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眠りから覚めた私は、まどろみや二度寝も無くベッドから降りた。
今までは固いせんべい布団で眠っていたので、新品で柔らかいベッドでは落ち着いて眠れなかった。
寝付きが悪かった昨晩は寝返りを打ちながらそう思ったのだが、睡眠不足特有のダルい感じは無い。
結局は良く眠れていた様だ。
さすが高級品。
広い寝室を横断した私は、カーテンを開けて朝日を取り入れる。
窓の外は学校を囲う金網と植木。
校舎は反対側か。
「この付近だけ有刺鉄線だ。侵入防止って奴かな」
覗きの心配が無い事を確認した私は、カーテンを開けたままでクローゼットに用意されていた部屋着に着替えた。
妙にゆったりとした服しか無かった。
って言うか、普通のサイズばっかりだ。
私の身長が平均よりもかなり低い事は伝わっていなかったか。
ウエストの線が出る服は苦手、って言うか幼児体型のせいで似合わないからこれでも良いのだが、袖や裾がそこら辺に引っ掛かって危ない。
新しい服が欲しいが、学校が始まれば一日の大半を制服で過ごす事になる。
学校が終わって夜の自由時間になったらあんまり動かないので、ゆったりめの私服でも問題は無いと思う。
だから有り物で満足しても良いけど……。
「まぁ良いや、お腹空いた」
ええと、ご飯が欲しい時は内線電話でラッキーさんにお願いして持って来て貰うんだっけ。
昨晩の夕飯の時、一階に降りたら執事の遊坂さんにそう言われた。
一階は使用人が生活する場、二階は主人が生活する場、と区切られているらしい。
だから二階に私専用のお風呂やトイレが有り、二階から降りなくても問題無く生活出来る様になっている。
例えば動きたくない気分の休日とかは、本当に動かなくても食事を抜かずに一日を過ごせるのだ。
金持ちってのはみんなこんな生活をしているんだろうか。
なんとも贅沢なんだな。
私は寝室から出て自室に移動する。
そして壁に掛かっている受話器を取って内線ボタンを押した。
するとワンコールで女性が出た。
ラッキーさんの声だった。
『おはようございます。何かご用ですか?』
「えっと、朝ご飯をお願いします」
『畏まりました』
受話器を置いた私は、無駄にオシャレな椅子に座って待つ。
その正面に大きなTVが有ったので、それを点けた。
知らないTV局の名前が画面の端に表示されていた。
別の県に来ちゃってたか。
随分遠くに来たもんだ。
しかし全国ニュースは見慣れたアナウンサー達がやっているから、感慨は微妙。
数分後、執事の遊坂さんが大きなお盆を持って部屋に来た。
「お待たせ致しました。朝食をお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
クロワッサンとかスープとかサラダとか、まるでホテルの様な朝食がテーブルに並ぶ。
椅子に座ったままそれを眺めていた私は、思い付いてTVの音量を下げる。
「えっと、遊坂さん。新生活に必要な物を買いたい時はどうすれば良いんでしょうか。お小遣いとか、貰えるんでしょうか」
「お買い物なら私にお申し付けくだされば。女性用の物なら木佐さんに」
「あ、いえ、服が欲しいなと。用意して貰った服は、ちょっと大きくて」
ブカブカの袖を見せると、遊坂さんは即座に納得して頷いた。
「左様でございますね。では、綿師さんに車を出して貰いましょう。私がお願いして参りましょう」
「お金は……?」
「多蛇宮からクレジットカードが届く予定なのですが、まだ届いておりません。取り敢えずと言う事で、特別に生活費から借りましょうか」
「生活費を使っても大丈夫なんですか?」
「ご心配なさらずに。大丈夫でございますよ」
優しそうなお爺ちゃんって感じの笑顔になる遊坂さん。
「そうですか。じゃ、それでお願いしようかな。でも、こんなに豪華な食事が出て来る様な生活費だと、100万円くらい借りても平気だったりして」
私は冗談で言ったのだけれど、遊坂さんは真面目に頷いた。
「お望みとあらば、ご用意致します」
「ほ、本当に? じゃ、用意してみてください。100万円。本当に用意出来るのなら」
「畏まりました」
深く頭を下げた遊坂さんが部屋を出て行った。
「ほ、本当に持って来たらどうしよう? でもお金が無いと買い物出来ないし……」
不安になりながら朝食を取る。
美味しい。
食事が終わると退屈になったので、TVの音をBGMにしながら部屋の中を探索してみた。
生活に必要な物はそつなく揃っているが、見慣れない新品ばかりなので他人の家にしか見えない。
今まで住んでいたアパートから荷物が届いたら、要所要所に私物を置こう。
そうすれば自然と自分の部屋になるだろう、と思ったところで内線電話が鳴った。
遊坂さんからだった。
『食器をお下げしても宜しいでしょうか』
「あ、はい。お願いします」
『ありがとうございます』
遊坂さんが部屋に入って来て食器を片付けた。
その後ろにはメイドのラッキーが居た。
「確かにお召物がブカブカですね。生活費は私が管理していますので、私の手でお届けに参りました。どうぞお受け取りください」
ラッキーさんは小さなお盆を持っていて、そこに現金を乗せていた。
マンガやドラマで見る帯付きの札束。
「お、おおお!? 本物ですか? 本物の100万円ですか?」
「偽物だったら犯罪です」
「ですよね。えっと、本当にこれを私が受け取っても良いんですか?」
「これは神様の生活費です。生活に必要な物を買う為の物ですので、どうぞご自由に使ってください」
「で、では」
私は札束を持ってみる。
大金に緊張して手が震える。
「ほ、本当にポンと100万円が出て来るなんて……。凄いですね、多蛇宮って」
「神様のお爺様が一生懸命働いて稼いだお金です。ご自由に使っても構いませんけど、どうか無駄遣いしません様に」
ラッキーさんが大人として当然の忠告をすると、空の食器を持った遊坂さんが厳しい声を出した。
「主人に意見する等、有ってはならない事ですよ」
「そうでした。申し訳ございません」
ラッキーさんが深く頭を下げる。
「い、いえ。冗談を言った私も悪かったんです。さすがに100万円は多過ぎですから、10万だけ抜き取っても良いですか? 残りはお返しします」
「畏まりました。お出掛けになる際は、内線で私にお申し付けください。綿師さんに車を出させますので」
お盆を持った執事とお金を持ったメイドの退室を見送った私は、両手で握っている10万円を見た。
一万円札が十枚。
お金だ。
大金だ。
「さ、財布に入れなきゃ!」
卒業式に着ていたワンピースから小銭入れを取り出してみたが、小さ過ぎてお札を入れる事が出来ない。
小学生の頃は、いざと言う時の小銭を数枚持っていただけなので、邪魔にならないサイズで十分だったのだ。
無理やり押し込めば一枚は入るが、それじゃ意味が無い。
何か良い入れ物は無いかと部屋を探ってみたが、それらしき物は無かった。
財布も買わなくては。
仕方なく他所行きっぽい服を着て、そのポケットに札束を入れる。
「大金を裸で持つのは怖いなぁ。服が大きいから落としそうだなぁ。うーん。――まぁ、まだお出掛けするには早いから、ゆっくり考えるか」
しつこく部屋を漁ってみたらブランド物っぽいバッグを発見したので、それに入れてみた。
これはこれで置き忘れそうで怖いなぁ。
そうこうしているとあっと言う間に時間が過ぎた。
ラチが明かないので、結局はバッグに入れる事にした。
しっかりと持てば大丈夫だろう。
「そろそろ出発したいんですけど、大丈夫ですか?」
内線電話を掛けると、やはりラッキーさんが出た。
ふむふむ、こっちからの電話は必ず彼女が取るのか。
『大丈夫ですよ。綿師さんはすでに準備を終えていますので、玄関前に車を回して置く様に伝えます』
「お願いします」
地理を覚える為にも歩きの方が良いかもと思ったりしたけど、車で良いか。
中学の三年間はここで暮らすんだから、ゆっくりと慣れて行こう。
高校もここで過ごすかも知れないと言う不安は有るが、そんな未来の事を考えても仕方が無い。
階段を降りると、執事とメイドが待っていた。
「行ってらっしゃいませ」
遊坂さんが恭しく玄関ドアを開けてくれる。
「ありがとうございます。行って来ます」
お嬢様としてのしつけはされてきたが、本当にお嬢様扱いされると緊張する。
これも金持ちの一員候補になった証なので慣れて行くしかないんだろう。
玄関の前では、真っ黒な高級車が停まっていた。
昨日のワンボックスカーじゃないのか。
「あ、綿師さん。突然お出掛けする事になってごめんなさい。服が必要だったので」
「お気になさらず。これからも遠慮なさらずにドンドンお申し付けください」
「そんな事を言っちゃうと、休みの度にお出掛けするかも?」
「はい。喜んでお運びします」
「あはは……」
私はちょっと引いて笑む。
この言葉を真に受けたら金銭感覚がおかしな事になってしまう気がする。
ポンと100万円が出てくる環境だから、湯水の様にお金が使えるみたいだし。
金持ちのお手本が居ないので、どう言う態度でいるのが良いのか分からない。
「では、どうぞ」
綿師さんが高級車のドアを開けてくれたので、私は後部座席に乗る。
「えっと、部屋着と他所行きを数着買うので、近くて大き目のデパートに行きたいです」
「畏まりました」
高級車が滑る様に走り出し、校門から公道に出る。
これからも利用する道だろうから、窓から外を見て風景を記憶する。
思ったよりも都会らしく、建物が多い。
なので、ほとんど覚えられないままデパートの駐車場に入った。
停車後、素早く車を降りた綿師さんが後部座席のドアを開けた。
私は決して開けてくれるのを待っていた訳ではない。
大金が入ったバッグをどう持つかを試行錯誤していたのだ。
結局、お腹に抱き抱える様にして持つ事にした。
「お荷物をお持ち致しましょうか?」
猫背になっている私を見兼ねたのか、そう言ってくれる綿師さん。
「い、いえ。服を買う為にお金を貰ったんですが、ちょっと額が多くて」
綿師さんは、小声で言う私に困った様な表情を向ける。
「貴重品をお預かりするのも私の役目ですから、不安でしたら私にお預けください」
「え、でも……女物のバッグですよ?」
「無理にとは言いませんが。神様がなさりたい様に」
「うーん。綿師さんを信用していない訳ではないですけど、私のお買い物だから、私がお会計したいって言うか」
「左様でございますか。差し出がましい事を言ってしまい、申し訳ございません」
駐車場に車を止めに来た他の家族連れ達が頭を下げる綿師さんを訝しげに見ている。
「あ、謝らなくても。もう行きましょう」
「はい」
デパートの中に入った私は、周囲を見渡しながら進んだ。
一階には食料品や化粧品等の売り場しか無いので用は無い。
だから上に登るのが最初の目的なのだが、エレベーターを使う気は無い。
折角のショッピングなので、ゆっくりと楽しみたい。
「まずは二階に行って、どんなお店が有るのか探索してみましょう」
背が低い私は、目の前に有る化粧品のポスターしか見えない。
だからウロウロマゴマゴしていると、背が高い綿師さんが棚の向こうに有る動く階段を見付けた。
「神様。エスカレーターはあちらです」
「あ、はい」
春休み中だが、平日の開店直後なので、歩きに不自由するほどの人は居ない。
しかし、大金を持っている事に緊張している私はどうにも動きが悪い。
綿師さんはそんな私を何気なく守ってくれている。
彼が居なかったら、きっと私は不審者みたいにキョロキョロしながら一階を歩き回っていただろう。
そうしてやっとエスカレーターに乗って上階を目指す。
「財布も買わないといけないかな。ええと、財布はどこで買えるのかな。お札が入るしっかりした物なんか持った事も無いから、どこに行けば良いか全然分かんないなぁ」
二階に着くと、目の前には靴売り場が有った。
「あ、靴も買わないといけないのか。でも、こう言う店だと私が履けるのは無いんだよなぁ」
「なぜでございますか?」
「小さい人用の専門店じゃないと、子供向けのしかないんです。小学生ならそれでも良いんですけど、中学生にもなってキャラ物は無いかなって」
「なるほど。それでしたら、ネットショッピングが宜しいのではないかと」
「ネットショッピング、ですか」
「はい。神様のクレジットカードが届きましたらご利用なさってはいかがでしょうか」
「それってパソコンでやる物ですよね。部屋に置いて有るパソコンで出来るのかな」
「インターネット回線は開通しておりますので、問題無く出来るはずです」
「私、パソコンに触った事が無いから、回線とか言われても分かんないんですよね。――そうだ。綿師さんは男の人ですから、そう言った機械に強いんじゃ? 良かったらやり方を教えてください」
「お部屋に入っても宜しいのでしたら」
「全然大丈夫ですよ。パソコンやTVが有る部屋はリビングみたいな物ですし。そのクレジットカードって、いつ頃来るんですか?」
「カード会社の審査がございますので、もうしばらく掛かるかと」
「そうなんですか。じゃ、靴は後回しでも良いか。今履いている奴で何とか誤魔化そう。家が学校の中に有るから、制服に合ってなくても恥ずかしくないし」
財布売り場の前に三階の洋服売り場を見付けたので、そこで部屋着を三着買った。
元が貧乏人なので安物しか選べなかったから、予算が大分余った。
「荷物をお持ちいたしましょう」
レジで会計を済ましていると、カウンターに置かれた買い物袋を綿師さんが持ってくれた。
「え、でも」
「私に仕事をさせてください。でないと、ただ付いて歩くだけになってしまいますので」
「そうですか? じゃ、お願いしちゃおうかな。ありがとうございます」
別の服屋で他所行きを二着買う。
こちらもサイズ的には子供向けしかなかったのだが、このデパートにしてはそこそこ良いデザインの物が売っていた。
良い物だけに値段はそこそこお高かったが、それでも予算が余った。
と言うか、おつりの小銭を裸でポケットに入れるのはちょっと恥ずかしい。
ジャラジャラ音がするし。
だからお店の人に財布が売っているお店を教えて貰い、そこでふたつ折りの財布を買った。
悩んだが、たまごパンダと言うキャラ物を選んだ。
他人に見せる物でもないし、これくらいは可愛い物を使っても良いだろう。
「さて、と。欲しい物は大体買ったけど――折角来たんだから、もっと買おうかな」
ヒマ潰しの本と、それを読む時に食べるお菓子と……。
お菓子の事を考えたせいか、不意に空腹を感じた。
腕時計を持っていない私は適当な店舗の壁に掛かっている時計を探す。
「もうお昼ですね。お金が余っているので、一階で何か食べましょう」
真っ直ぐ一階に降りると、フードコートはすぐ見付かった。
良い匂いがしたし、小さな子供を連れたご家族連れが数組居て賑やかだったから。
「こう言う所で食べるの、結構憧れだったんです。あ、でもラッキーさんが何か作ってくれてるかな?」
「電話で連絡を入れれば大丈夫ですよ。私がメールで伝えておきます」
「あ、じゃ、お願いします。私、たこ焼きとヤキソバのセットを頼もう。綿師さんは何が良いですか?」
「私の事はお気になさらず。主人と同席する使用人は居ませんから」
「でも、私だけ食べるのも気まずいですから、何か頼んでください」
「確かに。では、飲み物を頼みましょうか」
「炭酸が良いですか? それともシェイク?」
「ではオレンジジュースを」
「はい。注文しに行って来ますので、席を取っておいてください」
「あ、私が――」
「荷物持ちは座っていてください。人混みに押されて服に零されても困りますから」
「すみません。お願いします」
そして二人でフレンチな昼食を取る。
「うん、おいしい。想像していたより微妙な味だけど、これはこれで好き」
「それは良うございました」
綿師さんはストローでオレンジジュースを一口飲んだ。
大人の男性なので、一口でも大分減った。
「カードが届きましたら、神様の携帯電話を買わなければなりませんね」
「私の携帯電話?」
「はい。学校内での携帯は禁止されていますが、理事長と言う立場になられますと、無いと不便ですから。今回の様なお出掛けの時にも」
秘書さんに繋がる携帯は持っているが、それとは別の私用の携帯って事か。
男子校で友達が出来るかどうかは分からないが、出来た時の事を考えたら有った方が良いだろう。
「理事長かぁ。どんな仕事をするんだろうなぁ。難しくて面倒なんだろうなぁ」
憂鬱な溜息を吐いた私は、実はちょっと渇いていてそんなに美味しくないタコヤキを頬張った。