【第五章 叛く者 叛かれる者】 第二話 融け合わぬ人々(3)
「落としどころとしては面白いが、まだ債権放棄の件が残っているな」
シャレイドの言葉に、ジノは小さく頭を振った。
「債権の放棄はさせない。ただでさえ内戦で景気の悪いところに、そんなことをしたら今度は第一世代各国が経済危機に陥って、連邦全体が大不況に喘ぐことになる。そうなったら外縁星系諸国だって無関係ではいられないぞ」
「その理屈はわかるが、それじゃ外縁星系人は納得しない」
「安心しろ。連邦直轄の自治領になるんだから、外縁星系諸国の債務は全て連邦が引き受けるよ。具体的には連邦財務局が肩代わりする」
ジノの回答に、ついにシャレイドが軽く目を見開いた。
「そいつは有り難いが、財源はどうするんだ」
「まず、自治領は正式な加盟国とは違う、外縁星系の十三カ国がまとめて一カ国扱いになる。連邦評議会に出せる議員も、外縁星系開発局長を兼ねる一名だけだ」
「そいつはまた、随分な扱いじゃないか」
「一方で、連邦加盟金も一カ国分で良しとする」
そこまで言われて、シャレイドの顔に得心の表情が浮かぶ。
「つまり外縁星系各国の連邦加盟金は、今までの十三分の一になるわけか」
銀河連邦に加盟する各国は、毎年加盟金を支払うことになっている。これは国家の規模の大小を問わず、定額と決まっていた。
「ここから先はやや小細工めいた話になるが」
ジノの提案は、外縁星系諸国には従前通りの加盟金相当額の支払いを継続してもらいつつ、その十三分の十二を第一世代の債権回収に充てるというものであった。
「形式的には、外縁星系各国の行政府が民間の債務を一括して引き受けてもらう。そして連邦財務局を経由して第一世代に返済するという形になる。これなら現行法の範囲内でぎりぎり運用出来るし、外縁星系諸国も今までの連邦加盟金以上の支払いを負うことはない。第一世代の債権回収も、計算上では十年以内に果たせる見込みだ」
「……よくもまあ、そんなアクロバティックな方法を考えついたもんだな」
シャレイドはソファの背凭れに勢いよく背中を預けて、今度こそ感心したという目つきでジノの顔を見返した。
「なるほど、外縁星系人は評議会での議席数を減らす代わりに、官民問わず事実上債務が帳消しになる、第一世代も連邦財務局が間に入るなら取りっぱぐれはない。見事なプランだ」
「お前に褒められるのは悪くない気分だが、このプランを考えたのは俺じゃない」
ジノはそう言って、隣りで唇を引き結んだままのモートンの横顔に視線を向けた。
「モートンがいくつか用意していたプランのひとつだ。俺は単なる代弁者に過ぎん」
「どのプランを採用するかはジノ、お前の裁量だ」
モートンは切れ長の目を伏せて、ジノの言葉をやんわりと否定する。ふたりの様子を頷きながら眺めていたシャレイドは、おもむろに黒い瞳をモートンに向けた。
「結局、またモートンに尻拭いしてもらうことになったな」
そう言って脚を組み替えながら、シャレイドはことさらに目を細めている。
「俺がやらかした後に上手いこと取りなしてくれるのは、いつもお前だった」
「お前はいつもやり過ぎなんだよ、シャレイド」
モートンもまた少しく目を細めてそう答えたが、次の瞬間にはその表情はいささか引き締められたものになった。
「実際、スタージア星系ではやり過ぎた。死傷者五十万人以上の大敗は、第一世代の人々に想像以上の衝撃を与えた」
戦闘の指揮の一端を担っていたモズが、険しい面持ちでモートンを見返す。だがモートンのダークブラウンの瞳は、あくまで斜向かいのシャレイドひとりに向けられていた。
「第一世代の間にもようやく休戦の機運が持ち上がった一方で、外縁星系人との間の溝は一層深まってしまったよ」
わずかに眉根を寄せてそう語るモートンの言葉の端々に、沈痛な思いが見え隠れする。
「外縁星系諸国が自治領として色分けされれば、いよいよ第一世代と外縁星系人の溝は埋めようがなくなるだろう。今はこれ以外の案は思い浮かばない。だがこの先の連邦にとって果たしてこれで良いのか、俺にはわからん」
「いいんだよ、それで」
モートンの述懐に対して、シャレイドの言葉はまるで突き放すかのようであった。
「異なる立場同士の融和なんてのを馬鹿正直に追い求めると、ろくなことが無い。むしろわかり合えないことを認めた上で折り合いをつけるのが、人類の知恵ってもんじゃないか」
再び脚を組み替えながら、シャレイドは最後に一言つけ足した。
「モートン、繋がるばかりが能じゃないんだ」
口をつぐむモートンを真っ直ぐに見据えながら、シャレイドの顔にはどこか挑発的な、それでいてもの悲しげな表情がよぎって見えた。少なくともジノの目にはそう映った。
同時に違和感を覚えずにはいられなかった。
十年ぶりとはいえ、このシャレイドとモートンの間で交わされる会話にしては刺々しいとさえ思える。あるいは彼らにしかわからない事情が存在して、それがこのふたりの間に緊張感を産み出しているのだろうか。
そこまで考えてジノは、このふたりの間にいるべき、もうひとりの存在に思い当たる。
あの快活な彼女を失ったという事実が、あるいはシャレイドとモートンの関係性に影を落としているのかもしれない。何しろジェスター院時代の彼らは、三人が揃っていないときの方が少ないぐらいだったのだから。
十年という歳月には抗いがたい変化が伴うものなのだ。親友だったはずのふたりの姿を目の当たりにして、ジノは今さらながらに時の流れを思い知らされる。
「そうだな。お前の言う通りなんだろう」
しばしの間を置いてから、モートンはそう言って深く息を吐き出した。そして面を上げた彼の顔には、既に実務に当たる能吏の表情が取り戻されていた。
「ひとつ念を押しておこう。この自治領構想が実現した場合、今まで連邦が保証してきた航宙・通商・安全保障について、今後自治領内については関与しない。加盟金が十三分の一になるというのは、そういうことだ」
連邦が外縁星系諸国の自治体制を認めるということは、裏を返せば外縁星系人は今後全てを自らの手で行わなければならないということでもある。それも個々の惑星国家に限らない、外縁星系諸国間の調整も含めてだ。モートンが指摘したのは、まさにその各国間の調整の部分であった。
「自治領構想とは、言ってみれば連邦の中に複星系国家を認めるようなものだ。外縁星系人は今後、惑星単位を超えた国家を運営することになる。その点をよくわきまえておいて欲しい」
「ご忠告痛み入る」
もっともな懸念を口にするモートンに、シャレイドが神妙な顔を向ける。
「外縁星系の未来が薔薇色だとは、これっぽっちも思っちゃいない。むしろこれからが本番だってことは、心得ているつもりさ」
「その覚悟を聞いて安心した。我々はもう、外縁星系に手出し出来ない。連邦の、銀河系人類社会の安寧のためにも、自治領の安定した発展を心から願うよ」
気がつくとふたりの間に漂っていた、割り込みがたい空気は霧散していた。緊張が和らいだというよりも、お互いの強固な意志によって場の空気が塗り替えられたと言うべきだろうか。それまでジノは、彼らの会話に割って入るのは無粋と思い口を閉ざしていたが、いつの間にか発言を促されているようなプレッシャーを感じた。
いずれにせよジノとしても、そろそろ話を先に進めなければならない。モートン、シャレイド、モズの顔を順に見比べながら、ジノは確かめるように口を開いた。
「では銀河連邦と外縁星系諸国連合は、外縁星系諸国の自治領化をもって和平に合意する。その方針に異論は無いな?」
「結構だ。その方向で細部を詰めようじゃないか。だがその前に……」
シャレイドはソファの肘掛けをぽんと叩くと、ジノたち三人の顔をぐるりと見回した。
「そろそろ喉が渇かないか? ここらでコーヒーブレイクを提案したい」
彼の提案は、満場一致で採用された。