【第五章 収穫期】 第一話 海嘯(1)
ウールディ・ファイハ名義の小型プライベート宇宙船『レイハネ号』は、定員いっぱいの四名を乗せて最大三ヶ月の航行が可能となっている。
ラセンの宇宙船『バスタード号』が基軸フレームに様々なユニットが組み合わせ可能な、貿易商船らしい貨物運搬向きな構造であることに比べると、『レイハネ号』は推進・居住・荷室用のスペースを単体で包含した、デザイン性も考慮された機体といえる。宇宙船の製造規格として義務づけられている緊急時の質量牽引機能は備えているが、少なくとも通常の用途としては想定されていない。
だからテネヴェ=デキシング宇宙港のドックに待機中の愛機を、ボーディングブリッジのガラス窓越しに目にしたウールディは、眉根を下げて不機嫌もあらわだった。
「……可愛くない」
ウールディの感想は、その一言に凝縮されていた。
彼女の亡き愛犬の愛らしさをイメージしたはずの『レイハネ号』は、機体そのものには目に見えて変化はないものの、その後部には『レイハネ号』本体の五倍以上のずんぐりとした巨大なモジュールが取りつけられていた。モジュールは全面が無骨な銀色の直方体で、さらにその後ろには推進ユニットまで備わっている。
愛機の面影を完全に損なうような余計な代物を追加されて、ウールディが不満に思うのも無理はない。
「仕方ないだろう。『レイハネ号』じゃ大気圏を出たり入ったり出来ないんだから」
「いっそ、別の宇宙船を用意してもらえば良かった」
「操縦するのは俺だぞ。『レイハネ号』以外の宇宙船をいきなり宛がわれても、無理に決まってんだろ」
なおも不満げなウールディをそれ以上相手せず、ユタは改めて『レイハネ号』に取りつけられたモジュールに目を向けた。
装飾性の欠片もない、質実剛健というよりは研究設備めいた無機質さを放つそのモジュールは、軌道エレベーターに取りつけるための居住ユニットだ。主に惑星調査で使用される機材である。
『レイハネ号』を無残な姿に造り替えてしまったのは、今は融合して《繋がれし者》を名乗る、《スタージアン》と《クロージアン》たちである。そう打ち明けたのは、ウールディとユタが宇宙港に上がる前日に会ったカーリーン・ファウンドルフであった。
「惑星クロージアの静止衛星軌道上には、監視用の無人ステーションを配置してあるの」
ふたりにクロージアの詳細を説明するファウンドルフの顔からは、先日『カナリアン・テラス』で激高した面影はなかった。プラチナブロンドの髪の下から胡乱げな眼差しを寄越しながら、ファウンドルフはふたりが今後取るべき行動を告げる。
「監視ステーションのちょうど真下が、三百年以上前の調査地点よ。海上じゃないけど、監視ステーションにある簡易軌道エレベーターの台座程度なら、着座出来るだけのスペースは十分ある。安心しなさい」
「安心も何も」
淡々と語るファウンドルフに対して、ユタは戸惑った顔を向けた。彼がウールディからクロージアに向かうと告げられたのは、つい先刻のことなのである。そもそもユタはクロージアという惑星がどんな星なのか、その存在すら知らなかったのだ。
「なんでこの緊急時に、そんな未開の星に行かなきゃいけないんだ」
《スタージアン》と《クロージアン》が《繋がり》合ったその日から、ファナが彼の呼び掛けに応えない。《繋がり》の存在は認められるものの、彼女の思念がすっかりユタから背を向けてしまっている。双子の間で言う“閉じた”状態のままでいることに、ユタは焦りを感じていた。
ファナは《スタージアン》や《クロージアン》が提示した策を、快く思っていない。それどころかラセンや、《オーグ》の中に蓄積されているヴァネットの面影まで吹き飛ばしかねないものとして、生理的な拒絶を示している。
《オーグ》と化したラセンと共に過ごしているせいか、姉が《オーグ》に傾倒しているのは明らかだった。もしかしたら双子の《繋がり》の弱点――距離の限界を超えてしまえば、姉弟ともN2B細胞保有者と変わりないという秘密も、とっくに漏らしてしまっているかもしれない。そう考えると早急に手立てを打つ必要があるのではないか。
「ユタ、《繋がれし者》はファナを助け出す手を既に手配済みだったの」
焦燥感に駆られるユタにそう告げたのは、彼と並んで座るウールディだった。彼女の言葉に、ファウンドルフがやや自嘲気味に首を振る。
「残念ながら、失敗してしまったけどね」
驚愕から落胆へと表情を急変化させるユタの顔を、ファウンドルフが申し訳なさそうな上目遣いで覗き込む。
「あなたはファナ・カザールと《繋がって》いたから明かせなかったんだけど、極秘に進めていた救出作戦は《オーグ》に阻止されてしまった。相手の方が一枚上手だったわ」
「そんな、じゃあどうするんだよ」
ファナは《オーグ》にいずれ呑み込まれて、双子の特殊能力も手に入れた《オーグ》が銀河系人類社会を席巻する。そんな未来しか残されていないというのか。
「だから最後の手段として、あなたたちがクロージアに行くのよ」
ユタの顔を見つめるファウンドルフの青い瞳からは気怠そうな気配が消えて、代わりに浮かぶのは真摯な眼差しだった。
「何がだから、なんだよ。意味わかんねえ」
ユタには彼女の視線も、口にする言葉の意味も理解出来ない。思わず喚き出しそうになる彼の手の甲の上に静かに手が乗せられて、だがしっかりとした力で握り締められる。
「ごめん、ユタ」
驚いたユタが横に顔を向けると、そこには哀願するかのように半ば潤んだ、ウールディの大きく見開かれた黒い瞳が目の前にあった。
「まだファナと《繋がって》いるだろうあなたに、全てを明かすことは出来ない。《オーグ》に筒抜けになってしまうかもしれないから」
「ウールディ」
「後で必ず全部話すから。それまで待って」
ウールディの見たこともない真剣な眼光を受け止めて、ユタはそれ以上何も言えなくなってしまった――
流麗な機体の最後部に不格好なモジュールをぶらさげて、すっかり鈍重な外観になってしまった『レイハネ号』を見つめたまま、ユタは隣りに立つウールディに声を掛ける。
「後で全部話すって言ってたよな」
その言葉に反応したウールディが、彼の頬に視線を注ぐ気配を感じる。
だがユタは彼女に振り向こうとはしなかった。
ウールディが打ち明けようという、そのタイミング。それは彼にとって、そして姉にとってもおそらく決定的な瞬間なのだ。
一晩考えた末に得た回答が正解であることを、ユタはほとんど確信していた。にも関わらずわずかな可能性を求めて、彼は口に出して確かめずにはいられない。
「俺とファナの《繋がり》が切れた後で、そういう意味か?」
視界の外で、ウールディが息を呑む音が聞こえた。しばしの沈黙の後、やがて躊躇いがちな声による「うん」という返事が、耳に届く。
間違いであれというユタの一縷の望みは、あえなく潰えてしまった。