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試作で残ったサーターアンダギーを持って、廊下に出る。みんなどこに居るのだろうか。
とりあえず餐間に行くと、珊瑚が優雅にお茶を飲んでいた。
「ただいま戻りました」
「あら、お帰り〜。早かったねぇ」
「はい。他の二人は、どこに行ったかご存じですか?」
珊瑚はお茶を置いて、ちょっと考えこむ素振りを見せた。
「えっとなぁ、確かお姉さんは身体が鈍るゆぅて庭に行かはって、坊ちゃんは、使用人の女の子に何か聞かれてはったわぁ。どこ行かはったんやろね?」
春陽の行き先は想像の範囲内として、慶珂、ここでもモテモテなのかしら、さすがだわ。
などと、そんな話をしていたら、ちょうど良く慶珂が戻ってきた。
「戻りましたー、ってお嬢さん。お戻りだったんですね」
「ただいま。試作ができたから、みんなで一緒に食べようと思って。春陽の居場所知ってる? わかるなら、呼んできて欲しいな」
「大姐お嬢さんなら、先ほど庭で見かけたので、すぐに呼びに行ってきます」
「戻ってきたばかりなのに、ごめんね慶珂」
いいえ、と慶珂は爽やかに笑って、今しがた入ってきた扉から出ていった。
「と、いう事なので、珊瑚さんも良かったらどうぞ。珍しい、かどうかわかりませんが」
珊瑚に向き直り、持って帰ってきたサー……炸(揚げ)菓子を出す。珊瑚はいつも通りの顔だが、ちょっと不思議そうな表情になった。
「これは、なにを作ったん?」
「えっと、炸(揚げ)した、甘い菓子ですっ」
それ以外に言いようがないので、しょうがない。珊瑚は私の答えに苦笑したが、皿の上にある小さめの丸を一個摘み、口に含んだ。ゆっくり咀嚼し、飲み込む。そして、最後にお茶を口に含んで飲み干した。
「ご馳走様。なんか、こう、不思議な菓子やねぇ。でも、美味しかったえ」
静かだったから不安だったが、悪い反応ではないので良かった。
珊瑚が食べ終わって少しもしないうちに、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。この、無遠慮な足音は、
「お疲れ、珠香。うまくいったか?」
「お帰り、二人とも。それは、食べて判断してみて」
思った通り、春陽と、春陽を呼びに行った慶珂だった。
二人とも席に着いたのを確認して、お茶を淹れる。先ほど、珊瑚も飲み干していたので、珊瑚の分も淹れる。
「いっただきまーす」
「いただきます」
勢いよく春陽は丸を口に放り込み、慶珂は控えめに少し歪んだ丸を口に入れた。
「おっ、これ美味いな」
まだ口の中にあるだろう春陽が声を上げると、慶珂も食い気味に頷いた。うんうん、若い人には受けが良いみたい。
春陽がもう一つ丸を取り、口に入れる。
宰相は甘いもの好きだと聞いたが、珊瑚より年上だろうに、油使った菓子で大丈夫だろうか。イメージとしては、初老のおじちゃんなんだけど。まあ、なんとかなるよね。今更方向転換は難しいし。
「あら、美味しいわこれ」
ふと、さっき反応が薄かった珊瑚が、思わずといった風に声をあげた。つい皿を見て、珊瑚を見た。菓子は減ってないようだが?
「珠香ちゃん、あなたお茶淹れるの、すごく上手なんやなぁ。このお茶、同じお茶なのに、全然味が違うわ」
驚いたように、私を褒めてくれる珊瑚。そう言われて、悪い気はしないな。
そういえば、珊瑚にお茶出したのって、あの下町のおじいさんのお店だけだっけ。あのお茶は安いから、それなりに美味しい、のだけど、ここの茶葉は高価だから、もっと美味しい。お値段相応なのだ。
「お祖母様に、鍛えられましたから」
「へぇ~。アタシらが子供の頃は、こんな美味しいお茶飲めるなんて、想像もつかんかったわぁ。ありがとうなぁ」
感謝されてしまった。そんなに褒められると、ちょっと、照れてしまう。
お茶、というのは、近年になって綜茶が出回ったおかげで、庶民も飲めるようになったが、いまだ高級な嗜好品だ。
お祖母様が言っていた。お祖母様が若い頃はそれこそ貴族の嗜みというやつで、貴族しか飲めない貴重なものだった。茶器があるのが、ステータスだったそうだ。最近はこうやって、誰もが美味しくお茶を飲める良い時代になった、と。
私は、前世はもちろんお茶の国の住人だったし、今世でも生まれてからずっとお茶が有ったから、珊瑚達の気持ちは、本当の所ではわからないのかもしれない。
だけど、目の前の人が美味しい、って言ってくれるのは、すごく嬉しい。
「こ、こちらこそ、ありがとうございます」
「なんで、珠香ちゃんがお礼言うん? 変な子やなぁ」
どもってしまいながらもお礼を言ったら、珊瑚に笑われてしまった。
「珠香は、料理もできるし、お茶淹れるのも上手いんだ。自慢の妹だよ」
春陽が、もう一個丸を口に放り込みながら言った。褒めてくれて嬉しいけど、それは自慢になるような事なのか微妙じゃないだろうか。素直にお礼は言ったが。
「ほんま、上手え。このお茶なら、このお菓子にも合うような気がするわ」
珊瑚が、もう一個、小さめの丸を手にとり、口に含んだ。珍しい。
そうか。
この菓子に合うように淹れたお茶も一緒に出せたら、相乗効果でもっと好感度上がるのでは! 当主にお願いしてみよう。
私が一人、手応えを感じている間にも、皿の上のサー…炸菓子は綺麗になくなっていた。好評で良かった。
あとは、ここの当主にも認められると良いんだけど。
二人にお茶のおかわりを淹れつつ(珊瑚はさすがにいらないそうだ)、当主がどんな反応をするのかわからないので、気を引き締めないとなと自分に言い聞かせていた。
夜。
当主は会合に出かけて行って不在だが、私達はそろって餐間で晩御飯をごちそうになっていた。当たり前だが、当主が居なくても、美味しいごはんだった。いっそ凹むのすら許されないぐらいに。
次の日。
私達は、劉家邸から外に出する事をやんわり断られたが、おのおの邸宅の中でなら自由に過ごして良い、という事になった。
私はといえば、当主の反応を見ないことには、何も進まない。
ので、今日はあのサー…炸菓子で許可が出たと仮定して、一緒に出すお茶の味を決める事にした。
三人に助けを求めると、快くみんな協力してくれた。有難い。
炸菓子をもう一度作るのは許可が無いと怖いので、昨日の菓子を、思い出してもらいながら飲んでもうらうという、無謀な試みをしていた。が、みんな(珊瑚は三杯目でギブアップしたが)根気よく付き合ってくれて、お昼ご飯前にはお腹タプタプになっていたが、なんとか方向性が決まった。
丁度、味が決まった頃にお昼ご飯に呼ばれ、餐間に行くと、思いがけず当主の汀桔がいた。
さらに驚いた事に、知り合いの伝手を頼って、宰相に珍しい菓子を提供する許可を得たそうだ。料理人が直接その場で料理するので厨房に入れても良い、という許可も。
有能すぎかこの人! それとも、あんな料理人を囲ってるぐらいの人だから、舌が肥えてると思われてるのだろうか。
なんにせよ、このたった一日二日で、そこまでこぎつけるなんて。環木もちょっとは役に立ったのだろうか。この人への賄賂とは別に、さらに1/3渡したのだが、効いたのなら良かった。
「ありがとうございます。ここまで迅速に対応していただけるなんて、思ってもみませんでした」
「いやいや、珍しい菓子を提供したい、と申し出ただけですから。それより、申し訳ありません。方便とはいえ、瑞のご令嬢を、料理人などと」
当主の報告に感謝を述べると、逆に謝られてしまった。私は気にしないのに。というか、こっちからそうなるようお願いしたのだから。ただ、あんまり下手に出過ぎるのも良くないかと思い、
「私の希望に添っていただいた結果、そうなったのですから、感謝こそすれ、責めるような事は致しません」
ちょっとだけもったい付けて言うと、汀桔は少しホッとしたような顔をした。
「そうですか、安堵しました。それでは、決行は三日後になりますが、よろしいですか?」
「はい。思ったより早いぐらいです。ありがとうございます」
私が頭を下げると、汀桔が少し笑った。
「それにしても、驚きました。本当に、あのような菓子を考えつくなんて。鵬殿、宰相に近しい方も驚いておられましたよ。そのおかげで、話がすんなり進んだようなものです」
お世辞も入っているのだろうが、その言葉は素直に受け取った。
……と、いう事で。
私の、宰相に直談判しに行こう計画の実行は、三日後となった。
ついに、ここまで来たのだ!
あとは、できる事をできる限りやろう。それしかない。
ぎゅっと、胸にあるはずのない短刀を探して、握ろうとしている自分がいた。
二日後の夜。
またしても会合に出かけた当主抜きの晩御飯が終わったあと、春陽に話しかけた。
「ねえ、春陽。春陽は環侯のお供をして、宰相に会った事あるんだよね。どんな人だった?」
ついに明日は、宰相に会えるのだ。緊張しないわけが無い。少しでも不安を減らそうと、炸(揚げ)菓子はちゃんと分量はかれるようになったし、お茶も方向性を決めた。
あとは、宰相本人を知るだけだ。
と、思って聞いたのだが、当の春陽は首を傾げて、何かを考えていた。
ようやく、口を開く。
「うーん、私も少ししか会ってないからなぁ。そうだなぁ……環には居ない人、だな。ああいう人を、傑物、というのだろう。怒ってないのに父上のように圧があるし、喋る言葉は、先生のように明晰だ。あと、割と皮肉屋っぽくて、綜侯にも媚びへつらわない、怖い人だな」
ははは、と笑いながら軽く言う春陽の言葉に、胸の鼓動が早くなる。これは、ときめきではなく、不安!
「ちなみに聞くけど、賄賂は、ききそう……?」
私のその問いには、春陽はすぐさま首を横に振った。
「無理だろうな。そういう人には見えなかったよ。むしろ、中途半端な物を渡したら、機嫌を損ねるんじゃないのか?」
「そっかぁ……」
心の底から、重い溜息が出てしまった。
春陽も同じタイプなので、この分析は信用できるだろう。
だがしかし。
賄賂が効かないなら、もう自力で説得しかないんだけど、家族と食材チート以外、自分自身に何一つとしてチートが無いこの状況で、どうやって説得したら、成功するのだろうか。
気が、重い。
綜が出て行って戦を止めてくれたら、一番手っ取り早いと思うんだけどなあ。
「お姉さん、ちょっとええ?」
いつの間にかいなくなっていた珊瑚が、戻ってきて春陽を呼んだ。不思議そうな顔をしていたが、春陽は私達にちょっと断りを入れて、珊瑚と部屋を出ていってしまった。
なんだろう。
黄さんから何か言ってきたのかな。
春陽、連れ戻されてしまうんだろうか。
しかし黄さん、もう環に着いたんだな。早い気がするけど、隠密だから何か秘密があるんだろうか。
「で、お嬢さん。その宰相との会談が終わったら、環に帰るんだよな」
二人がいなくなって、なんでもない風にお茶を啜りながら、慶珂が言った。
「……それは」
「今度こそ、環に帰ってもらうからな」
「そんな。上手くいかなかったら、王都に行かなきゃいけないのよ」
「そんな事言っても、路銀はもうないぞ」
「うぅ……、それでも、出来る事全部やってから、帰りたい」
慶珂が、ものすごく呆れたような顔をした。もう、ここまでついてきたなら、慶珂だって一蓮托生だ。諦めてもらうしかない。
「でも、たぶん大姐お嬢さんが反対すると思うぜ」
「春陽か……」
「なんだ、私がどうかしたか?」
「わっ」
ビックリした。慶珂と話し込んでいたから、当の春陽が戻ってきたのに全く気付かなかった。私にびっくりされた春陽も驚いたような顔をした。
「なんえ? どないしたん」
そこに珊瑚も戻ってきた。二人の話は終わったようだ。
「いいえ、なんでも。それより、何の話だったんですか?」
わざわざ離席したのだから、聞いたらまずいかもと思いつつ、他に話題を逸らすすべを思い付かなかった。
二人は目を見合わせて、何やらアイコンタクトをとっていた。頷いた春陽が口を開く。
「いや、それはまた後で話すよ。それより、珠香は明日の作戦に集中した方が良いんじゃないか」
しまった、話題逸らしを逸らされてしまった。真っすぐな春陽がそんな逸らし方をするなんて思ってもみなかった。珊瑚の入れ知恵かもしれない。
なら、しょうがない。
素直に姉の言葉に頷く。
「わかった。明日、頑張ってくるよ」
「ああ。気合入れていけ、雰囲気にのまれたら負けだぞ」
なんの勝負だと思ってるんだろう。けど、その励まし方は春陽らしい。苦笑して、お姉ちゃんの励ましに、うん、と返事をしたのだった。
みんなと別れて、一人寝具に横たわる。
どうしても、明日の事を考えてしまう自分がいた。
まさか、この平凡な私が、料理人として綜の宮殿に入るなんて事、いったい誰が考えついただろう。それより、まだ綜侯の妃の一人として、環からの人質として後宮に入る可能性の方が高かったように思える。
少なくとも、環国の一貴族、瑞家の二女として宰相に会う事は出来無かったはずだ。
そう考えれば、運命というか縁の不思議さを感じる。
ここまで、なんとかこぎつけた。
明日は何としても宰相に会って、直談判して、戦を止めてもらわなければ。
そんな事をつらつら考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていたようだ。
その夜の夢で、私はなぜか、思戯を鍋で炸(揚げ)ようとしていた。




