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ついに、当日がやってきた。
昨日は変な夢を見たぐらいでぐっすり眠れたし、体調は万全だ。胃は心無しか痛いが。
汀桔が用意してくれた材料を手に持ち、汀桔が用意した馬車に乗り込んだ。汀桔本人は仕事で、普通に朝から宮殿に出仕しに行った。
「気を付けてなぁ」
「頑張れ、珠香」
「いってらっしゃい、お嬢さん」
馬車の横で、三者三様に声をかけてくれる。
少し顔を青ざめさせながらも、なんとか手を振って、馬車を出してもらった。
途中で、やっぱり気持ち悪くなったが、そんなに距離が無かったし道が整備されてほとんど酷い揺れがなかったので、何とか大丈夫そうだった。
馬車は宮殿に着くと裏庭の方にまわって、止まった。
ちょっとふらつきながら降りると、身なりの良い着物を来た少女が、私の方に近寄ってきた。
「こんにちは~、あなたが劉家から来た料理人ですか~」
真ん丸の顔にくりっとした目が可愛らしい女の子だった。私より少し年上だろうか。ちょっと間延びした喋り方をしているが、私が下の身分と思っているので気安くなっているのだろうか。
材料を抱えながら、軽く会釈する。ちょっと気持ち悪いのが残ってて、あんまり深く頭を下げれなかった。
「はい。本日は、宰相様に菓子を献上するために参りました」
「思ったより若い方で驚きました~。こちらへどうぞ~」
「よろしくお願いします」
彼女が歩き出したので、私もその一歩後ろを歩き始めた。
裏庭から、綜の宮殿を見上げる。
大きい、と、言いたい所だが、どうもそうとは言い切れない気がする。
天下の綜侯の宮殿が、環の宮殿の一回りぐらいしか大きくないなんて、信じられないけど。外から見ると、そう感じる。
私を先導してくれる彼女は、おそらくこの宮殿で働く侍女だろう。どこかの貴族の娘か親戚かもしれない。
宮殿の裏口から中に入っても、印象は変わらない。
つい気になって、先を歩く彼女に声をかけた。
「ここが、綜の宮殿なんですね。でもなんだか、話に聞くより質素な感じを受けます。裏側だからですか?」
私の突然の質問にも、ただの料理人だと思ってる彼女は、気楽に返事をしてくれた。
「いいえ~。表も結構質素よぉ。侯様は派手好みなんだけどぉ、郭宰相が首を縦に振らないんだってぇ。けちなのよ~」
思わず、吹き出しそうになった。危ない危ない。
しかし、外に聞こえる有能宰相も、中で働いている人達からしたら、そういう認識なんだなあ。
「お料理だって、どんな贅沢でもしようと思えばできるのに~、必要最低限でいいって言って、なかなか贅沢しようとしないのよ~。他の貴族の方が、よ~っぽど良いもの食べてるわ!」
彼女はやっぱりまだ年若いようで、年齢が近しいというのもあるのだろうか、頬をぷぅと膨らませた。
「そうなんですか?」
「そうよ~。驚くわよぉ。私も、侯様の侍女になったら安泰だからって、ここに来たけどぉ、実家の方がよっぽど豪勢だもん」
やはり、良い家の子だった。
侍女は、女僕とは基本的に身分が違うので、実家が貴族だというのも珍しい事じゃない。私も、彼女や玉雲みたいに侍女になりたかったけど、能力が無かったし、お母様がいなくなった後の瑞の家を守りたかったから、侍女にはならなかった。なれなかった。侍女、というのも大変みたいだ。
「あの、もしよかったら、材料を多めに持ってきてますので、後ほどみなさんも召し上がってださい。当主にも、それで良いと許可をもらってますから」
他所からの料理人、に興味深々だったので言ってみたが、反応は上々だった。パッと彼女の目が輝いた。
「本当に~。嬉しいわぁ。他所の料理人の、しかも菓子なんてなかなか食べれないから、みんな喜ぶと思うわ〜。当主さんにも、よろしく言っておいて~」
嬉しそうな顔に、言ってみて良かったと安堵した。
彼女のように年若い女子なら、受けも良いだろうし、味方は増やしておいて損はないだろう。
ちょっと打ち解けた侍女さんと話しながら歩いていたら、いつの間にか厨房に着いていた。
思った以上に、こじんまりした、小さめの部屋だ。
宮殿の厨房、とは言え、ここで作っている料理は、主に宰相と働いている時の綜侯、そして綜侯や宰相に会いにきた賓客の為だそうだ。ザ・重要人物専用調理場。方向性は違うが、贅沢だわ。
ここまで案内してくれた侍女に紹介され、お昼が終わりちょっと休憩している、ここの厨房長や厨房の人達に挨拶をした。
「宜しくお願いします」
私が軽く会釈すると、厳つい顔をした、兵士と見間違えそうなここの厨房長が口を開いた。
「ああ、宜しく。菓子を作ると聞いているが、一応、さる貴族様から変な物を入れないかだけ見守っていてくれと言われている。邪魔はしないが、変な動きをしたらすぐ止めるから、そのつもりでいてくれ」
「はい、わかりました」
料理長の言葉に素直に頷くと、料理長はちょっと息をついた。
なるほど、信用されている人物のようだ。
確かに、どこでもそうだが、料理長が離反したら毒殺し放題だからね。長、となるには腕もだが信用も必要となってくるのだろう。いままでの料理長を思い出すと、真面目で堅実そうな人達だった。劉家の人は知らない。
この人は信用されている人物のようだし、監視している、というのをこちらに向かって正直に言ってくるのも、好感が持てた。
「言われた物は、一通り揃えてある。わからなかったら聞いてくれ」
「はい、ありがとうございます。それでは、お邪魔します」
料理長が身体をずらしたので、自分の用意された台に向かった。
台に材料を置き、竈に火を入れてもらう。その間、材料を計り、混ぜ合わせていく。試作通りのかたさになったら、軽く丸めて、火の加減を見る。
一回目。
加減がわからず、焦がしてしまった。中に火が通っているので、もっと時間は短くて良かったみたい。
二回目。
割と綺麗にできた。ちょっと焦げたが、まあ、それも美味しそうではある。
三回目。
ようやく、納得のいく物ができた。これを出そう。
サー…菓子ができたら、次はお茶を用意しなければ。
「宰相の休憩時間は、そろそろでしょうか?」
料理長に確認すると、案内してくれた侍女さんとは別の侍女さんに聞いてくれた。もうそろそろ、休憩しそうだという。
急いで、お茶の準備しなくちゃ。料理長に尋ねる。
「すみません。茶葉と茶器はありますか? 一緒にお茶を出したいのですが」
「あんた、茶を淹れられるのかね」
驚いた顔をしていたが、料理長が他の人に指示すると、茶葉と茶器一式が運ばれてきた。
茶葉は、思ったより高級品ではなかった。劉家の客用で出て来た物の方が高そうだ。ケチ、というのはあながち間違った評価ではなさそう。
だが茶器は、一級品だった。
ここも質素だったらどうしようかと思った。出来る限りの事はするつもりだったけど。高価な物には、高価なりの理由があるのだ。
私は慎重に茶葉を計り、お湯の温度を確かめる。
目指すのは、爽やかさが残りながらも、濃い旨味を残した味。これが、この間お腹タプタプになりながらみんなで決めた味の方向性だ。油にも甘さにも負けないようにしたかった。
そーっと茶杯にお茶を注ぐと、思ったより綺麗に色がでた。
一番美味しい所を宰相用に淹れ、残りを味見してみる。うん、美味しい。私って天才!
とか言ってる場合じゃなかった。急いで、菓子を盛り付け、お茶を盆にのせる。
先ほど、宰相の様子を教えてくれた侍女さんが給仕担当だそうなので、その人に盆を渡す。
侍女さんそのニは頷き、盆を受け取った。
そして、ついて来てとでもいうように、私を振り返った。良かった、この人にも話がついてたみたい。貴族というのは、こういう気配りができないと出世できないのだろうか。
有難く、侍女さんの後ろについて歩く。
いよいよ、噂の宰相に会うのだ。
ドキドキと不安で高鳴る鼓動を抑えるように、胸の前で手を握りしめ、歩く。
上の階に上がり、中庭が見える細い廊下を通る。
奥まった部屋の前で、侍女さんが止まった。
ここが、宰相の執務室の裏口か。
侍女さんが中に声をかけ、入っていく。……あっ! しまった、今一緒に入れば良かった。でも、そうしたら、お菓子食べてもらえないかもしれない。
ど、どうしよう。
私が一人で扉の外であたふたしていると、侍女さんが出てきた。私の不安で青ざめた顔を見て、ちょっとだけ微笑んだ。
「大丈夫ですよ。物珍しそうに見ておられましたが、口をつけられていましたよ」
違う、その心配じゃないんだ。とは言えなくて、ありがとうございますとしか言えなかった。
あとは、片付けの時に、一緒に入るしかないか……。
私が一人百面相をしていると、
「誰かおらぬか!」
中から男性の、怒ったような声が聞こえた。
慌てて、侍女さんが部屋の中に入って行った。ので、私もここぞとばかりに後ろに続いた。
……怒ってる時に入ってどうするの? とは、入った後に気づいた。
ええい、もう、どうにでもなれよ!




