【第五章 収穫期】 第二話 旅の軌跡(1)
長大な質量をもった、圧倒的な存在感。ところどころ微妙な濃淡はあれども、全体を俯瞰してみるならば、それは鮮やかな単色に染め上げられた巨大な個体群と言えるだろう。
鮮色に隈無く覆い尽くされた個体群は、だがその横腹とも言える部分に、明らかに濃度の異なる別の色が食らいついていた。
鮮色に比べれば圧倒的に濃厚なその色は、個体群を容赦なく食い荒らす部分が巨大な海洋生物のように大きな口だとしたら、その胴体部分は深淵の奥底へと延々と連なって、どこまで続いているのか果てが見えない。
鮮色を押し退けて個体群を染め返していくその色は、あっという間もなく主従を逆転させていく。見る見るうちに鮮色は隅へと追いやられて、いつしか個体群はつい先刻までとは異なる、濃厚色に染め変えられつつあった。
(こんなに圧倒的なんだ……)
銀河連邦全域は《繋がれし者》によってあまねく《繋がれ》ていた。彼らが染め上げたはずの色が、《オーグ》によってその上から綺麗に塗り替えられていく。
ファナは感嘆の念を禁じ得ない。
同時に《繋がれし者》を呑み込む《オーグ》自身もまた、緩やかにだが変化を見せつつあることに気がついていた。
《クロージアン》と《スタージアン》は曲りなりにも絡み合い、融け合った結果、《繋がれし者》へと変容を遂げた。《オーグ》は《繋がれし者》を咀嚼し、栄養として取り込んでいくかのように、銀河連邦を己の色に塗り潰していくように見える。だが濃厚色はいつの間にか鮮色と混ぜ合わせて生じた新たな瑞々しい色合いへと、徐々に全身を変容させていくのだ。
呑み込まれるというよりも、融合するという表現が正しいかもしれない。
(これほど急激に《繋がり》を広げることが出来たのは、お前の特殊能力を解析した結果だ)
彼女の驚嘆に応えたのは、ラセンの思念が発した声だ。
(ヒトが生来持つ感覚器官は、N2B細胞で特定の方向に強化することで、驚異的な精神感応力を発揮しうる。天然の精神感応力を排除し続けてきた《オーグ》には、到底発見出来なかったろう)
(そんな大層なもんだったなんて、これっぽっちも思ってなかったんだけどね)
連邦を、銀河系人類社会を瞬く間に融合していく《オーグ》の《繋がり》を見せつけられれば、ラセンの言うことにも頷くほかない。
(私とユタを《繋ぐ》絆程度にしか考えてなかったなあ)
(俺だって、連絡船通信を使わないで便利だとしか思ってなかった)
(いくらなんでも、それはないんじゃないの)
ファナの意識でも、ラセンの思考でもない。当たり前のようにふたりの間に加わった思念がヴァネットのものであることを、ファナはごく自然に受け入れている。
(ルスランなんか、とにかく周りにはばらしてくれるなって、口酸っぱく言ってたじゃない)
彼女は《オーグ》に蓄積された彼女自身の遺伝子や記憶、その他諸々のヴァネットを組成する個人情報に基づいたシミュレーションが組み立てあげた、仮想思念とでも呼ぶべきものだ。だが苦笑交じりの口調も台詞も、ファナの記憶にある生前のヴァネットのそれと全く変わらない。
(この力をものに出来ていたら、《スタージアン》は《オーグ》に勝てたのかな)
いつしか濃厚色が惑星スタージアに及ぼうという情景に触れて、ファナはそう呟いた。
(難しいでしょうね。仮に《スタージアン》があなたたちの力を手にしても)
(ああ。そもそも《オーグ》と《スタージアン》、いや《繋がれし者》とでは数に開きがありすぎた)
ヴァネットの発言を引き取ってラセンの思念が口にした回答は、《オーグ》に《繋がる》ヒトにとっては既知の認識である。
(銀河連邦の全人口が百億人に満たないわ)
(その程度のヒトを掻き集めても、《オーグ》を圧倒することは出来ない》
(この銀河系人類社会に至るまでの数百年、《オーグ》がどれだけのヒトと《繋がって》きたことか)
それぞれの思念の間で交わされる意識は、ともすれば言語化を経ずして交換される。高速かつ直截なやり取りに絡むのは、もはや彼ら三人だけの思念だけではない。
(千年前に《オーグ》が宇宙に放った開拓移民船は、およそ一千に上る)
(《オーグ》を構成するヒトの〇.五パーセントを費やした、大事業だった)
(そのうち極小質量宙域を発見することが出来た宇宙船は、一割にも満たない)
(さらに極小質量宙域の向こうで植民に適した惑星を発見し、定住出来た宇宙船はその一割)
(その後滅ぶことなく生き残り続けたのは、わずか七つだ)
ファナの脳裏に流れ込んでくる思念の奔流が、《オーグ》の歩んできたこの千年を淡々と語る。
(だがその七つの移民船の民たちは、それぞれに立派な社会を築き上げた)
(《オーグ》の下では決して花開くことのなかったであろう、それぞれに個性を持った特徴的な社会)
(世界と言い換えるべきだろう。《オーグ》が欲してやまなかった未知の、多様性に満ちた世界を、それぞれに発展させてきた)
行き交う思念の数はあまりに多く、もはやどれが誰の発言だかファナには判然としない。ともすれば自分が口にしているかのような錯覚すら覚える。だが発言者が誰なのか、ことさらに見極める必要を、ファナは感じなかった。
彼女はただ、胸中に思い浮かんだ感想を口にする。
(私たちのいるこの銀河系人類社会は、最後の七つ目なのね)
その意識に応えたのは、傍らに寄り添うラセンとヴァネットの思念だった。
(そうだ、ファナ。ここに至るまでに、《オーグ》は既に六つの世界を《繋げ》てきた)
(今では《オーグ》の構成人数は三百億人を超えるわ)
(この銀河系人類社会がたとえ全員《繋がって》いたとしても、《オーグ》の処理能力を破綻させることは不可能だった)
《スタージアン》の目論見は、その前提から成立し得なかったということだ。《スタージアン》や《クロージアン》はあれほど必死になって、《オーグ》に抗しようと奔走し続けてきた。その全てが無為だったと知らされて、ファナもさすがに無情の念を抱く。
(この世界は《オーグ》にとって、これまで《繋げ》てきた六つの世界とは比べものにならない、最大の収穫よ)
彼女の胸中に湧き起こった感情を読み取って、ラセンとヴァネットが代わる代わる語りかける。
(この世界の多様性は、ほかに比べて桁違いだ。ヒトが居住可能な惑星の数が三桁に達し、総人口も百二十億人を超える世界は、ここしかない)
(それにほかの世界は《オーグ》のように《繋がった》世界ばかりだったのに、ここは全く違う。《オーグ》の成立と共に絶滅したはずの天然の精神感応力は、この世界でなければ息を吹き返すこともなかったでしょう)
(お前とユタの《繋がり》も、この世界だからこそ生まれたってことだ)
自分と弟は、この世界だからこそ存在し得た。たとえそこになんらかの意図が介在したのだとしても、今のファナにはさして気にならない。
この銀河系人類社会の態様がいかに稀少で、《オーグ》の予想を上回る可能性を実現した来たかを説かれた上で、彼女の胸中に飛来するもの。それは彼女自身だけではない、千年掛けてこの地に達した《オーグ》が抱え続けてきた、《オーグ》そのものの想いであり、嘆息でもあった。
(でも、《オーグ》を上回ることは出来なかったんだね)