフォーテを紹介されたとき、マチルダの彼に対する印象は悪いものではなかった。顔は整っているし、体もそれほど筋肉で太いわけではないが、歩き方から体幹などがバランスよく鍛えられているのは一目でわかった。


 だからこそ、魔力がないポンコツだと知った今、その反動で必要以上に冷たく対応してしまうのだ。


 対するフォーテは、完全に一目惚れだった。マチルダの赤みの強いブラウンの髪も、人によっては少し目付きが悪いと評するような瞳も、それこそ心を燃やした結果の意思の強さが表に出ているようだ。


 いくら邪険にあしらっても、後ろをひょこひょこと付いてくるフォーテにうんざりしながらマチルダが歩いていると、彼を振り切る口実になりそうな事を思い付いた。


「あなた、いつものようにボロボロにやられに来たんでしょ? あそこなんて良いんじゃない?」


 そう言ってマチルダが指を差した先に、木造の、ところどころが傷んだみすぼらしい建物があった。


「へっ? あれ道場なの? 看板も無いけど……」


「もともとあった道場は前に潰れたんだけど、半年くらい前から住み着いたお爺さんが門下生探してるみたいよ? ボロボロだけど、どうせ誰にでも負けてボロボロになるあなたにピッタリじゃない?」


 そうマチルダがからかうように言うと、珍しく真剣な声で、フォーテが言う。


「誰にでも、じゃないよ」


「え?」


「僕は、僕に、負けてない。それさえできれば他の誰に負けたっていいんだ、今は」


 その言葉と同じように、真剣なまなざしを向けてくるフォーテに、マチルダは……


(駄目だ、手遅れだ。どうしようもないわこれは……)


 そんなことを考えていた。


「とりあえずマチルダのオススメだし、行ってくるね!」


 今日マチルダに出会った時と同じように、嬉しそうに手を振りながら去っていくフォーテだった。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 道場と紹介されたその建物は、遠目に見た以上にボロボロだった。防腐効果を兼ねた塗装はとっくに劣化してその効果を失い、所々が朽ちてしまい、地震でもあればすぐに崩れてしまいそうだった。


 建物から感じる印象通りの立て付けの悪い扉との格闘の結果勝利したフォーテが、中へと声をかける。


「たのもー……って先客か」


 弟子がいないと聞いていたその道場には、少しがらの悪そうな男と、小柄な老人がなにやら言い争いをしていた。


「アンタ、俺を強くするって言ったよなあ、どう責任とってくれんだ」


「ふん、強くなれるかも、と言ったんじゃ。だがお主には全く才能がないわ。お主にはあの偉そうに建ってるデカイ道場がお似合いじゃよ」


「なんだと! このジジイ!」


 激昂した男が、老人へと拳を振るおうとしたその時。


「おい、やめるんだ!」


 二人に小走りに近づいて、フォーテが制止の言葉をかける。


「あ~ん? お前誰だよ」


 男は気を削がれたのか老人への暴力は未然に防がれたが、その敵愾心をフォーテへと向けてきた。


「僕の名はフォーテだ! 君は?」


「ああん? フォーテ? ああお前あの有名な『道場破り』ならぬ『道場で破られ』のフォーテか! はっはっはこりゃいいや、まぁ確かにこんなオンボロ道場がお前にはお似合いだな!」


 そう言ってフォーテの肩をばんばんと叩きながら男が笑う。


「じいさん、こいつを鍛えてやれよ、こいつは才能の塊だぜ? じいさんと同じ、道化のな!」


 男が笑いながら、道場を後にする。


 しばらく沈黙が流れた道場の中、皮肉めいた表情を浮かべて老人は口を開いた。


「随分と立派な自制心だな、お主、あそこまで言われて悔しくはないのか?」


「慣れてますよ。何せ僕は魔力が……」


「低いのか?」


「いえ、低いどころか、ないんですよ」


 フォーテの言葉を聞いた老人の表情が、激しく動揺したように変化する。そのまま老人はフラフラと立ち上がり、両腕でフォーテの肩を掴んだ。


「魔力が、無い、だと……全くか?」


 老人の鬼気迫るような表情に気圧されながらも、フォーテはなんとか答える。


「は、はい、全くありません……」


 その後しばらく老人は小刻みに震えていた。フォーテの肩を掴んでいる手は、感情の高ぶりを表現するかのごとく次第に力を増していき、その痛みにフォーテが耐えきれなくなる寸前……


「 魔力ゼロだと! なんという凄まじい才能だ!」


 老人がまるで爆発したように大声をあげた。


 フォーテはしばらく老人の言葉が理解できなかったが、雨が地面にじわじわと染み込むように、その言葉が頭に浸透していった。


「才能、ですか?」


 才能がない、という言葉は過去それこそ掃いて捨てるほど聞いてきた、だから老人の言葉を理解しても、まだ半信半疑どころかほとんど疑わしい気持ちだった。


 そんなフォーテの心情を読み取ったように老人が語りかけてくる。


「ああ、信用はできんだろう。なんせこの国は魔力至上主義だからな。だが、信じてほしい。お主には、神から与えられた輝かしい才能があるのだ」


 老人のその言葉を聞いて──フォーテの目から一筋の涙が溢れ出た。


 それは決して、老人の言葉が嬉しかったからではない。


 何もかもが、いつも「諦めろ」と囁いてきた。


 身内からの同情心と憐憫(れんびん)の視線、大好きな許嫁の蔑むような態度、フォーテの努力など何も知らない他人からの嘲笑。


 明るく前向きに振る舞うことで、それらに対抗する日々。


 諦めろという囁きから、「頑張れ! 頑張れ!」と常にすぐ側で、傷付きながらも、不平も言わず、励まして、支え、守ってくれた、そして何よりも自分のことを信じてくれた存在。


 ──それは、自分の『心』。


(僕はやっと、『(コイツ)』に報いてあげることができるのかもしれない)


 その想いが涙となって溢れたのだ。


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