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お金持ちの神さま  作者: 宗園やや
7/13

6

今日もお昼休みになると同時に自宅に帰り、出来立ての昼食を頂いた。


「どうしました? 神様。味付けがお気に召しませんか?」


主人の目障りにならない様に視界の外で給仕をしているはずのラッキーが私の顔を覗き込んで来た。

突然の行動に私は驚き、我に返る。


「いえ。いつも通り、とても美味しいですよ」


私は間近に有る釣り目メイドの顔に笑顔を向ける。

貧乏時代は私が家事のほとんどをしていたので、食材の相場は良く分かっている。

私一人の食費だけでも月に10万は軽く超えているはずだ。

それくらい良い素材を使っていて食事がまずいなんて事は有り得ない。

他の三人は私の前で飲食をしないので合計は知り得ないが、わざわざ下級の食材を別に買ったりしないだろうから、大雑把な計算で月40万ってところか。

以前、冗談で100万円を出せと言ったら本当に出して来たので、この家の中に限っては非常識な数字じゃない。

特にお肉はブランド物しか使っていないのではないだろうか。

お肉は週に一度の贅沢だった時でも美味しかったのだが、ほぼ毎日食べられる今の方がより美味しいってのはどう言う事だ。

油断すると食べ過ぎるので腹八分目で押さえているのだが、それが本当に辛い。

幼い容姿が私の武器なんだから、変に太らない様に我慢しなくては。

強いて言えば美味し過ぎるのが不満なのだが、贅沢な悩みに文句を言うほど私は愚かではない。

そうじゃなくて、今日は火曜日。

放課後の勉強会が有る日だから気が重かったのだ。

数学だったら優しい生徒会長が相手をしてくれるから楽しいんだけどなぁ、とか考えていたら、無意識の内に不機嫌な表情になっていたらしい。

いかんいかん。

私は可愛い女の子、を常に意識しなければ。


「ごちそうさま。さて。午後も頑張りますか」


「行ってらっしゃいませ。名門校の学生さんはお勉強大変ですね。ウシシ」


ラッキーが癪に障る笑い方をした。

分かって言ってたのか、コイツ。

この人はメイドとしては優秀だし、若い女性特有の浮付いた感じが無いので、使用人じゃなかったら友達になっても良いくらいに好感が持てる。

しかし、それ以外の部分では微妙に意地が悪い気がする。

顔の作りがキツ目なので、余計にそう感じる。

真句郎や遊坂は大人の男性だからか一歩引いているので、同居人って感じがほとんど無い。

だから、同姓であるラッキーはあえてフレンドリーにしているのかも知れない。

何て言うか、『姉が妹にちょっかいを出す』みたいな演出をして、この共同生活のストレスを緩和してくれている、みたいな。

もしそうなら、『妹が姉に仕返しをする』みたいな演出を返さなければ。

私は必殺技級の笑顔をラッキーに向ける。


「そうだ。夕食後のデザートはマカロンが良いな。有名なお菓子みたいなんですけど、食べた事が無いんですよ。すっごく興味が有るので、手作りでお願いしますね」


「マ、マカロンですか? 分かりました」


どう言う理屈かは知らないが、マカロンと言うお菓子は作るのが面倒らしい。

そんなお菓子を手作りでと言われたのは反撃だとすぐに気付いたラッキーは、引き攣った笑顔で校舎に戻る私を見送った。

まぁ、作るのが無理で夕飯に間に合わなかったとしても怒らないから大丈夫だよラッキー。



あっという間に放課後になった。

時間と言う物は、嫌だ嫌だと思っていると早く過ぎる。

部活が有るので、クラスメイト達は次々と教室から出て行っている。

私もさっさと出なければならないのだが、無駄に豪華な椅子の座り心地が良いせいで立ち上がれない。

生徒会室に行きたくないなぁ。

もう帰りたいなぁ。

現実逃避を自覚しながら脳内で動物動画を再生していると、十分程で私一人になった。

みんな真面目だな。

教室に残って雑談したりする人は居ないんだなぁ。

我が校の生徒として誇りに思う一方で、それはそれで青春としてどうなんだろうと言う気がしないでもない。

中学生らしく無意味な時間を過ごしてみても良いんじゃないかなぁ。


「コラー! 渡ぃー! ちょっと待てぇーい!」


生徒が居なくなって静かになった廊下に男性の怒鳴り声が響く。

この学校では珍しい現象に興味を持った私は、重い腰を上げて廊下に出た。

声の主は見えないが、まだ何かを言い合っているのでウワンウワンと反響している。


「何事?」


「級長の仕事をさぼって帰ろうとしていた渡くんを、田村先生が呼び止めた様ですね」


廊下で控えていた真句郎には全てが聞こえていた様だ。

教室のドアにもたれ掛かって物音に意識を集中すると、私にも会話の内容が判別出来た。


「業者が掃除に来るから教室に残っちゃダメなんだろ?」


「今日の掃除は三階だ。心配いらない」


そう言えば、この学校には掃除の時間が無い。

校内のほぼ全てを清掃業者に任せてあるからだ。

放課後の全ての時間を部活に専念させる事により、我が校は大会等で優秀な成績を残している、らしい。

その事を言い合いながら、田村先生に首根っこを掴まれた渡くんが廊下の向こうからやって来る。

二人の後ろには大きな茶封筒を持った副級長の長谷部くんも居る。

教室の前まで来た田村先生は、茶髪の渡くんを教室内に突き飛ばしてから私に顔を向けた。


「まだ残ってたのか、甘衣。どうした?」


「少し考え事をしていただけです。お気になさらず」


「そうか。じゃ、渡。今日中に仕事を終わらせろよ。終わったら職員室の俺の机の上に置いておけ」


渡くんは、先生の言葉に返事をしないでそっぽを向いた。

反抗的な態度に呆れる先生。


「今日中に終わらなかったら、お前の家に連絡して叱って貰わないといけなくなるんだからな。そんなダサい真似、俺にさせるなよ? お前だって嫌だろう?」


「分かったよ、うるせぇな」


「良し。頑張れよ」


田村先生は、生意気な生徒の肩を叩いてから去って行った。

先生の足音が遠ざかるのを聞きながら自分の席に座る渡くん。


「これじゃあ級長じゃなくて雑用係じゃねぇか、クソが」


みっともなく悪態を吐いてはいるが、逃げるのは諦めた様だ。

影の薄い副級長が渡くんの前の席を後ろに向け、ふたつの机を向かい合わせにしている。


「仕事って、何をするんですか?」


私も教室に戻り、机の上に書類を広げている二人の男子に訪ねてみる。

応えたのは副級長。


「先日行ったアンケートの集計です」


「アンケート? ……ああ、アレですか」


身の回りにイジメは無いか、校内環境に不満は無いか、その他気になる事は無いか。

そんな事を書かされたな。

未だに顔と名前が結び付かないクラスメイトが居る私には書く事が無かったが。

でも、結果がどう出るかは、理事長としては知りたいかな。

学校経営者としてイジメだけは見逃してはいけないと思うから。

後で松永に集計結果の提示を求めよう。


「それは大切なお仕事ですね。頑張ってください」


笑顔でそう言った私は、鞄に教科書を詰めて帰る準備をした。

二人の邪魔になっちゃ悪いし、生徒会室に行かなきゃいけないし。


「こんなもん、仕事じゃねぇよ。こんなアンケートなんか意味無い」


だらしなく椅子に座り直した渡くんが言う。

またいつもの反抗かと思いながらも、優しい私は笑顔で反応してやる。


「まぁ、入学したばかりでみんな手探り状態ですから、まだ周りの事を見る余裕は無いかも知れませんが――」


「そうじゃねぇよ。お前の事だよ。お前、自分が周りにどう思われているのか分かっているのか?」


私の言葉を途中で切り、私にガンを飛ばす渡くん。


「お前が何で居るんだと、みんな訳が分かんねぇで緊張してるんだよ。それが不満だとも書けないしな」


お?

まだ私に対してはケンカ腰なのか。

他のクラスメイトにはそんなに突っ張ったりしないのに。

気になっている子に意地悪したくなる、って感じでもないので、明らかに私個人を邪魔臭がっている。

こいつ、女が嫌いなのか?


「私が唯一の女子で浮いている、って事ですか? それとも理事長がクラスメイトで何事かと思われている? そんな事は今更どうでも良いでしょう。唯一髪を染めている渡くんが何を言ってるんですか。私と同じくらい浮いてますよ、渡くんは」


勉強会を前にして機嫌が悪かったせいか、私にしては珍しく同レベルの煽り返しをした。

当然気色ばむ渡くん。

だから私は先制する。


「私は私の居場所を得る為に努力をしているんです。その結果、男子校に来てしまいましたが。凄く嫌でしたけど、それでも私は腐ったりしません」


正確な集計結果が欲しかったので、真面目に仕事をさせようと茶髪の男子を指差す。


「渡くんのその態度が自分の為になるのなら、私は渡くんを応援します。ならないのなら、態度を改めた方が良いですよ」


「説教かよ。さすが神様は言う事が違うね。偉い偉い」


渡くんは半笑いで肩を竦めた。

虫の居所が悪かった私は頭に血が上ったが、拳を握って堪える。

表情は薄い笑み。


「また私の名前弄りですか。この学校では渡くんしかそれをしませんよね。私が理事長だから距離を置かれてしまっているんでしょうか。だから、遠慮しない渡くんとは最初の友達になれそうですね」


ムカついた時は逆に相手に歩み寄れ。

そうすれば相手は不意を突かれ、たじろぐ。

これも母のしつけだ。

その教え通り、渡くんは勢いを失う。


「な、何でお前なんかと友達にならなきゃいけないんだよ、気持ち悪い」


私自身も本気で友達になりたい訳ではないので、すぐに話題を変える。


「そんな事より、自分の役割はキチンとこなした方が良いですよ。これは私自身にも言い聞かせてるんですけどね」


「どう言う事だ?」


「私はちゃんとした理事長にならないといけないって事ですよ。まぁ、愚痴です。忘れてください」


私は笑顔で言う。

返答になっていないのは承知しているが、勉強会の事もそれを面倒臭がっている事も言えないんだからしょうがない。

だけど渡くんはふーんと言って納得してくれた。


「お前はそれで良いのか? いや、説教とかじゃなく、ただ単純に訊きたいだけなんだけど」


「どう言う事ですか?」


「お前は理事長になりたいのか?」


その質問に、今度は私が怯んだ。

理事長になれなければ多蛇宮の家に入れず、お金持ちになれない。

それでは私が産まれた理由が無くなる。

生きている意味が無くなる。

その事も言えないので黙っていたら、渡くんは椅子に座り直して姿勢を正した。


「聞いた風な言葉だけど、親が敷いたレールに従ってるだけじゃないのか? って言いたいんだ。お前の本当の苗字とかの噂もあちこちで聞こえるし」


レール、か……。


「俺の親は自分の思い通りに俺を動かしたいらしい。だから級長なんかさせやがるんだ。意味分かんねぇよな。――お前はそうじゃないのか?」


つまり、渡くんは親への反抗心で不良的な行動をしているのか。

彼の事情は全く分からないが、もしそうなら普通過ぎる。

子供過ぎる。

つまらん。

興を削がれた様な気分になった私は、教科書が詰まった鞄を持ってから腕時計を見た。

さすがにこれ以上遅れたら生徒会の方達の迷惑になるな。

腹を括るか。


「私の両親はもう亡くなっているから、一人で生きていけない内はレールに従うしかないのよ」


そう言い残した私は、颯爽と廊下に出る。

ちょっと格好付け過ぎたか。

日本人形みたいな見た目の少女が取る態度じゃなかったな。

反省。

すぐに気を取り直した私は、いつも通り鞄を真句郎に持たせ、生徒会室に向かう。


「失礼します。遅れて済みませんでした」


ノックの後、返事を待たずに急いでドアを開けた。

待っているのが生徒会長なら遅刻を笑って許してくれるだろうが、椎名くんだったら絶対に嫌味を言われる。

嫌味を言われるのが分かっているのなら、勢いで誤魔化せばなんとかなる。

と思っていたのだが、部屋の中に居たのは面長な人だった。

生徒会長席に座ってキーボードを叩いている。

初めて見る顔に驚いていると、その人はパソコンの画面から目を離さずに陽気な声を出した。


「いらっしゃ~い。始めまして」


「始めまして……。えっと……?」


「僕は会計の相原です。今日が勉強会の日だってのは分かってるけど、このパソコンじゃないと出来ない仕事が残ってたんでね」


相原くんはキーボードから手を離し、パイプ椅子の背凭れに体重を預ける。


「ちょっと気が散るかも知れないけど、許してね」


「いえ。お邪魔をしているのは私の方なんですから、お気になさらず」


私は質素なソファーに座る。

部屋の中を見渡してみたが、生徒会長も椎名くんも居ない。

彼等も遅れているみたいだ。

忙しいのかな。


「理事長様が予算をもっと出してくだされば、さっさと終わるんだけどねー。チラ」


相原くんは、口で言いながら、本当に私をチラ見して来る。


「私は理事長ですけど、まだ予算配分の権限は有りません。有っても増やせないでしょうけど」


「残念。ま、冗談だけど」


ウフフと笑った相原くんは、おもちゃで遊ぶ様にマウスを操作し始めた。

彼はのらりくらりとした性分の様だ。

しかし生徒会の一員として会計を担っている以上、好い加減な人物と言う訳ではないだろう。

友達になっても油断出来ないタイプだな。

個人的には嫌いじゃないけどね。


「ところで、それは何の仕事なんですか?」


「これは体育祭予算の計算。配分を弄らないといけなくなってね」


「あ、もう体育祭の時期ですか。へぇ……。そう言えば私、生徒会が何をするのか分かりません。何をするんでしょうか」


「各種行事の企画運営や、部活動や委員会の状況把握。その他雑用。僕はその予算担当」


喋りながらもパソコンを操作する指は止まらない。

器用な人だ。


「なるほど。大切なお仕事をなさっているんですね」


「理事長程じゃないけどね~。学校経営って、少子化で大変じゃない?」


「ここはまだそれ程でも。教室に空きが有る訳じゃありませんし」


「そっか。ま、お金持ちが大勢居るから、寄付でなんとかなるか」


「そうですね」


そこで会話が途切れる。

相原くんは生徒会の仕事を続けているが、私はやる事が無い。

生徒会長か椎名くんのどっちが来るか分からなければ勉強の準備も出来ないし。

生徒会室の壁際に控えている真句郎に目を向けても無反応。

彼は中学生の勉強とは無関係だから当たり前か。

退屈だ。


「ヒマなら予習しとけば?」


私に落ち着きが無いのが気になったのか、相原くんが仕事をしながら言う。


「そうですね。そうしましょう」


資料等が置いてある棚から英語の絵本を取り出す。

もう内容は覚えているので勉強にはならないが、ヒマ潰しにはなるだろう。

そこで生徒会室のドアが開き、椎名くんが入って来た。


「遅れて申し訳有りませんでした。早速お勉強会を始めましょう」


ちぇ、今日は英語か。

まぁ良い、頑張ろう。

絵本を本棚に戻した私は、椎名くんと向かい合ってソファーに座る。


「今日から勉強会中の会話は全て英語の筆談にします」


「え?」


「分からない事が有れば声で質問してください。出来る限り英語で。無理な部分は日本語でも結構ですが、俺は英語で返答します」


「うーん。勉強にはなると思いますが、高難度過ぎませんか?」


「ずっと勉強会を続けるつもりじゃないのなら、これくらいで十分です。期末テスト前には日本語禁止でも平気になりましょう」


随分とスパルタだな。

これだから英語は嫌いだ。

でも、それよりも気になる事が有る。


「あの、椎名くん。顔色が悪いみたいですけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫です。俺だって人間なんですから、調子が悪い時くらい有ります。気にしないで始めましょう」


何て言うか……。

コイツと言い茶髪不良と言い、どうしてイラっとする言い方をするんだろうか。

男にここまで嫌われるのは初めてだ。


「そうですか。大丈夫なら気にしない事にします」


私は平静を装いながらノートを開く。

小学生の時は、ボスクラスの女子には必ず嫌われていた。

母のしつけのせいで男に媚を売る様な言動がクセになっているから、嫌われて当然だ。

だから、こんな雰囲気には慣れている。

慣れていると思い込めばムカつきもそんなには無い。

無視出来ない相手にストレスを感じていたら私の身が持たないからね。


「最初の内は辞典も積極的に使いましょう。単語を探すのも勉強になるみたいですから」


椎名くんが英和辞典をテーブルに置いた。

私はそれを自分の手元に置き直す。


「はい」


そして勉強会が始まったが、予想通り、会話は一向に進まなかった。

会話内容は好きな食べ物を教え合うと言う他愛も無い物だったが、相手が何を言っているのか分からないし、自分も何と応えて良いのか分からない。

あうあうと目を回しながら辞書と格闘していると、椎名くんが溜息を吐いた。


「すいません、ちょっと、トイレに……、あ」


椎名くんが立ち上がった瞬間によろめいた。

ソファーに尻餅を付き、肘掛けに凭れ掛かる。

その様子を見て明らかな異常を感じた私は、辞書を閉じて立ち上がった。


「大変! 顔、真っ青ですよ!?」


勉強なんかしてる場合じゃない。

当然、他意は無い。


「真句郎、保健室に」


「はい」


真句郎が素早く椎名くんをお姫様だっこした。


「だ、大丈夫ですから。俺に構わないでください。やめてください」


「大丈夫かどうかは保険の先生に判断して貰います」


真句郎は椎名くんを抱き上げているので、私が生徒会室のドアを開けた。


「……どうしたの? 真句郎。早く」


「あ、はい」


なぜか怪訝な顔をして固まっていた真句郎は、我に返って廊下に出た。

保健室は一階の最奥、生徒会室の真下に有る。

近くに階段が有るので、それを降りればすぐに保健室に飛び込める。

が、肝心の保険医の先生が居なかった。


「職員室かしら。それともトイレ? 困ったわね」


保険医の机を見てみると、伏せられた書類の上にボールペンが乗っかっていた。

ちょっと席を外している、って感じだが、いつ帰って来るか分からない状態に変わりはない。

私が困っている後ろでベッドに寝かされる椎名くん。

さっきまで強がっていたのに、今はグッタリとしている。

大分具合が悪そうだ。


「待っていても仕方ない。私は教員トイレへ探しに行くから、真句郎は職員室へ」


「お待ちください、神様」


真句郎は、廊下に出ようとした私を呼び止める。


「何? まさか、この緊急時に私から離れるのは嫌だとか言うんじゃないでしょうね?」


ボディーガードは保護対象から離れる訳には行かない。

真句郎ならそう言うのかと思ったが、返って来た言葉は意外な物だった。


「保険医の先生は男性です。ですので、神様はトイレに行かれない方が宜しいかと」


「え? そうなの?」


保険医は女性だと勝手に思い込んでいた私は虚を突かれた。

考えてみれば、男性の保険医も居て当たり前だ。

ここは男子校なのだから、むしろ男性保険医が勤務している方が自然だろう。

って言うか、理事長なのにこんな勘違いをしたのは問題かも知れない。

後で松永にそう伝えてみよう。


「私が探しに行って参りますので、神様は椎名さんの看病をお願い致します。椎名さんを一人残してしまうのも心配ですから」


「確かにそうね。お願い」


「先生が見付からなくてもすぐに戻ります。では」


一礼した彼は、早足で階段を登って行った。

まずは二階の職員室を見に行くのか。

素直に私を一人にさせてくれるなんて珍しい事も有るもんだ。

まぁ、柔軟性を持って事に当たるのは良い事だ。

保健室のドアを閉めた私は、毛布の中で横になっている椎名くんの様子を窺ってみた。

相変わらず顔が青いが、意識はしっかりしていた。

って言うか、私を思いっ切り睨んでいた。


「あの。何でそんな目で見られないといけないんですか。保健室に来たくなかったんですか?」


「来たくありませんでした。ですが、ボディーガードさんには気付かれたみたいですから、もうどうしようもありません」


「何がですか?」


彼が何を言っているのか分からない。

具合が悪いせいで朦朧としていて、訳も分からず独り言を呟いているのだろうか。


「こんなに早くバレるとは思いませんでした。参ったな……」


椎名くんは両手で顔を覆う。

どうしてそんなに憔悴しているのか。


「えっと……もうすぐ保険医の先生がいらっしゃいますので、気を確かに持ってください」


励ましながら掛け布団を掛け直そうとしたら、ガッシリと手首を握られた。

病人とは思えない力だが、シットリとした熱っぽさが有る。

具合が悪い事に間違いは無い様だが……。


「でも、バレたのが理事長で良かった。保険医の先生が来る前に、理事長に協力をお願いしたいんです」


「協力ですか? 私に出来る事なら何でもしますが」


嫌われている私が親身になってあげているのに、椎名くんは顔を逸らしてモジモジし始めた。

最高にイラっとする態度だ。

中々続きを言わないので、「んん?」と喉を鳴らしながら首を傾げる私。

その催促に負けた椎名くんは、やっと口を開く。


「実は、その……俺は、実は女なんです」


「……は?」


「具合が悪いのは、生理が重くて……。つまり、貧血です」


「せ……」


絶句する私。

私の手を離した椎名くんは、再び私を睨む。


「だから、保険医の先生が来たら、理事長からも何でもないって言って欲しいんです。その、具合が悪い部分を調べられたくないので……」


椎名くんの頬が気の毒な位に赤くなっている。

ウソ……ではないだろう。

そんなウソを吐く意味が無いし。


「でも、どうして男装してまで男子校なんかに……? 私が言える事ではないですけど……。それに……」


私は混乱しているせいで思考が纏まらず、言葉が途切れ途切れになる。

その時、スリッパで歩く足音と、運動靴で歩く足音が聞こえて来た。

放課後で校舎に人が居ないせいで良く響く。

運動靴の方は真句郎だ。

生徒達とは違う靴を履いているので間違いない。

と言う事は、スリッパの方は保険医の先生か。

こちらに向かって廊下を進んでいる。


「うん、冷静になろう、私」


深呼吸の後、笑顔を消して椎名くんの瞳を強く睨み返す。


「椎名くんには複雑な事情が有るんですね?」


「はい」


「詳しい話は後で聞きます。そうね、後日、こっそりと理事長に呼び出し、かな。良いですね?」


「仕方が有りません。まな板の上の鯉になります」


椎名くんが観念したところで、白衣を着た男性が保健室のドアを開けた。


「すまんすまん。職員室に用事が有ってな。で、どうした? お前は……生徒会の椎名か」


保険医の先生がベッドを覗いたので、椎名くんは毛布を鼻まで被った。

視線が私を縋っている。

やれやれ。

彼、いや彼女を裏切れないので、私は笑顔を先生に向けてウソを吐く。


「今、やっと事情を説明してくれました。どうやら徹夜をして気分が悪くなっただけの様です。しばらく休めば大丈夫かと思います」


「徹夜か。生徒会役員が不摂生は感心しないな」


「すみません……ちょっと休めば大丈夫ですから」


椎名くんは毛布の下でモゴモゴと言う。

保険医の先生はそれ以上追及せず、自分の席に座る。


「放課後だから下校時間まで寝ても良いが、熟睡はするなよ。今夜も眠れなくなるだろうからな」


「いえ、眠りません。気分が良くなったらすぐに戻ります」


「無理すんなよ。――理事長さんは?」


保険医の先生は、ボールペンを手に取りながら私に話を振る。


「椎名くんに付き添う事にします。大丈夫そうなので必要無いかも知れませんが、心配なので」


「分かった。俺は仕事をしているから、何か有ればすぐに言ってくれ」


保険の先生は机に向かい、伏せられていた書類の整理を始めた。


「はい」


先生の動きを確認しながら返事をした私は、椎名くんの耳元で囁く。


「今日の勉強会は、もうお開きにするしかないでしょうね」


「はい。すみません」


私は背筋を伸ばし、執事服のボディーガードに真顔を向ける。


「真句郎。生徒会室の後片付けをお願いします。椎名くんが元気になったらそのまま帰るので、その様に」


「畏まりました」


真句郎が保健室から出て行ったのを見送ってから、再び椎名くんの耳元に口を近付ける。


「ナプキンは大丈夫ですか? シーツに跡が残ったら先生に気付かれますよ? 私のを貸しましょうか?」


「あ、そうですね。不安ですので、もう起きます。ポケットティッシュに偽装させた自分のが有るので大丈夫です」


ゆっくりと起き上がる椎名さん。

顔色が悪いままなので、保険医の先生に不審がられない程度に肩を貸してやる。

さて、退屈で忙しい学園生活に波乱の影が出て来たぞ?

理事長が抱く気持ちじゃないだろうが、ちょっと面白くなって来た。

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