表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/152

92

「駄目だ。ここまで、お前の気が済むならと付き合ってきたが、もう間もなく迎えが来る。一緒に帰るぞ」


 いつになく、わたしに強い語気で春陽が言う。掴まれた腕も、強い力で少し痛い。でも、めげない。


「いやっ。まだ、やれる事があるの。私にできるかもしれない事が、止める事ができるかもしれないの! それを……痛いっ」


 言葉の途中で、春陽に握られた腕にさらなる痛みが走った。バッと春陽を見ると、珍しく俯いていた。


「し、姉さん……」


 私の声に、春陽はハッと顔を上げた。

 その表情は、見た事が無いぐらい辛そうな顔……いや、違う。

 この明るくて底抜けにパワフルな春陽が、辛くて、悲しそうな顔をしているのを、私は見た事がある。

 ……そう、母様が亡くなった時だ。

 

「珠香。お前が私を、私達を心配してくれている気持ちは、すごく嬉しい。戴の戦だ、いつ環が巻き込まれるかわかったものじゃない。でもな、珠香。私達もお前と同じくらい、お前の事を心配しているんだ。特にお前は、剣が持てない。みんなお前の事が心配なんだ。それだけは、忘れないでくれ。そしてどうか、安全な環都の中に居てはくれないか。そうしたら、私達も安心して戦える」


 真剣な……ともすれば泣きそうな声で話す、春陽。

 新しく溜まった水が、目頭から溢れて、流れ落ちていく。姉の、家族の、絶望的なまでの優しさに。


「でも、だって、だって、私が諦めたら、みんな……」


 溢れ出る涙が、止まらない。ボタボタと重力に従って落ちていくだけ。

 ふと、優しそうな表情をする春陽と、目が合った。


「ああ、死ぬかもしれない。だけど、死なないかもしれないじゃないか。お前が、独りで抱えむ必要は無いよ、珠香。妹妹めいめい


 久しぶりに呼ばれた、妹妹、という呼び方。

 自分より小さな妹、末の女の子につけるもの。まだ玉雲が産まれる前に呼ばれていた、呼び方。

 姉にとっては、今だに私は小さな女の子。


 涙が、止まらない。次から次へと溢れ出してくる。

 姉の優しさだとか、残酷さだとか、懐かしさとか恥ずかしさとか。色々な感情が混ざり合って、涙に混ざって流れ落ちて行く。

 ギュッと、誰かに抱き締められた。

 姉だった。

 私も姉を抱きしめ返す。いや、縋りつくといった方が正しいかもしれなかった。




 そのまま、しばらく嗚咽を漏らしながら泣いていた。

 ようやくさすがに涙も、心も落ち着いてきた。

 そっと、身体を離す。


「……ごめん、姉さん。心配ばっかりかけて」


 心の底から出た本音。

 涙と鼻水をぬぐいながら春陽を見ると、彼女は困ったように笑っていた。


「心配するのが、長子の役目だからな。と言っても、兄上は今のお前の境遇を聞いたら、卒倒するかもしれんな」


 あはは、と冗談めかして笑う春陽につられて、私もちょっと笑う。

 まさか、あの兄上でも卒倒はしないだろう……しないだろうと思う。母様が亡くなってから、下の子に対して過保護気味だったもんね、伯景あにうえ……。


「せやねぇ、帰れる道があるうちに、帰った方がええよ」


 珊瑚が、私達のやり取りを見ながらも、なんの感情も読み取れないニヤニヤ顔で気楽に言う。この人、隠密だけど何かそれ以外の物を感じる。ただの愉快犯かもしれないけど。





「……あの、珊瑚さん。お迎えっていうのは?」


 慶珂が、恐る恐るという風に珊瑚に聞いているのが聞こえた。


「ああ、坊ちゃんには言うてへんかったね。環からアタシたちを迎えに、数人使者が来てるんやって。旦那もいるし、なんや、瑞の坊ちゃんも来るんやってぇ」

「「え?!」」


 珊瑚の発言に反応したのは、慶珂ではなく、私達姉妹だった。


「なんで悠陽が?!」

「春陽、まだ悠陽って決まったわけじゃないと思うよ。お父様が、悠陽まで環の外に出すとは考えにくいし」

「む、確かに。だけど、だとしてもあの兄上が数日とはいえ旅に出るかなあ?」

「さあ。先生に感化されて、少しは外に出ようって思ったとか……ないかな。珊瑚さん、来ているのはどっちなんですか?」


 春陽と話していてもらちが明かないので、直接珊瑚に聞く事にした。問われた珊瑚は、ニヤニヤ顔のまま。


「わからへん。瑞の坊ちゃんとしか聞いてへんし」


 そう、あっけらかんと言い放ったのだった。







 とりあえず。

 環からの使者、迎えを綜で待とうという話で、今晩は落ち着いた。

 みんな、ホッとした顔で戻っていったから、これで良かったんだと思う。

 万策尽きた。

 できる事は、無い。

 いや、思戯の無事を願う事しかできない。


 夕方に中途半端に寝てしまい、今だに眠気がこないせいで、色んな嫌な事を考えてしまう。

 この先の事。今まで、どうしたらよかったのか。もし双子が揃うなら、そのまま王都に何とかしていければ、謁見できるんじゃないかなとか。……春陽や玉雲なら、もっと色々できたんじゃないかな、とか。


 もう環に帰るって、諦めているのに次から次に浮かんでくる思いは、それと正反対の事。……思戯の事。

 大丈夫かなとか。私を逃がすって言った事で、不利な状況になってないかなとか。私の事忘れちゃったかな、とか。

 恋、と呼べるものを前世も今世もろくにしてこなかったので、この気持ちが何なのか、ハッキリとわからない。

 否定したい気持ちは、恥ずかしいから? 思戯をよく知らないから? 良く知ってたら、恋になるの?

 でも、慶珂の事は良く知ってるけど、恋じゃない。あるとしたら、家族愛。

 恋を知らないというわりには、恋を否定するこの気持ちは、どこからくるんだろう。

 もう、何もわからない。


 トントン。


 ビクッとした。あんまりにも深く考えこんでいたせいだろう。思わず声が裏返った。


「はいっ?」

「お嬢さん、オレだ。慶珂だ。まだ起きてるか?」


 驚いた。こんな夜中に、慶珂が訪ねてくる事なんて無かったのに。

 さっき何か言い忘れた事でもあったのかな。

 まだ寝れる気がしなく普段着だったので、そのまま扉を開けた。

 目の前には、何かを悩んでいる風な顔の、慶珂が立っていた。


「どうしたの、慶珂。珍しいね。とりあえず、中にどうぞ」

「あ、ああ……。オレだから良いけど、あんまり夜中に男を部屋の中に入れるなよ」

「わかってるわよ。慶珂だから入れるんでしょ」


 自分が苦言を呈したくせに、私の言葉には一瞬微妙な顔をした。

 が、慶珂は何も言わず部屋の中に入ってきた。椅子をすすめると、素直に座る。


「で、どうしたの?」


 もう、お茶を出すような道具はこの部屋に無いので、自分も反対側の椅子に座りそのまま聞いてみた。

 慶珂は、何やら迷っているようだったが、ようやく口を開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ