第四話 天球図(4)
昼食を食べ損ねていたシンタックはひとりで早めの夕食を終えると、生活居住棟の自室に戻り、ベッドの上に横になっていた。
仰向けになって両手を目の前に翳すように置く。こうしていると考えがまとまるような気がした。もっとも視界を塞いだまま寝そべっているのだから、同時に眠気も引き起こしやすい。
いつの間にかうつらうつらしていたシンタックは、部屋のドアがスライドする気配にも気づかず、突然の雄叫びと共に腹部に強烈な衝撃を喰らった。ぐえという声すら発声する暇もなく衝撃の正体は背後に回り、シンタックの首に腕を回す。
「シィィンタァァック!」
フライングボディプレスから流れるように鮮やかな絞め技を極めたヨサンが、なにやら収まりのつかない感情を爆発させながらシンタックの名を叫ぶ。
「お前、リュイに何を吹き込んだあ?!」
耳元でヨサンがわめく。シンタックはなんとかヨサンの腕から逃れようともがくものの、がっちりと腕が絡んでなかなか振りほどけない。そうこうしている内にいよいよ呼吸困難となり、降参のつもりでヨサンの腕をぽんぽんと叩くと、ようやく首回りを締めつけていた力が緩まった。ベッドから床へと転がり落ちながら派手に咳き込むシンタックを尻目に、ヨサンがため息混じりに吐き出す。
「あんなこと言われたら、俺はどうすればいいんだ」
「あんなことって、何を言われたんだよ」
咳き込み過ぎて目尻に涙を浮かべながら、シンタックは尋ねた。するとヨサンは訴えかけるような恨みがましそうな、名状しがたい顔で語り出した。
「こないだはごめんなさい。でも今はあなたも私も自分自身の気持ちがはっきりしないから、その言葉を言うのはもっと気持ちに自信が持ってからにしてって。そのときには必ずちゃんと返事しますって。はっきりしないってなんだよ。俺の気持ちはきっぱりはっきりしてるよ」
ヨサンはベッドの上で胡座をかきつつ、両膝を左右の手で支えるように身を乗り出してくる。
「これってつまり、しばらくは現状維持で頼むってことだよな」
「そうだろうね、多分」
「こっちは振られたら振られたで綺麗さっぱり諦めるつもりで、区切りをつけたいんだよ。あと半年もすれば卒業でバラバラになるんだから。それが告白すらさせてくれないとは、予想外だったぜ」
「でも、実質想いは伝わってるみたいだし、返事するって言うなら期限つきなんじゃないの」
「お前なあ、元凶がしたり顔するな」
ヨサンが右腕を振り回して放り投げた枕をキャッチすると、シンタックは壁際のデスクに収まっていた椅子を引っ張り出して、背凭れを前にした状態で跨がった。
「元凶って、なんだよ」
シンタックが不意に放り返した枕が、ヨサンの顔面に見事にヒットする。枕を払い除けながら、ヨサンは不貞腐れたように言った。
「お前があの、金髪のちびっこいのとイチャイチャしたりするから、リュイがなんだか自信なくしちゃったんじゃねーか」
「イチャイチャしたつもりは、これっぽっちもないんだけどなあ」
「こんなことならお前がラウンジにいるのを見かけたって、リュイに言うんじゃなかった」
「余計なことをリュイに吹き込んでるのはお前の方じゃないか。偶然かと思ったら、リュイがラウンジに居たのはそういうわけか」
そこまで言ってから、シンタックは首を傾げた。
「ヨサンもラウンジに居たのか。全然気がつかなかったな」
「いや、ラウンジにいたのはロディだ。ラウンジを通りすがりに、お前がひとりでぼーっとしてるのを見たって聞いた」
またロディか。シンタックは思わず唸りかけて、とどまった。
「まあいいや。それよりもお前、話を聞いてるとなんだか振られるの前提で告白するつもりだったように聞こえるぞ」
「十中八九、振られると思ってたよ」
そう言って、ヨサンは少し真顔になった。
「もう、この際だから言っちまうけど、それが切欠になってリュイがいよいよお前と付き合うようになれば、それはそれでいいとも思ってた。俺がリュイの背中を押して、そして俺はすっぱり切り替えて次の女の子を探すんだ。ほろ苦い青春の一ページってやつだ」
ヨサンは自分の台詞に陶酔しているようだったが、彼を見るシンタックの目は冷ややかだった。
「お前がそうやって自己完結するのは勝手だけど、そういうつもりでいたからリュイは保留扱いにしたんじゃないか」
「なんでだよ」
「僕だってそういうの詳しいわけじゃないけどさ。端から断られるつもりの告白って、真剣味が感じられないんじゃないか。本当に好きな気持ちがこもってないっていうか。それも昨日今日会ったばかりの相手じゃないんだから、そういうのは伝わっちゃうよ」
ヨサンはシンタックの台詞に、愕然として聞き入っていた。彼がそんな顔をしているのは、シンタックの言うことが的を射ているからなのか、まさかシンタックから色恋沙汰で駄目出しされることになって驚いているのか、おそらくその両方だろう。
「だから、そこら辺をはっきりさせてから出直してこいってことなんじゃない」
シンタックはわざと突き放すような物言いで言い放った。ヨサンは彼なりに本気で考えた末の行動なのかもしれないが、シンタックに言わせれば見当違いの方向に気を遣い過ぎなのだ。
シンタックの最後の一言がよほど堪えたのか、ヨサンは何も言わずにベッドに突っ伏してしまった。彼の自己満足的な行動に振り回された身としては、さらに文句のひとつでも言ってやりたかったが、そこまで大袈裟に落ち込まれると声もかけづらい。仕方なく椅子に正しく座り直して、デスクの上のスクロール端末棒を一振りした。
控えめな光を放つスクロール・ディスプレイがデスク上に広がる。シンタックが指を走らせると、画面上に博物院と公園と、その周辺の街並みを表した地図が浮かび上がった。
巡礼研修五日目の明日は丸々一日が自由行動に割り当てられており、博物院の外に出るのも自由だ。シンタックの当初の予定では外出せずに中央棟の展示エリアに入り浸るはずだったが、彼は大幅に予定を変更することにした。スタージアは最古の有人惑星だけあって、博物院以外にも歴史的に価値ある見所が多い。シンタックは自由行動の時間内に見て回れそうな候補地を選び始めた。
「なあ、シンタック」
しばらく作業に没頭していたシンタックの背中に、ヨサンが声をかける。シンタックが肩越しに後ろを向くと、ヨサンはベッドの上で寝そべったまま片肘をついている。どうやら少しは立ち直ったようだ。
「お前は実際のところ、リュイのことをどう思ってるんだ? そこがはっきりしていれば、そもそもこんなことになってないんだよ」
「そんな、そっちの都合で答えを迫られてもなあ」
そう言って肩をすくめると、シンタックは前を向いて作業を再開した。その態度にヨサンの声が少々苛立ち含みになる。
「そうかもしんないけど、今となっちゃ聞かないわけにいかねーだろ?!」
「そう、怒鳴るなよ」
振り返りもせず、シンタックは作業を続けながら窘める。ヨサンは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙り、シンタックもそれ以上言葉を発さない。
しばらくシンタックが黙々と作業し、ヨサンがその後姿を眺めているだけの時間が続いたが、やがて沈黙に耐え切れなくなったヨサンが上体を起こして再び口を開こうとした。
「おい、シンタッ」
「よし!」
シンタックの突然の掛け声に、ヨサンは気勢を削がれた面持ちで尋ねた。
「何がよし、なんだよ」
それには答えずに、シンタックは椅子ごとヨサンに向き直った。手にはそれまで作業していたスクロール端末棒を握りしめている。シンタックは端末棒の先をヨサンの鼻先に向けた。
「さっきの質問の答えだけど、僕もリュイに同感なんだ。今のところは現状維持希望」
シンタックの回答は到底ヨサンを納得させられるものではなかった。
「そりゃないだろう。もうすぐ卒業だってのに」
「そうだよ、あと半年したら卒業でみんな進路もバラバラだ。特にヨサンなんか宇宙港の研修施設で三ヶ月は缶詰めなんだっけ。それがわかってて付き合うのなんだのって、かえって無責任だよ。バラバラに過ごすようになって、その状態に慣れてから、でもいいんじゃない?」
「無責任って、無責任かあ? うーん」
「僕はまだ、みんなで友達として一緒にいるのがいい。それこそ、あと半年しか出来ないことだし」
「それはそうなんだろうけど、お前、うまいこと言ってはぐらかそうとしてないか?」
「とんでもない。包み隠さず本心だよ。さて」
シンタックは至って真面目な口調でそう答えると、手にしていた端末棒からスクロール・ディスプレイを引き伸ばした。
ヨサンに見えるように広げられた画面には、シンタックが先程まで取りかかっていた博物院周辺の地図が映し出されている。怪訝そうに地図を見るヨサンに、シンタックはいかにも屈託のない笑顔を向けた。
「そんな気のおけない友人であるヨサンに、ひとつ頼みたいことがあるんだ。あとリュイもだけど。そうだ、リュイとも一緒に話しながらの方がいいかな」
「待て、待て。ちょっと待てよ」
イヤーカフに手を伸ばそうとするシンタックを、ヨサンが戸惑い気味に押し止める。
「この話の流れでリュイと三者通信するのかよ。いや、それよりも何を頼むつもりなんだ」
「明日は一日自由行動だろう?」
シンタックはそう言ってにっと白い歯を見せた。
「博物院の外を見て回ろうと思ってさ。みんなでね」