表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第二部 魔女 ~星暦六九九年~
48/223

【第二章 邂逅】 第四話 女帝誕生(1)

 抜けるような青空の下を、一頭の馬に跨がる人影が駆け抜けていく。栗毛を纏う馬の肉体は暴力的なほどの筋肉に覆われて、草原をひた走る姿はそのまま絵画に収めたくなるほどに荒々しい美しさだ。豪奢な装飾が施された鞍の上では、バジミール・アントネエフの逞しい体躯が、悍馬を手脚のように操っている。筋骨隆々とした背中に背負われているのは、狩猟用のブラスターライフルだ。


 アントネエフが栗毛の馬と共に駆けるこの草原は、彼の家が代々惑星スレヴィアに所有する広大な領地の一角――狩猟用地に充てた区画である。彼がこの狩猟地へと馬駆けに出るときは往々にして、内心に鬱屈したものを抱えているときであった。


 テネヴェ攻略は遅々として進んでいない。

 テネヴェの臨時議会が招集されないかもしれないというブリュッテルの指摘を受けて、アントネエフはテネヴェ市長キューサック・ソーヤへの連絡を取ろうとした。だがその矢先にキューサックの息子ディーゴが不慮の死を遂げ、会談を申し込むタイミングを失ってしまった。今もキューサックは失意のまま表に顔を見せず、公務も滞りがちらしい。そのままなし崩しに臨時議会招集も見送られ、現在に至っている。

 ディーゴ・ソーヤとは去年の祖霊祭で顔を合わせた記憶がある。痩せぎすの、おどおどした表情ぐらいしか印象に残っていない、いかにも小物然とした男だった。あんな男でも、先立たれれば落胆するものなのだろうか。アントネエフにはふたりの息子とひとりの娘がいるが、皆アントネエフ家の子息に相応しく利発に育っている。キューサックの心情は理解出来ない、あるいは理解しようとも思わなかった。


 鞍の下で荒ぶる悍馬の動きを、アントネエフは文字通り腕力でねじ伏せていた。この栗毛の馬を乗りこなせるのは、彼以外にはいない。圧倒的な力を振るう馬を、さらに上回る力で支配することに、アントネエフは喜びを感じる。彼という男の本質は、力と力の正面からのぶつかり合いを好む。だからこそ、ひたすら逃げに徹するキューサック・ソーヤという男は、理解の範疇外の存在だった。

 テネヴェにローベンダール惑星同盟への加盟を迫るに当たって、アントネエフは強圧的ではあったが隠し立てをしようとはしなかった。する必要も感じなかったというのが正確なところだが、同時にアントネエフという男なりの、テネヴェに対する誠実な申し出のつもりでもあった。しかしキューサックはそれに対する返答を、様々な理由をつけて引き延ばし続けている。武力行使を控えざるを得ないというアントネエフの立場を見越すかのような対応に、彼のさして余裕のない忍耐力もそろそろ限界を迎えつつあった。


「はっ!」


 アントネエフが馬鞭を振るうと、馬の尻の筋肉がぐっと盛り上がって、草原を駆けるスピードがさらに増す。そのままの状態でアントネエフは手綱から手を放し、背中のライフルを素早く構えた。並みの人間なら振り落とされてしまうであろう振動を、鍛え上げた両股でがっしりと鞍を挟むことで押さえ込み、はるか先に見える小高い丘陵に狙いを定める。間を置かずして銃口から一筋の光線が放たれ、獲物の微かな啼き声が聞こえた。アントネエフはスピードを緩めずにライフルを背負い直すと、そのまま丘陵の頂きまで馬を走らせる。

 丘の上では、まだ一歳に満たないであろう瀕死の子鹿が、息も絶え絶えにその身体からだを横たえていた。熱線に貫かれた腹部からは、皮膚や筋肉が焦げたとき特有のすえた臭いが鼻につく。獲物が虫の息であることを確認すると、アントネエフは右手だけでライフルの先を子鹿の頭部に向けて、躊躇わずにトリガーを引いた。子鹿は一瞬だけ全身を痙攣させて後、動きを止める。足元に横たわる物言わぬむくろを一瞥すると、アントネエフは手綱を引いて、今来た方向へと馬の鼻先を向けた。そのまま屋敷へと駆け戻る道中、悍馬の背に跨がる金髪の偉丈夫の顔には、未だ晴れぬ心中が去来している。


 屋敷まであと半刻余りというところで、アントネエフの左手首に嵌めたブレスレット型端末が、振動と共に小さな明かりを点滅させた。馬脚を緩めて、左手首を口元に寄せる。報告者はアントネエフが重用する部下のピントンという男であった。彼が馬駆けをしている間は、余程のことがない限り通信を控えるという不文律はピントンもよく知っているはずだが、その不文律を犯してでも連絡しなければならない事態が発生したということだ。朗報のはずがない。報告を受けたアントネエフもそんなことは承知していたが、にも関わらず彼の顔が驚きとも憤怒ともつかない形相に塗り替えられるまで、さほどの時間はかからなかった。「そこまでやるか……」という一言を漏らしたきり、馬上の逞しい人影が動きを止める。通信端末の向こうでは、主人が冷静さを取り戻すまでの沈黙の長さにどれだけ耐えられるか、ピントンの忍耐力が試されている。


 アントネエフを絶句させた急報、それはキューサック・ソーヤのテネヴェ市長辞任の報せであった。



 装飾に乏しい機能的なデスクの上に、三枚の透過パネル型端末が備え付けられている。天井から吊された大型のパネルも含めれば、目の前の端末は都合四枚だ。モトチェアの肘掛けの根元から上半身を抱えるように伸びたポールの先端には、これも透過型のコントロールパネルが設けられていた。このコントロールパネルは不要の場合にはポールごとモトチェアの中に格納できる造りになっており、移動の際には邪魔にならないよう工夫されている。

 これらの機器の内、実際に必要なのはコントロールパネルと透過パネル型端末一枚だということにタンドラが気がついたのは、ロカが全てを手配して設置が完了してからのことであった。さすがに今から返品するのは《《ばつ》》が悪くて、四枚の透過パネル型端末には申し訳程度に映像を流すようにしている。


 モトチェアのコントロールボールに触れて向きを変えると、壁一面のガラス窓越しには夜の闇を煌々と照らす、都会の街明かりが広がって見える。かつてディーゴの目を通して目にした景色を今、タンドラは自身の目で目の当たりにしていた。テネヴェ市の中心街区であるセランネ区にある高層住宅のワンフロア――生前のディーゴが住まいとしていた、八十八階建てマンション最上階のペントハウス型のフラットに、タンドラは居る。


 スタージア宇宙港附属病院での治療によって、タンドラはモトチェアに乗って自由に動き回れるようまで回復していた。これ以上となると現時点の医療技術では厳しいとのことだが、一年以上病室のベッドの上で首を動かすにも難儀していた身にしてみれば、病院を出て生活できるようになるだけでも御の字であった。退院と同時にイェッタの専属スタッフ扱いとなったタンドラは、イェッタのオフィス兼住居となったこのフラットに移り住んで既に半年以上が経過している。元々ディーゴとイェッタが同衾していたこのフラットは、タンドラにとっても十分馴染みが深い。手を加えた部分といえばモトチェアで移動しやすいように若干家具を模様替えした程度だ。外を飛び回ることが多く、帰宅しない日も多いイェッタに代わって、タンドラはほとんどこの部屋の主として生活している。


 タンドラが四枚の透過パネル型端末と向き合っているのは、生前のディーゴが書斎として使用していた個室だった。パネルにはいくつものウィンドウが開き、主にテネヴェの報道機関が報じる様々なニュース映像や記事が映し出されている。

 今日のテネヴェで人々の耳目を集めるニュースといえば、キューサック・ソーヤ市長辞任後の市長選だ。次期市長にはグレートルーデ・ヴューラーの就任が確実視されている。元々の人気実力に加えて、キューサックが後継候補を立てずにヴューラーの支持に回ったため、彼女の当選は九分九厘間違いない。キューサック派とヴューラー派は個々の事案によって是々非々の関係を保ち続けてきたと見られていたが、ここに来てヴューラーの下にひとつの会派としてまとまった。対立候補は数名いるものの、選挙そのものはほぼ彼女の独り勝ちと言って良い。


 ほとんど結果が見えているにも関わらず市長選が白熱しているのは、ヴューラーが立候補の際に唱えた銀河連邦構想が、市民に大きな衝撃を与えたためだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ