8
月曜日の早朝、詰め襟の学生服を着てキュロットスカートを穿いた私は、メールで椎名くんを呼び出した。
日曜日に有った事を報告し合う為に。
これは前日から決めていた事なので、椎名くんはメールで指定した時間通りに理事長室に現れた。
「結論から言うと、現状維持です。松永さんのお陰で書類関係の問題は無くなりました」
理事長室の高級なソファーに座っている椎名くんは、そう言ってから真句郎が淹れてくれたモーニングコーヒーをただ見詰めた。
細かい調整はまだまだ残っているが、彼女の性別が一般生徒にばれない限りは、退学、転校はしなくても良くなった。
一先ずは一安心、かな。
「理事長の方はどうでしたか?」
男子用の学生服を着ている少女の対面に座っている私は、ラッキーが焼いてくれたイチゴチョコチップメロンパンを食べている。
これが私の朝ご飯だ。
パンの甘味をブラックコーヒーで消してから、登山会が雨で中止になったのでリス園に行った事を話す。
「で、お昼を食べてから適当に公園内を散歩したんですけど」
私は、もう一口コーヒーを飲んでから話を続ける。
早朝の呼び出しなので椎名くんの分のパンも用意してあるが、彼女は未だに手を付けていない。
「高台に登って街を一望していた時、ゆずさんに訊かれましたよ。貴女、椎名くんの代わりに来たの? って」
ソファーの背凭れに身を沈めると、部屋の隅で控えている真句郎が視界に入った。
松永はまだ来ていない。
「あの人、椎名くんが女の子だって気付いていましたよ。だけど、目的が分からないから放置してたんだとか」
椎名くんは目を丸くして驚く。
「え? 本当に? となると、会長も知っていたのか……」
「生徒会長はまだ気付いていない、らしいです。ゆずさんは、椎名くんが変な事をしない限りは触らないつもりだったんですって」
「そう、ですか……」
アゴを指で抓んで考え込む椎名くん。
その様子を見ながらパンに齧り付く私。
無言の時間が数分続き、後一口でパンを食べ終わる、と言うところで椎名くんが顔を上げた。
「分かりました。沢口さんの観察も現状維持で行こうと思います。俺の仕事は、会長と沢口さんが妙な事をしない様に監視する事ですから」
「その事ですけど」
最後の一口を食べてから話を続ける。
「ゆずさんって、本当に生徒会長の恋人なんですか? あの人、ただ単に明るくて面倒見が良いだけじゃないのかと思うんですけど」
「俺もそう思いますが、事実がどうであるかは重要ではありません」
「え?」
「会長の親の不安が取り除かれればそれで良いんです。少なくとも会長の方は沢口さんへの興味が有る様ですし」
「親、ですか。その為だけに、椎名くんは性別を偽ってまで男子校に居るんですか」
「まともな人間なら、そんなバカな事はしないでしょうね。でも、俺の親は会長の親にとても恩が有るとかで逆らえないんですよ」
「親の恩で椎名くんが苦労するのって、ちょっと変なのではないでしょうか?」
「俺もそう思いますが、俺にも得が有るので構わないんです」
「得。貴重な中学生活を犠牲にしても良いくらいの?」
「はい」
「そうですか。貴女がそれで良いのなら、それで良いんでしょう」
「それで良いんです。理事長だって、親が普通じゃないから中学生で理事長をやっているんでしょう?」
「ふふふ。そうですね」
報告が終わったので、「週初めの全校朝礼が始まるまでの時間潰しでもしませんか?」と断ってから椎名くんと雑談をした。
男子校の中で唯一の女子生徒をしていると、やはりトイレが一番困る。
女子トイレ自体が無いからだ。
私は職員用の女子トイレを使っているのだが、男子生徒として過ごしている椎名くんはどうしているのか訊いてみた。
「基本的に我慢します。出来るだけ水分を取らない様に気を付けています」
と言う驚愕の答えが返って来た。
どうしても行きたい時は、あえて授業中にトイレに行くんだそうだ。
そうすれば、確実に無人だから。
苦労してるんだなぁ。
「二年に上がるタイミングでイギリスに帰る事が決定していますので、それまでの我慢です」
「え? どうして一年で外国に行っちゃうんですか? 卒業まで居るのは、やっぱり辛いから?」
「そうではありません」
椎名くんは短髪の頭を横に振る。
生徒会長は現在中学三年生。
進級して高等部に行ってしまったら、下級生の椎名くんでは監視が出来ない。
また、ゆずさんは現在高校三年生。
周辺地域には大学が無いので、進学するなら絶対に地元を離れる。
近所に就職するのなら、余程の事が無ければ駆け落ちはしない。
一番困るのはゆずさんが生徒会長の子供を身籠る事なので、遠方に就職した場合も大きな心配は無い。
お互いの距離が一番近く、かつ守る物が無いこの一年が一番危険と言う判断なのだそうだ。
だからこそ、無茶を承知で女の子を監視役に着けたのだ。
万が一そう言った監視網を全て掻い潜り、ゆずさんが妊娠した場合。
その時は迷い無く生徒会長を勘当するとの事。
家の事情を無視する愚か者では家督を継げないから、らしい。
「立派な家と言う物は、色々と面倒なんですねぇ」
私は呆れながらコーヒーを飲み干す。
「面倒だからこそ、俺みたいな人間が得をするんです。仕事を成功させ、大手を振ってイギリスに帰れたら、俺の住む所がグレードアップしているはずですから」
「そうなんですか……。まぁ、私には応援しか出来ません。頑張ってください」
全校朝礼の時間が来たので解散する。
結局手を付けられなかった椎名くんの分のパンは、ラップに包んで持って帰って貰った。
そして今日も普通の中学生生活が始まる。
と思っていたのだが。
「……え?」
二時間目の休み時間にちょっとした用事で理事長室に行き、三時間目が始まる直前に教室に帰ってみたら、誰も居なくなっていた。
まるで放課後の様にガランとしている。
何事かと戸惑っていると、黒板に『屋上に集合』と書かれていた。
思い出した。
今日の三,四時間目は、特別に時間割を変更して美術の時間になったんだった。
どこかで写生をするんだったかな。
時間割自体は先週の中頃から決まっていたんだけど、写生は天候に左右される為、どこでやるかは先生が今朝決めるんだったっけ。
色々有って忘れてた。
みんな真面目だから、休み時間の間に移動していたって訳か。
何が起こったのかを理解してホッとしている自分に気付いた私は、妙に脱力してしまった。
恐れていた事が現実になってしまったのか、と思ってしまったのだ。
教室の中に入り、無駄にごつくて目立つ自分の席に座る。
無人の教室は、迷子になった様な独特の違和感が有る。
本当なら写生の準備をしなければならないのだが、糸が切れた様にやる気が無くなった。
私が恐れていた事。
それは、クラス全員から無視される事。
男の中に女が一人状態なので、普段から普通に無視されてはいる。
無視と言うか、性別が違うから扱いに困られていると言うか。
そうなってしまう気持ちは理解出来るので気にしないのだが、ここまでハッキリ放置されるとさすがにキツい。
待ってくれる友達が一人でも居れば……。
「はぁ……」
思わず溜息が洩れた。
リス、可愛かったな。
やっぱりペットを飼おうかな。
入学してからずっと感じていた孤独感を解消する為に。
尻尾を振ってくれる犬が良いかな。
猫はマイペースだから、この孤独感を解消してはくれなさそう。
しつけが要らない熱帯魚も悪くない。
私はこうやってゴチャゴチャと考えてしまうから、結局ワガママを言えないんだよな。
そう思ったら、ふと昨日のゆずさんとの会話を思い出した。
それは、公園の展望台から街を見下ろしていた時。
視界いっぱいに数え切れない量の民家が密集していて、沢山の人間が居るんだなぁと感心した。
あの家の一軒一軒に見も知らない家族が居る。
無数の人生が有る。
そう思ったら、無性に母親が恋しくなった。
実際に近くに居たら酒臭くて邪魔臭いだけなのに、理由も無く甘えたくなった。
だからなのか、ゆずさんが私の隣に立って頭を撫でて来た。
きっと寂しい気持ちが小さな背中に現れていたんだろう。
「何か辛い事でも有ったの?」
「いえ。ただちょっと、不思議な事が有りまして」
母親の事を話すと涙が滲みそうな気分だったので、別の話題にする。
「何?」
「ゆずさんは親に反抗したりしますか?」
「ん~? まぁ、人並みに。それがどうしたの?」
「私はそれが良く分からないんです。親の言う通りにすれば、全てが上手く行っていたから」
「へぇ、凄いね。どう言う事を言われてるの?」
「えっと……」
私は振り向き、他の人達がどこに居るのかを確かめた。
全員が展望台の下に居るので、小声なら誰にも聞こえないだろう。
「私は母に似て可愛いから、その可愛さを武器にしていれば楽に生きられる。一言で言えばそんな感じです」
「そ、それは……。確かにそうだろうけど……」
苦笑いするゆずさん。
引かれるのが分かっているから、これを他人に言う事は無かった。
なのにゆずさんに言ってしまったのは、彼女の雰囲気が理想の母親像に近かったからかも知れない。
ろくに料理も作らなかった私の母とは間逆な、優しくて頼れるお母さんって感じ。
でも、心を許す気は無い。
私の母は酒臭い母の方だから。
「母の言い付けを忠実に守っていた小学生の頃は、クラスの男子にチヤホヤされ、一部の女子に嫌われていました。それは確かに生き易かったんです」
私は視線を街の方に戻す。
雨上がりの瓦屋根がキラキラと光っている。
「ですが、中学に上がってから、親に逆らう人が気になり始めました。明らかに自分が不利になる行動なのに、どうしてそんな事をするのかと」
「なるほどねぇ。お母さんの言い付けを守って可愛らしくしている神ちゃんからしてみれば、それが不思議でならない、と」
「はい」
難しいねぇ、と呟いたゆずさんは、緊張感無くゲップをした。
お弁当を食べた後に売店でコーラを買って飲んでたからな。
「失礼。――聞いた風な答えじゃ意味無いでしょうから、私の考えで良いかな?」
「はい」
「それは気にするだけ時間の無駄。そう言う行動は、何も考えずにやりたい事をしてるだけだから。損得とか全然考えずにね」
「何も考えずに行動をする……? そんな事が出来るんでしょうか?」
「普通の十代は考え無しに行動するのが普通だと、私は思うよ。利己的にね。……いや、利己的だと違うのか。むむむ」
腕を組んだゆずさんは難しそうな顔になる。
確かに利己的だと違う。
私は自分の損になる行動をする子が理解出来ないんだから。
「まぁ、本人は利己的だと思ってるんだよ。例えば――」
ゆずさんは、数秒考えてから例え話をする。
夏休みの宿題は、初日からコツコツ進めれば苦も無く終わる。
だけどほとんどの子は遊びに夢中で宿題を放置し、夏休み終盤で一気に宿題をしなければならず、苦労する。
「神ちゃんはコツコツ進める方が当然だと思ってる訳よ。そう思って」
「はい」
でもね、と話を続けるゆずさん。
「遊びを優先させるのが自分の為だと思っている子も居る訳よ。それが間違いだと分かっていてもね。夏休み最終日に苦労するのを安易に覚悟してる」
「間違いだと分かっているのに間違いを犯すんですか? 意味不明過ぎます」
ゆずさんは、腕を組んだままフハハと笑う。
「神ちゃんは賢くて良い子なんだねぇ。動く前に考えちゃうんだね。反抗期真っ盛りな年でしょうに」
組んでいた腕を解いたゆずさんは、また私の頭を撫でた。
「月並みな答えになっちゃうけど、恋をしたら分かるよ。頭より先に身体が動いちゃうって奴になっちゃう」
「ゆずさんは恋をしているんですか?」
またフハハと笑うゆずさん。
「秘密。――まぁ、こう言う話はオチが付かない物だよ。結局は人それぞれ、に落ち着いちゃう」
「それはそうでしょうけど。分からない物を分からないまま放置するのは気持ち悪くて」
答えの無い問題しかないのが人生なんだけどな、と呟いたゆずさんは、中腰になって私の目を見詰めて来た。
「じゃあさ、神ちゃん」
「はい?」
「神ちゃんは、自分のやりたい事をやれてる?」
チャイムが鳴り、その音に驚いた私は我に返った。
三時間目が始まった。
しかし、まだ席を立つ事が出来ない。
教室の入り口で真句郎が私を見ているが、それに反応するのも面倒になっている。
私のやりたい事、か。
面倒な理事長修行や、祖父の評価を上げる為の成績向上も、本心ではやりたくない。
ゆずさんの例え話ではないが、全てを後回しにして遊び回りたい。
でも、それをすると言う事は、今の生活を捨てると言う事。
高級な食事、素敵な洋服、大量の書物。
今の私は、それらを自由に買える。
高価なパソコンやペットだって、お願いすれば二つ返事で手に入れられる。
そんな事が出来る権利を捨て、貧乏なボロアパート時代に戻るなんて、マジで有り得ない。
私が恋をすれば分かるってゆずさんは言ったが、それも金持ちになれる可能性を捨てる事になる。
考えられない。
しかし何だろう、この虚無感は。
「理事長がサボって良いのか?」
「ヒァッ!?」
予想もしない方向から声がしたので、私は跳ね上がって驚いた。
慌てて教室内を見渡してみたが、誰も居ない。
真句郎はそう言う言葉を口にするはずが無いのでそちらは見ない。
私が何かを訊かなければ喋らないし。
混乱していると、窓際の机の影から茶髪の頭が出て来た。
「わ、渡くんでしたか。貴方、こんな所で何をしてるんですか」
「みんなでお絵描きとか幼稚園児かよ、って事でサボリ。ここで寝てたんだけど、理事長さんが気になって目が冴えちまった」
大あくびする渡くん。
全くしょうがない人だなぁ、級長なのに。
まぁ、今の私も彼と同じ状況だけど。
「……あの、渡くん。どうしようもない質問しても良いですか?」
「ん~?」
渡くんは床に座って窓下の壁に寄り掛かっている為、茶色い髪しか見えない。
だから机に隠れている表情が分からない。
「凄く変な質問ですけど、怒らないでください。ただただ単純な興味から来る質問ですから」
「だから何だよ。さっさと言えよ。回りくどいのは嫌いなんだよ、俺は」
「じゃあ訊きます。渡くんはどうしてそんなに反抗的なんですか? 深い意味か、得する事でも有るんですか?」
「はぁ? お前、ケンカ売ってるのか?」
渡くんは背筋を伸ばし、机の影から顔を出す。
怒っていると言うより、戸惑っている表情だ。
「だから変でどうしようもない質問だと最初に断ったじゃないですか。やっぱり意味も理由も無いんですか?」
「その質問に意味と理由は有るのかよ」
質問に質問を返され、言葉に詰まる私。
確かに何も無い。
「じゃ、こんな質問に答えを出すとしたら、どんな感じが適切でしょうか」
渡くんは、口を半開きにして私の顔を見た。
明らかに呆れられている。
「理事長様は小難しい事を考えてるんだな。そんな質問はどっかの偉い人か頭の良い人にしいてくれ。俺には答えられん」
「そこまでする気は無いです。何も考えずに日常を過ごしていても、疑問を持って答えを求めていても、この世界は何も変わらないって事は理解していますから」
「なら、悩むだけ、気にするだけ時間の無駄だ。答えなんか出ない」
渡くんもゆずさんと同じ事を言うのか。
ああ、なるほど。
答えなんか出ないのなら、どうせなら生き易く過ごしたい。
外見を磨いて他人にちやほやされていれば、何も考えなくても、疑問を持たなくても、楽に美味い汁を吸える。
母がそう言いたかったのなら、母のしつけは理に適っている。
それはそれで人間としてどうなのかとは思うが、そう言う事を考えても答えは出ないのかも知れない。
「ありがとう。少しだけ気持ちが楽になりました」
頬笑みを向けると、渡くんは更に混乱した表情になった。
「お、おう。そうか」
「心のモヤモヤが解消したところで、屋上に行きましょうか」
ほんの少しだけやる気が戻って来た私は、椅子が音を立てない様に気を付けて立ち上がった。
他のクラスは授業中だし、誰かに教室内を覗かれたら面倒だし。
私は教室の後ろに行き、自分の棚から写生道具を取り出す。
「遅刻を叱られるでしょうが、悪いのは私達なので大人しく叱られましょう。さぁ、渡くん、準備してください」
「いや、だからサボるって言ってるだろうが。一人で行けよ」
「そうですか。じゃ、私が遅刻した理由は、二時間目まで居たはずの渡くんを探していたから、にしようかな」
「はぁ?」
「そうすれば、少なくとも私に対する風当たりは弱くなりますから。渡くんが一緒に行けば、その言い訳は使えませんけどね」
「お前……。言葉使いが丁寧でいつもニコニコしてるから大人しい奴だと思ってたんだが、意外と根性が悪いんだな」
「失礼な。サボろうとしている生徒を説得している私の行動が悪い訳が有りません。――さぁ、どうしますか?」
何かを言い掛けた渡くんは、舌打ちしてから立ち上がった。
「好きにしろ」
吐き捨てる様に言った渡くんは、ダルそうに教室を出て行こうとした。
が、そうは問屋が下さない。
「真句郎、渡くんを捕まえて」
「はい」
私の命令に従い、渡くんの腕を締め上げる真句郎。
「うわっ!」
静かな廊下に渡くんの声が響く。
サボろうとしているのに騒ぐのはまずいので、無言で抵抗する茶髪の少年。
しかし真句郎はプロのボディーガード。
暴れても拘束は解けない。
私は渡くんの写生道具を棚から出してあげる。
「その行動が渡くんの得になるのなら、見逃しても良いと思います。が、絶対に得にはなりませんよね?」
「そんなの、お前には関係ないだろう?」
「それは無意味なセリフです。その程度の言葉しか出て来ないなら、大人しく屋上に行きましょう」
私が顎で指示すると、真句郎は渡くんの腕を締めたまま屋上に向かって歩き出した。
「本気で反抗したいのなら、全てを捨てる覚悟をしてからです。捨てられずにこの場に居るなら従うしかない。そうでしょう?」
渡くんの顔を覗き込みながら訊いてみたら、茶髪の級長は無言で私から目を逸らした。
諦めの悪い、しょうがない奴だ。
私は鼻で溜息を吐きながら肩を竦める。
「こんなおせっかいを言うのは、これっきりです。考え事を解決に導くヒントをくれた渡くんへのお礼です」
「お前はお礼にこんな無茶をするのか」
腕を掴んでいる真句郎にタップアウトをする渡くん。
降参の意思を受け取った真句郎は締め上げる力を緩めたが、手は離さない。
「一人で生きて行けない間は借りて来た猫でいましょうよ。他人に嫌われても良い事は有りませんから」
私がそう言うと、渡くんは鼻で笑った。
「だからお前は根性の悪さを隠してるって訳か。なるほどな」
自覚は有るので、それは否定しない。
自分を悪く言われたくらいで地が出る私ではない。
正確には裏表が有る性格なのだが、それは意識的だし。
「他のクラスメイト達が真面目だから、一人反抗的な渡くんが凄く目立つんですよ。男子の中に一人居る女子が目立っている様にね」
私はニッコリと笑みながら階段を登る。
手を繋いでいる為に数歩遅れて階段を登り始める男二人と目線の高さが同じになる。
「私の気持ちを言葉にするなら……そうですね。ヤンチャな弟を放っておけない、って感じですか」
そう言うと、渡くんは心底嫌そうな顔をした。
「同い年が何言ってやがる。でも、真面目そうな女の方が性悪なのは世の常だから、俺は別に驚かないけどな」
アハハと笑う私。
「それ、凄く良く分かります。でも、それを男の子の前で表に出す子はあんまり居ないと思いますけど。どうして知ってるんですか?」
私は視線で真句郎に手を離す様に命令する。
予想通り、すでに観念している渡くんは逃げなかった。
なので、彼に自分の写生道具を持たせる。
「なんだかんだ言っても、俺はまだガキだからな。ガキの前で油断する大人の女は意外と多いんだよ」
「なるほど。渡くんは人を油断させてしまう雰囲気を持っているんですね。私もつい口数が多くなってしまう」
踊り場を通り、上を目指す私達三人。
渡くんはダラダラと階段を登っているが、真句郎が最後尾に居るので、私から大きく遅れる事は無い。
「なんだそれ。意味分かんねぇ。お前、口数が多くなると変な事を言うんだな」
そうですね、と口の中で呟きながら自嘲的に笑む私。
彼とは距離を取った方が身の為だな。
その内、クラスメイト達の前でついうっかり地を出しそうな予感がする。
「変な事を言われたくなかったら、真面目にやるか、私の目の前から消えるかの二択です。どっちを選ぶかは、渡くんの自由ですよ」
「何で俺が消えなきゃならないんだ」
「それは勿論、私はこの学園の理事長だからです。私が消える訳には行きません。それは無責任です」
理事長でも、普通に遅刻は怒られるけどね。