90
案の定、私は、それに何も言えなかった。
言えるハズがなかった。
だって宰相の案は、確かに今現在の状況で、目標を達成しようとするなら参考になる案だ。
だが、私の真意は、そこにない。いま戦を止める、事が目標じゃない。
お茶とお菓子ぐらいなら、こんなもの。確かに、代償としては軽すぎた。
下唇を噛みしめる。
いつまでもここに居ては迷惑だ。わかっている。不敬だって、つまみ出されてしまう。
鼻の奥が、ツーンとする。
そして、ここでふいに、思い出した。
姉の、雰囲気に飲まれたら負けだ、って言葉。
そう。
負けてられないのだ。
希望の光が実は絶望への道だった、なんて、最初から無謀だった、なんてわかりきってた。
できる事があるなら、しなければ。考えろ私。
宰相の言った通りに、全部世の中が動くわけじゃない……と、思う。思いたい。
急にしゃんとした私を、宰相がおやっという顔で見た。
「本日は、お時間いただき、誠にありがとうございました」
涙声には、ならなかった。良かった。
宰相は、私のその言葉にも興味無さげにまた書類に目を移した。
ここで出て行く事も考えたが、それではせっかくの倭都のチャンスも駄目にしてしまう。
恩を、返さなければ。私が負けたら、倭都も負けるのだ。
最後にもう一個だけ。不敬だって怒られるのがなんだっていうのよ。
「郭宰相様。最後に一つだけ、お聞きたい事がございます」
宰相は、無反応。言うなとも帰れとも言われないなら、言ってしまおう。
「海寇の事です。なぜ綜は、海寇に港を閉ざしているのですか? 海賊行為をせず、誠実に交易で身を立てている者達もいます」
宰相が眉をひそめて、私を見た。ここまで来てビビるな、私!
「なんでぇ、またぞろ変な名前を出してくるな。あんた、奇術師にでもなりたいのかね」
宰相の微妙な皮肉を、聞かなかったフリして、頑張る。
「道中、海寇の一派に助けられました。彼女たちに、綜からの後ろ盾が欲しいが、どうしたら良いのか聞いてほしい、と頼まれました」
「後ろ盾だぁ?」
お、怪訝そうだが興味を持ってもらえたらしい。
「はい。宰相様ならご存じかと思いますが、彼女たちは今、勢力争いをしているそうです。だから、綜の後ろ盾が欲しいと」
宰相は何やら考えこんでいるようだった。独り言のようにぶつぶつ呟く。
「海寇に女首領なんぞ居たか? はて、それよりも綜の港を開けて交易したい、とは」
一人で少し考えていた宰相だが、急に頭を振った。
「止めだ止め。儂は今もっと面倒な案件を抱えとる。そんな、代表も居らず交渉もまともに出来ぬような海賊共に、構ってる暇はない。交易品なら尹から仕入れれば済む話だ」
一人ノリツッコミ、の雰囲気を感じたのだけど、黙っておく。
「さ、あんたも用事が終わったならさっさと出て行ってくれ。ごちそーさん」
ついに、ハッキリ出て行けと言われた。
が、茶と菓子だけでここまで粘れたら上出来だろう。正規に手続き踏んでたら、何か月かかっても得られないような情報ももらえたし。
「はい。貴重なお時間、ありがとうございました」
今度は素直に、机の上の茶器一式と皿を盆にのせ、頭を下げて入り口に向かう。
部屋の戸の前には、変わらずあの侍女さんが無表情で待っていた。盆を渡すように合図されたので、素直に渡す。
侍女さんは盆を受け取ると、恭しく一礼して部屋を出て行った。
私もそれに倣って、宰相を振り返り一礼しようとした時、
「……王都に行くなら別に好きにしたらいいが、どうもあんたのお迎えがこっちに向かってきてるらしいぜ」
机の上から目線も上げず、独り言のように宰相が言う。
「お迎え、ですか? 教えて頂きありがとうございます。それでは、失礼いたします」
なるべく恭しく頭を下げて、宰相の部屋を出た。
お迎え……、わざわざ私に教えてくれるってことは、環から、何か言ってきたのだろうか。瑞の、父の名前でも出たのだろうか。
頭の中が、ぐるぐるする。良いのも悪いのも、たくさんの情報が、ぐるぐるする。
何をどうやって、綜の宮殿を出て馬車に乗ったのか、もう覚えていない。
微かに、調理場や侍女さん達にあの菓子を食べてって伝えたのと、最後まで側に居た侍女さんにお礼を言ったのは、覚えてる。
馬車の揺れが、気持ち悪い。
胃がムカムカするのと、頭がぐるぐるするので、考えがまとまらない。
それでもなお、馬車は進む。




