【第三章 攻防】 第三話 アンゼロ・ソルナレスの対策(3)
「精神感応力には、二種類ある。その理由がようやくわかったよ」
スタージア博物院公園の奥深くに繁る緑の中、こぢんまりとした広場の真ん中で、両手をポケットに突っ込んだままシャレイドはそう言った。頬に浮かび上がるのは、彼の常である皮肉をたたえた笑みだったが、いつもに比べれば若干強張っていたかもしれない。
広場の端に聳え立つ古めかしい記念館の、入り口前の階段に腰を下ろすソルナレスは、シャレイドのそんなささいな緊張に気づかない。
当然だろう。彼――いや、彼らにとって、ヒトの精神とは直接触れて観察するものなのだ。どうして今さら、表情や仕草などの外観の細やかな動きから、わざわざ他人の心情を推察する必要があるものか。
何千万人ものヒトの思念と、膨大な計算資源から成り立つ存在らしいのに、シャレイドの内心を読み取れないことで動揺する《スタージアン》が、おかしくて仕方ない。目の前の長い金髪の男は、石造りの階段に腰掛けたまま身じろぎもせず、シャレイドを凝視し続けている。その視線には動揺と警戒と好奇心がないまぜになって、互いに《繋がり》合う思念たちの想いが男の中で機能不全を起こしているようにすら見えた。
「ソルナレス博物院長――いや、《スタージアン》と呼んだ方が良いのかな。いつまでも驚いていないで、こちらも話が切り出しにくい」
シャレイドのその言葉には、あからさまな嘲笑の響きがこもっている。
「……シャレイド・ラハーンディと言ったね。君がここまで、我々に全く気づかれぬようたどり着けたことと、先ほどの台詞の間には、何か関係性があるということかな」
例え精神感応力が通用しなくとも、思考まで鈍るというわけではないらしい。ソルナレスの受け答えが冷静かつ的確であることがわかって、シャレイドは少々ほっとした。
既にふたりの周囲を、複数の人影が緑に潜んで取り囲んでいることには気がついている。だがいずれも成り行きを見守るだけで、それ以上動き出す気配はない。ここで力任せにシャレイドを拘束しようとする相手だったら、それ以上打つ手はないところだった。
「俺はオルタネイト常用者だ。あんたたちには、これだけ言えば十分だろう」
シャレイドの言う通り、彼が提示した一言だけで、相手は全てを理解したらしい。それまで寄せられていた眉間がぱっと開き、訝しげな表情が霧散する。立て膝に片手を突きながら、ソルナレスは驚きの声を上げた。
「N2B細胞を持たない、天然の精神感応力者か!」
腕組みしながら、ソルナレスは自分で発した言葉に力強く頷いている。
「なるほど、N2B細胞に由来する我々の精神感応力では、君に通じないわけだ」
「精神感応力が二種類に分けられる理由も、それだ。俺の持つ力とあんたたちのそれとは、似ているようで根本的に異なるらしい」
「君はおそらく、ヒトの脳が発する精神感応波を、微細に感知する能力に優れているんだな。太古にはヒトも少なからずそのような能力を備えていたというが、《原始の民》からも同じような能力者が生まれるということか」
感慨深そうに頷き続けるソルナレスは、先ほどまでの訝しげな表情から打って変わって、シャレイドの赤銅色の顔に好奇心も露わな視線を注ぐ。
「それにしてもN2B細胞を持たず、かつ天然の精神感応力を備えるとは、なんという偶然だ。しかも外縁星系の重要人物を兼ねるとなれば、天文学的な確率だろう。驚愕に値するよ」
偶然に偶然が重なったことに対するソルナレスの感嘆は、シャレイドにしてみればやや見当違いであった。
「逆だよ、院長。これまでもあんたたちの言う、天然の精神感応力者は一定数いたはずだ。現に俺の祖母がそうだった。だが大抵はN2B細胞由来の能力に遮られて、発揮されることなく埋もれていたんじゃないか」
「確かに、N2B細胞は人体の中でもひときわ強靱だ。ほかの器官と機能が重複するとしたら、N2B細胞の機能が優先的に働く可能性は高い」
「そしてN2B細胞を持たない、俺や祖母のような天然の精神感応力者は、昔は生まれた星から飛び出すことが出来なかった。寿命も短かっただろう。俺がこうしてあんたたちの前に姿を見せることが出来たのは、オルタネイトのおかげだ」
「オルタネイトの……」
ソルナレスが呟くようにしてシャレイドの言葉を反芻する。その言葉と共に博物院長の脳裏に浮かんだ面影を読み取って、シャレイドは小さく頷いた。
「そうだ。オルタネイトを開発したドリー・ジェスター、彼女が俺たちを引き合わせたと言ってもいい」
彼の言葉は、ソルナレスに――《スタージアン》に《繋がる》全ての思念に、じわりと染み込むように打ち響く。同時に遡って押し寄せてくる膨大な記憶に、シャレイドは思わず息を呑んだ。
「あんたたちはスタージア降下以来の記憶を、全て共有しているのか」
《スタージアン》が呼び覚ます過去の記憶は、その量といい勢いといい、とてもひとりでは識別出来るものではなかった。ソルナレスの頭を覗き込むシャレイドには、超高速で過ぎ去るパノラマと騒音の奔流としか認識出来ない。船酔いに近い気分が胸の奥から込み上げて、シャレイドは思わずソルナレスの思考から注意を逸らさざるを得なかった。
「つくづく気色悪い連中だな。この星の住人どころか、その何倍もの過去と現在が入り混じっている。祖霊なんぞわざわざ祀らなくとも、あんたたち自体が祖霊そのものみたいなもんだ」
吐き気を抑えるように右手を口元に当てながら、シャレイドがソルナレスを見る目には嫌悪感がありありと浮かんでいた。
「辛辣だな。だが君の言うことは間違っていない。我々はスタージア降下以来の人類の知恵と歴史を蓄え続ける、そのために存在しているようなものだ」
苛烈な言葉を吐きつけられても、ソルナレスの感情が損なわれることはなかった。今はシャレイドに対する、溢れんばかりの興味が先行している。長年というにも長すぎる時を過ごしてきた《スタージアン》にとって、初めての存在とはそれだけで彼らの好奇心を刺激してやまないのだ。
だが標本のように観察対象とされることは、シャレイドにとっては不本意以外の何物でもなかった。彼がわざわざこんな僻地まで自ら赴いたのは、《スタージアン》の好奇の目に晒されるためではない。
「そのためだけに、この星に釘付けにされたままでいるってのか?」
口元を覆っていた右手をおもむろに前に突き出したシャレイドは、ソルナレスの額に向かって人差し指を突きつけた。
「いい加減に隠し事が出来るとは思うな。俺にはあんたの思考の奥底まで、よく見える」
「……もしかして、そこまで読み取れるのか。これでも二重三重にブロックしているつもりだったんだが」
「あんたみたいに大勢の人間と《繋がる》なんてのは勘弁願いたいが、目の前の相手の頭の中ならそうそう読み違えることはない」
ソルナレスの額に指先を向けたまま、彼の思考を読み進めていくシャレイドの表情は、やがて一秒ごとに急速に曇っていった。
シャレイドにとっては例え相手が《スタージアン》であろうとも、一個人に的を絞れば思考を観察するのは難しい話ではない。
ただソルナレスの表層的な思考を一皮剥いたその下は、シャレイドにとっては未知の領域であった。そこではソルナレスに《繋がる》膨大な思念が絶え間なく注ぎ込まれ、渦巻き、またどこかへと流れ出しているのだ。
さながら動きを伴った巨大な抽象画のような思念の在り方は、シャレイドの理解をはるかに超えていた。そこに何が描かれているのか、説明のしようもない。見知らぬ言語で書き殴られた文書を目にしても、さっぱり解読出来ないのと似ている。ヒトの思念の集合体だという《スタージアン》とは、もはやヒトに似て非なる存在なのではないか。ソルナレスの思考を読み解くほどに、シャレイドの赤銅色の額に脂汗が滲む。
だが瀑布のように打ちつけてくる思念の奔流の中で、彼の目にも認識可能な思考の欠片は存在していた。それはおそらく《スタージアン》に《繋がる》全てのヒトに共通して存在する、彼らにとって核となる思考だ。
激しくうねる極彩色の思念の群れの中から、シャレイドはその思考の核を正確に把握しようと努めた。《スタージアン》の行動原理とはいったい何なのか。どうして彼らは、こんな辺鄙な星に引きこもったまま、強大な精神感応的な集合体で在り続けるのか。
やがてシャレイドの優男然とした端正な顔が、大きく歪む。俄には信じられない、《スタージアン》の真意を読み取って、理解は出来ても受け入れることが出来ない。外観や仕草から他人の感情を推察するという行為から久しく離れていたソルナレスにも、シャレイドの感情はあからさまに伝わっただろう。
「どうやら、本当に見抜かれてしまったようだね」
肩を竦めて嘆息するソルナレスの顔を、シャレイドの瞳が凝視する。