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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第三部 叛逆者たち ~星暦八八〇年~
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【第一章 ジェスター院】 第三話 失われた対局(3)

 決勝会場の最前列に設けられた関係者席もまた、満席だった。通路脇の右端の席に着席したカナリーは、落ち着かない気分で対局の開始を待ち続けている。彼女の隣にジノが座るのは問題ない。だが、さらにその隣にアッカビーがいることで、微妙に居心地が悪い。


 以前の騒動の際、アッカビーは相当酔っ払っていたが、カナリーがいたことは覚えていたらしい。先に着席していたカナリーと目が合った瞬間、元々いかめしい人相をことさらに歪めて、無言のまま腰を下ろした。ジノとふたり並んで腰掛けることの出来る席がほかになかったせいだが、おかげでカナリーもどこまで口を利いて良いものかわからず、ジノとも二言三言挨拶を交わしただけで、以後は沈黙を守っている。


 カナリーたちが座る関係者席からは、目の前の舞台上の対局席がよく見えた。といっても所詮が院生有志によって運営される大会なので、そこにあるのはカフェテリアで対局するときと同じ、ホログラム投影盤が嵌め込まれた丸テーブルに二脚の肘掛け椅子だ。だが会場となる小ホールが視聴覚用であることを最大限に活かして、対局席の上の空間には巨大な立方体のホログラム映像が浮かび上がっている。

 この映像は丸テーブル上に展開される立方体映像と連動しており、会場の最後列の観客も戦況を把握出来るようになっている。さらにその両脇にはホログラム・スクリーンが展開されて、ふたりの対局者の表情が映し出されることになっていた。


「いよいよだな。カナリー、君はどっちを応援するんだ?」


 それまで反対側のアッカビーと会話を交わしていたジノが、不意にカナリーに尋ねかけた。空気を読まない唐突な問いかけに、カナリーは内心慌てながらなんとか笑顔を返す。


「そうね、どっちもって言いたいところだけど、六対四ぐらいでモートンかな」

「へえ。それはまたどうして」

「そりゃあ、たまにはシャレイドが凹むところを見たいからよ。私もあいつに打ち負かされた口だからね、モートンには敵討ちしてもらわないと」


 するとジノの向こうから、アッカビーがいかにも嫌みたらしい口を挟んできた。


「どうだかな。案外今頃、外縁星系人コースターの奴が袖の下でも包んで、話をつけてるんじゃないか」

「アッカビー!」


 ジノが窘めるが、アッカビーはカナリーに挑発的な視線を寄越すのを止めようとしない。カナリーは一瞬むっとして、だがすぐに自らの目の前で大きく手を振った。


「モートンに袖の下なんて逆効果よ。そんなことしたら逆に怒りを買うだけだって、あいつ、そういうところは思い切り真面目なんだから」

「それはそうかもしれないが、反論するポイントがずれてないか」


 戸惑うジノに、カナリーは白い歯をにっと見せて笑顔を向けた。


「もちろん、シャレイドがそんなことするわけないと思ってるわ。あいつ、去年はモートンに完全に実力負けしてたからね。モートンには真っ向から勝ちたいと思ってるはず」

「そうか、なら名勝負が見れるかな」


 その言葉にジノは期待を膨らませ、隣ではアッカビーがふん、と鼻を鳴らす。


 彼女の言ったことに嘘偽りはなかった。常に皮肉か冗談しか言わないように見えるシャレイドが、唯一真摯に向き合う相手、それがモートンなのだ。もちろん普段の態度はほかの面々に接するときと変わらないが、特に立方棋クビカの対局のときだけは顔つきが変わる。ふたりが対局する様子をカナリーは何度か見たことがあるが、いついかなるときも手を抜こうとしないモートンに負けず劣らず、シャレイドもこのときばかりは真剣そのものの表情で駒を指し続けるのだ。


 ふたりが対局する姿は、まるで絵画のように様になる。そんなことを彼らに告げたことはないが、カナリーは彼らの対局を観戦する度にそう思っていた。


 立方体を挟んで向き合っているときのふたりの間には、とても他人が割り込む余地はない。カナリーにはそんな彼らが羨ましくもあり、そこに自分が入り込めないことが悔しくもある。


「それにしても、ふたりとも出てこないな。何をしているんだ」


 ジノだけではない。シャレイドもモートンも時間を過ぎても一向に姿を見せないことに、観衆がそろそろ痺れを切らしつつあった。場内のあちこちがざわついて、やがてどこからか「おい、まだかよ」「早く始めろ」「待ちくたびれたぞ」という野次が飛び出し始める。舞台に上がった運営スタッフが今しばらくの待機を呼び掛けるが、それも事情説明がないためにかえって火に油を注ぐだけであった。


「おおかた外縁星系人コースターが怖じ気づいて、逃げ出したんじゃねえか?」


 アッカビーの悪態も場内の喧噪に掻き消されて、カナリーの耳まで届かない。立ち見客だけでなく座席に着いた客にも立ち上がる者が現れて、盛大なブーイングが湧き上がる。

 もはや収拾がつかなくなりつつある場内の雰囲気が一変したのは、観客の一部が舞台の袖の異変に気づいたときであった。


「おい、あれ……」

「煙?」


 シャレイドとモートンが現れるはずの舞台袖から、初めは微かに、だが間もなくしてもうもうとした煙が零れ出す。やがて煙と共に転げるように舞台に現れたのは誰あろう、モートンその人であった。

 舞台上で片膝をつきながら、押さえていた口元の手を外して、モートンが大声で叫ぶ。


「火事だ!」


 一瞬の静寂の後、ただでさえ興奮状態にあった観客たちは、あっという間にパニックに陥った。絶叫と怒号が飛び交い、興奮した人々の群れが小ホールの出口へと殺到する。

 カナリーもまた恐怖に駆られて立ち上がろうとするが、周囲の人々の乱雑な動きに阻まれて、とてもその中に飛び込めそうもない。そのまま机と背凭れの間に挟まれたまま身動きが取れないままでいると、耳朶に装着した通信端末イヤーカフから、不意に聞き慣れた声が聞こえた。


「下手に動くなよ。モートンが来るまでじっとしてろ」


 皮肉めいた口調がよく似合うはずのその声は、いつもに比べると低くこもった声音でそう告げる。


「……シャレイド?」


 カナリーは周りを見回すが、無論シャレイドの姿は見当たらない。


 やがて舞台を覆い尽くした煙は小ホール全体へと広がり、出口へと殺到する人々の背中にまで追いつきつつあった。最前列の関係者席はとっくに煙に巻かれていたが、その中でカナリーと同様に身動きが取れないままでいたジノが、二度三度と鼻をすすり、口髭を揺らす。


「全然苦しくないぞ。これは火事の煙じゃない」


 その隣でアッカビーが、眉をしかめながら言う。


「こいつは水蒸気、ベープの爆煙だ。その証拠に警報も鳴らない、スプリンクラーも作動しねえ」

「どういうことだ」


 ふたりが言う通り、カナリーも煙にむせるということはなかった。それどころか、鼻の奥を微かに刺激する香りが、彼女には慣れ親しんだものであることに気づく。どうやら危険はないらしいということがわかったカナリーの目の前に、徐々に晴れ渡っていく煙を掻き分けて、モートンの長身が現れた。


「大丈夫だったか、カナリー」


 モートンの表情にはやや疲労が差していたものの、彼が笑いかけてくるのを目にして、それまでひそめられていたカナリーの眉根がぱっと開いた。同時に緊張が解けて涙腺が緩む。目尻に浮かぶ涙を拭き取りながら、カナリーが何か言葉を掛けようとしたその瞬間、再び通信端末イヤーカフから聞き慣れた声が告げた。


「じゃあな、カナリー」


 その言葉の意味を、カナリーはまだ理解していなかった。

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