【第五章 収穫期】 第一話 海嘯(3)
ルスランはしばらく目を見開いてファウンドルフの言葉に聞き入っていたが、やがて彼女を押し退け、上体を起こした。押されるままに後退ったファウンドルフと正対するように、デスクチェアを回転させる。
気圧されるままではなく、彼女の顔を真正面から見据えて聞かなければならない。そう覚悟したルスランは、距離を取った先にゆらりと立ち尽くすファウンドルフの姿を見つめ直す。
「曾祖父がいったいどう関わっていると言うんだ。君たちのその、精神感応力強化を目的としたとかいう実験と、シャレイド・ラハーンディにいったい何の関係が……」
そこまで言葉にして、ルスランの舌は動きを止めた。
思い当たる節はある。シャレイド・ラハーンディは彼の能力を絶やさぬためと嘯きながら、銀河系中に“シャレイドの子”の種を播き散らかした実績がある。
乱倫ぶりへの非難を煙に巻くための弁明だろう。ルスランはこれまでそう考えていたが、その言葉が果たして曾祖父の本意だとしたら。
ならば彼の能力をより確実に継承する方法を探し求めて、《クロージアン》と協力する可能性だってあるかもしれない。
「元々、シャレイドの忠告が切欠なのよ」
ルスランの顔から視線を逸らして、ファウンドルフはまるで懐かしい友人でも呼ぶように、彼の曾祖父の名を口にした。
「彼の忠告に従って、《クロージアン》は《スタージアン》との連絡手段を様々に模索してきた。その一環として、精神感応力を強化した子供を産み出す方法を検討していたの。それを聞きつけたシャレイドは、自身の精子サンプルを使った実験を提案した」
意図的な目的を持って子供を産み出す――いや、造り上げると言うべきだろう。《クロージアン》や《スタージアン》がしばしば非人道的であることに今さら驚きはないが、そこに自身の曾祖父まで絡むと聞いて、ルスランの眉間に縦皺が寄る。
「ファナとユタの父親はもしかして」
「シャレイドよ」
ルスランから目を逸らしたまま、ファウンドルフは静かに肯定した。
「《クロージアン》の中でもN2B細胞の活動効率が高水準の女性と、シャレイドの精子を掛け合わせて産まれたのが、あのふたりよ。でも双子で産まれてきたのが誤算だった。彼らの強力な精神感応力は互いの間でしか発揮されず、しかもN2B細胞由来の精神感応力を受けつけなかった」
「君たちの目論見は外れたわけだ。失敗作の彼らをタラベルソの孤児院にこっそり預けたのは、君たちだったんだな」
「失敗作ですって?」
ファウンドルフはゆっくりと振り向きながら、その口元には悠然とした笑みすら浮かんでいる。まるでルスランの浅薄な言葉を嘲るかのようですらあった。
「《クロージアン》を親に持ちながら、彼らは《クロージアン》の《繋がり》から脱して生きていけるのよ。ある意味で成功例かもしれない、そう思わない?」
ファウンドルフにとって双子とは、羨望の対象だったのかもしれない。それとも同じ境遇であるはずの自分とは異なり、《クロージアン》という軛に縛られない双子が自由闊達に生きる様は、彼女にとって癒やしだったのかもしれない。
彼女が双子を話題にするとき、そしてユタを目の当たりにしたとき、不思議と親身な態度を匂わせていたのは、そういう理由だったのか。ファナを助け出そうと躍起になって見えたのは、それが必要なだけではなく、ファウンドルフという個人の思いが溢れ出していたからなのか。
「あの子たちに銀河系人類の未来を託すような、そんな真似だけはしたくなかった」
両腕を力なく垂らして、プラチナブロンドの髪が流れ落ちるように面を伏せたファウンドルフが、どんな顔をしているのか窺い知ることは出来ない。ただ彼女がどういうつもりでその言葉を吐き出したのかは、ルスランにもわかる気がした。
連邦全域への銀河ネットワーク完備は果たされた。だが一丸となって立ち向かえば本当に《オーグ》の撃退は可能なのか、実は誰が断言したわけでもない。
ただ想定しうる最も効果的な反撃手段がそれしかない、それだけのことである。
もしかなわなければ、最後はクロージアに送り出した彼らに賭けるしかない。銀河系人類社会を支えてきたはずの《クロージアン》や《スタージアン》が、《オーグ》の前ではなんと無力なことか。ルスランの耳には、俯いたままのファウンドルフの声なき嘆きが聞こえるような気がした。
彼もまた、激変する状況に追いつくことも出来ず、己の力不足を噛み締め続けてきたのだ。
今頃はクロージアにたどりついているだろう『レイハネ号』の乗組員のひとりは、彼の“妹”なのである。“妹”が読心者であるが故に苦しんできたことを、ルスランはよく知っている。その彼女がようやくスタージアという安息の地を得て、ユタという心許せる存在を身近に得たというのに、最後は彼らに全て押しつけるしかないのだ。
ルスランは自身の不甲斐なさを呪う声を、ファウンドルフの内心と錯覚したのかもしれない。
「《繋がれし者》が《オーグ》を打ち破れなかったとしたら」
ルスランは正直な胸の内を言葉にした。
「そのときはウールディとユタを信じよう。僕たちに出来ることはそれしかない」
「……ルスラン」
不意のファウンドルフの呼び掛けに、ルスランは違和感を覚えた。
彼女がファースト・ネームで彼を呼ぶのは初めてだから。そのことに気がついたルスランの目の前で、ファウンドルフがゆらりと顔を上げる。
乱れた白金色の髪を何本も額から口元に垂らしながら、妖艶であるはずの彼女の表情は一面蒼白だった。
「ごめんなさい、ルスラン」
壁に片手を突いて、ようやく身体を支えるのが精一杯なファウンドルフの顔は、肉厚の唇をわななかせて、青い瞳には恐怖と動揺と悔恨が揺らめいている。
見たこともない彼女の表情を前にして、ルスランは全てを悟った。一瞬の後、おもむろに伏せた瞼の下に水色の瞳を覆い隠して、
「かなわなかったか」
ルスランがそう口にした、その直後。
室内で対峙したままのふたりは、怒濤のように迫り来る巨大な思念の固まりに呑み込まれていった。