【第二章 銀河ネットワーク】 第六話 脅威の兆候(3)
タラベルソ=スレヴィア間の宙域は、銀河ネットワーク開通試験を前にして俄に銀河系中の注目を浴びている。銀河連邦加盟国のみならず、エルトランザや旧バララト系諸国のまでが、この二星系間に横たわる宙域にいくつもの報道陣を派遣していた。
ふたつの極小質量宙域の間を埋める宙域が、これまで人々の耳目を集めたことはない。そこに確かに存在するいくつもの宙域は、いずれも極小質量宙域から離れれば離れるほど迷い込むことになる、無人の荒野としか認識されていなかった。
だが銀河ネットワークの根幹を成す自律型通信施設の主戦場は、まさにその荒野にある。無人の宙域に点々と『レインドロップ』を配して、ふたつの星系を結びつける直接通信という考え方自体は、驚くほど単純なものだ。そんな単純な方法がこれまで実行に移されなかったのは、配置された通信施設の維持管理があまりに困難と予想されていたからである。その困難を克服したという『レインドロップ』は、それゆえに銀河系人類史上最大の発明とさえ賛辞されるのだ。
「この『レインドロップ』という通信機械を開発したのは、リーンテール博士だったか」
スタージア博物院長ジュアン・フォンは、目の前の楕円形の長机上の空間に目を向けていた。長机の中央に嵌め込まれたホログラム映像投影盤の上に立体的に浮かび上がっているのは、『レインドロップ』の設計図だ。緩やかに回転しながら映し出される設計図を見つめながら、フォンは起伏に乏しい顔面をつるりと撫で下ろした。
『レインドロップ』の設計図は、銀河ネットワーク計画の続行が決まったと同時に、連邦加盟国各国に配布されている。無論、各国の現像工房での生産委託のためだ。スタージアとて例外ではない。
(ハイラヌ・リーンテール博士。タラベルソ生まれ、タラベルソ育ち)
(タラベルソの情報工学院で主にナノマシン工学を学び、そのまま導師となる)
(公式記録はそれぐらい。極度の人嫌いで、顔も姿も表に出ていない。性別さえ不詳とされているわ)
(もうひとつだけ有名なエピソードがあるよ。宇宙船嫌いというやつだ)
「宇宙船嫌いだから、という理由で納得しろというのは無理があるね」
院長室の中央に浮かぶ漆黒の巨大な球形図形を背にして、ひとり椅子に深々と身体を預けたまま、フォンは腹の上に乗せた両手を軽く揺すった。
(納得出来るわけがないでしょう)
フォンの呟きに対して、彼と意識を共有する《スタージアン》たちは口を揃えてそう答えた。
(タラベルソで育った人物が、スタージアへの巡礼研修参加者に含まれていないなどということは有り得ない)
《スタージアン》の記憶には、過去スタージアを巡礼研修で訪れた人々の記録が万遍なく刻み込まれている。タラベルソは銀河連邦発足当初からの連邦加盟国であり、スタージアに安定して巡礼研修を差し向け続けている星のひとつだ。リーンテール博士の年次の研修生も当然スタージアを訪れている。
だが《スタージアン》の記憶の中に、ハイラヌ・リーンテールという人名を見つけ出すことはかなわなかった。念のため当該年次の前後五年の記録も漁り、また姓の変更の可能性も踏まえて検索にかけたが、結果は同様だった。
(シャレイドのように巡礼研修を怠っていた頃の外縁星系諸国ならともかく、タラベルソの住人が把握出来ないなどということがありえるか?)
(身分証明もないようなスラム出身者とかは、我々も把握出来ていないだろうね)
(このリーンテール博士は中等院在籍の経歴もちゃんとある。そういったレアケースには当てはまらないだろう)
「正体不明のリーンテール博士が発明した、自律型通信施設か」
特に感慨もなく呟いたフォンは、目の前のホログラム映像に今一度目を凝らす。
高度なプログラミングが施されたナノマシンから組成された、液体金属から成るというその雨滴状の物体は、一定以上の宇宙船に装備可能な射出台から打ち出すことで、自動的に目的の宙域まで移動・展開・稼働するというのだ。
「確かに設計図さえあれば、今の銀河系人類でも生産可能な代物ではある」
椅子の背凭れをわずかに軋ませて頷いたフォンに対する、《スタージアン》たちの反応は一様ではない。
(大発明とされるナノマシンへのプログラミング理論だって、産み出される可能性はゼロではないわ)
(プログラミング理論の方は、ね)
(本当にとんでもないのはそこじゃない)
(真に驚くべきは、この機械を現像機で再現するための、設計図を書き起こしたことだ)
現像機は設計図と原材料さえあれば、現像機のサイズに収まる無機物ならいかようにも再現出来る、銀河系人類社会に根づいた技術だ。現像機の扱いを主にする現像技師は、既存の物体をいかに現像機で再現するか、その原材料を分析して設計図に落とし込もうと執念を燃やす。
そして《スタージアン》の見識に照らし合わせれば、『レインドロップ』を設計図に落とし込むことは、現存するどんな現像技師にも不可能なはずであった。
「ナノマシンに埋め込まれたプログラムまで再現するなんて、今の現像技能で出来るはずがないね」
こめかみを掻きながらフォンが口にした台詞は、《スタージアン》の総意であった。
(第三の《繋がり》とか、悠長なことを言っている場合ではなかったな)
(誰も第三の《繋がり》なんて、本気では信じてなかったじゃない)
(サカが沈黙した時点で予想されていたことだ。この設計図はその裏付けに過ぎないよ)
(いよいよ我々の代で対峙することが、明らかになったということだ)
(今さらじたばたすることでもないしね)
脳裏に思念の奔流が雪崩れ込んでも、フォンの顔に動揺の気配はない。むしろ彼の落ち着き払った表情は、《スタージアン》を構成するあらゆる思念の最大公約数を形取ったものとさえ言えた。
「あとはせいぜい、銀河ネットワーク計画の推進を後押しすることぐらいだね」
数少ない彼固有の癖である、顔をつるりと撫で下ろす仕草を再び見せながら、フォンの口調はあくまで穏やかであった。
「《オーグ》に対して出来ることはもう、ほとんどないよ」