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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第二部 魔女 ~星暦六九九年~
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【第一章 覚醒】 第三話 ヴューラーという女(2)

 セランネ区の繁華街の中でも、とりわけ高級な店が建ち並ぶ一角の、地下へと降りる階段の先にぽつんと飾り気のない無地のドアがある。その簡素な見た目に相違して、ドアの奥は入り口での入念なチェックをパスしないと入店できない会員制のクラブとなっており、往々にして相応の身分の人々が密やかな会談を持つための場として利用されていた。入店の条件は様々にあるが、最も重要なのは店のオーナーであるグレートルーデ・ヴューラーが承認した人物であることだ。


 もっともこの店がヴューラーの持ち物であるということは、関係者の中でもごく一部の者しか知らない。そもそもこの店の存在を知る者自体が少ないが、彼らにも店のオーナーはあくまで独立した個人であり、どの勢力とも結びついていないと思われている。己の名前を出すことなくこの店を立ち上げ、政財界の秘かな社交場として育て上げたことにより、利用者の情報を様々に吸い上げる。ヴューラーは情報源を悟られぬよう細心の注意を払いながら、これらの情報を上手に使って現在の地位を築き上げた。今やキューサック・ソーヤ市長の第一の対抗馬と目され、口さがない連中には「テネヴェの黒い魔女」と呼ばれるようになった彼女の、礎とも言えるのがこの店だ。


 今夜、ヴューラーは客として店を利用していた。店員の大半も彼女が真のオーナーであるということを知る者はいない。ヴューラーはあくまで上客のひとりとして、連れと共に奥の個室をあてがわれていた。

 用意された個室は、人数に比べて相当に広かった。大きな勾玉型の変形テーブルを囲むように、革張りのゆったりとしたソファが配置されている。ソファの奥にはさらにカウンター席まで設けられ、その後ろの棚には何本もの酒瓶がずらりと並んでいた。現像機プリンターによる再現ではない、取り置きの酒が用意してあるのは結構な贅沢である。


「今日の議会の様子を見る限り、市長派はどうやら手詰まりのようだね」


 棚に並んだウイスキーの瓶のひとつを手に取り、いくつかのグラスに注ぎながら、小太りの中年の男がそう言った。


「我々を籠絡しようと様々な工作を仕掛けてきているようですが、思った通りにいってないのでしょうね。惑星開発計画中断の責任問題も、あやふやに済まそうとしている嫌いがある」


 カウンターのスツールに腰掛けた若い痩身の男は、そう答えると手っ取り早くテーブルの現像機プリンターから取り出した蒸留酒で喉を潤す。


「計画そのものは市長の承認も得て実行したものだし、扱いに困っているところはあるでしょう。この調子でいけば、議会日程を乗り越えることは出来そうです」


 ソファに腰掛けた短髪の女は、中年男からウイスキーの水割りが入ったグラスをふたつ受け取ると、そのひとつを斜向かいの席に座るヴューラーにそのまま手渡す。だがヴューラーはグラスを受け取ろうとはせず、咥えていた特注の長いベープ管を口から離すと、大きな白煙を吐き出した。


「手詰まりなのは私たちも変わらないわ」


 蒸気の煙が晴れたその先には、微細に編み込まれた長い黒髪とチョコレート色の肌が特徴的な、大柄な女性の顔があった。深紅に染まった長尺のストールが、彼女の長身を包み込むようにゆったりと巻きつけられている様が、ただでさえ人目を引くヴューラーの姿を一層際立たせる。ヴューラーは背格好だけでなく顔の造作も全体的に大ぶりだが、中でも強力な眼光を放つ大きな目は、明らかに笑っていない。むしろ不機嫌さが滲み出ている彼女の表情に、残る三人はそろって肩を竦めた。


「惑星開発計画が中断されたことで、今後テネヴェが独立を保ち続ける手段は限りなくゼロに近くなった。市長は計画中止と共にローベンダールとの具体的な交渉に入るつもりだっただろうけど、それに代わる手段方策を提案出来ない限り、最終的にはその道しか残されていないということになる」


 三人の顔を見比べながらそう言い終えると、ヴューラーはようやく短髪の女からウイスキー入りグラスを受け取った。微かにグラスを揺らし、氷同士がぶつかり合う音色に耳を澄ましてから、おもむろにグラスを呷る。喉をごくりと鳴らしてアルコールを体内に注ぎ込んでから、ヴューラーは再び三人に顔を向けた。


「例え市長に取って代わったとして、その後の展望がなければ結局ローベンダールに呑み込まれて終わりよ。議会で晒し者にならずに済んだからといって、安心している場合じゃない」


 ヴューラーの鋭い視線に射すくめられて、三人ともグラスを手にしたまま口をつぐむ。ストールの下で長い脚を組み替えながら、ヴューラーは内心で嘆息していた。


 この三人は彼女が率いる会派の中でも比較的有能な類いのはずだが、それもヴューラーの指示あってのことだ。彼女の会派は議会でも最大勢力を誇るが、強引に会派を拡大してきた反動か、彼女に面と向かって意見する人材に乏しい。

 ヴューラーは一向に発言のない三人の顔を見比べつつ、ベープ管の吸い口を唇に挟む。

 対等に相談できる人材が欲しい。それが彼女の目下の悩みであった。


 室内に漂う空気とは裏腹に情感豊かな楽曲が室内に響く中、沈黙を打ち破ったのは、彼女の左手の中指に嵌められた指輪型の通信端末だった。ベープ管を唇から離し、控えめな電子音に合わせるかのごとく微かに明滅する光点に触れてから、ヴューラーは左手の甲を口元に寄せた。


「お楽しみのところ申し訳ありません、ヴューラー様」


 通信の相手は、彼女がこの店のオーナーであることを知る数少ないひとり、この店のマネージャーであった。店内では顔を合わせることすら控えようとする彼から、直接通信があるのは珍しい。


「何かあったの」

「ヴューラー様の招待で来店したと申される方がいらっしゃっています」

「私の招待?」

「はい。イェッタ・レンテンベリと伝えればわかるはずだ、と」

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