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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第二部 魔女 ~星暦六九九年~
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【第三章 開花】 第四話 クロージアン(3)【第二部最終話】

 スタージア代表の連邦評議会議員は、どことなく気弱な印象がつきまとう以外にはこれといった特徴のない、中肉中背の老人だった。


「連邦加盟国へのスタージア巡礼研修の義務化の折りにはご尽力頂きまして、誠にありがとうございました」


 連邦評議会の本部会場に通じる廊下で、イェッタは老人から丁寧な謝礼の言葉を受け取った。彼は今日をもって評議会議員の任期を終えるとのことで、縁のあった面々に挨拶して回っているという話だった。


「お陰様で若い人が多く訪れるようになって、スタージアも少しずつ様変わりしています。レンテンベリ議員には感謝の言葉しかありません」

「わざわざ恐縮です。巡礼研修の件は博物院長との約束でしたから、私としても義理を果たすことが出来てほっとしました」


 完璧に取り繕った笑顔で応じながら、イェッタは老人の精神を観察した。彼はいかにも影の薄い存在であろうと心懸けているが、その心根は柳のようにしなやかで、状況にただ流されているようでいながらも、決して揺らぐことのない太い幹がある。評議会議員には相応しいしたたかな老人だが、《スタージアン》の影響は受けていない。それどころかその存在すら知らないのだ。彼は老練な政治家だが、それ以外の何者でもない。


 評議会議員として派遣する人間にも、その存在を明かすつもりはないという《スタージアン》の意思を、老人は何も知らないままに体現している。


 そのまま二言、三言の会話を交わしてから、老人はまだ挨拶に回らなければならないと言った。


「是非また、レンテンベリ議員もスタージアにお越し下さい。院長導師も歓迎しますよ」


 別れ際の老人の言葉に他意はないことはわかっていたが、イェッタは曖昧に頷くことしか出来なかった。


 もはや彼女はこの地を、テネヴェを離れることは出来ない。


 タンドラとふたりきりで《繋がって》いる間は、まだ揃って行動すれば余所の星へと足を伸ばすことも可能だった。だが今、大勢の人々と《繋がる》ことを選んだ彼女に、テネヴェから飛び出すという選択肢はなかった。《繋がった》人々全員と同時に移動するという可能性は、ほとんどゼロに近い。仮に彼女がひとりでテネヴェ星系を飛び越えようとすれば、極小質量宙域ヴォイドを跨ぐ恒星間航行を果たした瞬間に絶命する運命が待ち受けている。


(暗い想像ばかりなされますな)


 イェッタの思考に割り込んできたのは、ピントンの思念だった。


(間もなくシュレス女史の葬儀の時間です。祭会堂で手配されてるベンバ様がお待ちですよ)

(……そうね。すぐ行くわ)


 ピントンの思念が口にする言葉は遠慮がちだったが、効率的に物事を進めようとする彼の性質は、好むとこの好まざるに関わらずイェッタの思念に流れ込んでくる。

 ピントンだけではない。生前のタンドラが見繕った人々はそれぞれが有能で、またテネヴェに足止めされたとしてもその影響は最小限となるような、絶妙の人材ばかりだった。彼らと《繋がる》ことでイェッタは、読心していただけではわからなかった様々な知識や思考を手にしている。

 より正確に言うなら、それぞれの思念が《繋がった》者同士の間で循環されて、互いに分かち合っていると言うべきだろうか。


 連邦評議会本部の正面玄関を出て、目の前の大通りでブレスレット型端末を嵌めた右手を挙げると間もなく、イェッタの前に無人のオートライドが停車した。

 かつては流しのオートライドを拾うのにしばらく歩き回らなければならないことも多かったが、今は五分も待たされることはない。街中の上空を飛び交う警備用ドローンが通信中継基地を兼ねることで、セランネ区の都市としての機能は飛躍的に向上した。セランネ区全域を覆う高度な一体型交通システムも、その産物のひとつだ。今ではオートライドを個人所有する者といえば、一体型交通システムが行き届いていない地方の住人か、個人の道楽でしかない。

 交通という分野に限らない、テネヴェが産み出してきた様々な情報管理システムは、銀河連邦の全ての加盟国に向けて輸出される主要商品でもある。


 イェッタひとりを乗せたオートライドは、程なくしてセランネ区最大の祭会堂にたどり着いた。かつてここでディーゴの葬儀が営まれた記憶は、彼女の脳裏に刻まれたディーゴ自身の記憶と相まって未だに生々しい。ディーゴの葬儀には多くの人々が訪れたものだが、今日は広々とした敷地内に屹立する祭会堂の本殿を静謐な空気が包んでいた。緑に覆われた敷地に射し込む午後の日差しが、やや肌寒い空気に一抹の温もりを与える。人影のない静かな広場を突っ切って、イェッタは祭会堂の本殿の中へと入っていった。

 本殿の中では、黒い長衣をまとったロカが待ち構えていた。イェッタは黒を基調としたワンピースであるとはいえ、私服姿のままだ。


「長衣には着替えないのか。祭会堂で貸してくれるぞ」


 ロカに尋ねられて、イェッタが小さく頭を振る。


「タンドラが、わざわざ畏まらなくてもいいって」


 そうか、と頷いて、ロカは傍らの棺に視線を落とした。棺の中には物言わぬタンドラが横たわっている。タンドラは痩せ細ってはいたものの、血色良く見えるように死化粧を施されたその顔を見ていると、ただ深い眠りについているようにしか見えなかった。彼女の頬にそっと手を伸ばして触れ、温もりが感じられないことを確かめてから初めて、タンドラは死んでしまったのだということを実感する。


 タンドラの最期の瞬間に、イェッタは立ち会うことは出来なかった。三日前にテネヴェを訪れたエルトランザの使者が連邦評議会で演説を披露することになり、テネヴェに滞在中の評議会議員も必然的に出席を強いられた。タンドラが危篤状態に陥ったのは、評議会本部の会場中央の演壇に立つ使者が、ありきたりの社交辞令を並び立てている最中のことであった。

 ふたりで惑星クロージアを脱出して以来、常に共にあり続けてきたタンドラの死が目前に迫って、イェッタは評議会本部の議員席の中で固く目をつぶっていた。肩を強張らせて、両膝の上に置かれて握り締められた拳に汗が滲む。例えピントンやほかの人々と《繋がって》いても、タンドラの死と共に評議会本部ビルの中で絶叫することになるのではないかという不安は、どうしても拭い去ることが出来なかった。

 タンドラの、今にも尽きそうな息遣いが、その都度イェッタの思念に届く。徐々に弱々しく、間隔が開いていく様子は、イェッタにはまるで死へと誘う儀式にしか思えなかった。会場は十分に空調が効いているのにも関わらず、背中には気持ちの悪い汗が滲む。奥歯を食いしばりながら永遠にも感じられる時間を過ごしている内に、(たった今、シュレス女史がお亡くなりになりました)というピントンの思念がイェッタを呼び掛けた。


 薄く瞼を開けて、タンドラの思念を呼び出そうと試みる。だがイェッタと《繋がる》範囲の中に見当たるのは、生前のタンドラの感情・思考・知識の記憶ばかりであり、彼女の自発的な意識はすっかり消え去ってしまっていた。


 イェッタの琥珀色の瞳に、安堵の色が広がる。


 生き残ったという安心感が、タンドラの死を悼むよりも先に生じた。その事実を、イェッタはもはや否定するつもりはない。病室でタンドラがロカに語ったように、イェッタ・レンテンベリはどうしようもなく死を恐れいている。そして死を免れるために、ピントンやほかの多くの人々と《繋がる》ことを選択した、そういう女だ。


 今なら自分がどうして《スタージアン》のことをあれ程嫌っていたのか、よくわかる。

《スタージアン》とは、同じような精神感応力を備えるイェッタにしてみれば、どこまでも生き延びたいと願う彼女の理想を体現した姿なのだ。彼女が《スタージアン》に抱いたのは嫉妬であり、羨望であり、そしてそこまでして生き延び続けようとする存在への同族嫌悪であった。何より彼女の理想を形にした結果が、いかに醜悪で、おぞましいものであるかを見せつけられたことへの、理不尽な怒りであった――


 祭会堂の本殿に併設された火葬場の屋根に屹立する、ひときわ高い煙突の上から棚引く煙を、イェッタとロカは無言で仰ぎ見ていた。遺体を焼却して、煙と共に遺灰を空に播くのは、初期開拓時代に宇宙船内で死亡した乗組員の遺灰を、宇宙空間に散布して弔ったという故事に由来している。空を見上げて故人を思い返せば、天に還った故人を偲ぶことに通じるという。晴れ渡った午後の空にタンドラの遺灰が舞い散っていく様を見ても、彼女の魂がそこにあるとは感じない。タンドラ・シュレスは自分たちの中に居ると、イェッタは思う。


「参列するのは、本当に私たちふたりだけで良かったのか」


 イェッタの傍らに立つロカが、晴天に掻き消えていく煙を見送りながら問う。彼の隣で同じように煙の行方を追いながら、イェッタは呟くように答えた。


「ディーゴが弔われたのと同じ祭会堂で、私たちに見送られれば、それで十分よ」

「彼女の両親が既に亡くなっているのは知っているが……」

「クロージアから脱出後、意識不明で面会謝絶を貫き通してきたから。以降の付き合いがあったのは私たちだけ」

「結局、私はタンドラの私的な部分は知らないままだったな」


 口調の端々に後悔を滲ませながら、ロカは青空の彼方へと消えていく煙から足元の地面へと視線を落とした。イェッタはしばらくロカの横顔を無言で見つめていたが、ふと足を踏み出して前へと歩み出る。


「私もタンドラも、クロージア以前と以後では別人みたいなものだから。以前のことを知っても、何が変わるというわけではないわ。それにタンドラも言っていたでしょう? 私たちが私とタンドラ、それぞれであり続けられたのは、ロカが居てくれたからだって」


 そう言ってイェッタはそのまま二歩目を踏み出し、祭会堂の前を離れて歩き出した。緑が生い茂る祭会堂の敷地は広く、木々に覆われた小径を抜ければその奥は小高い丘になっている。イェッタが小径に向かって歩き出すのを見て、ロカもゆっくりとだが彼女の後を追う。


 煉瓦が敷き詰められた小径は、両脇に季節外れの落ち葉が吹き溜まっていた。時たま踏みしめるとぱりぱりという乾いた音がするが、それ以外には木々の葉が擦れ合う音や鳥の囀りすら鳴りを潜めている。静寂に支配された林の中を、ふたりはただ黙って歩き続けた。先を行くイェッタの後ろから、ロカの靴が煉瓦敷きの小径を踏む度に響くこつこつという音がついてくる。わざわざ思念を探らずとも、ロカが真っ直ぐに後を追いかけてくることを疑いもせず、イェッタは林を抜けて丘にたどり着くまで一度も振り返ることはなかった。

 丘の上に立つと、眼前には今や銀河系でも有数の大都市へと急成長を遂げつつあるセランネ区と、さらにその向こうに広がるセランネ湾が一望出来た。湾の一番凹んだ辺りには、銀河連邦の関連施設でひしめく連邦区まで見て取れる。快晴の下に広がる街と海を見下ろして、イェッタはようやく足を止めた。やや遅れて、彼女の右隣りに黒い長衣をまとったロカの長身が並び立つ。


「そういえば、いつか落ち着いたら、私の過去を聞かせてあげるって言ったことがあったわね」


 ロカを振り返りながら、イェッタはそう口を開いた。


「そういえばそんなこともあったな」

「もっとも私の履歴書ぐらい、ロカならとっくに知っているはずだけど」

「イェッタ・レンテンベリの略歴で覚えていることと言えば……サスカロッチャの農園主の娘に生まれて、八歳のときに母親が事故で他界。その後は農園のことは父親と兄に任せて、当人はセランネの医学院で学んで志望通り医者になった。その後惑星開発調査員に抜擢されて、それぐらいだな」

「それだけ言えれば十分よ」


 イェッタは小さく笑ったが、すぐに笑みを収めると丘の下に広がる景色に目を向けた。

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