【第二章 邂逅】 第四話 女帝誕生(2)
「惑星開発計画は、日の目を見ることなく頓挫しました」
立候補演説の冒頭で、ヴューラーはそう言って初めて惑星開発計画の存在を認め、失敗を公言した。ヴューラーは彼女自身の責任を認めたわけではないのだが、その後に彼女が口にした内容のインパクトが強すぎて、対立候補は彼女の責任をそれ以上追及することが出来なくなってしまった。
「計画の頓挫が我々に示したものは何か。それは複雑化する星間情勢、特定の勢力による圧力がいや増す中、もはやテネヴェ一国でこれらの問題に対処するには限界があるという事実です。今、我々に必要なのは、各国間の利害関係の調整や横断的な協力を推進するための仕組みの構築です。テネヴェがテネヴェらしくあるために、またテネヴェのみならずこの銀河系人類社会が安定した発展を遂げるために、私が市長に当選した暁には“銀河連邦”の設立を目指すことを、ここに宣言します」
過去に何度も口にされた『銀河連邦』という言葉は、あくまで言葉遊び、机上の空論にとどまっていた。公の場で『銀河連邦』という言葉が用いられたのは、このヴューラーの立候補演説が初めてのことである。夢想めいた言葉を耳にして戸惑う聴衆に向かって、ヴューラーは一息吸い込んで後、元来声量豊かな声をさらに大きく張り上げた。
「銀河連邦構想の発案者は、先日不慮の死を遂げた市長補佐官ディーゴ・ソーヤ氏です」
思いがけない名前がヴューラーの口から飛び出して、聴衆のあちらこちらから驚きの声が上がる。
「生前、私は彼が唱えた銀河連邦構想に大いに感銘を受けました。前市長キューサック氏ともわだかまりを解消して協力関係に至ったのは、ディーゴ氏の仲介に依るところが大きい。彼が生きていれば、私はむしろ彼の市長就任を後押ししていたことでしょう」
大した役者だわ、という言葉が、タンドラの口をついて出た。ディーゴへの評価と市長への野心がまた別のものであることを、タンドラはよくわかっている。そんな彼女の感想をよそにどよめく聴衆を前にして、ヴューラーは壇上から一歩前に足を踏み出し、両手を大きく広げてみせた。
褐色の肌にトレードマークの赤いロングストールを身に纏うヴューラーの堂々たる長身は、広場に集う聴衆の目にひときわ映えて見える。
「テネヴェの、そして銀河系の発展を見据えた新たな道を示すことが出来るのは、ディーゴ氏の遺志を継ぎ、キューサック前市長に後事を託された、このグレートルーデ・ヴューラー以外にいないと自負しています。どうか皆さん、私の市長就任に力を貸してください。私には皆さんの力が必要です!」
力強く訴えるヴューラーの姿は、やがて会場をどよもす大きな歓声に包まれた。聴衆に手を振るヴューラーの顔からは、既に勝利を確信したかのような自信に満ち溢れた笑みが零れ出している。彼女の演説は従来の支持者だけでなく、キューサック前市長派を取り込むことに成功した――
ヴューラーの立候補演説の映像を、タンドラは端末を通して見ているわけではなかった。モトチェアの背凭れに身体を預けたまま、閉じられた彼女の瞼の裏には、任意に選び出したニュース映像から記事や関連資料などが恐るべき勢いで展開され、また消え去っていく。これらの情報がタンドラの脳裏に刻み込まれる処理速度は、視覚を通した場合をはるかに上回り、常人には及びもつかないペースで次々と蓄積されていった。
テネヴェという惑星中の情報を、ネットワークを通じて自由に見聞きできる。その術を、タンドラはスタージア宇宙港附属病院での治療を通じて、骨の髄まで叩き込まれていた。つい先日までは有線のケーブルを通じてしか機械と《繋がる》ことができなかったが、今はそんなものを介さなくとも無線通信の範囲内にある機械であれば自在に《繋がり》、その機能を存分に活用することが出来る。そして機械を通じたその先にいるヒトの思念もまた、自在に読み取ることが出来るのだ。
それがN2B細胞が持つ本来的な機能のひとつであり、スタージア――いや《スタージアン》はその機能を最大限に活用して、スタージア星系全域を完全に《繋がり》の下に置いている。そのことを知ったときはタンドラもイェッタ同様に戦慄したが、同時に自分たちの可能性が開けたことにも気がついていた。
《スタージアン》は自分たちと同じだけの能力を手にしたタンドラやイェッタに、その活用法を授けた。彼らはこの、ヒトとも機械とも《繋がる》ことの出来る特殊な精神感応力を、決して秘匿しているわけではない。タンドラたちのように自ら契機を掴んだのであれば、その先を促すことも躊躇わない。タンドラたちがこの能力をどのように使ってみせるか、むしろその点に興味を示している。
(つまり連中は、私たちがどんなに足掻いても、自分たちの足元にも及ばないと思っているのよ)
イェッタの苦々しげな思考が、タンドラの脳裏に割り込んだ。
(どこまでも上から目線、自分たちだけ次元が異なるという具合に。ふざけた奴らだわ)
(あんたがそこまで根に持つのも珍しいね)
(あの超然とした態度、私とは相容れないわ)
スタージアから戻って以来、イェッタは《スタージアン》のことをことのほか毛嫌いしている。その感情はタンドラにも否応なく伝わってくるが、かといって全面的に共感しているわけではなかった。むしろ《スタージアン》の能力をもってしても、支配できるのは一星系に限られるという事実が、彼女にとっては驚きであり、懸念でもある。彼らよりはるかに卑小な我々が、ローベンダールをも呑み込むような、テネヴェが主導する形で銀河連邦を築き上げる、その方法を模索しなければならないのだ。
(どのみち《スタージアン》のやり方は参考にならないわ。あれは支配ですらない、《繋げる》ことで相手を咀嚼していると言うべき。問答無用で私たちに襲いかかってきた、クロージアの生態系と同じよ。まさか銀河系の人間を全て《繋げ》ようなんて考えているわけじゃないでしょう?)
タンドラの懸念をイェッタは一笑に付した。確かに彼女の言う通り、銀河系中の人間が《スタージアン》のように《繋がって》いる世界を想像すると、タンドラだってぞっとしない。
(むやみに《繋げる》相手を増やせば、またディーゴみたいな犠牲が出る)
その点についてはタンドラにも異論はない。余程の必要性が生じない限り、タンドラもイェッタも新たな誰かを《繋げる》という発想はなかった。
(今はこの、テネヴェ中の機械と《繋がる》ことができる能力を、せいぜい活かすことにしましょう)
それこそまさに、この書斎でタンドラがモトチェアに腰掛けながらこなしている作業のことであった。タンドラが書斎で務める役割とは、テネヴェ中の機械同士を結んだネットワーク上を行き交う、様々な電子情報を余すことなく収集し、有用なものを取捨選択することだ。当面は市長選の推移について、そして今現在イェッタが赴いている地についての情報を、優先的に掻き集めている。
(それにしても、あんたの支持率が未だに五十パーセント台っていうのはどういうことなの。ヴューラーの支持だってあるっていうのに)
イェッタはヴューラーが市長選に出馬して空席となったサスカロッチャ選挙区の、補欠議員選挙に出馬している。イェッタの地元であり、彼女の父は地元の農業共同体幹部であり、何よりヴューラーが彼女の支持を明言していたが、イェッタ自身は圧倒的な支持を集めているというわけではなかった。市長補佐官のスタッフだったという経歴がかえってネックとなり、例えヴューラーとキューサックが協力を表明したとしても、保守的な気風が残るサスカロッチャでは少なからず拒否反応がある。彼女の対立候補も、元はヴューラー派だった地元出身の人間だ。タンドラはヴューラーが支持していると言うが、実際にはヴューラー派がふたつに分裂して、その一方からの支援を受けているという表現が正しい。
(選挙結果に手を加えるのが手っ取り早いと思うけどね)
機械に《繋がった》彼女たちにとって、選挙結果を自然に操作することなど、今やわけもないことだ。
(それは最後の手段よ)
イェッタはやんわりと、だがきっぱりとタンドラの意見を拒否した。
(票が割れているのは、銀河連邦構想を支持するかしないかの現れだわ。逆に言えば、半分以上は支持する人がいるってこと)
サスカロッチャ区での出馬の際、イェッタはヴューラーが市長選立候補演説で唱えた銀河連邦構想に全面的に賛同し、その推進を表明していた。
もちろん銀河連邦が成立すれば、加盟国間の移動の自由や関税障壁の撤廃によって、サスカロッチャ区の主要産業である農産物の輸出を後押しするだろうという、具体的なメリットがあることも説明している。だがそれ以前に、少なくとも市民にとっては突然降って湧いたような銀河連邦という概念がどれだけ受け入れられるものか、そこがイェッタにとっては不安の種だった。五十パーセント以上という支持率は、イェッタにしてみればむしろ望外の数字なのである。
(この土地に戻って、人々の気持ちに触れて実感したけど、私たちが想像していた以上に現状に危機感を抱いている人は多いのよ。こんな田舎でもね)
惑星開発計画が失敗した今となっては、わずかでも希望に縋りたいという人々は、思いの外多い。それが例え誇大妄想狂の大法螺じみた話だとしても、だ。この書斎から一歩も動かずとも、この星の住人たちの思念を受け止め続けているタンドラだから、イェッタの言うこともよくわかる。
いずれにせよ、イェッタは補欠議員選挙に不自然な手を加えるつもりはない。万が一に落選したとしても、それはそれでやりようがある。そうであればタンドラもこれ以上口を挟むつもりはなかった。
だがそれとは別に、タンドラには指摘しなくてはいけないことがある。
(機械が足りない)
余計な手出しは控えて情報収集に徹するにしても、世に溢れる電子情報の量は膨大過ぎる。全ての情報を網羅するにはタンドラとイェッタと、彼女たちに《繋がる》機械を計算資源に充てるとしても、とても足りないのだ。厳選した情報だけでもあっという間に記憶容量が一杯になってしまい、それ以前に取捨選択の段階での取りこぼしが多すぎた。
(テネヴェ中の計算資源を掻き集めても、情報を全て収めるのは不可能だわ)
(情報が多すぎてパンクしてしまう、というわけではないのよね)
(パンクしそうになる前に、自動的に蓋が閉まる。それがしょっちゅうだから、大事な情報も見過ごしかねない。不要と判断した情報はその都度削除しているけど、スピードが追いつかないよ)
(計算資源なんて一朝一夕で増やせるものじゃないわ。私たちがなんとか慣れていくしかない)
それにしても、とタンドラは思う。彼女たちはテネヴェ中の機械と可能な限り《繋がり》、それぞれの本来の機能を損なわないぎりぎりの範囲まで、計算資源に割り振っている。にも関わらずテネヴェという惑星を飛び交う情報はとても捌ききれていない。それでは二千万人以上のヒトと《繋がって》、なお外の知識を集め続ける《スタージアン》は、いったいどれだけの計算資源を必要とするのか。いくら歴史に差があるとはいえ、想像も出来ない。
(奴らは何か、とてつもない機械でも抱えているのかしら)
《スタージアン》が確保しているに違いない無尽蔵な計算資源の存在を、イェッタはごく自然に羨んでいた。その気持ちを、タンドラも完全に共有している。今や彼女たちは砂漠に水を求める旅人のごとく、機械と《繋がる》ことを欲している。
先日までケーブルに直結して生き存えている自分の姿はまるで《オーグ》のようだと自嘲していたが、それどころではなかった。自嘲する余裕すらない、浅ましくも機械と《繋がろう》とする今の姿こそ、まさしく《オーグ》そのものだ。
(だとしたら、《スタージアン》こそが《オーグ》なのよ)
どうしようもない現状への苛立ちから、イェッタは憎々しげに言い放った。
(奴らは《星の彼方》から追い出されたんじゃない。きっと自ら《星の彼方》を飛び出した、《オーグ》そのものなんだわ)