【第五章 叛く者 叛かれる者】 第三話 繋がる者 繋がれぬ者(2)【第三部最終話】
シャンパンで唇を湿らせて、モートンが作った現像機から繰り出される料理を舌鼓を打つ。モートンが自信を持って薦めるだけあって、いずれの料理も十分に美味と言えた。
「今度はフライドボールか。久しぶりに食うな」
現像機の上に新たに登場したのは、ジェスター院時代に入り浸った店でもよく注文した、フライドボールの山積みだった。丸テーブルの端に置いた皿の上からひと摘まみを口に入れて、シャレイドはふと表情を変える。
「こいつは、ジャランデール風の味つけか?」
「上手に再現出来ていると思うが、どうだ? カナリーも食べたがってたからな。メニューに加えてみたんだ」
モートンに尋ねられて、シャレイドは頬張りながら親指を立てた。
「うん、よく再現出来てる。俺がガキの頃によく食わせてもらったのと同じ味だ」
満足そうに頷くモートンの顔を、シャレイドはしばらく目を細めて見返していたが、やがてその長い睫毛を伏せると、ぽつりと呟いた。
「カナリーを偲ぶことが出来る程度には、“モートン・ヂョウ”も残っているんだな」
シャレイドの言葉に、破顔していたモートンの顔からも笑みが消える。
「“モートン・ヂョウ”は消えはしない。ただ、変質するだけだ」
「変質ね。ものは言い様だな」
吐き捨てるようにそう言うと、シャレイドはおもむろに顔を上げた。
「アンゼロ・ソルナレスは博物院長という役を押しつけられた、《スタージアン》の操り人形も同然だった。お前がそうでないと、どうして言える?」
「……《スタージアン》を知っているのか」
モートンの切れ長の目に、一瞬鋭い眼光がよぎった。その眼差しの意味を、シャレイドも既に読み取っている。
「精神感応力者だったんだな、シャレイド。博物院長の正体を看破出来るとしたら、そうとしか考えられない」
探るような視線を向けるモートンに、シャレイドは挑発的な笑みを浮かべて返した。
「だったらどうする、《クロージアン》。俺はお前たちの干渉は受けないぜ」
「N2B細胞を持たないお前に、我々の精神感応力が及ばないのはわかっていた。だが我々とは異なる、天然の精神感応力者という存在は、思いもよらなかったよ」
「まるで《スタージアン》と同じことを言う」
シャレイドの薄い笑みは、そのまま乾いた笑いとなって口に出た。
「準備協議のときから、お前が以前のモートンじゃないことはわかっていた。ジノに俺の不信感を悟られないよう、どれだけ苦労して取り繕ったことか」
「シャレイド、さっきも言った通りだ。俺は確かに《クロージアン》と《繋がって》いるが、モートン・ヂョウであることは変わらない」
「変わらないわけがあるか!」
思わず張り上げられた怒声に、シャレイド自身が驚いた顔を浮かべている。彼を見返すモートンのダークブラウンの瞳には、沈痛な表情が浮かび上がっていた。
「俺は《クロージアン》に《繋がる》ことで様々な思念に触れて、その結果として今の形に変質した。だがヒトは成長するにつれ、多かれ少なかれそれまでに関わった人間関係に影響を受ける。俺の場合はその度合いが、普通よりも強いというだけじゃないか?」
「……度合いの問題じゃない。もっと根本的な話だ」
モートンの言葉を否定しながら、シャレイドもまたいたたまれないといった表情で頭を振る。
「お前はジノの精神に干渉することに、少しでも躊躇したか?」
そう言ってシャレイドは皿からフライドボールを一つ摘まむと、己の目の前に翳してみせた。
「準備協議の場をテネヴェ星系の極小質量宙域に設定したのは、モートン、いや《クロージアン》がその場に立ち会うために、ジノにそう言わせたんだろう。そもそもお前がジノの随行スタッフに選ばれたところから、ジノは《クロージアン》の干渉を受けていた」
「その通りだ」
モートンは瞼を伏せつつ、シャレイドの言葉を肯定する。
「だが今回の内乱を速やかに収束させるには、我々《クロージアン》が直接交渉の場に出るのが最も効率的だった。そして交渉の相手がお前なら、《クロージアン》の代表は俺が最も適任だった」
「そんなことはわかっている。俺が気に食わないのは、他人の精神に干渉することを屁とも思わない、そのスタンスだ」
シャレイドは目の前のフライドボールを握り締める親指に力を込めた。捏ねた芋を揚げただけの表面は容易く凹み、その中へ指が食い込んでいく。
「他人の精神に作用して、その後の影響にはなんの責任を取るつもりもないだろう。どうしたらそんなに傲慢になれるんだ。俺の知るモートン・ヂョウは、人一倍他人を慮れる男だった。今のお前のように、目的のために手段を選ばないような奴じゃない」
親指以外にも力の加わったフライドボールは、シャレイドの赤銅色の手の中で握りつぶされて、テーブルの上にその欠片がばらばらと落ちた。怒りとも嘆きともつかないシャレイドの顔から視線を逸らして、モートンが現像機の天板に手を触れる。
「確かに俺はもう、お前の知るモートン・ヂョウとは違うかもしれない」
現像機の天板に現れたのは、エールの注がれたタンブラーだった。
「このエールも、カナリーと一緒によく飲んだ」
モートンは懐かしげな口調でそう言うと、タンブラーを手に取って、唐突に勢いよく呷ってみせた。喉を鳴らしながらタンブラーの半分以上を飲み干して、口を離した頃にはモートンの顔にくっきりと朱が差している。
シャレイドは思わず眉をひそめて声を掛けた。
「お前、大して酒は強くなかっただろう」
「《クロージアン》だろうがなんだろうが、酒を飲まないと言えないこともある」
「何が言いたい」
「シャレイド、俺が変わってしまったとしたら、それは《クロージアン》に《繋がった》せいじゃない」
吐き出した息にアルコールの臭気をまとわりつかせながら、モートンの目が据わっている。タンブラーの把手を握り締めたまま、テーブルに片手を置いた格好で、モートンはゆっくりと噛み締めるように口を開いた。
「あの日、カナリーをみすみす死なせてしまったときから、モートン・ヂョウは変わったんだ」
俯いたままテーブルに視線を落としたモートンは、広い肩をいからせたような姿勢のまま、絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
「お前にカナリーのことを頼まれていたのに、俺は彼女を見殺しにした。それどころかカナリーがあの宇宙船に乗ることを、後押しすらした。俺はお前との約束を守れなかっただけじゃない、カナリーを死に追いやった張本人なんだ」
「モートン、それは……」
お前のせいじゃない。そう言い切ることが、シャレイドには出来なかった。
シャレイドに否定されたところで、モートンはこう尋ねるに違いないのだ。
ならばなぜ、カナリーは死んだ?
カナリーを乗せた宇宙船が爆発したのは、シャレイドの同郷のテロリストたちが爆弾を仕掛けたからだ。ならば彼らは、なぜそんな事件を起こした? なぜ彼らはテロリストに身を転じた? 第一世代に財を取り上げられ、一家離散に追い込まれたからだ。ではなぜ第一世代は彼らから財を取り上げた? 外縁星系を開拓する人々への融資を回収するためだ。そもそも人々はなぜ外縁星系を開拓しようとした? なぜ? 何故?
シャレイドにもモートンにもどうしようもない、巡り巡った因果の行き着く果てに、カナリーを乗せた宇宙船は爆破されたのだ。そしてモートンは連邦保安庁に入庁してテロリストの撲滅に心血を注ぎ、シャレイドは外縁星系諸国の反攻のために暗躍する道を選んだ。
だがモートンはそんな答えを聞きたいのでは無い。シャレイドが意識を集中させずとも、友人の全身から湯気が立つように溢れ出す激情が、彼の五感を刺激する。
「俺の思念を覗くことが出来るお前ならわかるだろう? カナリーが死んで、モートン・ヂョウは変わった。《クロージアン》に《繋がった》から変わったんじゃない」
面を上げたモートンの声は落ち着いていたが、ダークブラウンの瞳には暗い表情が澱んでいた。
「むしろモートンは《クロージアン》を支配すらしていた。テロリストをひとり残らず殲滅するという強烈な想いに引きずられて、《クロージアン》はほとんどモートンの手足同然だった。そしてシャレイド、テロリストの陰にお前の存在がちらつく度に、モートンはお前を見つけ出すことに執着した」
「そいつは悪いことをしたな。もっと早くお前の前に姿を見せるべきだった」
「全くだ。せめて外縁星系一斉蜂起の前に出会えれば、モートン・ヂョウがそれ以上変質することはなかっただろうに」
まるで他人事のような口調で、モートンは彼自身の内面の変遷について語る。
「銀河連邦と《クロージアン》は一心同体もいいところだ。その連邦の体制崩壊の危機に直面して、モートンの想いよりも優先されること、つまり《クロージアン》そのものの存続のために、モートンは《クロージアン》の主導権を手放すことになった」
「……なるほど、よくわかった」
モートンの告白に耳を傾けながら、シャレイドの赤銅色の顔からはいつの間にか怒りももどかしさも抜け落ちていた。そこに残るのは納得と、幾ばくかの残念そうな諦めの表情であった。
「お前はやっぱりモートンなのかもしれない。カナリーを失って、《クロージアン》を強い想いで支配し続けていたというのなら、それはそれで俺の知るモートンらしいとも言える」
再びフライドボールを摘まみ上げて、今度は口の中に放り込みながら、シャレイドは落ち着き払った視線でモートンを見返した。
「だが《クロージアン》は下手を打った。モートンが主導権を握り続けていたのなら、この内乱の結果はもっと違ったものになっていたはずだ」
「どういう意味だ? 《クロージアン》だから、外縁星系人に負けたと、そう言いたいのか?」
先ほどまでの悔恨の情に取って代わって、モートンの顔に怪訝な表情がよぎる。
シャレイドは肘掛けに片肘を突いて、その先で軽く握られた拳の上に整った顎を乗せながら、ゆっくりと開いた口から飛び出たのは、意外なほど親しげな口調の言葉だった。
「《繋がる》ばかりが能じゃないって言っただろう? お前たち《クロージアン》も《スタージアン》も、そこがわかっていないんだよ」