【第一章 覚醒】 第一話 祖霊祭(2)
スタージア博物院の敷地内中央に設けられた屋外ステージでは今夜、祖霊祭の式典が執り行われる。
博物院が主催するこの式典には、伝統的に銀河系中の様々な国々から代表が送り込まれ、参列してきた。ディーゴも惑星国家テネヴェ市を代表する、公式な参列者である。彼自身は全く興味の湧かない行事だが、各国の代表が集まる祖霊祭に顔を出すことは、実績を積むのによい機会である。彼の父にしてテネヴェ市長キューサック・ソーヤはそう言って、秘書のロカをお目付け役として同行させながら、ディーゴを代理人に送り出した。政治家という職業に魅力を感じないディーゴだが、だからといって代わりに何をするという目的も行動力もない。結局、ただ命じられるままに、こんな銀河系の片隅の星にまで足を運んでいる。
長衣に着替えて会場の参列者席に腰を下ろすディーゴの後ろでは、神妙な面持ちで着席するロカの頭が飛び出して見えた。同じように長衣に身を包んでいても、筋肉質で均整のとれた長身のロカと並ぶと、ひいき目に見ても中背のディーゴの貧相が際だって仕方がない。痩せぎすだというのに、数年来の暴飲暴食がたたって出張ってきた下っ腹を、意識的に力を入れて引っ込める。三十代半ばにさしかかったディーゴに比べてロカは七歳年上のはずだが、傍から見て健康的かつ魅力的に映るのがどちらであるかは明らかだった。
ロカ・ベンバは十年以上も前から、父の忠実にして有能な秘書である。大物政治家のひとり息子という立場に甘んじて、怠惰な生活を過ごしてばかりいた身の上としては、劣等感を刺激されることこの上ない。ディーゴは初めて出会った時から、ロカのことが苦手だ。
式典そのものは厳かに、つつがなく進行していった。ステージ中央の壇上に掲げられた巨大な尖塔の周りを、博物院生が扮した舞妓たちが優雅に舞う。舞台用に装飾された色鮮やかな長衣の長い裾が、楽曲に合わせて一糸乱れずたなびく様子が、列席者たちの感嘆を誘った。妙齢の女性への興味は人並み以上のディーゴも、舞妓たちの踊りにしばし見とれていたものの、その後に博物院長が祝詞を暗誦する下りでは、襲い来る眠気を撥ね除けるのに苦労した。
列席者たちにとっての本番はむしろ、式典後の懇親会にあった。
博物院の建物は、向かい合うように位置するふたつの弧状の建物と、その間に挟まれる中央棟から構成されている。懇親会の会場となったのは、中央棟の南端に設けられた展望台スペースであった。建物の南に広がる広大な緑地を見渡すことの出来る会場には、ディーゴたちと同じように長衣に身を包んだ人々の姿が多く見受けられた。だが道中で見かけた巡礼客に比べると、どの顔からもある種の緊張感やふてぶてしさ、あるいは傲慢な表情が窺える。ここに居るのは皆、スタージア博物院から招待された、各国の代表かその関係者ばかりだ。自然と、もしくは意図的に、よそ行きの表情を保つことが骨髄まで身に染みついている人種である。所々で穏やかな談笑が漏れ聞こえるものの、独特なよそよそしさが漂うのは当然であった。
「どいつもこいつもすかした顔して、お近づきになりたいと思える奴がひとりもいないね」
会場を一通り見回してそうひとりごちるディーゴを、横に並んだロカが小声で窘める。
「そういう台詞は思っていても口にしないでくれ。万一聞かれでもしたら大問題だ」
「いくら俺でも、こんなこと大声で喚くつもりはないよ」
「どうだかな。例えば奴にでも聞かれた日には、あなたひとりの首じゃ済まないぞ」
心持ち声を低く落としたロカが、わずかに目線を動かして指し示す。その先に居たのは、ロカに負けず劣らぬ長身の、堂々たる体躯を誇る少壮の男だった。オールバックにまとめられた金髪の下には彫りの深い顔立ち、そしてやや張り出し気味の顎が特徴的だ。数名と談笑する横顔には、遠目にもよくわかる力強い笑みが浮かんでいる。
「バジミール・アントネエフだ。ローベンダールは結構な大物を寄越してきたな」
ローベンダールと聞いて、ディーゴは弛緩した顔を心持ち引き締めた。政治に無関心を貫いてきたつもりの彼でも、ローベンダールの名を聞き流すことは出来なかった。
彼が代表する惑星国家テネヴェは、入植からまだ百年そこそこの歴史しかない若い国家である。だがローベンダール――正式にはローベンダール惑星同盟はそれよりもさらに若く、わずか半世紀足らず前に成立したばかりだ。おそらく今日の祖霊祭に参列したどこの国よりも新しい国家である。にもかかわらずローベンダールは今、銀河系人類社会で最も存在感を放つ勢力と言えた。
その理由のひとつは、初期開拓時代からの歴史を誇るエルトランザ、バララト、サカ以来、およそ二百五十年ぶりに誕生した四番目の複星系国家であること。また、銀河系人類史上初めて既存勢力からの武力独立を果たした国家であること。そして、独立後も周囲への拡大傾向が顕著であること。特に最後の理由が、テネヴェにとっては無視できない深刻なものであった。
ディーゴは気づかれないように観察するだけのつもりだったのに、迂闊にもアントネエフの青い瞳と目が合う瞬間が生じてしまった。途端に金髪の男は談笑を切り上げて、大股で真っ直ぐにこちらへと向かってきた。ディーゴがその場を離れる暇もなく距離を詰め、太い声で呼びかけられる。
「テネヴェ市長のご子息ですね。お初にお目に掛かる、惑星同盟のアントネエフです」
面と向かって大きな右手を差し出されて、ディーゴはぎこちない笑顔を作りながらその手を握り返した。
「ディーゴ・ソーヤです。アントネエフ卿のお噂はかねがね」
「恐縮です。本日はお父上の代理で?」
ほとんど真上から見下ろしてくるアントネエフの長身に気圧されて、ディーゴは思わずたじろいだ。背後にロカが控えていなければ、実際に二、三歩後退りしていたかもしれない。
「ええ、まあ。本来なら父が顔を出すべきなのでしょうが、あの、あれでなかなか多忙でして。僭越ながら、市長補佐官の私が代わりに出席することに」
「一国の首長ともあれば、お忙しいのも無理はない」
アントネエフは大袈裟に頷いた。彼の何気ない仕草に過剰反応しようとする内心を、ディーゴは必死に抑えつける。
「お父上とは一度しかお会いしたことはないが、実に理知的な方だった。是非またお目に掛かりたいものです。バジミール・アントネエフがそう申していたと、よろしくお伝えください」
アントネエフは含みを持たせた笑顔でそう言うと、右手を上げて軽く一礼して否やその場を離れていってしまった。ほんの二言三言交わしただけなのに、ディーゴにとっては息をつくのも困難な数分間だった。金髪の男の背中がよその談笑の輪に加わるのを見届けてから、ようやく大きな息を吐き出す。
「よく堪えたな。途中で失神でもしないか、ひやひやしたぞ」
ワインの入ったグラスを差し出しながら、ロカが声をかける。ディーゴは強張った笑顔で振り返った。
「そう思ってたなら助け船のひとつでも出してくれよ。見ろ、今になって膝が震えてきた」
「国の代表同士の会話に、秘書が口を挟むわけにもいくまい」
ロカの言うことはもっともなのだが、だからといってディーゴの冷えた肝が和らぐわけではなかった。ロカの手からひったくるようにグラスを奪うと、ディーゴはからからになった喉に深紅の液体を流し込んだ。
「あいつと顔を合わせたくないから俺を寄越したんだな、あのくそ親父」
アルコールを摂取して少し落ち着くと、ディーゴはそう言って父を毒づいた。
「去年、ローベンダール惑星同盟への加盟を迫りにテネヴェまでやって来たのが、ほかならぬあのアントネエフだ。あのときは市長が上手に立ち回ることで回答を先送りできたが、この場で再会してしまったら、話が蒸し返されるのは目に見えているからな」
真面目くさった顔でそう答えるロカを見て、ディーゴはそれ以上何も言う気が失せてしまった。グラスに残ったワインを飲み干すと、改めてアントネエフの長身に目を向ける。
ゆったりとした長衣の上からもよくわかる広々とした背中からは、自らの地位に揺るぎない自信を抱く者にしかまとうことの出来ない、迫力が溢れ出ているように思える。父やロカからも感じることのある同じような雰囲気は、自分には決して身につかないものだ。
こんな連中ばかりを相手にしなければならないなんて、全くまっぴらだ。
父の威光を笠に着て好き勝手にする放蕩息子として、後ろ指を指され続ける方が余程気楽だった。これ以上暴走されることを恐れた父が、急遽新設した市長補佐官などという役職への就任を強要してきたときに、なんとしてでも逃げ切るべきだった。遊び呆けるのももう少し程々にしておけば、こんな窮屈な立場に押し込められることもなかったろうに。
空になったグラスを手にしたディーゴに出来ることといえば、せいぜい自制心の効かなかった若かりし頃の自分を呪う程度であった。