【第二章 銀河ネットワーク】 第二話 エルトランザの花嫁(4)
「ウールディ、ユタ、よく来てくれたわね!」
ベルタはジョンセンと共に立て続けの挨拶をこなした後だったが、ウールディたちに会って疲れも一気に吹き飛んでしまったかのように破顔した。
「来るに決まっているでしょう。綺麗よ、ベルタ。結婚おめでとう」
精緻な刺繍が施されたレース地の手袋に覆われたベルタの手を取って、ウールディが心からの祝辞を口にする。その言葉を受けて、ベルタもまた頬を上気させながら微笑んだ。
「久しぶりだね、ウールディ。スタージアから遠いところわざわざご足労かけた」
ベルタの隣りに立つジョンセンも、ウールディに親しげな言葉をかける。
(この女がラハーンディ家の庶子だったとは、惜しいことをしたかな)
社交的な外面を崩すことなく胸中をよぎったジョンセンの思惑に対して、ウールディもまた礼節をわきまえた笑顔で応じた。
「ジョンセンもおめでとう。ベルタは私の大切な友人なんだから、よろしく頼むわね」
「もちろんだ、約束するよ」
(まあ贅沢は言うまい。ベルタの友人であれば、ラハーンディ家とも縁が持てるということでよしとしよう。どうやらお付きもいることだし)
冷静な判断をおくびにも出さずに頷いたジョンセンに視線を向けられて、それまでウールディの後ろに控えていたユタが慌てて姿勢を正す。
「ご挨拶が遅れまして失礼しました。私は……」
「私の親戚のユタ・カザール。ベルタや私と同じ中等院のひとつ下で、今は私と一緒にスタージアの博物院生なの」
「ユタも、そんなにしゃちほこばんなくてもいいって。私だってあなたたちと話すときぐらいは、リラックスしたいんだから」
ベルタにそう言われて、ユタは首を左右に傾けてから、おもむろに大きく息を吐き出した。
「そう言ってくれると助かる。ベルタ様って呼べば良いのか、ずっと悩んでたとこだ」
「馬鹿ねえ。思ってもないことを」
旧知と出会えたことで、ベルタの肩から力が抜けているのは、彼女の意識からもよく伝わってきた。いかにベルタといえども、主賓としてそうそうたる来場者の相手を務め続けるのは、さすがに神経を使うのだろう。
「でもなかなか到着の報せが来ないからやきもきしたわよ。定期便でも来ないと思ったら、プライベート機ですって! どうやって手に入れたの」
「あれは、ウールディが親父さんから成人祝いでもらったんだ」
ウールディとユタはスタージアからデスタンザまでの航程を、自家用宇宙船に乗ってやってきた。乗客定員四名という小型のクルーザーだが、全自動航法システムを搭載した最新型である。真っ白な機体色の突端の一部だけを茶色に彩色したその宇宙船を、ウールディは『レイハネ号』と命名していた。
「レイハネってあなたが飼ってた、あの大きな犬?」
「そう、あのレイハネから取ったの」
長年ウールディと共にあり、最たる友であった老犬は、四年前に老衰で亡くなっている。博物院に進学後初めてジャランデールへと帰省したその翌日、まるでウールディの帰りを待っていたかのように息を引き取ったのだ。
「あなたが無事に独り立ちしたのを見て、ほっとしたのね」
レイハネは既に十分高齢で、いつ寿命が尽きてもおかしくない状態であったという。泣きじゃくるウールディにかけられたシャーラの言葉は、単なる慰めではない。ウールディの無事の帰宅に安心して、それまで老犬の生命力を辛うじて支えていたものがゆっくりと溶けていく様子を、彼女の精神感応力ははっきりと捉えていた。
最愛の友人の名を宇宙船に名づけたのは、ウールディにとってはごく自然なことであった。
「機体の色は無理言って、レイハネの毛の色に合わせたのよ」
「なにそれ、可愛い。今度見せて、乗せてちょうだい」
「ガーク家の若奥様なんて、恐れ多くてほいほい乗せられるもんか。操縦する俺の身にもなってくれ」
芝居がかった素振りで顔を振るユタに、ジョンセンが感心した顔で尋ねる。
「君は宇宙船を操縦出来るのかい? その年で大したもんだ」
「まだ全然航宙距離が足りませんから、全自動の宇宙船の操縦資格だけです。あれなら一応ひとりでも操縦は出来ますから」
ユタが宇宙船操縦資格を身につけられた一番の理由は、ファナにある。彼女が宇宙船乗りの資格を取るべく熱心に果たした勉強の成果は、ユタの頭脳にも必然的に刻み込まれていたのだ。「なんか私ばかり勉強損みたいで、納得がいかない」というファナの不平はもっともだったが、ともあれユタもファナから得た知識を活用して、博物院に在籍している間に宇宙船乗りの資格を取得していた。今では『レイハネ号』の専属操縦士というわけだ。
「なかなか航宙距離を伸ばす機会がないから不安で不安で。本当はここに来るのだって定期便で来ようって言ったのに、このお姫様がどうしても『レイハネ号』で来たいって言って聞かなくてですね」
「だって、せっかく宇宙船があるのにもったいないじゃないの」
ユタのぼやきにウールディが澄ました顔で反論する。ユタの話に興味深げに耳を傾けていたジョンセンは、ふと思いついたように口を開いた。
「しかし宇宙船の操縦は経験が何よりと言うしね。そういうことならリオーレを頼ればいいんじゃないか? 彼も資格持ちだし、マドローゾ家ならシミュレーターぐらいあるだろう」
「そんなのがあるんですか?」
「確か最新型のシミュレーターなら、一般航宙資格の航宙距離にも加算出来るはずだ。ああ、リオーレならあそこにいるじゃないか。ちょうどいい、僕からも口添えするから一緒に頼んでみよう」
人混みの中でベルタの兄リオーレの姿を見つけたジョンセンが、ユタの肩を叩いて歩き出す。その振る舞いは強引だが、嫌みが無い。
「僕たちは少し男同士の話をしてくるよ。ふたりはしばらく昔話に花を咲かせるといい」
肩越しに振り返ったジョンセンはそう言い残すと、穏やかながらも有無を言わさぬ素振りでユタを促し、リオーレの元へと向かっていった。男ふたりが立ち去る姿を目で追うウールディに、ベルタが片目をつむってみせた。
「あなたとふたりきりで話す時間が欲しいだろうからって、席を外してくれたんだわ」
「気が利くわね。さすが、出来た旦那様だこと」
「でしょう?」
まんざらでも無い表情で頷きながら、ベルタは新婦用の席に腰を下ろし、ウールディには自分の隣りの席を指し示す。促されるままに腰掛けたウールディに、ベルタが現像機から取り出したペリエの注がれたグラスを差し出した。