【第五章 叛く者 叛かれる者】 第一話 旅路の果て(3)
スタージアを発ちネヤクヌヴからジャランデール、そして未だ睨み合いの続くトゥーランも素通りして、一気にクーファンブートまで至る。そこで補給を済ませてから、今度は第一世代のファタノディ、さらにゴタンまでたどり着けば、次はいよいよテネヴェだ。シャレイドがこれだけの距離を駆け抜けるのに要した日数は、実に一ヶ月あまりに及ぶ。
だがこれまで星から星へと渡り歩いてきたシャレイドにとっては、足かけ十年に達しようとする旅の遍歴に加わった、ほんのひとときの旅程に過ぎない。
「この十年で、俺ほど銀河系中を駆けずり回った奴はなかなかいないだろう」
宇宙船のラウンジでベープ管を吹かしながら、シャレイドは感慨深げに呟いた。
「ジェスター院のあるミッダルトから始まって、外縁星系諸国はどこも何度足を運んだかわからない。複星系国家で訪れた星はエルトランザだけだったが、第一世代の星は結構な数を回ったもんだ。ゴタン、ファタノディ、チャカドーグー、エヴァラシオ、ローベンダールにスレヴィア」
ラウンジの窓越しに広がる漆黒の宇宙空間に視線を注ぎながら、指折り数えるその仕草がふと止まる。
「イシタナにも行ったな」
イシタナという単語を耳にして、シャレイドと同席していたモズが赤ら顔に不思議そうな表情を浮かべる。
「イシタナ? あそこには外縁星系人の地下組織はなかったんじゃないか」
「ああ」
唇をすぼめて水蒸気の煙を細く吐き出しながら、シャレイドは長い睫毛を伏せた。
「ちょっとした野暮用だよ」
「野暮用ね。お前のことだから、どうせ女絡みか」
「まあ、そんなところだ」
カナリーが生まれ育った星。何事もなければ十年前に訪問していたはずの星を、一度見てみたい。そんな衝動を抑えきれず、スレヴィアを訪れたその足を伸ばしてイシタナに降り立ったのは、何年前のことだったろう。
彼女の生家ホスクローヴ家の敷地近くまで自動一輪で駆けつけて、その後どうするつもりも思い浮かばなかった。この頃は歴としたお尋ね者だったシャレイドが、まさかのこのこと訪ねるわけにもいかない。結局彼に出来たことといえば、広大な敷地に溢れる緑に囲まれた、彼女の生家を見下ろすことの出来る小高い丘で、腰を下ろしたままひたすら眼下の景色を眺めることであった。
何時間そうしていたかわからない。ひとりでいると、彼の周りを過ぎ去っていく時間はあっという間だった。こんなときには、共に語り合うことの出来る友人が側にいて欲しかった。モートンが隣りにいればきっと、三人で過ごしたとりとめも無い記憶の中にいるカナリーの姿を、共に偲ぶことが出来るはずであった。
「それはまあ、いいんだけどよ」
思いに耽るシャレイドを見て、モズはそれ以上突っ込んで聞き出そうとはしなかった。彼が口にしたのは別のことである。
「そんなお前も、テネヴェにいくのは初めてなんだよな」
シャレイドがベープ管を咥えたまま無言で頷くと、モズの口から思わず不満が突いて出た。
「今さら言うのもなんだけど、わざわざテネヴェくんだりまで来る必要があったのか? ただでさえ遠い、しかも敵の本拠地じゃないか」
銀河連邦は和平交渉の準備協議の場に、テネヴェを指定してきた。スタージアの戦いで大勝し、完全に優位に立ったつもりだった外縁星系諸国連合は、連邦の要求に面食らったものだ。モズの感想は、彼ひとりが抱いたものではない。
「そう目くじらを立てるな。連邦に加盟する身であるならば、加盟国間のあらゆる交渉はテネヴェですべし。連中の言うことは杓子定規な建前だが、俺たちも連邦から飛び出すつもりはないんだ。そこでごねてもいいことはない」
そう言って白い煙を吐き出しながら、シャレイドは小さく笑った。
「連邦には交渉役にジノを出すことを呑ませたんだ。場所だってテネヴェ星系の極小質量宙域に停泊して、この宇宙船の中でってことになったんだから、そう文句ばかり言うな」
シャレイドとモズが乗るのは、外縁星系諸国連合軍の戦艦である。敵地に乗り込むのだからという理由で、彼らふたりをテネヴェ星系まで運ぶためにあてがわれた宇宙船だ。連邦のお墨付きがあったとはいえ、第一世代の勢力圏であるファタノディ星系やゴタン星系を通過する際には、艦内も緊張に包まれたものである。
「戦艦だからといって、たった一隻だぞ。万一の場合にはどうなるかわからん」
心配そうに唸るモズに、シャレイドは重ねて笑いかけた。
「安心しろ。相手はジノだ。お前だってジェネバから聞いているだろう? ジノ・カプリは連邦評議会で外縁星系人と第一世代の間を取り持とうとしていた、話のわかる奴だって」
ジノを交渉役に指名したのはシャレイドだったが、ジェネバもまた彼の人選に賛同していた。評議会で共にした時間はそれほど長くないはずだが、彼女もジノの人柄を十分見込んでいるようであった。
「確かに、お前だけならともかく、ジェネバが言うならなあ」
「おいおい、そんなに俺は信用無いのか」
「あるとでも思ってるのか。今まで散々人のことを口先でこき使いやがって」
不平を叩きつけられても、シャレイドは口元に薄い笑みを浮かべて応じるだけである。これ以上言っても無駄だと悟ったのか、モズは大きな肩を竦めてみせた。
「それにしても、なんだって連邦はテネヴェまで来いとか言い出したんだろうなあ。建前とか振りかざしている場合じゃないと思うんだが」
「第一に考えられるとしたら、俺たちがたどり着くまでに、常任委員会や評議会で方針を固める必要があった、その時間稼ぎだろうな」
右手に持ったベープ管の吸い口を左手のひらにぽんと置いて、シャレイドが事情を推察する。その言葉にモズがなるほどと首を縦に振った。
「それはありえるな。第二は?」
「第二は、そうだな」
手のひらの上にベープ管の吸い口を二度、三度と叩きつけながら、シャレイドはついとモズの顔から視線を逸らし、ラウンジの窓の向こうに目を向けた。長い睫毛の下に覗く黒い瞳に、数多の星が散らばる宇宙空間が映り込む。
「まあ、少なくともお前が気にするようなことじゃない」
まるで囁くように告げるシャレイドの赤銅色の横顔が、不意に無表情になる。モズは大きな丸い目の上で、不審げに眉をひそめた。
「なんだよ、そりゃあ」
「たいしたことじゃない。多分俺の考えすぎさ」
振り返ってそう答えるシャレイドの顔には、既にいつもの薄い笑みが戻っていた。
「もう少しでテネヴェに着く。久々にジノに会える。こんな状況だが、実はちょっと楽しみにしてるんだよ」
その言葉に偽りはない。旧交を温め合うというわけにはいかないだろうが、懐かしさを共有するぐらいは許されるだろう。ジェスター院で過ごした日々の中で、ジノ・カプリもまたシャレイドにとっては貴重な友人のひとりとして記憶されている。
ただ彼の胸中を占める想いは、それだけではなかった。
テネヴェに近づくにつれて胸の奥にざわめき出す不安から、シャレイドはあえて目を背けていた。ジノとの再会を喜ぼうと自分に言い聞かせなければ、この不安に精神を覆い尽くされてしまう。全く不本意なことであったが、一度芽生えてしまった不安は、どう足掻こうとも無視出来るものではなくなっていた。
ソルナレスの思考など覗き込むのではなかったと、つくづく思う。
あの金髪の、穏やかな笑みが似合う博物院長の思考に触れて、彼は様々なことを見知ってしまった。
それは例えば《オーグ》の存在であり、《スタージアン》という輩の在り方であり、彼らがこの銀河系人類社会に及ぼしてきた影響の数々であった。《スタージアン》たちがスタージアに降り立って以来紡いできた記憶は膨大であり、その全てをシャレイド個人が理解するのはとてもではないが不可能だ。だがシャレイドを通り過ぎていった《スタージアン》の幾千万の記憶の内、印象的な事象は彼の脳裏に拭いようもなくこびりついていた。
その中には銀河連邦創設の貢献者として歴史に名を刻むイェッタ・レンテンベリ、タンドラ・シュレスのふたりが、まるで《スタージアン》のごとく互いに《繋がる》思念の持ち主だったという事実も含まれている。
そこから導き出される可能性――それも極めて蓋然性が高い――に思いを致す度に、シャレイドは引き攣れそうになる表情を引き締めなければならなかった。
それは彼にとっては想像もしたくない、気が滅入るだけの可能性であった。