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星の彼方 絆の果て  作者: 武石勝義
第五部 ハーヴェスト・レイン ~星暦九九〇年~
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【第三章 濁流】 第三話 血族の呪縛(1)

 シャレイド・ラハーンディは、トゥーラン自治領のみならず銀河系人類史に大きな足跡を残した。それは衆目の一致するところである。

 ただ彼という人間を評するには、一言で言い表すことは難しい。


 外縁星系コースト動乱においては卓越した戦略家であり、また神出鬼没の外交官として自治領の成立に大いに貢献した。その後は初代の外縁星系開発局長としてテネヴェに赴任して辣腕を振るい、その功績をもって二代目の自治領総督に就任する。


 ところが彼の総督在任期間は、わずか一年半余りと短い。


 前任の初代総督ジェネバ・ンゼマは二十三年という在任期間を務め、未だ破られることのない最長記録を誇る。一方でシャレイドの在任期間は歴代最短記録としてこれまた破られることのない、不名誉な記録として残っている。


 シャレイドが短期間で総督を退いた理由は、公式には一身上の都合としか記されていない。だが様々な意味で注目されていた彼のこと、その引退理由については数多の憶測が飛び交った。いわく外縁星系コースト動乱中に銀河系中を飛び回った無理がたたっただの、いわく彼の才能は外政に特化したものであり内治に向かなかっただの、いわく政敵たちとの政争に辟易しただの。


 そのほとんどはわずかな真実を針小棒大に捉えて、まことしやかに語り伝えられたものばかりであり、少なくともシャレイド自身が意に介することはなかった。ただ、彼が自ら引き起こした女難で引退する羽目になったという噂だけは、シャレイドも苦笑せざるを得なかったと伝わっている。


 シャレイドが総督に着任する以前、テネヴェに駐在している頃から、彼の子を称する者が銀河系の至る所で現れていたのは、間違いのない事実であったからだ。


 彼の女癖の悪さは若い頃からつとに有名だったが、それにしても自称落胤の数は尋常ではなかった。明らかな便乗も含めれば二十名を超えたであろう。遺伝子情報を解析すれば即座に解決する話だったが、シャレイドはあえてその手段を採らなかった。代わりに彼は、彼の子と名乗り出る者たちを全員実子として認めてしまった。


 彼はその生涯で一度も妻を娶らなかったが、にも関わらず二十人以上の子を持つことになる。“シャレイドの子”は既に成人済みの者から就学前の児童まで年齢は様々で、それどころか髪や肌、瞳の色まで千差万別であった。シャレイドは成人した者には職をあてがい、そして未成年の子供たちには充実した教育を施すことに専念する――


「我々ラハーンディ一族の基礎を築いたのが、その“シャレイドの子”たちだ」


 ラージ・ラハーンディはそう言うと、分厚い唇の間に咥えていたベープ管の吸い口を離し、白煙を吐き出した。


 一瞬水蒸気の塊に覆われて、程なく晴れた向こうに現れるラージの顔は、室内の薄暗い明かりが作る陰影によって迫力を増す。一人掛けのソファに深々と埋めた巨体。そして剃髪に大ぶりな目鼻立ちという異相に睨まれると、ユタはもちろん実の娘であるはずのウールディでさえ、射すくめられたかのように全身を強張らせてしまう。


 トゥーランにたどりついたウールディとユタは、到着すると間もなく総督府に直行したのだが、すぐさまラージと面会出来たわけではなかった。

 約束もない唐突な申し入れに対して、例え相手が身内だとしても、ラージがわざわざ公務を割くことはない。結局面会がかなったのはトゥーラン到着から三日後、それも夜半、ラージの私邸を訪ねてのことだ。


 トゥーランにおけるラージの私邸は、総督府ビルが聳えるトゥーラン解放記念公園と同じ敷地内にある。公園そのものが中心街区でもやや小高い丘の上に広がっているが、私邸があるのはその中でもさらにこんもりとした、ちょっとした小山の上だ。周囲から見下ろされることを嫌ったのだろうと嘯かれるその邸宅は、大きさはそれほどでもないが瀟洒な外観の、総督の住まいに相応しい佇まいをたたえている。


 深夜に訪ねたウールディとユタが通されたのは、派手な装いが奢られた応接間である。ふたりはいかにも高級そうな革張りのソファの端にそれぞれ腰掛けて、向かいに座るラージと正対していた。

 部屋の壁際にはウールディもユタも初めて見る、自ら薪をくべる暖炉に火が灯っている。ちょうどトゥーランは冬期の最中にあり、暖炉の中からは薪が弾ける音と共に柔らかく暖かい光が零れて、三人の横顔をゆらゆらと照ら出した。広々とした応接間の明かりといえば、そのほかには隅のライトスタンドが灯す控えめな照明だけであった。


「シャレイド・ラハーンディが表舞台から退いて以降、自治領総督は三代を重ねたが、その間“シャレイドの子”たちは雌伏を続けて力を蓄えてきた。そして中でもシャレイドの資質を最も色濃く受け継いだと言われるヤシュミ・ラハーンディが、第六代総督に就任する。成長して各界で名を成した兄弟たちが彼女の総督就任に尽力したことは、広く知られているところだ」

「私の祖母ですね。お会いしたことはないですけど」


 ウールディが緊張した面持ちのままそう言うと、ラージは大きな目を見開いたまま頷いた。


「巷では総督の座を追われたシャレイドの無念を、その子供が晴らしたのだと。いや、シャレイドはいずれラハーンディ一族による自治領支配を目論んで、そのために子供たちを育て上げたのだと、もっともらしく噂されたらしい。私が母ヤシュミの跡を継ぐ形で総督に就任したことで、そういった噂はますます真実味を増したが……」


 そこで語りを一区切りして、ラージは再びベープ管の吸い口を咥え直す。やがて、今度は鼻腔からゆっくりと煙を漂わせながらラージの口が吐き出したのは、思いがけずおどけた口調の言葉だった。


「私に言わせれば全部ただの邪推、いや買い被りだ」

「ええ?」


 総督の言葉に頓狂な声を上げながら、ユタが拍子抜けしたように肩を落とす。


「違うんですか? シャレイドって人は、もの凄く頭がいいって聞いてたんですが」

「シャレイド・ラハーンディは知謀の士だったが、だからといって自治領の実権などには興味がなかったということだ。おそらく総督の座も仕方なく引き受けざるを得なかった、そして次の目処が立ったところで早々に退いたのだろうと、そう私は思っている」

「そんな、それじゃただの面倒くさがりみたいじゃないですか」

「そうとも。私の知る祖父は実に我が儘で面倒くさがりで、だが粋な爺さんだった」


 鼻腔に残る水蒸気の煙をかすかにたゆたえたまま、ラージはその大きな目を愉快そうに細めてユタの顔を見返した。


「母ヤシュミが総督に就いたのも似たような事情だ。当時は自治領内での政争が最も激しい頃だった。複数の勢力をまとめ上げ、機能不全を起こした総督府を立て直すには、領民にも名の知れた“シャレイドの子”を担ぎ上げるしかなかったのだよ」

「それって世間一般のラハーンディ一族のイメージと、随分違いませんか?」

「そうでもない。母が私に総督の座を引き継がせたのは、多分に私欲が混じった結果だろう。もっともその頃にはラハーンディ一族でなければ総督は務まらないと、そんな風潮が出来上がっていたせいもあるが……」


 そこでラージは手にしていたベープ管を、一人掛けソファの横に据えられたサイドテーブルの上に置いた。


「祖父がラハーンディ一族と呼ばれるほど多くの子を成したのは、当人の女道楽に一番責任があるだろう。ただ祖父に言わせれば、それ相応の理由があったらしい」


 ソファの肘掛けの先を軽く握り締めてたラージからは直前の稚気が掻き消えて、ぎょろりとした目が再び見開かれる。


「天然の精神感応力と、先天性N2B細胞欠損症を兼ね備えるという、シャレイド・ラハーンディならではの特異体質。彼の特異体質を継ぐ者を、ひとりでも多く後世に残す」


 そしてラージの大きな目の中の青い瞳は、ユタの顔からその隣りのウールディの顔へと、ゆっくりと視線を移動する。


「つまりウールディ、お前のような読心者が在り続けることを、シャレイド・ラハーンディは望んでいた」

「……《スタージアン》や《クロージアン》と対等に向き合うためですか」


 ウールディは極力表情を抑え込もうとして、その言葉には抑揚が欠けている。動揺を表に出すまいとする娘に向かって、ラージは鷹揚に頷いた。


「お前がその力のために苦しんできたことは、シャーラやルスランから聞き及んでいる。だが自らスタージア行きを決めたと聞いたとき、私は喜んだよ」


 分厚い唇の端に薄い笑みを浮かべて、ラージが瞼を半ば伏せる。ウールディは何かを言い返そうとしたが、父の言葉がまだ終わっていないことを察したのだろう、半開きになった口を再びつぐんだ。


「母ヤシュミは祖父に似ない金髪碧眼だったが、その資質は祖父に瓜二つと言われていたらしい。しかし息子の私は精神感応力もない、至って普通のN2B細胞保有者(ノーマル)だ。そんな平凡な私がラハーンディ宗家の直系で良いのか、これでも真剣に悩んだものだよ。だがお前がシャレイド・ラハーンディの資質を受け継いでくれた。そしてその子が《スタージアン》と向き合うというのなら、少しは肩の荷が下りるというものだ」


 ラージの言葉に偽りはない。彼は政治家としては十分な力量を備えていたが、それはラハーンディ一族として期待された資質ではなかった。彼が異なる女にそれぞれ子を産ませたのは、シャレイドから引き継ぐべき特殊体質の開花を期待してのことだったのだ。


 極めて自己中心的な想いを吐き出して、ラージの顔には心なしか安堵の気配すら漂っている。一方で彼と向かい合うふたりの若者は、それぞれがそれぞれの形で感情を抑え込もうとしているように見えた。 


 ラセンは、そしてルスランは、ラージにとっていかなる存在なのか。

 ウールディに期待するのは、その特異体質だけなのか。


 奥歯を軋ませるほど噛み締めた唇の隙間から、そう問い質したいという想いを滲ませながら、ユタはラージの顔をその薄茶色の瞳で睨み返している。


 そして“シャレイドの資質を受け継いだ者”であるウールディは、そんなユタの問いかけの答えを、既にラージの思念から読み取っているはずなのだ。


 彼女はしばらくの間無言で長い睫毛を伏せていたが、やがて意を決したようにゆっくりと目を見開き、顔を上げた。


「そういうことであればお父様、いえ、自治領総督閣下」


 ウールディはあえて呼び名を改めて、暖炉の明かりの中でも際立つ黒々とした瞳を、まっすぐ父の顔に向ける。


「今日の私は《スタージアン》に向き合う者、彼らと我らの間に立つ者として、初めての役目を果たしに参りました」


 慣れないながらも畏まった物言いをする娘に見据えられて、ラージもまた唇を引き締め、公人の顔を取り戻す。総督の表情をまとった彼は口を開くことことなく、ただ視線だけで先を促した。


 ウールディは閉じた両膝の上に手を置き、改めて背筋を伸ばしながら総督に告げる。


「ついに《オーグ》の浸食が始まりました」


 ラージの太い眉がぴくりと動く。だがさらに続くウールディの言葉に、彼の目はさらに大きく見開かれることとなった。


「既にヴァネットが犠牲になり、ラセンとファナが《オーグ》に補足されています」

「……なに?」


 ラージの低い唸り声にも、ウールディの表情は変わらない。事務的に、というよりも思い詰めたような表情のまま、彼女には伝えるべき言葉があった。


「《スタージアン》は、自治領内の銀河ネットワーク敷設を速やかに推し進めることを望んでいます。それが《スタージアン》が考える、《オーグ》に抗するための最良の手段です」

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