第五話 旅立ちのとき(1)【第四部最終話】
(極小質量宙域を利用した、近接星系への移動手段。これは《オーグ》にとっても画期的な発見であり、発明だった)
ジューンはキンクァイナの、音声を伴わない声を耳ではなく思念で知覚している。それと同時に《繋がれし者》が蓄えてきた膨大な記憶を、まるで自分が見聞きしてきたことのように体感していた。博物院の地下に眠る機械――《オーグ》が造り上げた、もはや人知を超越したその存在を、本当に“機械”と呼んで良いものか躊躇われる――が蓄積してきた過去の歴史が、ジューンの脳裏に怒濤のように流れ込んでくる。
博物院生となって一ヶ月ほど経過して、ようやく彼女の身体が《繋がり》に馴染んできた頃、ジューンはついに《繋がれし者》の過去に触れようとしていた。
異なる星系への移動を可能にした《オーグ》だが、彼ら自身が他星系へ進出することはかなわなかった。なぜなら彼らが送り出した無人探査機は、極小質量宙域の向こうへ到達した途端、《繋がり》を断ってしまったのである。
極小質量宙域を超えた二点を結ぶ直接通信は《オーグ》をもってしても不可能であり、つまり《オーグ》の《繋がり》の限界が証明されてしまった瞬間であった。
(それまで《繋がり》続けることで盤石を保ってきた《オーグ》が、自ら《繋がり》を解くことは有り得なかった。《オーグ》は極小質量宙域を利用して他星系に渡ることを諦めたんだ)
(でも、それじゃ)
ジューンが即座に抱いた疑問は、彼女もまた、未知を求める開拓民の血を引いていたという証しといえるかもしれない。
(先がないじゃないですか。《オーグ》は自分たちのいる惑星も星系も、全て手に入れてしまったんでしょう?)
(君の言う通りだ)
まるで中等院の講義の延長のように、キンクァイナはジューンの指摘に頷いた。
(《オーグ》は全員が《繋がり》合っている以上、彼らの内から計算外が生じる可能性は有り得なかった。そして星系内を開発し尽くしたことで外部からの刺激も失われた彼らには、もはや多様性や不完全性、未知の経験といった余地がなかった。いわば完全な安定であり、同時にそれ以上の発展成長がないということを意味している。いずれ緩やかな衰退へと向かうことは確実だった)
いかにも導師らしい語り口で、キンクァイナの思念はさらに先を続ける。
(《オーグ》自身も、当然その点は理解していた。ヒトと機械が高度に融合した彼らは、もはやヒトの体を成してるとは言い難かったが、ヒトとしての生存本能は衰えていなかった。彼らは衰退を回避するべく、新しい通信技術や極小質量宙域に頼らない恒星間航法、その他様々な対策を模索する。いや、今もその最中だろう)
ジューンは受講する一生徒の如く、黙ってキンクァイナの言葉に耳を傾けている。
(そうして模索検討された多くの対策の内、現実に実施されたひとつが我々の先祖――《原始の民》を極小質量宙域の向こうに放つことだったんだ)
キンクァイナがそう言うと、ジューンの意識野に流れ込む《繋がれし者》の記憶が、再び動き出した。
巨大な宇宙船――それは寸分違わぬ博物院そのものであった。スタージアの大地に横たわる姿と異なる点と言えば、中央の円筒状の本体に対して、ふたつの弧状の建物が九十度角度を変えて、円筒を一周する帯のような位置にあるところだ。
円筒の中腹部から伸びる三本ずつの連結アームにそれぞれ繋がれたふたつの弧状のブロックは、一方が一万人以上の住人用の居住棟であり、もう一方は彼らを賄うための食糧生産プラントであった。回転するふたつのブロックを伴いながら、巨大な円筒状の宇宙船は極小質量宙域の向こうへと旅立っていく。
それが今からおよそ四百年以上前の出来事である。
(四百年……そんなに昔?)
ジューンは驚きを思念の表層に浮かべてみたものの、実際にはもうそれほど意外には感じていなかった。そもそも《オーグ》の存在と成り立ちからして、彼女のそれまでの常識の遙か上を跳び越えていくような話なのだ。今さらそれしきの年月を突きつけられても、へえ、という感想しか浮かばない。
(確かに《オーグ》にしてみれば四百年という年月はさほどのインパクトはない。だが)
キンクァイナの思念も彼女の思考に同意しながら、同時に否定も口にした。
(開拓船に乗り込んだ人々にとっては気の遠くなるような時間であり、スタージアを発見してたどり着くまでの間に様々な歴史が紡がれてきた)
(宇宙船の中で生まれて、外の世界を知らないまま死んでしまう人もいる……大したことないわけないですね)
(そういうことだ。しかも《オーグ》に《繋がった》人々を乗せていくわけにはいかない。彼ら自身が望まないだけでなく、仮に宇宙船に乗り込んだとしても、極小質量宙域を超えた瞬間に《繋がり》を断たれれば、心身共に致命的なダメージを負うことが予想されていたからだ)
キンクァイナの解説に合わせて、宇宙船の外観から船内の様子がジューンの脳裏に映し出される。艦橋から機関室、倉庫エリア、研究エリア、生活居住ブロック、プラントブロックと、まるでロードムービーを見せられているかの如く次々と映し出される宇宙船の内部は、一個の都市以上の機能と設備を誇るが、そこにはひとりの人影もない。
(従って宇宙船はまず無人の状態、搭載された機械の操縦下で出発した。人間の代わりに積み込まれたのは、凍結された受精卵だ。宇宙船の乗員は極小質量宙域を超えてから、初めて孵化されたんだ)
(極小質量宙域を超えてから……皆、宇宙船の中で生まれたんですか?)
(極小質量宙域を超える前にN2B細胞が生成されてしまえば、《オーグ》に《繋がって》いる状態で生まれてしまうからね)
ヒトの身体に偏在するN2B細胞が、実は《繋がり》を保つための機能を持つということを、ジューンは博物院生となった直後に知らされた。人間の体調管理を司る重要な器官であるN2B細胞は、《繋がれし者》や《オーグ》にとってはそれ以上に根本を成す不可欠な存在なのだ。
それだけでもジューンにとっては十分衝撃的だったのだが、キンクァイナはさりげない口調のまま、さらに驚くべき事実を告げる。
(N2B細胞は、ヒトが《オーグ》となるために自らの身体に植えつけた、人造細胞だ)
もはやジューンにはなんと反応を返したらよいものかもわからなかった。
(元来古代人の身体には、N2B細胞という便利な代物は存在しなかった)
(だけど私たちの身体には、生まれたときからN2B細胞があるじゃないですか)
(ヒトの体内資源を元にN2B細胞が生成されるよう、古代人が自らの遺伝子にその設計図を書き足したんだ。ひ弱な人間の身体の改良のため、そして精神感応的に《繋がる》ため)
(そこまでして……)
古代人は己のDNAに改造を施してまで、精神感応的な《繋がり》を求めたのか。
いったい何が彼らをそこまで駆り立てたのか。そう問いたくなると同時に、ジューンの中にはどこか古代人の心情を理解出来るような、そんな心の傾斜が生まれていた。
ミゼールとスヴィと、例え同じ場所にいることはなくとも、心だけでも《繋がって》いたい。彼女が博物院生になることを決心した一番の理由は、古代人が《繋がる》ことを、《オーグ》となることを渇望した理由に近いのかもしれない――
そこまで思考を進めかけて、ジューンの思念ははっと気づいたように思いとどまり、その考えを打ち消した。