【第一章 覚醒】 第四話 三位一体(4)
つまりローベンダール惑星同盟への加盟でもない、惑星開発でもない別の方針ということか。そんな方針が都合良く思いつくものか。ロカがそう口にしかけるより早く、イェッタはおもむろにソファから立ち上がった。
「コーヒーが冷めてしまいましたね。おかわりを用意しましょう」
飲みかけのふたつのカップを丸テーブルから持ち上げて、イェッタは現像機の前に向かう。気勢を削がれたロカは、仕方なくコーヒーを用意する彼女を眺めていた。現像機のパネルを操作するイェッタの所作は至って自然で、ディーゴの暴走を咎められていることを気に病む様子などまるでない。
この女の、不思議なほどの落ち着きぶりはなんだ。
目の前に再び淹れ立てのコーヒーを差し出されても、ロカはすぐに手を伸ばそうとはしなかった。彼の態度に気を悪くするでもなく、イェッタはカップを手にしたまま、それまでの会話とは全く関係なさそうな話題を口にした。
「私が惑星CL4――いえ、先日の議会でクロージアと命名されたのでしたね。あの星の調査員だったことはご存知でしょう」
「もちろんだ」
「あの星は無人探査機が計測したデータだけを見れば、開発に理想的でした。まず海が存在し、また大気の組成もほとんど手を加える必要のないレベル。それだけに既に発達した生態系が存在しましたが、先人のノウハウを活かせれば問題ないはずでした」
「いちいち説明されなくとも、報告書の内容は私も目を通している」
「実際にクロージアに降り立ってみると、多少の危険な生物も見受けられましたが、とはいえ既存の装備で十分に対応可能でした。しかし彼らの真の特質は物理的な力ではなく、精神感応的な干渉力でした。個体ごと個別の干渉力であれば、まだ抵抗できたかもしれません。しかしクロージアの精神感応力は、その場にいる全ての生物の意識が互いに絡み合い、融合し、膨大な圧力となって我々を取り込もうと襲いかかってくるのです。どんなに強力な武器があったとしても、どうしようもありません」
「だから、それがどうしたというんだ」
ひたすらにクロージアの脅威を説かれ続けて、ロカは我慢できずにテーブルに拳を振り下ろした。ガラス面が振動し、コーヒーカップが耳障りな音を立てて揺れる。だがイェッタは、ソーサーの上に溢れた黒い液体に目もくれず、まるで諭すかのような口調で告げた。
「クロージアの生態系の在り方は、そのままテネヴェが取るべき道を示しています」
「……なんだと?」
「簡単な話です。ひとつひとつの個は弱くとも、大勢の個が結集すれば強大な力をも呑み込むことが出来る。これこそ今のテネヴェが範とすべき姿ではないでしょうか」
そこまで言ってからイェッタは一度口をつぐみ、カップに口をつけた。まるで生徒に問題を解く時間を与える教師のような間の取り方が気に障る。
だがそれ以上に、脳裏で導き出された回答がロカを戸惑わせていた。
同時にヴューラーが大法螺というのも納得できる。これが正解だとすれば、馬鹿馬鹿しい、しかし非常に魅力的な案だ。
ロカはイェッタを見返すと、その回答を口にした。
「独立惑星国家を糾合して大規模な共同体を結成し、しかもローベンダールまでその中に組み込む。それが新構想の正体か、レンテンベリ」
するとイェッタはカップを両手に持ったまま、穏やかな笑顔で頷いてみせた。
「補佐官はこの構想を、銀河連邦構想と呼んでいます」
「銀河連邦……」
「補佐官は、私の報告を聞いている内に閃いた、と仰っていました。クロージアの開発調査は失敗に終わりましたが、補佐官が新構想を発案する切欠になったのだとしたら、無駄ではなかったと思えます」
そう言ってカップをソーサーに戻す際に見せたイェッタの琥珀色の瞳からは、どこか自分に言い聞かせるような表情が見て取れた。考えてみれば、この女は未知の惑星で仲間の大半を失うという惨事に見舞われたのだ。その上、調査の結果が失望しかもたらさなかったのだとしたら、やり切れないままだったろう。銀河連邦構想が編み出されたこと、それ自体が彼女にとって救いになったのかもしれない。
奥の応接間の扉はまだ閉じられたままだ。防音が行き届いているのだろう、室内で三人がどのような会話を交わしているのかはわからない。イェッタは左斜めに顔を向けて、その先にある応接間の扉に視線を投げかけた。
「あの中では今頃、銀河連邦構想について様々に論じられているでしょう。ただ先週の時点でヴューラー議員からは概ね賛同の意を得ています。後は市長のご判断次第です」
キューサックはこの、銀河連邦構想をどのように捉えるだろうか。長年仕えているロカにも予想はつかない。キューサック・ソーヤの中には冷徹と明晰ともうひとつ、博打打ちのような性分が同居している。いずれも優秀な政治家には欠かせない資質だろうが、それ故にキューサックの判断を推し量ることは出来ない。彼はキューサックが一の指示を下せば十まで先回りして対応することには自信があるが、ゼロの状態からキューサックの思考を読み取れるとは考えていなかった。
「そうだな。後は会談の結果を待つこととしよう。それが我々の務めだ」
イェッタの言葉に頷いて、ロカはようやく二杯目のコーヒーに手を伸ばした。一口もつけていないコーヒーは既にぬるくなりかけていたが、渇いた喉を潤すには十分だった。
その晩、三者の会談は予定の一時間を大幅に過ぎて、夜半にまで及んだ。