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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第三部 叛逆者たち ~星暦八八〇年~
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【第一章 ジェスター院】 第四話 暗雲(1)

 立方棋クビカ大会決勝戦の騒ぎのその日から、シャレイド・ラハーンディはジェスター院から姿を消した。


 小ホールの火災騒ぎは、過熱暴走させたベープ管が大量の煙を吐き出した結果ということが判明した。さらにベープ管に装填されていた溶剤がオルタネイト薬液入りという特殊なものだったため、より霧散しにくい水蒸気煙が発生し続けたということだった。

 ベープ管の溶剤がオルタネイト薬液入りであること、またベープ管が対局者控え室に使われた小ホールの小部屋に放置されていたことから、犯人がシャレイドであることはほぼ間違いなかった。


 モートンが連邦保安庁に証言したところによれば、対局前にトイレのために部屋を出た彼が、再び控え室に戻ったところ鍵が掛かっていた。いくらシャレイドの名前を呼んでも部屋は開かず、いい加減に運営スタッフを呼んで鍵を開けさせようと思ったところで、ドアの隙間から煙が漏れ出ていることに気がついた。煙はあっという間に控え室前の廊下に充満し、モートンは慌てて舞台上に逃げ出した――


「保安庁に証言した内容に、嘘はないよ」


 モートンはそう言ったが、その言葉には歯切れの悪さがついて回った。騒ぎの日から既に二日経つというのに、彼の顔には未だ疲労の色が濃い。切れ長の目の奥で、ダークブラウンの瞳がどこか虚ろに揺れる。


「そもそも、どうして保安庁なの? 警察ならわかるけど、おかしくない?」


 事態が一向に見えないカナリーの顔には、心配を通り越して苛立ちが募っている。


 院内のカフェテリアでふたりが顔を突き合わせている様子は、日常的に見かける光景と変わらない。だがいつもは中央の明るい席に陣取るふたりが、今日は人目につきにくい隅の席に腰掛け、しかも揃って周りから顔が見えないように背を向けている姿は、常日頃からはかけ離れていた。


「噂の通りだよ。シャレイドの親父さんとお兄さんが、ジャランデールのデモの首謀者として検挙されたんだ。それであいつも保安庁の特捜部に目をつけられていたんだ。星間犯罪は保安庁の管轄だからな」


 テーブルの上のコーヒーに一口もつけないまま語るモートンに、カナリーは到底納得出来ないといった顔で、つい詰問口調になる。


「それ、本当なの? 確かにニュースではラハーンディ容疑者って言ってたけど。たまたま同姓のラハーンディさんじゃないの?」

「シャレイド自身が映像を確認して認めたんだ。本当にデモを扇動したかはともかく、あいつの親父さんが保安庁に拘束されているのは事実だろう」


 カナリーの希望的観測を、モートンが沈痛な表情のまま否定する。彼だって、本当なら信じたくはないのだろう。今さらながら、モートンを問い質すことが残酷な仕打ちであることに気がついて、カナリーは口をつぐんだ。


 立方棋クビカ決勝戦の騒動は今や、院内の導師・院生たちの間で持ちきりの話題だった。ただ表立って噂されるのではなく、どちらかといえば陰で密やかに交わされる類いだった。なぜなら騒動の直後、モートンや大会の運営スタッフたち、また観客の一部を真っ先に取り調べたのが連邦保安庁であったため、その場に保安庁の捜査官が潜り込んでいたことが知れ渡ってしまったからである。


 いつどこで自分たちの会話が盗み聞きされて、保安庁に拘束されてしまうかもしれない。院内全体がそんな疑心暗鬼に包まれている。


 そして、そんな雰囲気に覆われたこの状況を憂う者も少なくない。


「ジェスター院に限らず、学術機関ってのは公権力の介入を嫌うもんだからな」


 そう言ってモートンはようやくテーブルの上に手を伸ばし、コーヒーに口をつけた。すっかり冷め切って苦みだけが残る液体を飲み下して、太い眉をしかめる。


「でも、保安庁への抗議を率先しているのがアッカビーってのは、なんだか不思議ね」


 院内で保安庁に不満を抱く者は多かったが、その急先鋒がほかならぬアッカビーであった。彼は騒動の直後から院内の導師や院生たちに呼び掛けて、正式に保安庁に抗議すべく活動している。何より彼が真っ先に声を掛けたのが、モートンでありカナリーであった。


「俺は外縁星系人コースターも嫌いだが、それ以上に保安庁や警察が大嫌いだ。あいつらに院内を好き放題されるかもと考えたら怖気が走る。お前らも是非抗議文に署名してくれ」


 そう力説するアッカビーの勢いに押されてふたりともその場で署名してしまったが、彼のように反・保安庁の立場を取る者がいるお陰で、今回の騒動の非難の矛先がシャレイドに向かうことは少なかった。立法棋クビカ決勝戦の騒動ではパニックに陥った観衆の中に数名の怪我人も出ていたが、それらの原因は保安庁にあるという意見が、院内では大勢を占めている。


「嫌いなものが多いばっかりも息苦しそうだと思ったけど、あれはあれで活き活きしてる感じだし、楽しいのかな?」

「何でもかんでも喧嘩を売りたがるのは性分だよ」


 腕を組んで首を傾げるカナリーの栗毛頭の上から、落ち着いた声がそう答えた。彼女の隣で顔を上げるモートンの視線の先には、柔らかい金髪頭に同色の口髭をたたえた顔立ちがあった。


「ジノ」

「こんな隅っこでひそひそ話しているから、気がつかなかったよ。俺も同席していいか」


 タンブラーを片手に持つジノは、そう言って空いた席に腰掛けた。


「アッカビーは思い込みが激しい上にすぐに突っ走る。そのせいで何度尻拭いに追われたことか」


 そう言って嘆息するジノだが、口ほどに呆れ果てているというわけではなさそうだった。


「でも根は悪い奴じゃない。偏屈だけど、しっかり話せばわかる頭もある。お前たちには色々と迷惑を掛けてしまっただろうが、大目に見てやってくれると嬉しい」

「問題児をルームメイトに持つ苦労はよくわかるよ」


 モートンの言葉には心底の同情が滲み出ていたので、ジノは口髭の下で苦笑を浮かべた。


「そうだな。方向性は違えど、お前のルームメイトも相当だからな」

「全くよ。今頃どこでどうしてるんだか」

「シャレイドとは連絡がつかないままなのか」


 テーブルの上で両手を組みながら身を乗り出すジノの問いに、モートンとカナリーは揃って表情を曇らせた。


通信端末イヤーカフに何度か呼び掛けはしてみたが、返事はない」

「電源も切ってあるらしくて、居場所もわからないの。あいつのことだから、どっか女友達の家にでも転がり込んでるんだとは思うけど」

「捕まったって話も聞かないし、立方棋クビカの棋風よろしく上手に逃げ回っているみたいだな」

「院から逃げ出す際にも、俺の自動一輪モトホイールを持ち出している。オートライドを使ったならともかく、あれだと位置情報をオフにすれば足もつかない」


 視線を落としたまま、モートンが力なく首を振る。その様子を見て、ジノが心持ち目を細めた。


「モートンの自動一輪モトホイールを使って逃げたのか。それなら今まで捕まらないのも納得だ。だが、これで確信した」

「確信したって、何を?」


 カナリーが細い眉を跳ね上げて尋ねる。ジノは組んだ手の中から一本指を立てて、浮かない顔のままのモートンに、その先を向けた。


「シャレイドの逃走劇の手助けをしているのはモートン、お前だな」


 ジノの発言に、モートンは微塵も動揺することなく頷いた。


「ああ」

「おかしいと思ったんだ。決勝の騒動の煙だって、シャレイドと同室のお前なら、あいつが普段愛用しているベープの煙だってすぐわかるはずだもんな」

「会場に保安庁の捜査官が紛れ込んでいるとしたら、あの方法が一番確実だった。それに俺も保安庁に対して嘘をつかなくて済む。隠していることはあるけどね」

自動一輪モトホイールにはIDロックを掛けていたはずだろう。パスコードを教えたのもお前か」

「それが教えようとしたら、もう知ってた。なんで知ってるんだよ、あいつ……」


 ダークブラウンの髪がかかる額を押さえながら、モートンは眉をしかめてそう答えた。最後の台詞に、ジノが若干気の毒そうな表情でモートンの顔を覗き込む。


「お前がそうまでする気持ちはわからないでもない。でもこれ以上は関わるな。下手をするとお前自身にまで累が及ぶぞ」

「シャレイドと今、連絡がつかないのは本当だ。安心してくれ、俺だって我が身は惜しい。捕まるような真似はしないよ」


 ジノの忠告に、モートンは四角い顎を小さく頷かせる。ふたりのやり取りを、カナリーはその間口を挟まずに、睫毛を伏せたままただ黙って耳にしていた。


「カナリーは驚かないんだな。モートンがシャレイドの逃走を助けていたって知っても」


 そんな彼女の様子が気に掛かったのか、ジノが顔を横に向けて尋ねる。するとカナリーは普段の陽気な彼女に似つかわしくない、弱々しい笑顔を見せた。


「だって、モートンならそうするだろうって思ってたから。でも何も言わないのは、きっと理由があるんだろうって思って、訊けなかった」


 そう言ってカナリーがモートンの顔を横目で窺うと、モートンは切れ長の目を伏せて、大柄な身体からだを縮こまらせた。


「俺以外に誰も巻き込むまいと思って、黙ってたんだ。カナリーがシャレイドを心配しているのはわかっていたのに、済まない」

「いいよ、モートンの気持ちもわかるから。私こそごめんね、モートンにだけ面倒な役を押しつける格好になって」


 モートンの広い肩に、カナリーが華奢な手を乗せる。互いに謝罪し合うふたりを前にしていたたまれなくなったのか、何故かジノまでがつられるように金髪の頭を下げた。


「俺も謝らなくちゃならん。決勝会場に保安庁が現れたのは、俺のせいだ」


 驚くふたりに向かって、ジノは告白する。


「決勝の前日、フランゼリカから連絡があった」

「フランゼリカ?」


 ちょうどジャランデールで暴動が勃発した辺りから行方不明になっていた、ジノの恋人の名を聞かされて、モートンもカナリーも不思議そうな顔を浮かべる。


「なんでフランゼリカが?」


 カナリーのもっともな問いに対して、ジノは苦しげに答えた。


立方期クビカの決勝は予定通り開催されるのか、会場は小ホールで変わらないのか、そんなことを尋ねられた。てっきり彼女が決勝会場に現れるものだと思って、俺もぺらぺらと答えてしまった」

「なんでそんなことをわざわざ訊いてきたんだろう」


 細い顎に指を当てて、カナリーが首を捻った。その隣に座るモートンの顔は、わずかに目を見開いて後、徐々に険しいものへと変化していく。やがて彼の薄い唇の間から飛び出した言葉にこそ、カナリーは驚きを禁じ得なかった。


「もしかして、決勝会場に保安庁を呼び寄せたのは……?」


 モートンの鋭い目つきにジノは一瞬怯みかけたが、辛うじてとどまりつながらも頷いてみせた。


「保安庁に通報したのは、おそらくフランゼリカだ」

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