【第四章 惑える星々】 第三話 急襲(4)
ファナとユタの精神感応的な《繋がり》には、距離的な限界がある。
そのことはラセンやヴァネットの知識を獲得済みの《オーグ》も了承していたが、「《繋がり》が解けたら、私もユタもただのN2B細胞保有者と変わんない」という事実は、ファナ自身の口から聞いて初めて知り得たものであった。
ファナとユタの特殊能力の解明について、《オーグ》はそれほど急いでいたわけではない。
サカ領全域、そして旧バララト系諸国やエルトランザ、銀河連邦の一部とも《繋がり》始めている。《オーグ》が仕込んだ自律型通信施設は、彼らの想定でも最速の進度でこの銀河系人類社会に普及しつつあり、このペースでいけば十年も経たない内に全域と完全に《繋がる》ことになるだろう。
双子の能力を解明するのは、それからでも遅くない。ここに至るまで千年をはるかに超える時間を経てきた《オーグ》にとって、わずか十年という日時を耐えるのはいかほどの苦にもならない。
ただ同時に、ファナから解明の手がかりを聞き出す労力も厭わない。あらゆる手段を十分に講じておいて、成果が出る段になって最適解を選択する。それは悠久の時を超えて数多のヒトや機械と《繋がり》続けてきた、あらゆる事態への対処が可能な余裕を十分に備えた、《オーグ》の常套手段であった。
「いずれユタもウールディも、みんな《オーグ》に《繋がる》んでしょう」
そう尋ねるファナの瞳は、ホテルのベッドに泥のように身を委ねていた頃に比べれば、幾分生気を取り戻しつつあった。
「そうだな。《オーグ》はこの銀河系人類社会のヒトを、誰ひとり取りこぼすつもりはない」
ラセンの肯定の言葉を耳にして、ファナの顔に一瞬だけ安堵の表情がよぎる。
「じゃあ、また会えるんだよね」
「ああ」
「だったらそのときに謝ることにするよ」
「そうか」
短く相槌を打つラセンの横顔をちらりと見上げると、一歩前に踏み出したファナはそのまま彼の先を歩く。ホテルに軟禁されている間まとっていた淡緑色のワンピースに替えて、今日のファナの身を包むのはタイトなボディスーツに機能的なベストとショートパンツ、そして頑丈なブーツだ。
彼女が宇宙船『バスタード号』に乗り込むときの着慣れた格好を取り戻して、心なしかその足取りも軽い。
「『バスタード号』はずっとドックに係留したまんまなの?」
一瞬足を止めて振り返ったファナの問いに、ラセンは微かに顎を引いた。
「ここに来たときと同じ、二十八番ドックだ。いつでも出せるようにしてある」
「ここに来たときと同じ、ね」
ラセンの言葉を、ファナが呟くように反芻した。伏し目がちの目元には、ちらりと感傷が見え隠れする。だが彼女はそれ以上の感情の発露を悟らせぬかのように、すぐに背中を向けて歩き出した。
人っ子ひとりいない、閑散として殺風景な宇宙港のロビーを行くファナの後を、ラセンは黙ってついていく。
スレヴィアにいるファナと、テネヴェにいるユタの精神感応的な《繋がり》は、距離的に限界にある。その限界を超えてしまえば、ふたりともただのN2B細胞保有者になる。N2B細胞保有者となったファナは《オーグ》と《繋がり》、そして双子の持つ特殊能力は《オーグ》に解析される。《オーグ》が双子の能力をコピーして自らのものとするまで、それほどの時間は要しないだろう。
そのためにファナはスレヴィアを発ち、隣接するタラベルソに向かう。
「本当だ、しっかり手入れされてるじゃん」
『バスタード号』の船内に数ヶ月ぶりに乗り込んだファナは、あちこちを見て回りながら感心するような声を上げた。彼女がリゾートホテルにいる間、『バスタード号』は外装内装を問わず完璧に補修され、推進剤その他の補給も満載されて、ほとんどオーバーホールに近いメンテナンスが施されていた。
「こんなフルメンテして、支払いは大丈夫なの?」
「気にするな。全部《オーグ》の奢りだ」
そもそも《オーグ》と《繋がった》惑星で代金の支払いなど発生するはずもないが、ファナは屈託なく喜色を浮かべる。だが彼女が個室のひとつに踏み込んだところで、その笑顔は途端に沈んだ表情へと取って代わられた。
「ヴァネットの持ち物は、そのままに遺してくれたんだね」
そこは生前のヴァネットの私室であった。
星の上よりも宇宙空間で過ごす時間の方が余程多い宇宙船乗りは、私物も船内に保管することが多い。壁際のデスク上には、ヴァネットが行く先々で買い集めた小物が所狭しと固定されている。船外窓の側には寝袋が立てかけられて、その隣りの壁に掛けられたパネル型モニタには、静止画像が定期的に切り替わるように映し出されている。
そこには若かりし頃のヴァネットやラセンだったり、まだ幼いウールディにルスラン、シャーラ。ファナにユタも加わって、ジャランデールのファイハ邸で勢揃いした画像もあった。
「これはもしかして、ヴァネットのお父さんと……」
「俺のお袋だ」
モニタの中では長身を派手な装いでくるんだ、目力の強い凜々しい顔立ちの女性と、いかにも気さくな笑顔の似合う小柄な男性が肩を並べている。ファナは唇を半開きのまま、ああ、と呟いた。
「私がこの部屋にお邪魔するときはいつもこのパネルの電源切られてたから、初めて見た。そっか、ラセンのお母さんってこんな綺麗な人なんだね」
「今はもうすっかり婆さんだ。年の割にはぴんぴんしているけどな」
モニタに見入っていたファナはラセンの言葉に直接答えず、振り向くことないままぽつりと呟いた。
「ここに映ってるみんな、シャーラも、ラセンのお母さんも、いずれ《オーグ》に《繋がる》んだね」
ふたりを乗せた『バスタード号』はドックから離れ、やがて宇宙港から十分に距離を取ったところでメイン推進エンジンを点火した。
スレヴィア星系とタラベルソ星系を結ぶ極小質量宙域に向けて、宇宙船は宇宙空間を音もなく突き進む。《オーグ》にコントロールされた『バスタード号』は、ファナやラセンの手も借りずに動いている。そう聞かされたファナは愕然とした顔で立ちすくんだ。慣れ親しんだ宇宙船すらも《オーグ》に奪われてしまったという感覚に襲われたのかもしれない。やがて暗い顔つきのまま、ファナは何も言わずに私室に閉じこもってしまった。
ファナ・カザール個人でいられる時間は、極小質量宙域にたどり着くまでの残りわずかだ。彼女がどんな思いで、その時間をひとりきりの空間で過ごすことにしたのか、《オーグ》にはまだわからない。
操縦席に無言のまま腰掛けたまま微動だにしなかったラセンがふと顔を上げたのは、『バスタード号』がスレヴィア宇宙港を進発しておよそ十七時間後のことだ。
ラセンの身じろぎと共に、彼の周りに複数のホログラム・スクリーンが空中に展開する。同時に据え付けのモニタにも俄に動きが見える。それぞれの画面はいずれも多数の――それも宇宙戦艦クラスの艦船も含まれる船団を発見したとの情報を訴えている。船団は既にタラベルソ方面の極小質量宙域を超えて、そのさらに奥深くまで入り込んでいた。
《オーグ》は船団がイシタナ方面の極小質量宙域に出現したときから、当然彼らの動きを追っていたが、それ以上の手出しをしようとはしなかった。どのみちスレヴィアの守備隊程度の戦力では、足止めすらかなわない。やがて船団は索敵範囲外の宙域に脱して、その姿をくらましていた。おそらくスレヴィア星系の外周部からさらに遠ざかって、大きく迂回するようにして進撃してきたのだろう。ひとたび見失った船団を再発見したのは、彼らが突き進む先に配置されている自律型通信施設である。
再発見した船団を構成する艦船に干渉しようとした《オーグ》は、それが無駄であることをすぐ悟った。艦船にヒトの気配はなく、また通信設備も完全に無力化されているらしい。《オーグ》の精神感応力を受けつけない仕様を施された艦船は、事前に登録されたプログラムに基づいて動いているだけなのだろう。
その狙いが自律型通信施設の破壊にあることは、無論《オーグ》も察している。
スレヴィア=タラベルソ間の《繋がり》を断ち切って、スレヴィアを《オーグ》の《繋がり》から解放し、引いてはファナを取り戻す。彼らの目的を正確に見極めながら、ラセンの顔には取り立てて慌てる気配はない。ただ眺めるといった程度に注がれる複数のスクリーン上では、やがて船団からいくつものミサイルが発射されたことを告げる報せが表示された。
ミサイルの一群は船団を発見した自律型通信施設に正確に照準を定めて、一斉に襲いかかった。多少のデブリならものともしない、液体金属製の自律型通信施設とはいえ、爆発四散に特化したミサイルの前ではひとたまりもない。タラベルソ方面の極小質量宙域寄りに配置されていた自律型通信施設は、いくつも重なる球状の爆発光に包まれた後には、跡形も残らなかった。
「ひとつ、ふたつ……思ったよりたいしたことなかったな」
スクリーンに表示される戦況を目で追っていたラセンは、だが、未だ《オーグ》のままであった。
スクリーン上では船団がさらに奥へと向かい、自律型通信施設のさらなる破壊を求める動きが見て取れた。
船団を示す光点の群れは速度を上げていたが、その先頭の一部分が不意に消える。
一部分と思われた光点の消失は、時間を追うごとに徐々に拡大していく。光点群は少しずつその数を減らしていき、一時間もしない内に全ての輝きが失われていた。
「艦隊戦のプログラムまでは仕込んでなかったらしいな」
絡み合った頭髪を無造作に掻きながら、ラセンはぼそりと呟いた。
彼の視覚が捉えるのは、目の前のスクリーン上の表示だけではない。極小質量宙域を超えたその向こうの宙域にたたずむ、エルトランザ領デスタンザ守備隊の旗艦内の様子が、脳裏に映し出されている。
(艦隊戦では連携が肝要だからな。通信機能は不可欠だ)
(かといって通信が生きていたら、無人船団が丸ごと《オーグ》に《繋がって》しまうか)
(どのみち彼らには仕込みようがなかったということだ)
ラセンの呟きに応えたのは、デスタンザ守備隊旗艦の指揮官席に腰掛けて長い脚を優雅に組んだ、ジョンセン・ガークの思念であった。
(待機していた正統バララト軍は今、自律型通信施設の再配備中だ)
(艦船の通信機能が使えるなら、わざわざ補充する必要もないんだがな)
(ヒトも戦艦そのものもエネルギー消費量は半端じゃない。早晩にガス欠する)
(まだしばらく自律型通信施設は必要だよ)
もはやジョンセンなのか誰のものなのかも定かならない思念の交換の末に、ラセンに向けて投げかけられた声には、少なからぬ期待感が溢れていた。
(君が抱えるお姫様をお迎え出来れば、それも不要になるだろう)
その声と同時に、ラセンの視覚にはファナの私室内の様子が映し出された。
何かを噛み締めるかのような表情で、ファナは船外窓の外を見つめ続けている。たった今まで無人船団とデスタンザ守備隊の間で戦闘が交わされたことなど、彼女には知る由もない。ファナの思い詰めたような横顔を意識野に認めながら、ラセンは――《オーグ》はそれ以上を詮索しようとはしなかった。
彼女が何を思って宇宙空間を眺めていたのか。極小質量宙域を超えて《繋がり》さえすれば、いずれわかることなのだ。