第三話 欲張りなジューン(3)
――私たちが極小質量宙域の向こうに、ジューンを迎えるんだ――
中等院を卒業してから三年以上の年月を経て、宇宙ステーションで訓練を重ねるスヴィは、何度も自分にそう言い聞かせていた。
――あの子がいなかったら、私はこうして宇宙を目指していない。ジューンのお陰でこうして夢中になるものが見つけられたんだから、今度は私が恩返ししなきゃ――
大気圏外で小型作業艇を操縦しているときも、船外活動用宇宙服に身を包んでの作業中も、彼女の頭の中には常にその想いがある。ジューンに対する度の過ぎた責任感は、彼女の行動の源に違いなかったが、時として集中を阻害する要因ともなった。
例えばあるとき、宇宙ステーションの外壁補修のために飛ばしていたドローンを、指示管制中に見失ってしまうことがあった。スヴィが慌ててコンソールとモニタの間で視線を往復させている内に、迷子のドローンの所在を発見して無事に既定のコースに復帰させたのは、彼女の横でアシスタント役を務めていたミゼールだった。
「何を焦ってるんだよ。識別信号を拾えばなんてことないだろう」
苦言を呈するミゼールに、スヴィは俯きながら小声で謝罪する。
「ごめん、ぼうっとしてた」
夜の岬でミゼールに難を救われて以来、スヴィは彼と面と向かって張り合うことは少なくなっていた。それ以前からも喧嘩の頻度は激減していたが、岬の出来事から後はすっかりそんなこともなくなってしまった。ミゼールはいかにも調子が狂ったという顔をしていたが、そうこうしている内に惑星調査員訓練課程に向けた試験勉強に追われるようになって、ふたりともそれどころではなくなってしまっていた。
そしてジューンの不合格である。なんと声を掛けて良いものかふたりが頭を悩ませていると、今度はまさかの博物院への進学を告げられたのだ。
「《繋がれし者》になれば、どこでもふたりを見つけられる。あなたたちが宇宙でも事故に遭わないよう、見守っているわ」
研修のために宇宙ステーションに上がることになった前日、ふたりを見送る彼女の精一杯の笑顔を、スヴィは鮮明に覚えている。長い黒髪を風に棚引かせながら、ややもすれば涙が零れそうになるところを、髪を掻き上げて誤魔化そうとしていたジューン。その仕草の陰からこちらを見つめる瞳に浮かんだ、友人の無事を祈るだけではない、より深い想いが込められた眼差しを、スヴィは三年経った今でも忘れられない。
その表情を思い返す度、自分はジューンから宇宙の夢だけでなく、もしかしたらミゼールまで取り上げてしまったのかもしれない――スヴィはそんな想いに駆られてしまう。
スヴィたちは宇宙ステーションでの実務と並行して、未知の惑星に向かった無人調査機から送られるデータの分析に明け暮れている。訓練とは名ばかりの、ほとんど実地の作業に追いやられる日々だ。精神的にも体力的にも疲労困憊になりそうなスケジュールをこなせるのは、彼女の隣りに常にミゼールがいるからだった。
「重力を感じると、ほっとするなあ!」
宇宙ステーションの居住ブロックの一角で、チューブ型のドリンクを口にしながら、ミゼールはそう言って思い切り腕を伸ばした。
「小型作業艇の操縦席は狭くてかなわん。調査船はもうひとまわりは大きくしてくれないと、身体中が凝っちまう」
中等院の最終年次の頃から急激に身長が伸び始めたミゼールは、今やかつての“ちんちくりん”の面影は欠片もない。スヴィも十分に背が高い方なのだが、彼の目線はさらに頭ひとつ以上の高さにある。その上訓練で鍛えられた筋肉をまとったミゼールは、訓練生のみならず現役の隊員を加えても、恵まれた体格の持ち主へと変貌を遂げていた。
「こんなにでかぶつになっちゃって。あの可愛かったバルトロミゼール・デッソは、いったいどこに行っちゃったのかね」
居住ブロックの強化ガラスを鏡に見立てながら、まるで長身を誇るかのようにストレッチを始めたミゼールに、スヴィはテーブルに片肘を立てながらふうとため息を吐く。彼女の前には大好きなキッシュが乗った皿があったが、どうにも口をつける気分にはなれなかった。
「何を言ってるんだ。このつぶらな瞳を見てみろ。俺の目は少年の頃の輝きを失っちゃいないぜ」
「自分で言っちゃうかな、全く」
己の緑色の瞳に指を向けながらミゼールに顔を突き出されて、スヴィは思わず吹き出してしまった。その様子を見て、ミゼールがようやく安心した顔を見せる。
「ようやく笑ったな」
そう言われて、スヴィはそれまで自分がずっと渋面だったことにようやく気がついた。
「あー、なんか気を使わせちゃった?」
「そりゃあな。パートナーにいつまでもしかめっ面されてたら、いくら鈍い俺でも気になるってもんだ」
「ごめんね。そんなつもりなかったんだけど」
「お前、まだジューンのことを引きずってるのか」
スヴィの向かいに腰を下ろしたミゼールは、そう言ってずいと顔を近づける。
「あいつが博物院入りするって聞いたときは俺だってびっくりしたけど、もう三年だぜ。いい加減整理をつけろよ」
「そんな簡単に割り切れないよ。宇宙に行くのは、ずっとジューンの夢だったのに。それに……」
「俺と付き合うことになったのを、後悔してるのか?」
ミゼールの真剣な顔立ちに覗き込まれて、スヴィは一瞬言葉に詰まった。視線を泳がせて、半端に開いた唇をぱくぱくさせてから、やがて肩をすぼめるようにして真っ赤な顔を下に向ける。
「……何言ってんのよ。そんなわけないじゃん」
「そっか。安心したぜ」
スヴィの言葉を聞いたミゼールはふっと表情を和らげて、いからせていた肩から力を抜いた。
彼がスヴィのことをパートナーと呼ぶのは、訓練生としてペアを組まされることが多いから、だけではなかった。共に厳しい訓練をこなす内に、いつしかお互いを異性として意識するようになり、やがて交際に至ったのは極めて自然な流れだろう。実際、調査員同士でカップルとなる例は多い。元来開拓者の気風に溢れるスタージアでは、人口増に繋がる早婚多産を奨励する風潮があり、二人の交際も仲間たちから祝福されていた。気の早い上司からは、結婚出産育児のサポート体制の案内まで受ける始末だ。
「来月地上に降りたら、お互いの家族に挨拶に行こう」
年に一度の地上降下休暇は、ふたりとも当然スケジュールを合わせて取得していた。
「うん」
「ジューンにも、そのときに言おうと思う」
前回の地上降下休暇の際は、ふたりとも互いを意識はしていたものの、まだ交際しているとは言えない状態だった。だからジューンと面会したときも、そのことには触れていない。少なくとも、スヴィの口からはとても言い出せる話題ではなかった。
「ジューンは私のこと、恨むだろうな……」
思わず口を突いて出た言葉は、スヴィの偽らざる本音であった。