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お金持ちの神さま  作者: 宗園やや
5/13

4

風紅学園入学式での理事長挨拶を終えた私は、早足で舞台裏に引っ込んだ。


「うはぁ~……緊張したぁ~」


男子達と同じ詰襟の制服を着ている私は、胸を押さえながら深呼吸する。

心臓の動きが激し過ぎて辛い。

ちなみに下は女子用のキュロットスカートになっているので、全てが男子と同じ格好と言う訳ではない。


「神様。なぜ原稿を読まなかったのですか」


メガネでスーツの女性が私を叱る。

彼女の名前は松永塁子。

理事長修行の教育係を担当している人だ。


「だって、緊張して出番を待っているのに、お偉いさん達の話が長くてウンザリしちゃったんですもん。生徒達もウンザリしているって分かるから、私まで長話をする気にはなりません」


「神様。普通のお水ですが、どうぞ」


黒い執事服の男性がコップを差し出して来た。

舞台裏は薄暗いので、気配を消されると闇に紛れてしまう。


「ああ、綿師さん。居たんですか。暗くて分かりませんでした。ありがとう」


緊張で渇いた口内を潤す。

一息で飲み干せるほど美味しい。


「良いですか、神様。貴女には、これからも人前で演説をする機会が沢山有るんです。最初から逃げていては先が思いやられます」


「別に逃げた訳じゃ……。そもそも、入学式の長話なんか誰も聞いていませんよ。松永さんだって学生時代はそうだったはずです」


空になったコップを綿師さんに返した私は、子供っぽく唇を尖らせる。


「そう言う問題じゃありません。神様は学生ですが、この学校の理事長でもあるんですよ。学生気分で仕事をされては困ります」


松永さんの小言が始まった。

学校が始まる前に風紅学園の校長やお偉いさん達と顔合わせの挨拶をしたりしたのだが、松永さんはその時から私を叱りまくった。

一挙手一投足にケチを付けて来る感じ。

理事長職について何も知らないんだから仕方ないとは思うのだが、それにしても叱り過ぎだ。

ウチの使用人達ならちょっと目を潤ませてやれば何でも許してくれるんだけど、松永さんには通用しない。

私の幼い容姿が通用しない人は苦手だ。


「松永さん。そろそろ式が終わります。続きはまた後で」


綿師さんが割り込んで来て、やっとお小言が終わった。


「そうですね。生徒達が退場した後、一番最後に教室へと向かってください。理事長がコソコソと生徒達に合流するのは示しが付きませんから」


松永さんは、神経質そうにメガネを指で押し上げながら言う。


「はい」


仕事から解放された私はほっと胸を撫で下ろす。

その仕草を見てまた叱り始める松永さん。


「学園内では構いませんが、大人の前では子供みたいな仕草をしない様に。それと、私共の名前は呼び捨てでと言って置いたはずですが?」


理屈は良く分からないのだが、私は使用人達を呼び捨てにしないといけないらしい。

綿師さんだけは名字の語感がややこしいので、名前の方を呼べと言われた。


「年上を呼び捨てにするのは、どうにも慣れなくて。気を付けます」


「結構。放課後は真っ直ぐ理事長室へお越しくださいませ。では、私はこれで」


一礼の後に舞台裏を後にする松永さ……おっと、呼び捨てか。

うーん、難しい。


「では、神様。教室へと向かいましょう。薄暗いので足元にお気を付けください」


「はい」



綿師さんに先導された私も裏口から講堂の外に出る。

良い天気だが、今の私にそんな事を気にする余裕は無い。

なぜなら、いよいよ教室に向かうからだ。

普通なら絶対に見る事が出来ない男子校の姿を目の当たりにしなければならない。

正直、お偉いさんと会うより、教室に行く方が怖い。

入学式で理事長としての挨拶をした時に講堂内を見渡したら、本当に生徒全員が男子だった。

教室内も、全員が男子だろう。

マジ怖い。

膝が笑うくらいに。

だが、ここまで来て泣き言を並べるほど私は根性無しではない。

心の動揺を顔に出さず、通常の歩行スピードで中等部の廊下を進む。

目指すは1年1組。

そこが私のクラスだ。

意外と綺麗に掃除されている廊下に人影は無い。

全員が教室内で大人しくしているのかな?

物音はするが、騒がしくはない。

さすが名門校、お行儀が良いみたいだ。

同年代の男子と言えばちょっとおバカで汚くて騒がしいってイメージだったから、唯一の女子をからかったりするかもと心配してたんだけど。

ちょっとだけ不安が和らいだ。

うん、案ずるより産むが易し、って奴かも。

ここに来てから今までずっとそのパターンだったから、プレッシャーを感じ続けているのはストレスの無駄使いかも知れないな。

リラックス、リラックス。

そして到着、我が教室。

教室のドアは全開になっていて、中が丸見えだった。

やはり全員が男子。

無意味に二度見してみても全員が男子。

周囲との雑談はしているが、全員が自分の席に座って中学校生活最初のホームルームが始まるのを持っている。

最前列に座っている男子が、入り口で棒立ちになっている私に気付いた。

それを切っ掛けにして、次々と私に顔を向けて来る男子生徒達。

最終的には二十四人のクラスメイト全員が雑談を止め、無言で私を見詰めて来た。

何の反応も無くただ見られると、どう対処して良いか分からない。

まぁ、男子達にしてみても、ただ突っ立っている私にどう反応したら良いのか分からないか。

男子校のはずなのに、なぜか女子がクラスメイトに居る訳だし。

だから薄く微笑んで愛想を振り撒いてから教室に足を踏み入れる。

笑顔なら何も言わなくても友好的な雰囲気を作れるから。

何より、恐怖している本心を表に出したら下に見られる。

クラスの中での精神的な序列は一番気を付けなければならない。

その上下により学校生活は楽しくなったり地獄になったりする、と母に教えられた。

小学校時代は中の上くらいの地位を維持していたが、ここでは最初から一番上に立たされた。

嫌われない様に最初の印象を大切にしなければ。



さて。

確か、それぞれの机に名札が置いてあり、それを目印に自分の席を探すんだよな。

と言っても既に私以外の全員が座っているので、空いた席が私の席だろう。


「……え?」


空席は最後尾の中心に有った。

それを見付けた途端、私から微笑みが消える。

他のクラスメイト達の机は普通に良く有る学校の机って感じの物だけど、その空席だけは校長先生の机を私サイズに縮めた感じの物だったから。

椅子も皮張りのオフィスチェアで、他の子達とは全く違う。

そんな机の上には数種類の名札が置かれてあった。

ロッカー用のプラスチック板の名札。

体操服用の布製の名札。

そして、安全ピンで制服の胸に留める普通の名札。

全てに甘衣神と印刷されている。

間違い無くここは私の机だ。

それを確認した後、新しく買って貰ったピンクの携帯を取り出して電話を掛ける。

校内は携帯禁止だからこっそりとメールを送った方が良いんだろうが、頭に血が上っていてそこまで気が回らなかった。


『どうなされましたか?』


すぐ電話に出た松永さんに声を顰めて怒鳴る私。


「松永さん! 私の机が特別な感じなんですけど、どう言う事ですか?」


『神様。呼び捨てで』


「話を逸らさないで。これは明らかにおかしいでしょう! 説明してください!」


こそこそと電話をしている私に集まるクラスメイトの視線。

それから顔を背けて通話を続ける。


『風紅学園には、やんごとない身分の御子息が通われる場合が有ります。そのお方が望めば、特別仕様の環境にする事が出来るのです』


「なるほど。ですが、私はそんな事望んでいません!」


『ええ、存じております。そう言うシステムも有る、と言う事を実際に行って見せただけです。もっとも、これは大正明治に出来た特例で、近年は誰も利用されませんが』


「ならなぜした」


私は声を低くしてマジギレする。

不安に打ち勝とうとする覚悟や、環境をより良くしようとした努力を、全て無駄にされたと感じたから。

なのに、松永さんは何故か嬉しそうな声色を返して来た。


『申し訳ございません。もうそろそろホームルームが始まる時間ですので、話の続きは神様が理事長室にいらした時にしましょう』


「……分かりました。では」


電話を切ると同時にチャイムが鳴った。

すぐに先生が来るだろうから、渋々皮張りの椅子に座る。

うわーい、フカフカだぁ。

と素直に喜べたら良いのだが、男子達のいぶかし気な視線が痛い。

明らかにこの机が異様だと思われている。

まずい。

これは超まずい。

居心地が悪いなんてレベルじゃない。

呼ばれていないお客様状態に近い。


「おい、そこのお嬢様。どう言うつもりだ、そりゃ」


冷や汗塗れで名札を見詰めていると、そんな声がした。

言ったのは窓際最後尾に座っている茶髪の生徒だった。

染めた髪は男にしては長く、制服の前が肌蹴ていて赤いシャツが見えている。

浅く椅子に座っているその姿は、分かり易く不良のそれだった。

名門校でもこう言う生徒が居るのか。


「あの、その、この机と椅子は、えーっと……」


家の者が勝手にやった、と言い掛けて言葉に詰まった。

松永さんは、少なくとも家族ではない。

教育係が勝手にやった、と言うのも理事長の威厳的な物に影響しそうだから言ってはいけない気がする。

そんな事を考えていたせいで黙ったままになっていたら、不良くんが調子付いた。


「机じゃねぇよ。教室にお守を連れて来てどう言うつもりだ、って訊いてるんだよ」


「お守?」


最初は何を言っているのか分からなかったが、私と不良くんの間に居る男子生徒の視線が私に向いていない事に気付いてハッとした。

そう、クラスメイト達は私を見ていた訳ではなかったのだ。

正確には私も見ていたが、それよりも私の後ろの方が気になっていたのだ。

緊張や不安や特別な机のせいで周りが見えていなかった私は、そこでやっと真後ろを振り向いた。


「……信じられない」


そこには厳しい目付きで不良くんを睨んでいる綿師さんが居た。


「こんな所にまで入って来るなんて常識が無いとしか思えません。――今すぐ出て行ってください」


引き攣った笑顔でそう指示したが、綿師さんはクラスメイト達の視線を気にせずに首を横に振った。


「勿論授業中は退室しますが、それ以外の時間は常にお側でお仕え致します。させてください」


「そうする様にと命令されているんですか?」


「いえ。私の独断です。男子に囲まれて不安そうな神様を見ていたら居ても立っても居られず」


私は手を翳して綿師さんの言葉を遮る。


「そう、ありがとう。でも心配無用です。すぐに出て行きなさい。今後は教室には立ち入り禁止です」


「ですが――」


食い下がろうとする綿師さんを睨み付ける私。

口は笑っているが目は笑っていないと言う表情で。


「真句郎」


名前を呼び捨てにされ、私が本気で怒っている事を察した執事服のボディーガードは、「失礼しました」と頭を下げてから教室から出て行った。

それを見送ってから、クラスメイト達に自然な笑顔を向ける。


「お騒がせして申し訳ありませんでした。色々と特殊な事情が有って、私も自分の立場に慣れていないんです。不手際をお許しください」


座ったまま頭を下げると、クラスメイト達は思い思いに会釈などを返してくれた。

ここが名門校で良かった。

もしもそこらの中学校だったら、校庭に野良犬が紛れこんだ時の様な大騒ぎになっていただろう。

不良くんだけは納得行かない顔で私を睨んでいたが、タイミング良く若い男性教諭が教室に入って来たので口を噤んでくれた。

やれやれ、全く。

どいつもこいつも勝手に変な事をしやがって。



溜息を噛み殺して教卓に顔を向けると、先生と目が合った。


「何か変な執事が廊下に居たが、俺は気にしなくても良いのかな?」


「はい。後で叱っておきますから、今は気にしないでください。すみません」


「やっぱり理事長の関係者か。それと、女子って部分以外は他の生徒達と同じ扱いにしろって言われているが、それで良いのかな?」


「はい。それでお願いします」


「分かった。良し。じゃ、ホームルームを始めるぞ。まずは自己紹介だな。俺が一組の担任の田村育夫だ。よろしくな」


思い思いに会釈を返すクラスメイト達。

何か、みんな静かで真面目だなって印象。

お調子者の男子、みたいなのは居ないみたいだ。

いや、一人だけ例外が居たな、と思いながら不良くんを見たら、睨み返された。

うへぇ、参ったな。

いきなり嫌われるのは予想外だったが、不良と言う奴は何にでも噛み付くイメージが有るから、これはもう仕方ないのかも知れない。

出来るだけ早く味方を作るしか対抗策はないだろう。

他の子達にどう思われたのかは良く分からないが、真面目で静かな子ばかりなので、助けを求めれば状況が悪くなる事はない、と思う。

そんな企みをしている私に構わず、先生は安全ピンで胸に留めるタイプの名札の説明をしている。

最近は治安の問題とかで名札を付けない学校が有るが、この学園でも普段は名札を着けなくても良いそうだ。

しかし外部からの特別講師がいらっしゃったり、その他様々な特殊な場合のみ、この名札を着けなければならない。

だから、指示が有ったらすぐに着けられる様に常時所持していろ、との事だった。

話は続く。

新しい教科書は、このホームルームが終わった後、業者の人がそれぞれの机の上に置いて行ってくれるらしい。

明日は全ての教科書を持って帰れる様に大き目のバッグを持って来いとの事。


「最後に、いきなりだが級長を選ぶ。入学初日で誰が適任かは分からないと思うので、先生が指名するぞ」


先生は手元の資料に目を落とす。


「えーと、渡哲雄。渡くん、起立」


「はぁ?」


反応したのは茶髪の不良くんだった。


「お前か。この学校では珍しく活きが良さそうな奴だな。お前が級長に決定だから、宜しくな」


「おい、ちょっと待てよ。強引過ぎんだろ。何で俺が級長なんだよ」


不良くんこと渡くんは、椅子を鳴らして立ち上がった。


「お前の父親がそうしろと言って来たんだから、文句はお前の親父に言ってくれ」


「何だよそれ」


「まぁ、中等部最初の級長なんて、そんなに面倒な事は無いだろう。二学期からはちゃんと投票で選ぶから、それまで我慢しろ」


先生は「以上だ」と大声で言って渡くんの抗議を強引に遮った。

そして腕時計を見る。


「丁度良く終わったな。明日はレクリエーションとか部活説明とか有るから、そのつもりで。じゃ、気を付けて帰れよ」


言い終わると同時にチャイムが鳴ったので、先生は教室を出て行った。



これで初日は終わりか。

クラスメイト達も立ち上がり、適当にグループを作って雑談したり、素早く帰って行ったりしている。

真面目な生徒達も、放課後は年相応の男子って感じだ。


「おう、神様。お前理事長なんだろ? 理事長権限で級長変えてくれよ。自分で言うのもなんだけど、俺は級長ってガラじゃねぇんだよ」


渡くんが横暴な事を言って来た。

初対面なのにこの距離感はさすが不良と言ったところか。

人見知りしない私でも、いきなりタメ口はしない。


「そんな事出来る訳無いじゃないですか。私だってここに来たばかりで右も左も分からないんですから」


「何だよ。神様のクセにお願いも聞いてくれないのかよ」


半笑いで言う不良くんに向けて、私は大袈裟に溜息を吐く。


「私の名前弄りは正直飽きてます。小学校の六年間、ずっと言われ続けていましたから」


重量感有る机に手を突いて立ち上がった私は、腰に手を当てて胸を張る。


「ここは名門校だと聞いていたので、そんな子供っぽい事を言われずに済むと思っていたんですけどね。残念です」


「な、なんだと? 俺にそんな口きいて良いと思ってるのか?」


「あら、イジメでもするんですか? 貴方が何様かは分かりませんけど、理事長に何かしたら、誤魔化し様も無く退学になると思いますけど?」


「ぐ……」


「安直な名前弄りをしちゃう貴方にも分かり易い様に、特別仕様のこの机はこのままにしておきましょう。私が理事長である事を忘れられない様に。とても嫌ですが、仕方ないです」


不良くんは分かり易く悔しそうな顔をした。


「級長頑張ってください。不満が有るなら、貴方が直接お父さんに訴えてください」


「それが出来れば……こんな事言わねぇよ」


「親友の悩みだったら何とかしてあげようと考える事も有るでしょうが、初対面の貴方にそこまでする義理は有りません。――では、また明日」


彼にも面倒臭そうな家庭の事情が有りそうだ。

ちょっとだけ親近感が湧くが、多分、友達にはなれないだろうな。

私にも面倒な事情が有るんだから、他人を気に掛けている場合じゃない。

って事で、私はこれから理事長室行きだ。

目が合ったクラスメイトに笑顔の会釈を返しながら廊下に出る。

予想通り出入り口のすぐ脇で執事服の男が控えていたが、無視して階段を登る。

おかしい。

私はこんなにもズバズバと物を言う性格ではなかった。

名前を弄られても「やめてよー」と言うくらいで、あそこまで咎めたりはしなかった。

周りの大人は他人だらけな上、頼れるはずの祖父からこんな試練を課せられたので、精神的に成長したのだろうか。

そうだったら良いなと思いながら踊り場を過ぎ、そして階段を登った。

教室は初めてだったが、二階の真ん中辺りに有る理事長室は何度か入っている。

だから迷い無く職員室の前を通り過ぎ、校長室を通り過ぎ、その他色々な部屋を通り過ぎて理事長室の前に立つ。

普段は鍵が掛かっているが、今は開いているだろう。

自分の仕事部屋なのでノック無しでノブを回し、中に入る。

高級そうな絨毯と応接セット。

そして、教室に有った私の机を巨大にした感じの理事長席。

間取りや家具は校長室と同じ形にされている。

多分、他の学校の校長室にも似ているだろう。

違うのは、トロフィーや調度品が無く、殺風景なところ。

学校の中の一室なのと、訳有り理事長と言う理由から、敢えて質素にしているんだそうだ。

それと、理事長席が二人掛けなところ。

私と教育係が並んで座れる様にそうなっている。

その教育係の席に、メガネの女性が座っていた。


「呼び捨てで良いんでしたよね? 松永。私の席を勝手に特別仕様にした理由を聞かせて貰いましょうか」


私は不機嫌を表情に出しながら言う。

人前でマイナス方面の顔をするのは母のしつけに反するが、この女には私の見た目が通用しないので構わないだろう。

松永は書類を畳んでから立ち上がり、理事長席の前に出て来る。

そして私を小馬鹿にする様に微笑んだ。


「あら。そこまで怒られますか。少し意外ですね」


その態度にカチンとする私。

だが、ここでキレる様な育てられ方はしていない。

あ、そうか、分かった。

先程、教室内で余計な事を言ったのは、無意味に感情的になるなと叱ってくれた母親が居なくなったからだ。

つまり、母親のしつけを忘れて感情的になってしまったのだ。

成長ではなく、我を出してしまっただけなのだ。

気を付けなければ。

可愛さで他人を油断させられない私は、そこら辺に居るただの人になってしまう。

重大な間違いに気付けた私は冷静を意識する。


「特別待遇なのは嫌じゃありません。私も女の子です。お姫様扱いされたいって言う夢を持ってたりします」


私は感情を押し殺しながらゆっくりと歩き、肘掛けに手を添えながらゆっくりと理事長席に座った。

大人二人は席の前に並んで立ち、気を付けをして私の言葉に耳を傾けている。


「今の状況は、ある意味その夢が叶っていると思います。それは良いんです。あの電話の後に事情が変わったので、特別仕様の机もそのままでお願いします」


「では、何が問題ですか?」


肩を竦める松永に笑顔を向ける私。


「私はここに失敗も有り得る修行に来ているんです。特別扱いを受けていて途中退場したら、猛烈に格好悪いじゃないですか」


「あら。神様はご自身が失敗なされるとお思いですか?」


「可能性は有るでしょう。そうじゃないと修行じゃないでしょうし。逆に訊きますが、松永は私が失敗するとは思わないんですか?」


「絶対に成功させるのが教育係としての責任ですから、それは考えません」


「なるほど。なら、しょうが有りません。……では済まないんですよ」


二の腕が痒かったので、詰襟制服の上から掻く。

こう言う行動も人前ではしないのだが、怒りのせいで地が出てしまっている。

感情のコントロールはなかなか難しい。


「そもそも、どうして松永は私を特別扱いしたんですか? それのせいで教室内の雰囲気が悪くなったら修行どころではなくなるんですけど」


「人の上に立つ人間は、周りに立場を納得させる為の威厳が必要ですから。もしも雰囲気が悪いと感じられたのなら、それは神様の威厳不足です」


「威厳を示す為の特別扱い、と言う事ですか……」


渡くんが妙な事をしない様にと特別仕様の机を残した私の行動がそれだろう。

私はただ牽制しようとしただけだったのだが、図らずも松永の思惑を利用した事になる。


「まぁ、そこは分かります。偉い立場に居る人が頼りなかったら不安になりますし。ですが、この学園の生徒が教室で威厳を出す意味は有るんですか?」


「意味が有るのかと問われましたら、有ります。それは今回の修行に必要な要素ですので、今は説明しません」


「ここで納得が行く説明が出来ないのなら、学校生活関係の特別扱いは止めてください。私は失敗を考えていますから、目立つメリットが有りません」


「唯一の女子が目立ちたくないと仰られても、どうにもならないと思いますが」


「とにかく! 私は目立ちたくないんです! 良いですね?」


私は眉尻を上げて怒る。

まぁ、パッツン前髪に隠れて眉は見えないんだが。


「それは理事長としての命令ですか? それとも、個人的なお願いですか?」


松永は私の怒りを意に介さず、冷静に返す。

その質問に違和感を覚えた私は、感情を徹底的に殺す為に数秒掛けて深呼吸した。


「何か含みが有る言い方ですね」


「教育係として、否定しません」


「それは……どう言う意味ですか?」


「言葉通りです」


何だか意地の悪い雰囲気だが、そこばかりに拘っていては話が前に進まない。

今は私の学校生活の方が大切だ。


「頼んでいない事を勝手にやらないでくださいと言うのは、個人的なお願い……になるでしょうか。理事長としても、生徒が望んでいない特別扱いはどうかと」


「分かりました。理事長と言う立場に関係無い部分での特別扱いはしません」


「お願いします。今後何かをする時は、事前に知らせてください」


「こちらに特別な事情が存在しない限りは、その様にしましょう」


「含みの有る言い方を気にしてたらラチが明かないので、もうそれで良いです」


メガネの女性に頷いた私は、怒りを押し殺した表情で執事服の男性に視線を移す。


「そして、真句郎。貴方はまともな人だと思っていたんですが、まさか教室の中にまで入って来るとは思いませんでした」


「申し訳有りません。配慮が足りませんでした」


真句郎は深々と頭を下げる。


「そもそも、学校関係者じゃない人が校内に入るのは問題が有るんじゃないですか? それが常識でしょう?」


お言葉ですが、と松永が口を挟んで来た。


「風紅学園では、届け出が有ればコックや執事が常時滞在する事が可能です。ボディーガードは前例が有りませんが、校則では問題有りません」


「じゃ、居ても良いのか。当然、届け出は済ませてあるでしょうし」


「はい」


頷く松永。


「でも、さっきも話しました様に、私は学校の中では無意味に目立ちたくありません。今後は校内に入らないでください」


「それでは神様を守れません。ご容赦を」


再び深く頭を下げて懇願する真句郎から顔を逸らした私は、子供っぽく頬を膨らませる。


「嫌です。大人がウロウロしていたら他の生徒の迷惑にもなりますし。絶対にダメです」


捨てられた子犬みたいな顔になった真句郎の代わりに松永が口を開いた。


「神様の身の安全上、校内に入るな、は問題が有ります。教育係権限により、その命令は無効とさせて頂きます」


「どうして」


「勘違いされない様にハッキリ言います。性犯罪が起こってからでは遅いからです」


「性犯罪って……」


生々しい言葉に私は困惑し、思わず顎を引いてしまう。


「風紅学園は名門ですので、生徒達は真面目で分別が有ると先生方は信じています。生徒達もそう思っているでしょう。ですが、人間には魔が差す事が有ります」


松永は厳しい表情で私を見る。


「本気の男子生徒数人に囲まれた場合、神様は一人で逃げられますか?」


「そ、それは……」


中学生ともなれば、男子の身体は急激に大きくなる。

簡単な護身術程度なら小学校の授業で習ったが、身体の小さい私が男性を撃退出来るとは思えない。

大勢に襲われたらどうにも出来ないだろう。


「神様が多蛇宮の血縁者である事が知れ渡れば、良からぬ事を企む者が現れる確率は格段に上がります。ボディーガードの存在は必須になるでしょう」


「必須、ですか……。分かりました。他の生徒から苦情が出ない限りは、校内への真句郎の立ち入りを許可しましょう」


仕方なくそう言うと、真句郎は「ありがとうございます」と言いながら深々と頭を下げた。


「取り敢えずは、こんなところかな。以上です」


一区切り付いたので、私は溜息と共に背凭れに身を沈めた。


「お茶を淹れますね」


背筋を伸ばした真句郎が流しの方に行く。


「あ、お願いします。今日は疲れました」


言いながら詰襟のホックを外し、深呼吸する。

男子達と同じ型の制服は首元が少し苦しい。

区切りが付いたので、松永が机の上に広げていた書類を纏め始めた。

今日はこれから何をするのかと考えながらそれを眺めていると、疑問に感じていた事を思い出した。


「そうそう。ホームルーム前に電話を掛けたでしょう? その最後、妙に嬉しそうな声を出しましたよね。アレは何?」


「気になりますか?」


「はい。あからさまに不自然でしたもん」


「特別扱いの沙汰が済んだのでお応えしましょう。この修行は、神様がどう言うお人かを見る為の物、ですよね?」


言いながら私の隣に座る松永。


「今朝の様な特殊な状況に直面した時に、神様がどう言う反応をするのか――。それを会長にお伝えするのも私の仕事なんです」


「会長ってのは、私のお爺さんですよね。お爺さんにそんな事まで報告するんですか?」


「会長はお忙しいので、実際に報告を受けるのは秘書の方ですけどね。会長のお耳に入るのは重要な事柄のみでしょう」


私は七三分けで高級そうなスーツを着ていた秘書さんの姿を思い出す。

多分あの人だろう。


「私が何かを判断する事はありませんが、今朝の神様の反応は正解だったと思います。そう思ったら、嬉しくなったのです」


「正解?」


「ええ」


松永は纏めた書類を引き出しに仕舞いながら口角を上げる。


「特別な席に疑問無くふんぞり返る。嫌だと思いながらも渋々座る。どちらの行動もマイナス点だったと私は思います。――ネタばらしをすると、これが教室で威厳を出す意味です」


ふんぞり返るのは慢心。

与えられた環境に反抗出来ないのは消極的。

しかし私は自らの意見を通して最適な環境を作ろうとした。

それが正解だったと松永は言う。


「失礼を承知で言いますが、最初に神様と会った時、可愛らしく、大人しく、周りに流される子だと思いました。だから修行が必要なのだと」


メガネを押し上げた松永は、どんな感情が籠っているのか良く分からない目付きで私を見る。

プロの教育係なので、教え子に対してどんな感情を持っているかを表情で気取られない様にしているのだ。

教育係に『こいつ物覚えが悪いなぁ』と言う顔をされたら、普通の子ならやる気を無くすから。


「ですが今は、神様は将来有望だと感じています。神様のお言葉には、会長の血筋を感じられます。目立ちたくないと言う部分以外、ですが」


お盆に二人分のお茶を乗せた真句郎が戻って来て、理事長席にカップを置く。

中学生の私は、ウサギ柄のカップに淹れられた薄目のカフェオレ。

恐らく三十路の松永さんは、数個の角砂糖が添えられたブラックコーヒー。


「私はまだ二十代ですけど?」


「え?」


「それはともかく。神様を見た第一印象では、教育係として不安が有りました。その不安が今朝、取り除かれた。だから嬉しかったのです」


松永は角砂糖を全部入れてからコーヒーを啜る。


「なので、神様が理事長として独り立ち出来る様にビシバシしごきます。覚悟しておいてくださいね」


私は苦笑いするしかなかった。

ただ単純に面倒事を退けたかっただけなんだが、どうやら自分の首を締めてしまった様だ。

偉い人はゆるーく生きているってイメージが有ったんだけど、違ったらしい。

先行きは不安だが、真句郎が淹れてくれたカフェオレは美味しかった。

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