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お金持ちの神さま  作者: 宗園やや
3/13

2

こたつに入ってつまらないTVを見る、一人ぼっちな寒い冬。

育った環境が普通じゃなかったから一人でも別に平気だと自分に言い聞かせているけど、吹雪が窓を叩く夜はさすがに怖くて泣きたくなった。

絶対に誰も帰って来ないとなると、やはり寂しい。

だけど、もうしばらくの辛抱だから我慢する。

暖かくなれば、私はお金持ちになれる。

お金持ちになったら、あんな事をする、こんな事が出来る、と妄想しながら布団に潜って無理矢理眠ったりもした。



そして、やっと桜が咲く季節になった。

待ちに待った、と言うのも変だが、六年間通った小学校とお別れをする卒業式。

卒業生はそれぞれが通う中学校の制服を着ているが、私は他所行きのワンピース姿。

黒や紺の制服の中で一人だけ白い洋服だから、思いっ切り目立つ。

事情を知らない父兄にチラチラと見られて恥ずかしいが、未だにどこの学校に行くか分からない状態なので仕方が無い。

クラスメイトにもなぜ制服じゃないのかと訊かれたが、多蛇宮の事は言えないから答えられない。

そんな卒業式が終わり、これで私は小学生ではなくなった。

解散となって教室を出る前に、母が亡くなってから色々と気に掛けてくれた担任の先生に心からの礼を言う。

その礼が終わるのを見計らっていた友人が街で集まって卒業記念に遊ぼうと誘ってくれたのだが、丁重に断った。

一応、卒業式の後に多蛇宮の人が来るとの連絡は受けている。

その人が私のこれからの身の振り方を教えてくれるらしい。

ただ、いつ、どこに来るかは分からない。

校内や校門付近にはそれっぽい人は居なかったので、家の方だと思う。

だから別にすぐに帰らなくても良いとは思うのだが、明日からどうしたら良いのか分からない状態では楽しく遊ぶ事は出来ないだろう。

大勢でキャッキャとはしゃいでる中に、不安で上の空の私が混ざっても空気を悪くするだけだと思うし。

折角誘ってくれた友達には悪いなと思いながらも、私は校舎に背を向けた。

卒業おめでとうと書かれた造花を胸に着けたまま、手入れを欠かさない自慢の黒髪を揺らしながら帰り道を歩く。

平日の昼間は人通りが少ないので、歩き慣れた通学路も少しだけ違って見える。

この街ともお別れになるかも知れないのに、今更新発見とは、ね。

不安と寂しさを誤魔化す様に自嘲気味に笑む。

雑草を蹴り、野良猫に手を振り、飛んで来た羽虫を避け、開けた細道をダラダラと歩く。

そしてそこの角を曲がれば私の家であるボロアパート、と言う所で立ち止まる。

黒い服を着た若い男が私に向かって一礼したから。


「甘衣神様、ですね?」


花の香りを乗せた風が吹き、頷いた私の長い髪が戦ぐ。


「はい。貴方は多蛇宮の人ですか?」


「私は甘衣神様のボディーガードを担当させて頂きます、わたししんくろうです」


恭しく名乗った若い男が再び一礼する。

見た感じ、二十代半ばくらいか。


「ボディーガードさん、ですか? えっと、今後の事を教えてくれる人が迎えに来る、と聞かされていたんですけど……」


「はい。その様に仰せ付かっております。車にお乗りください」


若い男は、脇に停めてあった大きなボックスカーの後部ドアを開けた。

どこにでも有る普通の車だが、正面以外のガラス部分のほとんどに黒いシートが貼ってあり、中が見えない様になっている。

初対面の人の車に乗るのは、ちょっと怖いな。

誘拐される恐れが有る、と脅されていたので余計に。


「ええと、ちょっとメールしても良いですか? 多分、すぐ終わりますから」


「はい。ごゆっくりどうぞ」


若い男は笑顔で頷き、車のドアを開けたまま気を付けをした。

一歩下がった私は、秘書さんに繋がる可愛くない携帯電話を取り出した。

そして『お迎えの人の名前を教えてください』とだけ書いた電子メールを送信した。

返事は一分ほどで来た。


『綿師真句郎でございます』


面白い漢字を使った名前だな。

滅多にない名字だから返信に時間が掛かったのかな。

確認の為に、もう一度メールを送る。


『これからその人の車に乗りますが、大丈夫ですか?』


『問題ありません』


今度はすぐに返信。

大丈夫っぽい。


「ごめんなさい、お待たせしました」


謝りながら車に近付いた私は、ふと気付いて足を止める。


「あ、でも、引っ越し荷物が……」


「アパートの方のお荷物は、全て引っ越し業者様が運びます。何も心配はございません」


「そう……ですか」


何年も暮らしたアパートなので少し心残りが有るが、まぁ良いか。

古い建物なので今生の別れになるかも知れないが、一目見たところで何がどうなる訳でも無し。

母との別れも急だったし、住処との別れが急なのも私らしい、か。


「では、宜しくお願いします」


お嬢様らしい所作で頭を下げた私は、意を決してボックスカーに乗り込んだ。

警戒ばかりしていては、いつまで経ってもお金持ちの家に辿り着けないから。

私が後部座席に座ったのを確認した綿師真句郎は、静かにドアを閉めた。

それから車体の外側をゆっくりと回り、車体を揺らさずに運転席に乗り込む。

凄くプロっぽい動きだ、と子供ながらにそう見えた。


「出発致します」


音も無く走り出す車。

私は卒業証書が入った筒と紅白饅頭が入った小箱を脇に置き、車内を見渡す。

極々普通の車で、特にお金持ちっぽい物は無い。

本当にお金持ちの車なのか?

不安になった私が身動ぎしていると、黒い服を着た運転手が言葉を発した。


「お手元にございます携帯用DVDプレイヤーを御覧ください」


私が座っている後部座席の隅の方に有る、小型のノートパソコンみたいな奴の事かな?


「当主様――神様のお爺様からのメッセージでございます」


「お爺さんからの……。分かりました。あの、その前に、私の名前に様を付けるのは止めて貰えませんか?」


運転手である綿師真句郎は、Gを感じさせずにカーブを曲がる。


「理由は……言わなくても分かりますでしょう? 冗談みたいな名前ですし」


「ですが、貴女のお名前は当主様と貴女のお父上から受け継がれたお名前と伺っております。それならば私は様を付けなければなりません」


「うーん……でも……」


眉間に皺を寄せて『様』を嫌う理由を言おうと思ったら、先に綿師真句郎が口を開いた。


「お気持ちは分かります。私の苗字も綿師ですから。『わたしはわたしです』と名乗ると、ふざけているのかと思われて苦労しました」


「ふふ。なるほど」


「ですが、私の立場で貴女に様を付けないと言う選択はございません。決して貴女を貶している訳ではございませんので、ご理解ください」


「名字の方で呼んで貰えればそれで良いんですけど……」


「申し訳ございません。多蛇宮の使用人が多蛇宮以外の苗字に様を付けるのも問題がございまして」


「うむむ……」


彼の立場が有るのなら仕方が無い。

私はまだお金持ちの世界については右も左も分からないのだから、ここは折れておこう。


「分かりました。気にしない事にします。えっと、このDVDを見れば良いんですか?」


「はい」


携帯用DVDプレイヤーの電源を入れ、再生ボタンを押す。

すると、白髪に口髭の老人が唐突に映し出された。

家庭用のビデオカメラで写した様な画質で、家紋入りの和装。

多蛇宮神治朗。

一度しか会った事の無い、私の祖父。


『小学校卒業おめでとう、神。

長い間、先の見えない不安が有っただろう。

その事は詫びよう。

さて。

まずは半年前に話していた、お前がやらなくてはならない修行の内容を伝える。

お前が理事長兼生徒として通う学校は、お前の住んでいたアパートから遠く離れた場所に有る、風紅学園だ』


風紅学園……?

聞いた事が無いな。

まぁ、遠く離れているんなら聞き覚えが無くて当然か。


『その学校は、中高一貫の男子校だ。

お前は唯一の女子生徒としてそこに通う事になる』


「だ、男子校!? 何でそうなるの?」


戸惑う私に構わずDVDの映像は進む。


『取り敢えず、三年、そこに通え。

修行の成功条件は、理事長としてやって行けると教育係が判断すればそれで良い。

成功したら更に三年、高等部で修行して貰う。

教育係がお前は使えないと判断したら、その時点で失敗とみなす。

そうなったら多蛇宮家には入れない。

学校も普通の学校に転校させ、それ以降は甘衣家の人間として生きて貰う。

そして、修業期間中に誰かと恋仲になった時も失敗とする。

無意味に貞操を守れと言ってる訳じゃない。

お前の両親はそう言う事にだらしがなかったから、お前はどうなのか、を見たいのだ。

お前の人となりを見るのがこの修行の真意だからな。

お前は賢い様だから理解して貰えると思う』


なるほど、確かに。

母が飲みに出ている間の噂は私の耳に届いている。

勿論、私は子供なので真実そのものを聞いている訳じゃないが、感心出来る生活態度ではなかった様だ。

父も、祖父の話によれば、ロリコンを拗らせて死んだみたいだし。

そんな人達の血を引いている私も性にだらしないかもと思われても仕方ない。

だからこそ、異性の誘惑の多い男子高に通わせるって訳か。


『更に、お前にとっては良くない条件が追加された。

以前話した様に、お前の父は数多くの少女に手を出した。

だからこそお前が存在する訳だが、お前と同じ存在が他に居ないとは言い切れない事に気が付いた。

つまり、お前の腹違いの兄弟が居る可能性が有るのだ。

もしも跡継ぎ候補が他にも居た時は、成功条件を満たしていても多蛇宮の家に入れない場合が有る事を覚悟しておいてくれ。

だから、修業中はこれまで通り甘衣姓を名乗る様に。

理事長として学園に在籍すれば、お前が多蛇宮家の関係者である事はすぐに知れ渡るだろうが、それは気にしなくて良い。

俺からは以上だ。三年間頑張ってくれ』


唐突に映像が終わり、青い画面になる。


「……男子校、か」


呟きながらDVDプレイヤーの電源を切り、脇に置く。

男の中に女が一人って、本気で有り得ないんですけど?

深く考えなくても面倒事が盛り沢山だ。

操どころか命の危険も有るんじゃなかろうか。

修行だから面倒だったり厳しかったりするのは当然なんだろうけど、気が重いなぁ。

溜息を吐いた私は、黒いシートのせいで薄暗く見える窓の外に目を向けた。

見た事の無い風景が流れて行っている。

もう知らない街に入っている。

修行を断り、普通の貧乏暮らしをしてた方が気が楽だったかなぁ。

卒業記念の集まりに行った子達は、今頃はハメを外して楽しんでるんだろうなぁ。

どこに連れて行かれるのか分からない不安に怯えるくらいなら、そっちを選んだ方が良かったかなぁ。

鬱々と後悔をしていると、運転手である綿師真句郎が唐突に口を開いた。


「神様。目的地までは約二時間掛かりますので、宜しければ映画のDVDをご鑑賞ください。ソフトは前の座席に用意してございます」


「あ、はい。ありがとうございます」


身を乗り出し、前の座席を覗いてみる。

ボックスカー内は座席が四列有り、私は一番後ろに座っている。

その三列目に、物凄い量のパッケージが並べて置いて有った。

洋画に邦画、アニメにクラシックコンサート、動物物まで有る。

用意が良い。


「お飲み物がご入り用でしたら遠慮無くお申し付けください。各種取り揃えておりますので」


「は、はい。ありがとう、ございます」


他人に気を使われた経験の無い私は、戸惑った声で返事をしてしまう。

飲み物が向こうから出て来るなんて、VIP待遇って感じでお金持ちっぽい。

貧乏だった今までは、ジュースは安売りの時に一本だけ買える感じだったからな。

やっぱり修行を受け入れて良かったかも?

まぁ、そう言う判断は新生活が始まってからにしよう。

学校生活だけが物凄く不安だが、頭で考えてもどうしようも出来ないし。

さて、何を見ようかな。

二時間で目的地に着くのなら、映画が丁度良いか。

だけど私は映画には興味が無い人なので、どれが面白いのかが分からない。

どうせヒマ潰しだ、何でも良いか。

目を瞑って適当なパッケージを取る。

ヒゲモジャの外人さんが銃を構えているので、外国のアクション映画かな?

悩まずにこれに決定。

DVDプレイヤーに入っていたラベルの無いディスクと映画のディスクを入れ変える。

そしてスタート。

重厚な音楽と共に映画が始まる。

……あ、しまった。

携帯用のプレイヤーだと字幕が見難い。

うーん、大人しくアニメを選んでおけば良かったか。

でもまぁ、読めない訳じゃないし、本気で見入るつもりもないからこのままで行こう。



十分くらい映画を見ていたら、ふと口寂しくなった。

もうお昼を過ぎてるし、お腹が空いて当然だ。

そう言えば卒業記念の紅白饅頭が有ったな。

これでも食べるか。

紙で出来た箱を開けると、大きなお饅頭が二個並んでいた。

持った時のズッシリ感から察するに、餡子たっぷりで甘そうだ。


「えっと、綿師、さん?」


「はい、何でしょう」


一時停止を押して映画の音を消してから声を掛けると、若い男は運転しながら返事をした。


「飲み物が欲しいんですけど、宜しいでしょうか」


「勿論です。何が宜しいでしょうか」


「もう用意してあるんですよね? 自分で取ります。どこに有るんですか?」


「いえ。神様の身の回りのお世話も私の仕事ですので、お任せください」


「そうなんですか? 私はまだ何も分かっていないので、言われるままにお任せしちゃいますよ? 良いんですか?」


「どうぞ遠慮無く」


「では、渋めのお茶か、ブラックコーヒーをお願いします」


「畏まりました。少々お待ち下さい。今、車を路肩に停めます」


車の速度が緩まるのを感じながら、大人しく座って待つ私。

しかし手持ち無沙汰なので、飲み物がなぜ欲しいのかの言い訳を始める。


「私、甘い物は嫌いではないんですが、苦い飲み物が無いと食べられないんですよね」


「左様でございますか」


間も無く停まる車。

綿師さんは一旦車を降り、二列目の座席の脇に有るドアから乗り込んで来た。

クーラーボックスを開ける音がして、続いて氷水を掻き回している音。

そこに有るのなら、車を止めずに私が取った方が早かったんじゃないか?

だから自分もそちらに向かおうとしたが、持っていた紅白饅頭を見て立ち上がるのを思い留まった。

赤い方の饅頭を蓋の方に移し、彼が四列目の座席の前まで来るのを待つ。


「お待たせしました。お茶とコーヒーです」


綿師真句郎は、両手に持っているペットボトルの緑茶と缶コーヒーを笑顔で差し出して来た。


「ありがとうございます。では、お茶を頂きます。それで、ですね」


ペットボトルを受け取った私は、彼に向かって白い饅頭入りの紙箱を差し出した。


「一人で二個も食べるのは厳しいので、綿師さんがもう片方を食べてください」


「いえ、私は――」


私は笑顔で綿師さんの言葉を遮る。


「綿師さんはボディーガードですから、きっと断ると予想していました。私が知らない大人の事情が色々と有るんでしょう。ですが……」


お茶を脇に置き、饅頭の箱を両手で持つ。

片手で持ち続けるのはちょっと辛い大きさだから。


「母が生きていたら、母に渡していた。祖父がここに居たら祖父に渡していた。でも、ここには綿師さんしか居ない」


若い男の目を見詰めて微笑む私。


「だから、綿師さんが受け取ってください。私の卒業祝いを誰にも渡せないのは、ちょっと悲しいので」


「……私で宜しいのですか?」


「はい。あ、甘い物は大丈夫ですか?」


「甘い物は好物でございます。頂戴致します」


頂く様に饅頭の箱を受け取った綿師さんは、後退る様にゆっくりと二列目の座席に戻って行った。


「運転しながらじゃ食べ難いでしょうから、好きなタイミングで召し上がってくださいね」


「はい。お気使いありがとうございます」


深く頭を上げた綿師さんは、クーラーボックスを閉めてから車の外に出て行った。

そして運転席に戻ると、再び車が走り出す。

ふむ。

ボディーガードがそう言う仕事だからなのかも知れないが、饅頭ひとつであんなにも恐縮するとは。

綿師さんは扱い易いタイプな人の様だ。

不安が少し解消されたので、私は紅い饅頭に齧り付く。

うおっ、予想以上に甘い。

冷えたお茶を飲み、一息吐く。

二口目、三口目と食べ続けながら窓の方に視線をやる。

黒いシートが張られた窓の外には歩道が有り、大勢の人達が歩いている。

目の焦点を変えると、その窓に見慣れた私の顔が映っていた。

ガラスに色が付いているので鏡みたいになっている。

咀嚼している饅頭を飲み込み、キメ顔をしてみる。

うん、今日も可愛い。

母譲りの幼い容姿は男性向けの武器になる。

日本人形みたいなパッツン前髪の少女に粗暴な態度を取る年上の男性は滅多に居ない。

居たらそいつは犯罪者だ。

大抵は子供扱いしてくれる。

背が低くて華奢なので、調子に乗らなければ同性にも可愛がられる。

だからいつも可愛らしくしておけ。

それが母から受けたしつけだった。

そのしつけが、今まさに役に立ったと言う訳だ。

仕事で私の面倒を見てくれるボディーガードなら、笑顔を見せてやれば少しくらいのワガママなら聞いてくれそう。

マンガで良く有る様なお姫様と従者みたいに。

うん、これからもそんな感じでやって行けるかも。

ただ、扱い易いからと言って調子に乗ってはいけない。

彼の礼儀正しさが怖い。

彼はずっと笑顔なので、その裏で何を考えているのかが全く読めない。

私も笑顔の裏で色々と考えるタイプなので、そこが気になってしまう。

クラスの男子みたいに感情を表に出してくれれば軽く往なせるのだが、そこはプロのボディーガードと言ったところか。

ワガママの匙加減を掴むまでは、彼を不機嫌にさせるのは止めておこう。

しかし、この饅頭は甘過ぎて喉が痛くなるな。

だけどお茶のおかわりは頼めない。

また車を止めて貰うのは面倒だし、そもそも水分でお腹が一杯になる。

トイレも心配だ。

まぁ、無理だったら残して後で食べよう。

ゴチャゴチャと考え事をしていたせいで内容がサッパリ分からなかった映画が終わる頃、綿師さんが久しぶりに声を発した。


「神様。風紅学園に到着致しました」


私はDVDプレイヤーから顔を上げ、窓の外に目をやった。

が、高い塀しか見えなかった。

もっと良く見ようと窓際に寄ると、静かに車が停車した。

目の前に有るのは大きなレンガの門。

その大きな門の向こうに巨大な校舎が二棟建っていた。

中高一貫校と言う話だったので、どっちかが中学で、もう片方が高校なんだろう。


「……ここが、私が理事長になる学校……」


そして、男だらけの学び舎。

登校してから下校するまで、周りは全部男子なのか。

逆ハーレムを喜ぶ人は居るかも知れないが、私には恐怖しかない。

私が青褪めていると、綿師さんが携帯電話を弄り出した。

すると、ハードル走で使う木枠みたいな車止めが横にずれて行った。

電話で動かしたのか、メールを送って誰かに動かして貰ったのかは、私には分からない。

車は低速走行で門を潜る。

敷地内に人の気配は無い。

今日は全国的に卒業式だから、普通の生徒はさっさと帰っているんだろう。

少し安心。

でも、生徒が居ない学校に入ってもしょうがないのでは?

下見でもして置こう、って事なのかな?

数分後、車がゆっくりと停まる。


「お疲れ様でした。到着でございます」


「あ、はい」


DVDの入れ替えをしたりペットボトルを片付けたりしていると、私が座っている座席の横のドアが綿師さんによって開かれた。


「ゴミやDVDはそのままで結構ですよ。卒業証書のみお持ちください」


「そうですか? じゃ」


証書入りの筒と食べ残しの饅頭を持った私はワンボックスカーを降りる。

目の前には二階建ての建物が有った。

見た目は無骨な感じのデザイナーズマンションみたいで、今日の朝まで住んでいたボロアパートより少しだけ大きい。

玄関の感じからすると一軒家の様だ。

大きい家だなぁ。


「在学中、神様が暮らされるご自宅でございます」


恭しく言う綿師さんをキョトン顔で見上げる私。

あれ?

確か、校門を潜って中に入ったんじゃなかったか?

周りを見渡す。

百メートルくらい離れた所に巨大な校舎が有る。

確かに学校の敷地内だ。


「え? 私の家、ですか? これが? ここが?」


「はい」


「まさか……まさかですが、私の為だけに、学校の敷地内に、この家を建てたって事、だったりして……?」


恐る恐る訊いてみると、綿師さんは笑顔で頷いた。


「その様に伺っております」


うひょー。

学校の近所に家が有る友達を羨ましいと思う事は良く有ったが、まさか自分がそれよりも学校に近い家で暮らす事になるとは。

しかも新築。

お金持ち、凄ぇ。

ハンパねぇ。


「失礼します」


自分が置かれている状況に感動していると、綿師さんがインターホンを押した。


「はーい」


間を置かずに玄関ドアが開かれ、絵に描いた様なメイド服を着た女性が現れた。

長い髪をポニーテールにし、ちょっと性格がキツそうな釣り目のメイドさんは、私を見てから笑顔を作った。


「始めまして。私は家事全般を担当するメイドの木佐楽美です。どうぞお気楽にラッキーとお呼びください」


「ら、らっきー?」


顔付きはキツそうなのに、話し方は異様にフランクな人だった。

年齢は二十代、……前半かな?

後半かも知れないが、年上の女性は若めに判断した方が良い。

これも母のしつけだ。


「私は甘衣神様の身の周りのお世話をさせて頂きます、執事の遊坂繁男です。宜しくお願い致します」


もう一人、白髪交じりの初老の男性が出て来て頭を下げる。


「執事さんまで居るんですか。凄過ぎ……」


「到着早々でごめんなさいですけど、制服を作らないといけないのでご協力頂けますか? 邸内の案内はそれから、と言う事で」


メイドさんが申し訳なさそうに私を拝んで言う。


「あ、はい。そうですね。他の子はもう制服が出来ている時期ですから、急がないといけませんものね」


私が笑顔で言うと、メイドさんは目を丸くした。

その反応が意外過ぎたので、私も驚いて目を丸くした。


「どうかされましたか? 私、何か変な事を言いましたか?」


ハッと我に返ったメイドさんは、ポニーテールを揺らして首を横に振った。


「学校の中に家を作らせるなんて、どんなワガママ娘かと思って不安だったんです。けど、意外と良い子じゃないですか。可愛いし」


「木佐さん、失礼ですよ。神様は私共のご主人様です。馴れ馴れし過ぎます」


メイドを叱る綿師さんに再び驚く私。

私以外の人には怖いくらいに厳しい人の様だ。

やはり油断出来ない。


「そうでございました。失礼致しました」


カカトを揃えたメイドさんは、深々と頭を下げた。

その所作は美しくて格好良かった。


「あ、そんな事はどうでも良いですよ。気にしないでください。あんまりキッチリされると、お互いに息が詰まっちゃいますからね」


笑顔を繕った私がそう言うと、メイドさんは顔を上げて半身になった。


「ありがとうございます。玄関先で立ち話をさせて申し訳有りませんでした。どうぞ」


「お邪魔します」


私は会釈をしてから敷居を跨ぐ。

執事さんは無言で道を開け、壁際に控えた。

それとは対照的に、メイドさんは無邪気な笑顔でお喋りを続ける。


「実は私、詳しい事情を知らされずにここに赴任させられたんですよ。失礼の無い様に、色々とお話を聞かせてくださいね」


「私もほとんど何も知らされずにここに連れて来られたので、私と同じですね。お互いに頑張りましょう」


そう応えながら無邪気な笑顔を返す私。

人の事は言えないが、メイドの人の笑顔も作られた感じがする。

まぁ、血の繋がった家族じゃないんだから、無闇に心を開く必要も無いな。

状況に慣れるまでは、赤の他人と同じくらいの距離感を保とう。

自分の心構えを確かめたところで、新しい我が家に視線を巡らせた。

屋内は普通の日本家屋で、新築特有の木の香りが心地良かった。

これから三年間、上手く行けば高校の三年もプラスして六年間、私はここで暮らすのか。

頑張ろう。

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