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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第二部 魔女 ~星暦六九九年~
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【第三章 開花】 第三話 アントネエフ卿の困惑(2)

 闇夜の中に煌々と照明を灯しながら聳える超高層ビル高層階の一室――銀河連邦常任委員長の執務室で、窓際に立つアントネエフは不機嫌な顔で目の前の光景を眺めていた。


 当初、セランネ区のホテルを丸ごと借り切ってスタートした銀河連邦常任委員会本部は、数年後にはセランネ区中心街区から数キロ離れた、海沿いの広大な敷地へと移転した。連邦評議会本部と併設する形で建設が進められた、後に『連邦区』と称されることになるセランネ湾の一画は、その全てが銀河連邦関連の施設で埋め尽くされている。

 巨大なドーム型の形状を取る連邦評議会本部とは対照的に、常任委員会本部が収まるのはテネヴェでも最も高い超高層ビルだ。高層階から一方に目を向ければ、情報産業都市として栄えるセランネ区の活気に満ちた街並みが、反対側にはセランネ湾の両端に突き出したふたつの岬に囲まれるようにして、穏やかな海面が広がっている。


 既に陽もとっぷりと沈んで、遠くに行き交う船舶の灯り以外には真っ暗な海面と、生憎の曇天で海面以上の漆黒ぶりが際立つ空に、アントネエフの青い瞳は向けられていた。

 齢も五十代の半ばに差し迫りつつあるアントネエフは、真っ直ぐな背筋に分厚い胸板や隆々とした腕周りを見てもわかる通り、その壮健ぶりは未だ衰えることがない。だが目尻や口元、首筋に表れる皺の数は、気がつく度に少しずつ増している。肉体的に、というよりも精神的に年齢を経たのだということは、いかに頑健をもって知られる『銀河連邦軍の父』であっても自覚せざるを得ない。

 アントネエフはしばらく親指と人差し指で両の目を揉み込んでから、再び顔を上げた。一瞬、目に映る景色がぼやけて空と海の境界が滲んで見える。だがすぐに視力が回復して、微妙に質の異なる漆黒を横一文字に区切る水平線の存在を確かめてから、アントネエフは窓の外の光景に背を向けた。そのまま執務席に腰を下ろし、デスク上の透過パネル型端末に目を向ける。端末に映し出されているのは、今日の連邦評議会で採決された議案の一覧だ。その一番上に表示されているのは、「銀河連邦加盟各国の教育課程へのスタージア巡礼研修の義務化案」であった。


「なんだ、これは」


 遡ること数日前、執務室で提出予定の議案一覧に目を通していたアントネエフは、その議題に気がついてそう呟いた。


「なんでしょう?」


 執務卓の前の応接用ソファに腰を下ろしていたピントン事務局長が、主人の言葉に気づいて首を伸ばす。


「スタージアへの巡礼研修を、各国の学生に義務づける、だと。提出者は……」

「複数の評議会議員の連名で提出されたものですな。取りまとめているのはレンテンベリ議員です」


 因縁浅からぬ相手の名前を聞かされて、アントネエフの太い眉がわずかにひそめられた。


「レンテンベリか……」

「彼女に対して思うところがあるのはわかりますが、議案自体には何か問題があるでしょうか」


 暢気な顔で尋ねるピントンを、アントネエフは鋭い目つきで見返した。


「内容そのものはどうこう言うものではないが、加盟国の教育課程への口出しなど、内政干渉と見做されないか」


 十年目を迎えた銀河連邦の権威は年々増しているが、その主目的はあくまで加盟国間の協力と調整とされている。加盟各国の内政については不問であることが、発足当初の理念のひとつだ。だから加盟国の政体も王制・貴族合議制・民主共和制など様々な形態が存在するし、連邦評議会議員の選出方法も各国に一任されている。教育制度も当然各国の専権事項のはずであり、そこに干渉するような議案は物議を醸しかねない。


「それは確かに、仰る通りですな」

「レンテンベリがどうなろうと構わないが、評議会にいらぬ騒動を持ち込まれるのも気に食わん」

「なるほど、なるほど。しかしバジミール様、この議案で評議会が揉めることはないでしょう」


 まるで屈託なく断言するピントンに、アントネエフが訝しげな目を向ける。


「なぜそう言い切れる」

「おそらく彼女もバジミール様がご懸念されているようなことは想定していたのでしょう。先ほど連名でと申し上げましたが、その数は三十三人。これだけの公式な賛同を事前に得ているのですから、評議会が紛糾する可能性は低いのではないでしょうか」


 ピントンの指摘を受けて、アントネエフは改めて端末の画面を覗き込んだ。議案提出者はイェッタ・レンテンベリの名を筆頭に、確かに全部で三十三名分ある。銀河連邦はこの十年でさらに三カ国が加わり全評議会議員数が四十一となったが、それでも採決に掛ければ間違いなく可決される数だ。


「むしろ、連邦が加盟各国に影響力を行使するための、足がかりとして利用するべきかと存じます」


 そう言いながらピントンはソファから立ち上がり、主人が着席する執務卓の前まで歩み出る。アントネエフは太い腕を組みながら、なおも低く唸っていた。


「……常任委員長に就任してからこちら、ずっと考えていることがある」


 アントネエフの独白めいた語り口に、ピントンは黙って耳を傾けた。


「私は銀河連邦の常任委員長であると同時に、スレヴィアの領主でもある。両者の利益が相反する場合、私はいずれを優先するべきなのだろうか」


 連邦が加盟各国の内情にまで口を出すようになれば、いずれスレヴィアにもその影響は及ぶ。イェッタたちが提出したこの議案がその契機になるとしたら、取扱は慎重にならざるを得なかった。採決はあくまで評議会議員全員の投票によって行われるとはいえ、彼らも常任委員長の意向は無視出来ない。評議会でこの議案についてどのような態度を示すべきか、アントネエフは決断しなければならなかった。


「バジミール様は、既にご自身の中でその答えを出されています」


 執務卓の前に立つピントンが、穏やかな表情と穏やかな口調で、そう答えた。


「以前のバジミール様であれば、迷うことなくスレヴィアを優先させていたはずです。それが今、銀河連邦の利益とスレヴィアの利益にそれぞれ価値があるとお考えです。そのこと自体、バジミール様にとって銀河連邦が意味あるものであるということでしょう」


 あくまで丁寧な物言いはいつものピントンのものだ。だがアントネエフは、忠実な部下の言葉に、名状しがたい違和感を覚えた。言い知れぬ《《圧》》を感じる。そう思って端末から顔を上げると、目の前にピントンの福々しい顔があった。


「銀河連邦にとっての利益はそのままスレヴィアの利益です。そう考えれば、自ずと答えも見えてくるのではないでしょうか」


 ピントンの視線はアントネエフの瞳からさらに身中に及び、脳裏の隅々まで覗き込んでいる。やがて意識の片隅をふと後押しされたような感覚が、アントネエフを襲った。


 思わず目を閉じて頭を振る。


 そして再び瞼を開いたアントネエフの顔には、先ほどまでに比べて清々しい表情が浮かんでいた――


 今日、加盟各国の教育課程においてスタージアへの巡礼研修の義務化を進める議案は、満場一致で可決された。議案提出者に名を連ねなかった者も、討議の冒頭で常任委員長が積極的な賛意を披露したことによって、賛成に投票したに違いない。ピントンの言う通り、この議案の可決は銀河連邦の権力を強化する最初の一歩になるだろう。


「なぜだ?」


 執務室に戻った瞬間から、アントネエフは何度呟いたかわからないその言葉を口にした。


 なぜ、自分はあれほどまでイェッタ・レンテンベリの議案に賛成してみせたのか。


 ピントンの言葉に頷くところがあったのは認めよう。銀河連邦は今や個々の惑星国家たちの共同体という意味以上の、強大な存在になりつつある。そして自分はその頂点に立つ常任委員長だ。スレヴィアという一個の惑星国家を超える判断を下したとしても、不自然ではない。

 だがそれにしても、まるでイェッタに迎合するかのような演説を垂れた自分が、自分で信じられなかった。あのような公式の場で、果たしてそこまでする必要があったのか。常任委員長が賛成するらしいことをそれとなく仄めかす程度で十分だったのではないか。現在の銀河連邦は四局長全てアントネエフの息がかかった者たちで占められ、ヴューラーの時代とは比べるべくもない、アントネエフ常任委員長一強の様相を呈している。彼の指先ひとつで銀河連邦は意のままになるはずなのに。


 思いつく限り最大の権力を手に入れたはずのアントネエフの胸中に、浮かんでは消えることのない漠然とした不安が広がっていく。彼の背後の分厚い窓ガラス越しには、波間に漂っていた船舶の照明もいつの間にか消えて、星明かりひとつない闇夜と暗い海面が織り成す暗黒が充満していた。

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