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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第二部 魔女 ~星暦六九九年~
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【第一章 覚醒】 第六話 遠い道程(1)

 テネヴェ・デキシング宇宙港は、独立惑星国家テネヴェが有する宇宙港湾施設の中でも最大規模を誇る、文字通りテネヴェの玄関口だ。それまで小型の貨物船舶しか受け入れできなかったテネヴェは、デキシング宇宙港の建設によって百万トン規模のスーパータンカーの寄港も可能となり、物資の搬出入量が飛躍的に向上した。結果、テネヴェの農作物が大量輸出されることで経済は右肩上がりの成長を見せ、国家運営の安定に大いに貢献している。宇宙港建設を指導した当時の指導者ハモルド・デキシングは、その完成を見届ける前に没したが、市民は彼に敬意を表して宇宙港にその名を冠した。

 キューサック・ソーヤは若かりし日にデキシングの下で宇宙港建設に携わり、彼の死後を引き継いで完成に尽力した。彼が市長の座に就くことが出来たのは、宇宙港建設の功績によるところが大きい。


 そのデキシング宇宙港から、今頃は彼の息子が、はるか彼方の銀河系人類社会最果ての星へと旅立とうとしているはずだった。一年と経たないうちに再びスタージアに向かうことになるとは、ディーゴも予想していなかっただろう。だが前回と異なり、この出立でディーゴが担う任務の重要性は、はるかに重い。


「そろそろ船が出る時間ですね」


 官邸の市長執務室で、イェッタが心持ち遠い目を窓の外に向けた。キューサックもつられて一瞬窓の外を見るが、普段から目に入る景色に変化があるわけでもない。彼はすぐに窓から視線を外して、イェッタに尋ねた。


「お前は本当に同行しなくて良かったのか。仮にも倅の秘書だろう」


 既に何度か確認していることではあるが、キューサックは改めて目の前の女に確かめずにはいられなかった。


「実際の外交の現場では、残念ながら私では経験が足りません。前回も同行されたとのことですし、ベンバ様がご一緒の方が間違いがないと思います」


 口ほどには残念そうな素振りを見せずに、イェッタは小さく頭を振った。


「それに例の草案を煮詰める作業が残っています。スタージアとの交渉材料になるよう、最低限の形は整えましたが、まだまだ公に出来るような代物ではありませんから。私はこちらに残った方が、補佐官のお役に立てるかと存じます」


 イェッタはそう言うと、執務室の壁際に設置された現像機プリンターから、一杯のティーカップを取り出した。器から匂い立つのは、通常よりも倍以上の濃度で漉されたサスカロッチャ産の茶葉の香りだ。濃緑の液体に満たされたティーカップをデスクの上に差し出しながら、イェッタは琥珀色の瞳に微笑を浮かべた。


「もちろん、ベンバ様不在中の代役が最優先であることは心得ております。ベンバ様に比べれば見劣りするでしょうが、どうぞ何なりとお申しつけください」

「ふん」


 少なくともキューサックの茶の好みについては、ロカからしっかり引き継いでいるらしい。市長は一口茶を啜ると、イェッタが先ほど言及した『例の草案』について口にした。


「あの草案は、よくできている」


 ヴューラーの別宅を飛び出したディーゴはその後三日もの間、公式の場に姿を現すことはなかった。四日目の朝にイェッタを伴って市長官邸を訪れたディーゴは、髭も剃らず、目の下にはくっきりとした隈を浮かび上がらせて、見るからに憔悴しきっていたが、目ばかりはぎらぎらと異様な輝きを放っていた。通信は信用ならない、と言ってキューサックにメモリーチップを放り渡し、そのまま執務室の応接ソファに勢いよく腰を下ろすや否や、ぴくりとも動かない。よくよく見なくとも、鼾すら立てずに眠りに陥っていた。


「補佐官はろくに睡眠も取られていらっしゃいません。ご容赦ください」


 そう言って頭を下げるイェッタの顔にも、少なからぬ疲労が滲み出ている。ほとんど不眠不休で仕上げたのだということは、言われずとも理解できた。メモリーチップを端末に読み込ませて内容に目を通す間、キューサックが一言も口を開かなかったのは、せめてもの気遣いだったろうか。


「加盟国間の航宙・通商・安全保障を確保することにより、域内の経済的発展を促す。連邦結成のポイントをこの三点に絞ったのは正解だろう。これ以上になると賛同者も得にくくなる。遅かれ早かれ処理すべき課題も増えていくだろうが、発足当初はこれでいい」

「市長閣下にもヴューラー議員にも、一発でお眼鏡に適うとは想像しておりませんでした」

「あの女も、議会を牛耳るだけあって相応の力量は備えている。見誤ることはなかろう」


 そう言ってキューサックはティーカップをデスクの上に置き、しばらくの間顎髭に手を当てていた。何かを考え込んでいるような顔の市長は、やがてイェッタに顔を向けた。


「ロカには既に話してあるが、お前にも伝えておこう」

「なんでしょう?」

「ディーゴが無事にスタージアを説得できた場合、私は次の議会前に市長を退くつもりだ」


 衝撃的な告白を受けて、だがイェッタはそれほど驚いた表情は見せず、代わりに市長の真意を推測する言葉を口にした。


「……ローベンダールへの対応を引き延ばす、最後の一手というわけですね」

「スタージアを引き込むことが出来たとしても、おそらく次の議会まででは、まだ時間が足りん。となるとアントネエフの窓口だった私が追いやられたことにでもしないと、これ以上の引き延ばしは難しい。間に市長選を挟めば、それなりの時間が稼げるはずだ」

「そうなると、次の市長には十中八九ヴューラー議員が就任されることになると思いますが、それでよろしいのですか?」

「構わん」


 そう答えるキューサックの皺だらけの顔には、市長の座への執心は見られず、むしろ満足げな笑みすら浮かんでいる。


「ここから先の大事には、今以上に様々な困難が待ち受けているだろう。あの魔女に苦労を押しつけられるというのなら、いっそ痛快というものだ」


 まんざら冗談でもなさそうな表情で、キューサックがくつくつと笑みをこぼす。彼にしては珍しいことだ。キューサックが肩を小刻みに揺らす間、イェッタは口を挟まないようにして次の言葉を待っていた。


「私が引退した後、ロカには倅の補佐を頼んである」


 ひとしきり笑った後、再びいつもの憮然とした表情を取り戻してから、キューサックはそう告げた。


「倅の目を覚ませてくれたこと、お前には感謝している。ただお前自身も言った通り、経験不足だけは否めん。その点でロカは役に立つだろう」

「私など、ベンバ様の足元にも及びません。足手まといにならぬよう、一層気を引き締めて参ります」


 イェッタが折り目正しく姿勢を正す。その姿を見て、キューサックは表情を保ったままにわずかに頷いてみせた。


「少しは()()になったとはいえ、倅はまだまだ半人前だ。ロカと一緒に支えてやってくれ」

「誓って、全身全霊を尽くします」


 イェッタは迷うことなく即答した。仕えて一年にも満たない主人に対して、随分はっきりと忠誠を誓うものだ。普段のキューサックであればそう訝しんだかもしれない。

 だが引退の決意を告げた今の彼にとっては、後事を託せる安心感が勝った。

 彼女の返事に再び頷いて、デスクの上のティーカップに手を伸ばす市長の横顔には、ほんの微かではあるが安堵の気配が漂っていた。

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