【第三章 攻防】 第二話 トゥーランの戦い(5)
(だが連邦軍によるジャランデール攻略は、これで遠のいた)
(連邦軍の発表によれば、外縁星系軍が極小質量宙域を封鎖したとのことだが、時間をかければ撤去可能な場合も封鎖というべきなのかな?)
(とはいえトゥーラン攻略後にジャランデールに向かった連邦軍が、極小質量宙域に展開された宇宙船群に行く手を阻まれたのは、事実だよ)
(無人の宇宙船を極小質量宙域にばらまくことで、連邦軍を足止めするなんてね。尋常な発想じゃない)
(五十隻以上の艦船がどれも無人と確認するまで、一週間以上かかったそうよ)
(それぞれ撤去するには、さらに時間がかかるだろう)
(攻撃爆破すればデブリ化して、それこそ極小質量宙域を駄目にしたバララトの二の舞になってしまうからね)
(連邦軍はいちいち全ての船に乗り込んで、移動させなきゃらならないというわけだ)
トゥーランの戦いで連邦軍は十分な戦果を挙げたが、外縁星系一斉蜂起の首魁とされるジェネバ・ンゼマの捕縛は、未だ成し遂げられていなかった。
外縁星系軍の巧妙とも、姑息とも言える極小質量宙域封鎖によって、ホスクローヴたちはトゥーラン星系で足止めを食らっている。
「トゥーランの保安部隊が反撃に成功したのは、行政府側から保安部隊に通じる者がいたという話だが」
スタージア博物院公園の、緑地の奥深くに聳える記念館の前で、アンゼロ・ソルナレスは記念館の入口に連なる石造りの階段に腰を下ろしながら、そう呟いた。
「保安部隊は最初に軍の武器弾薬の備蓄場所を襲撃して、火力を奪い取ってから反撃を仕掛けている。その通報者は、よほど行政府や軍中枢に詳しい人間だったんだな」
(その上で保安部隊との連絡手段を持つとなると条件は絞られるはずだが、未だに誰だか特定されていない)
(艦隊戦の真っ最中というタイミングが、作為的なのは確かだ)
(保安部隊の反撃によってトゥーランは陥落したが、一方で連邦軍はジャランデールに雪崩れ込む機会を失った)
(外縁星系はトゥーランを犠牲にして、ジャランデールを守ったということかな)
(だとしたら、外縁星系には随分と冷徹な戦略家がいるということになる)
思念の群れは各々が思索するものの、いずれも憶測の域を出ない。外縁星系諸国に関する情報は、第一世代各国に比べて限られている。連邦加盟国の教育課程には、銀河系人類の“始まりの星”であるスタージアへの巡礼研修が義務づけられているが、開拓間もない外縁星系諸国では徹底されているとは言い難い。スタージアを訪れる人々たちに精神感応的に触れることで情報を得ている《スタージアン》にとって、巡礼者の数とその情報量は比例する。
(我々も、外縁星系についてはまだまだ不勉強な部分が多いからね)
(外縁星系の実質的な指導者ジェネバ・ンゼマ、その知恵袋とされるシャレイド・ラハーンディ、いずれもスタージアの巡礼研修には参加していない)
(シャレイド・ラハーンディという人物は興味深いよ。保安庁に目をつけられながら、まるで意に介さずに銀河連邦中を渡り歩いている)
(連邦だけじゃないわ。一時期はエルトランザでも目撃情報がある)
(安全保障局特別対策本部を仕切るモートン・ヂョウは、シャレイド・ラハーンディと親しいと聞くが)
(彼はジェスター院を卒業してテネヴェに帰国後は、一度も出国していないのよ。相当に優秀らしいから、おそらくイェッタ・レンテンベリたちの思念に《繋がって》いるんじゃないかしら)
記念館の前に広がるささやかな広場は、生い茂る木々の落ち葉で埋め尽くされている。静寂に包まれた広場を目の前にして、尻の下からじんわりと伝わる石造りの階段の冷たさを感じながら、ソルナレスは脳裏を吹き抜けていく思念たちの囀りに思考を委ねていた。
極小質量宙域を禁忌すれすれの手段で封鎖するという発想。そしてトゥーランの戦いの最中に引き起こされた、保安部隊による絶妙なタイミングの反撃。もしそれらを描いた人物がいるのだとしたら、ソルナレスは是非とも直接その頭の中身を覗いてみたい。それは彼個人の興味というだけでなく、《スタージアン》の指針に関する重大事となる可能性を秘めている。
「その人物なら、我々の《オーグ》対策に一役買ってくれるだろう」
ソルナレスの呟きは、《スタージアン》に《繋がる》全ての思念が等しく抱く想いであった。《スタージアン》が思い描いた手段を実行しうる、適任と思える人物がいる。それはソルナレスだけではない、《スタージアン》にとって喜ばしい事実であった。
「出来ることならその人物には、是非スタージアまで来てほしいものだが」
だがまだそれと覚しき人物の訪問は、スタージア星系全域を覆う《スタージアン》の精神感応力も捉えていない。連邦軍がトゥーラン星系で足止めされ、一時的な膠着状態に陥っている今こそ、外縁星系はスタージアに助力を仰ぐタイミングだと思う。それとも外縁星系は、エルトランザに協力を求めるつもりなのだろうか。
そのときふとソルナレスの耳に、かさりという音が飛び込んだ。広場に敷き詰められた落ち葉を、踏みしめる音のようだ。思索に耽る余り、誰かが近づくのも気がつかなかっただろうか――
気がつかなかった?
ソルナレスがたたずむこの博物院公園どころではない、スタージア星系を出入りする人物であれば見逃すはずのない《スタージアン》の精神感応力が、他人の――いや《スタージアン》以外の存在の接近を見落としていた?
《スタージアン》に《繋がる》以前、幼少の頃の記憶にしかない感覚を呼び起こされながら、ソルナレスは恐る恐る面を上げた。
「お望み通り、来てやったぜ」
ソルナレスの視線の先にあるのは、痩せぎすの体型に黒いコートを羽織る、赤銅色の肌が特徴的な青年の姿だった。無造作に伸ばした黒髪をうなじの辺りでひとくくりに結わき、その下の線の細い顔立ちには挑発的な笑みが浮かべられている。
ソルナレスは、《スタージアン》は、彼らが存在して以来ほとんど初めてと言っても良い驚愕を感じていた。まずもって他人の接近に気がつかないという事態が、彼らの経験上有り得なかった。そしてそれ以上に驚くべきは、こうして目の前に現れてなお、彼の考えが読み取れないのである。
他人の思考に触れることが出来ないという衝撃のあまり、ぽかんと口を半開きにしたままのソルナレスに向かって、痩せぎすの青年はぼりぼりと頭を掻き毟りながら近づいてくる。
「“始まりの星”ってのはどんなもんかと思っていたが、気持ち悪いったらありゃしないな。人口のほとんどが《繋がって》いるんだって? 俺だったら悪酔いしそうで、御免被るね」
「……君はいったい、誰だ?」
おそらく《スタージアン》が初めて口にした言葉で、ソルナレスは眼前の人物に問いかけた。
「そう警戒するなよ。あんたたちがさっきから会いたくて仕方ない、その当人がこうして顔を見せたんだぜ」
青年は薄い笑みをたたえた唇の端を一層吊り上げながら、己の名を口にした。
「《スタージアン》の皆さんにはお初にお目にかかる。ジェネバ・ンゼマの知恵袋にして神出鬼没のシャレイド・ラハーンディとは、この俺のことだ」