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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第三部 叛逆者たち ~星暦八八〇年~
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【第一章 ジェスター院】 第二話 雨空の予感(1)

 ジェスター院の立方棋クビカ大会は、常日頃学業に明け暮れているはずの院生たちが、日常を忘れて熱狂するイベントのひとつである。今年は参加者が百名を超える激戦となり、院生や導師たちの間でも誰が優勝するか話題になっていたが、中でも下馬評が高いのがシャレイドとモートンだった。

 シャレイドは前々回の大会で一回生ながら優勝を攫い、そのシャレイドを去年決勝で打ち破ったのがモートンなのだ。今年もふたりとも準決勝まで勝ち残っており、決勝でのふたりの再戦を待ち望む声も多い。


「生憎と、皆の期待に沿うつもりはないんだ」


 努めて冷静な口調を心懸けているものの、こめかみに浮かぶ青筋は隠しようもない。ふわふわとした柔らかな髪の毛同様に金色の口髭を撫でながら、ジノ・カプリの目つきは尋常ではなかった。常ならば凛々しい顔つきの好青年が、血走った目をぎらつかせてシャレイドの顔を睨みつけている。周囲の観客たちは彼の並々ならぬ闘志の現れと見て、無責任に囃し立てていた。


「そんなに怖い目をするなよ、ジノ。正々堂々、どっちが勝っても恨みっこ無し。立方棋クビカの対局ってのはそういうもんじゃないか?」


 空々しいことこの上ないシャレイドの言葉を聞いて、ジノのこめかみの青筋がますますくっきりと浮かび上がる。


「お前とはこれ以上口を利くのも気分が悪い。後は立方体の中でけりをつけてやるから、覚悟しろ」


 観客たちの最前列でふたりのやり取りを目にしていたモートンは、代わりにジノに詫びたいほどのいたたまれなさを感じていた。


 カフェテリアの一角を勝手に借り切った会場には、対局を見守る観客たちも三十名弱といったところだ。だがふたりの対局の様子は、リアルタイムで院内中に配信されている。対局情報をチェックしている人々の数は、全院生・導師の三分の一に昇るという噂さえあった。いずれにせよ、少なからず院内では注目の対局であることは間違いない。


 モートンは先の対局で準決勝を危なげなく勝ち抜き、二年連続の決勝進出を決めている。大柄な彼が最前列の席に陣取ると、後ろの観客にとっては甚だ迷惑なのだが、決勝進出者ファイナリストである彼の振る舞いに口を挟む者はいなかった。


「ちょっと、モートン。あなたがそこにいると後ろが見えないでしょう。こっちに来なさい」


 いや、ひとりだけいた。ほかの観客たちの視線が集まることなどお構いなく、後ろの席から手招きしているカナリーの栗毛の頭が見えた。モートンは周囲を見渡してカナリーの言う通りであることに気づき、大きな身体からだを縮こまらせながら後ろへと移動する。


「ここ、一段高くなっているから。十分よく見えるわよ」


 そう言ってカナリーが自分の隣の席に座るように促した。モートンは言われるままに腰を下ろし、改めてシャレイドとジノの間に浮かび上がる立方体に目を向ける。対局は既に始まっており、シャレイドの赤の駒とジノの青の駒が、それぞれ相手の出方を探るようにして布陣を整えつつある。まだ互いの間に戦端は開かれていない。


「ジノにしては慎重な出だしね。いつもは派手な攻撃が大好きなのに」


 カナリーの感想に対して、モートンは顎をさすりながら感心したような声を漏らした。


「あれは、去年俺が決勝戦でシャレイドと対局したときの序盤と同じだ。ジノの奴、相当シャレイド対策を練ってきたな」

「シャレイド対策? あのプライドの高いジノが?」

「プライドよりも、シャレイドに勝つことを優先させたんだろう」


 モートンの解説に、カナリーが信じられないと首を振る。とはいえモートンも、ジノがシャレイドへの勝利に拘る理由について、上手く説明出来る自信はない。とりあえず黙って対局を見守る素振りを見せていると、やがてカナリーも倣うようにして口をつぐみ、観戦に集中し始めた。それ以上の追及を躱せたことに、モートンは内心で安堵する。


 そのままシャレイドとジノの対局を見つめ続けている内に、モートンの目つきが徐々に険しくなっていった。


 シャレイドの策と言って良いものかわからない盤外戦術は、裏目に出たのかもしれない。モートンの脳裏にそんな想いがよぎる。


 おそらくシャレイドは、フランゼリカの件で我を失ったジノが、怒りに任せて無謀な攻撃を仕掛けるものと考えていたのだろう。攻撃してくる相手の隙を突いてのカウンターは、シャレイドの最も得意とするところだ。だがジノは、その怒りを勝利への執念に昇華させたらしい。彼がそれまで貫いてきたスタイルをかなぐり捨ててまで勝利に拘ってくるということを、果たしてシャレイドは予想出来ただろうか。


 モートンの分析通り、立方体の中では青陣営が優位に戦局を進めつつあった。シャレイドの赤い駒があの手この手で手出ししても、ジノの青い駒は守備に徹し続けている。むしろ赤陣営は挑発する度に駒が削られていき、比例するようにして青陣営が包囲の手を伸ばしていく。


「ちょっと、このままだとシャレイドの奴、まずいんじゃないの」


 情勢が一方に傾きつつあることに、カナリーも既に気がついている。観客たちからもざわついた反応が目立ち始めた。シャレイドは唇を引き締めて黙りこくったまま、立方体に見入っている。いつも対戦相手が苛立つほどに軽口を叩き続ける彼にしては、不自然なほどの沈黙だ。

 立方体を挟んだ向こうに腰掛けるジノは、投影盤が嵌め込まれた丸テーブルの端に両肘を突いて、重ねた両手で顔の下半分を覆っている。だが両手の指の隙間からは、笑みが零れようとしている口元が見え隠れしていた。戦局が思い通りに進んでいくことが愉快で堪らないという彼の表情を見て、対局の行方は決しつつある――そう思った観客たちも少なくなかった。


 右の人差し指をこめかみに当てて、しばらく考え込んでいるように見えたシャレイドの目が、不意に左右へと視線を送り始めた。劣勢に追い込まれて、動揺している――観客たちにはそうとしか見えない。しかし、ふと彼の瞳が視界の右端を捉えて動きを止めると、それまで引き締められていたシャレイドの唇の端がおもむろに吊り上がった。

 シャレイドの表情の変化に気を取られて、思わずジノは口を開いてしまう。


「何がおかしい」


 ジノの問いに対して、シャレイドはわざとらしい笑みを浮かべた。


「そういえば今回の対局、いまひとつ観客が少ないと思ってね」


 周囲をぐるりと見回してのシャレイドの台詞に、ジノが訝しげな顔を見せた。


「何を言ってるんだ。生で観戦する客なんて、いつもこんなもんだろう」

「いやいや、なかなか役者が揃わないんでやきもきしてたんだが」


 そう言ってシャレイドは右手を上げると、ぱちんと親指を鳴らした。


「やっとのお出ましだ」


 シャレイドの右手は掲げられたまま、親指の先が彼の背後を指している。必然的に、ジノの視線の先を示しているということだ。シャレイドの芝居がかった仕草につられて彼の指差す先に目を向けたジノは、それまでの余裕が吹き飛んだかのように表情を強張らせた。


「あれ、シャレイドの後ろの、あの子って」


 カナリーがこっそりと指差す先を見て、モートンがわずかに顔をしかめる。対局を取り囲む観客たちの輪を押し退けて、最前列に出てシャレイドの真後ろに立ったその女は、先日モートンが衣服をひとまとめに投げつけた、背中までかかる黒髪が美しい女だった。


「フランゼリカ……」


 つい先刻までの喜色が嘘のように、ジノの目が急激に吊り上がる。その顔を見て、シャレイドは満足そうに頷きながら身を乗り出した。


「これでようやく舞台が整ったな、ジノ」


 ふたりの間に浮かぶ立方体に、シャレイドは癖の強いざんばらな黒髪が触れそうなほどに顔を近づけている。ホログラム映像越しのシャレイドに向かって、ジノは吐き出すようにして言葉を投げかけた。


「嫌らしい手を使いやがって、根性腐れの外縁星系人コースターめ」


 ジノの言葉を耳にして、シャレイドの挑発的な表情の中で唇の端がひくりと動いた。少なくともモートンの目にはそう映った。両者の間に剣呑な沈黙が訪れてしばらく後、ゆっくりと上体を起こしたシャレイドが、おもむろに赤の駒を動かした。


「さあ、お前の番だ。じっくりと考えてくれ」


 シャレイドが指した駒の動きに、モートンは目を見張った。隣のカナリーも「なに、あのバレバレの手」と呆れた声を漏らす。余りにも露骨な誘い。ジノが食いつけば、彼がそれまでじっくりと築いてきた包囲陣が一気に瓦解しかねない、そんな意図が明け透けな一手。

 だが、ジノは迷うことなくその誘いに乗ってしまった。それまで勝利への執念に向けられていたジノの怒りは、シャレイドの後ろで彼を見守るフランゼリカの姿を見て、完全に制御を失ってしまったようだった。一転して余裕の笑みを浮かべながら、シャレイドが次の一手を指す。ジノが再び間髪置かずに指し返す。そんな光景が繰り返されながら局面が進むに連れて、立方体の中に展開される戦況はあっという間に覆されていった。


 ジノが投了を告げるのに、それから三十分もかからなかった。色を失って俯くジノをよそに、シャレイドは席から立ち上がると、観客席のモートンに向かって指先を向けた。


「待たせたな、モートン。決勝ではお手柔らかに頼むぜ」


 興奮冷めやらぬ観客たちの注目を浴びて、モートンがどう反応したものか考えあぐねている内に、シャレイドはくるりと背中を向けてしまう。そのままフランゼリカの肩を抱いて、寄り添いながらカフェテリアを後にする友人を、モートンは憮然とした表情で見送るしかない。


 さすがに事情を察したのだろう、カナリーは硬直したままのジノに憐れみの目を向けている。


「……何があったか、聞かない方がいい?」

「多分想像している通りだから、わざわざ聞かなくてもいいんじゃないかな」

「全く、あの男は。限度ってものを知らないのかしら」


 両手を腰に当てて呆れ顔のまま、カナリーが大きなため息をついた。


「せっかくふたりの決勝進出をお祝いするつもりなのに、あいつに会ったらまた文句を言っちゃいそう」


 カナリーのため息よりも、モートンが反応したのは「お祝い」という単語だった。


「なんだい、お祝いって」

「何よ、気になったのはそこ?」


 モートンの問いに、カナリーは苦笑して答える。


「決勝の後だと、ひとりしかお祝い出来ないでしょう。だからふたり揃って勝ち上がった今夜、お祝いしましょう。安心して、私の奢りよ」

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